イロカナデ
鳴海 真樹
あの日、色を奏でた先輩へ
「あぁ。今日もモノクロだ……」
白い砂浜に青く彩られた海。それは、世界が提示した美しい色だ。でも俺は、俺の世界はいつしか色を失った。
俺から色が失われたのはもう5年も前のことだった。医者に診せても、心因性の症状だと言うばかりで俺の話を聞こうともしない。極めつけは、原因に思い当たる節は無いか、忘れていることはないかと聞いてくるのだ。
「違う。俺の色はアイツが奪っていったんだ!」
忘れているもの……。そんなもの、分かるわけがない。
掛かり付け医の話は俺の神経を逆撫でする。自然と歩幅は大きくなり鼻息は荒くなる。こうなる日は決まって、あの浜に吸い寄せられる。
「せめてもの罪滅ぼしか……」
俺の足が吸い寄せられた先。それは、アイツが好きだった浜に一輪だけ咲く彼岸花だ。
「なぁ、まだ俺の事恨んでるのか? ……俺はどうしたらいい? 俺はどうしたらお前に赦してもらえるんだ!? ……それとも、俺は何か忘れているのか?」
そんな俺の咆哮にも似た懇願は虚しく空を切るばかりだった。冷たい空気が身に凍みる、そんな風が海に向かって吹いた。
アイツと出会ったのは、丁度俺が大学に入って2年目の春だった。アイツは、俺が所属していた吹奏楽部の後輩として入部してきた。当時の俺は女っ気溢れる部内の雰囲気に嫌気が差していた。
「女の園だって? 笑わせる。あそこは女の庭だ。それもとびきり猛毒な茨のな」
部内の雰囲気は、表面上は良い。端から見たら仲の良いバンドだねと称される程だろう。だがその仮面を一度剥いだら、つまりパート毎の練習にでもなろうものなら、女の本性が顕になる。
「○○ちゃんてさ。最近調子ノッてない?」
「分かるー。あとさ担任の△△! アイツもだよねー」
「分かるー」
なんとも中身の無い、それでいて不毛な会話なのだろう。これが所謂女子トークなのだと中学時代から嫌という程教わってきた。そんな俺だから、大学の吹奏楽部でも女という生物を毛嫌いしてきた。けど……、あいつはそんな俺に気さくに話しかけてきた唯一の女だった。
「先輩! 先~輩!」
「あ?」
「あ? じゃありませんよ! ここのフレーズってどんな感じですか?」
「あぁ、そこは……」
部活であれば、至極当然な日常の切り抜き。だけど当時の俺にとってその時のワンシーンは妙に鮮烈だった。まるで、モノトーンのイラストに色が加えられたように。俺はいつしかアイツを自然と目で追う様になっていた。
そんな悶々とした心地のまま一年が過ぎ、夏のコンクールを迎えていた。うちの大学の4年時は就活で部活ができない。つまり、このコンクールが俺にとって最後のコンクールという訳だ。
「とは言っても別段この部活に思い入れは無いし、金取るバンドでもないから適当でいいか」
俺が本番の前に調整していると、突然背中に衝撃が来た。アイツだ。
今回の発表形体は小編成のオーディション制。アイツは今回の選抜で実力及ばずメンバーから落とされた。だからこうして俺の応援に来ているという訳だ。
「先輩! 調子どうですか?」
「別に、いつも通りだけど」
アイツのいつもの明るい笑顔に一瞬の陰りが見えた。
「先輩……。いつも通りですか、流石ですね。頑張ってください!」
「お、おう。」
アイツはそう言うと客席に戻っていった。去り際に思い出したかのように振り返り
「先輩! いつも通りもいいですけど、偶には本気の演奏して下さいね! ……最後なんですから」
最後の方は小さくて聞き取れなかった。聞き返す時間もなかった。だから俺は「あぁ」
と応えただけだった。
演奏はなんてこともない当たり障りないものだった。良くて銀賞、そんな演奏だった。俺はそそくさと逃げるように客席に戻った。アイツから逃げる様に……。
演奏が終わった後も、部室に戻る時もアイツは何も言わなかった。
「あれ……。アイツ、あの時どんな顔してたっけ」
そこからの記憶は酷く曖昧だ。思い出そうとしても、うまく思い出せない。まるで思い出すことを拒んでいるかのように……。
コンクールが終わった翌日、コンクールの反省会兼打ち上げが部室で行われた。
アイツは顔を出さなかった。心配になり連絡を取るも返信なし。俺は言い様のない不安に駆られ、適当に理由をつけて会を抜け出した。
アイツは家に居なかった。俺はそこら中を探し回った。ふと携帯を見ると一通のメールが届いていた。アイツからだ。件名無し、本文のみのメールだった。
「先輩、連絡ありがとうございます。お騒がせしてすみません。私は大丈夫です」
そんな本文が綴られていた。俺は急いでアイツに電話した。5コール位で小さく「はい」という声が聞こえた。溢れる焦燥を抑え落ち着いた声で
「今日はコンクールの打ち上げだぞ。部員は原則全員参加だ。お前も早く来いよ」
そう言った。
「……先輩。」
アイツは逡巡した様子だった。それは電話越しにも伝わる程のものだった。そして何かを吹っ切る様に
「そうですね、先輩との最後ですもんね! 私、ちょっとしたら向かいますね!」
……それがアイツとの最期との会話だった。
アイツの最期を見たのは、狭い病室で布をかぶせられた姿だった。
「……事故なんですって。学校に向かう途中にトラックに撥ねられて。」
俺は訳も分からず病室で茫然としていたと……思う。この辺りの記憶は曖昧だ。
(確かあの時、アイツの手紙を……)
俺はハッとなり、持って来ていたカバンから、ある手紙を取り出した。その手紙は看護師から渡されたアイツの手紙だった。恥ずかしながら、俺は一度もこの手紙を読んでいない。そしてあろうことか記憶に蓋をして、この手紙を心の忘れ物にしてしまっていた。
俺はそっと手紙を広げ、噛みしめる様に読んだ。アイツの言葉を零さないように。
「あぁ、そういうことだったのか」
俺は読み終えた手紙を優しく仕舞い、持ってきていた楽器を取り出し、モノクロに広がる海に向かって奏でた。曲目はアイツに初めて聞かせた曲。演奏中なのに、涙が止まらなかった。
ふと涙を拭き前を見ると、そこには綺麗な青が広がっていた。
『先輩へ。まずは演奏お疲れ様でした。先輩達の演奏は、とても力強くて迫力がありました。特に先輩のソロパートなんて、そりゃもうヤバかったですよ!
……けれど、私は先輩の演奏を聞いて少しだけガッカリしちゃいました。おかしいですよね。確かに先輩の演奏は素敵だったのに、私の心には響きませんでした……。
先輩には言ってませんでしたけど、私、高校時代の先輩のソロコンサート聞いて吹奏楽部に入ったんですよ。当時色々あって塞ぎ込んでいた私の心を、モノクロだった世界を鮮やかに色づけてくれたのは先輩の本気の演奏だったんですよ!
私、本当は先輩と一緒に吹きたかった。先輩に本気の演奏をして欲しかった! だから先輩のソロの時、期待してたんですよ?
……だから。だから今度、先輩の本気の演奏聞かせて下さいね! 曲目は、私が初めて聞いた先輩のソロコンの時のでお願いします!
素敵な色を奏でる先輩へ カナデより』
イロカナデ 鳴海 真樹 @maki-narumi
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