不安

古月むじな

 私の町には大きな病院がある。

 町とは言っても、それはあくまで私の認識で、実際には住所や番地も全然異なっている。しかし、歩けばほんの数分で辿り着くそこが、地図や行政の上では私の住む町とは違う町として区切られていることをどうにも納得できない。

 のどかな町である。春爛漫、ちょうど桜の咲き誇る季節で、春風が花びらをあちこちに吹き飛ばしている。暖かい日差しの下を、介助らしい人に付き添われてお年寄りが歩いている。

 なにもおかしなところはない。なんら異常はない。きっと日常そのものの光景である。しかしなぜだか私は、それらを見ていると気持ちが揺らいで仕方がなかった。

 春だからであろうか。

 冬の間は寒くて寒くて、外に出ているとそんなことを考えている余裕もなしに早足で目的地まで行こうとする。夏であっても、その茹るような暑さでろくろくものを考えられないであろう。ちょうどいい穏やかさは、考えるに至るだけの余裕がある。だから私の脳は不安に行きついたのか。

 しかし、しかし。

 私はいったい、何を不安がっているというのか。

 町を歩いていると、ついこの間まで(といってもそれが数ヶ月も前であったことをすぐに思い出すのだ)あったはずの店がなくなり、別の店に変わっていることが幾度とあった。店ではない、町並みが変わっているのだ。

 この間、大きな道路が開かれた。交通の便が良くなったので、あちこち開発が始まったそうだ。儲かっていない店は畳み、放り出されていた土地は売られ、そうしてどんどん新しいものが造られていく。きっとあと数ヶ月もしたら、この通りも見覚えがないくらいに変容しているのだろう。

 無性に恐ろしくなった。帰ろう、と思ってきびすを返す。しかし振り向いて、そこは見覚えのない場所だった。はて、ここはどこだっただろうか。記憶を頼りに思い出そうとしても、目印となる建物や道路はすっかり形を変えている。

 いや、いや。慌てることはない。ここは私の町だ。変わったといっても、すべてがすべてそっくり入れ替えられたわけではない。少し歩けば、すぐに家まで戻れよう。

 戻って……戻って、どうするというのか。

 ざわざわと風が桜の木を揺らしている。花びらが零れ落ち、視界が薄紅色に染まる。

 ここはどこだ。私の町には大きな病院がある。いや、それは本当に私の町だったか? 病院なんてはたしてあっただろうか。あそこは最初はなから、私の町ではなくて――では、私の町はいったいどこにある。

 私は呆けてその場に佇んだ。私の横をゆったりとした足取りで老人と介助者が通りすぎる。町並みは相変わらず、穏やかな春模様に染まっていた。

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不安 古月むじな @riku_ten

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