第3話 旅の理由

 オレの右目はほとんど見えていない。

 中学時代のちょっとしたが原因だ。

 眼科に強いと評判の大学病院で診察を受けたこともあるが、眼底出血がどうのと言われ、結局は治る可能性は低いらしい。


 左目の視力も良くはない。

 眼鏡はかけているが、バイクや普通自動車の運転免許取得の基準は残念ながら満たせていない。


 そのため人込みを歩くのはちょっと苦手だが、十分に注意すれば、まぁなんとかなるレベルだ。


 大学の講義も、後ろの席に座ると黒板の文字が見えないが、一番前か二番目くらいに座ればなんとかなる。一番前の席が確保できないほどには、何故か授業は込んでいないからな。


 今一番の懸念は、やはり運転免許だろう。

 免許があれば、密かな憧れの、彼女とのドライブなんかを楽しめるのに、それが不可能なのだから。


 もっとも、その前に彼女がいないんだけどさ。

 ……いや、それは置いておこう。


 今はまだその程度の不自由で済んでいるが、将来に不安が無いわけじゃない。もし左目ももっと悪くなったら、就職だってきっと色々と制限ができてしまうだろう。両親もその辺はかなり心配してくれていることを知っている。


 だからオレは、医者にも無理だと言われたこの目が治るというのであれば、それに飛びつきたい。


 もしラノベのような気前の良い神様がいて、オレに一つだけ願いを叶えてくれるというのなら、お金とか、知能とか、権力とか、名声とか、ハーレムとか、世界征服とか、そんなことより、この目を治してくれることをお願いしたい!


 あ、でも、ハーレムには少し悩んで……

 いやいや、それもちょっと置いておこう。


「じゃ、行くってことで。リオ? 冬也のこと、お願いしていいよね?」

「……目の治療については大丈夫。でも、マイコは分かってると思うけど、絶対的な安全は保障できないよ?」

「大丈夫よ。リオの事は信頼しているし、多少の危険くらいは問題無いわよ。治癒の魔法もあるんだし、私の時も大丈夫だったじゃない」

「そうだな。母さんは一年間冒険して戻ってきたんだし、それに比べればオレは、ちょっと行って、パッと治療して、サッと戻ってくれば、全く問題無いだろう」

「「……え?」」


 リオが母さんと疑問の声をハモらせて、オレの方に振り向いた。


 ん? オレは何かおかしなこと言ったか?


「……ちょっと、冬也?」


 スマホから怪訝そうな声が聞こえてきた。


「何?」

「冒険は?」

「次の機会ということで」


 だって、目が治ったら念願の運転免許証を取りたい。

 彼女も作ってドライブしてみたい。

 作りたいと思ってすぐ作れるほどリア充じゃないが、そこは夢見てもいいところだろう?


「次の機会って、いつならいいのよ」

「夏休みの時とか?」


 大学の夏休みというのはかなり長いと聞いている。

 高校時代に比べたら倍くらいあるんだとか。

 それくらいあるなら、一か月くらいは異世界冒険もいいかもしれない。

 冒険してきたからと言って、誰にでも話せる内容にはならない気もするが。


「……良いこと教えてあげようか?」

「何?」


 なんとなく、母さんの声のトーンが少し下がったような気がする。

 うん。きっと気のせいだろう。


「あっちの世界はね、自然も豊かな、ホントにファンタジーな世界なのよ」

「へえー」

「牧歌的な風景も多いけど、幻想的な風景も多くてね。女の子とデートするにはうってつけ。カルナの泉なんて、満月の夜に女の子を連れて行ってごらんなさい。思わずウットリとしちゃって、良い雰囲気になること間違い無し!」

「……へえー」


 ……それは、ちょっと見てみたいかも。

 でも、そういう相手がまだいないんですよ、お母さま。


「あとね、あっちの世界には獣人がいるの」

「……何?」

「獣人、よ。人族とは違って、獣の属性を持つ人達」


 それは、異世界モノの鉄板の種族。

 そして、獣人がいるということは、もしかして……


「つまり、ネコ耳娘やウサ耳娘、さらにはエルフ族なんてのもいるのよ。もちろんこっちの世界のようなバチ物じゃなく、正真正銘、真正な獣耳娘がね」


 エルフは獣人じゃないと思うが。まあいい。それは置いておこう。


 ともかくだ。

 獣耳娘というのは、ぜひ見てみたいかも。ぜひ会ってみたいかも。

 出来れば、お友達とくべつに……


「リオがいれば、それなりに強くなれちゃうかもよ? 万が一戦闘になっても、魔法で各種支援をしてくれるし。いざとなれば各種治療などもしてもらえるし、ね」

「……う、うん」

「獣人達は虐げられている人達も結構いるし、そんな娘達を冬也が颯爽と格好良く助けてあげれば……」

「……あげれば?」

「カルナの泉で月夜のデート、なんて結構簡単じゃないかな?」


 ――ゴクッ


 そ、それは……その……行ってみたい、かもしれない。

 いやでも、ここですぐ、じゃあ旅して来ます、なんて言ったらどう思われる?

 そんなあからさまなことできるかよ。


 いや、でも獣耳娘だぞ?

 ふさふさ、もふもふの、あの獣耳娘だぞ?

 しかもバチ物じゃなく、本物だぞ?

 こんなチャンス、滅多にないぞ?

 それどころか、きっと二度と無いぞ?


 ど、どうする? どうする? どうするよ、オレ!


「あ、そうそう。ちょっと頼まれて欲しいことがあるのよ。あとで渡すけど、荷物を一つ、あっちの世界の友人に届けて欲しいの。メッセージと一緒に手渡しでね」

「荷物?」

「そう。ちょっと遠いかもしれないけど、大事な物なのよ。いいかな?」


 母さんのお使い……?


 そうか、これだ! これなら!


「……し、仕方がないな。いいよ、引き受けても」

「ありがとう。じゃ、頼んだわよ」

「ああ、分かった」


 母さんのお使いじゃ仕方がないよな。うん。

 まあ、そのに、ちょっとあっちの世界を色々と見て回って来るということで。


 ネコ耳とかウサ耳って、リアルだとどういう感じなんだろうか。

 キツネ耳とか、イヌ耳もいるのかな? きっといるよね?

 リス耳とか、クマ耳とかはどうだろう?


 仲良くなったら尻尾とか獣耳とか触らせてもらえるかな?

 もふもふ、できちゃったりするかな?


 ふふふ。ちょっと楽しみだよね。


 もちろん旅の主な目的は母さんの友人へのことづけだ。

 大丈夫。ちゃんと分かってるって。ふふ……ふふふ。


 電話の向こうから「男の子って……」と小さなつぶやきが聞こえたような気がするが、きっと気のせいだろう。うん。


「……ねぇ、マイコ?」

「ん? 何かな、リオ?」

「ホント、変わらないね、君は」

「どういう意味かな?」

「何でもない」


 リオが小さくため息を付いたような気がする。


 ◇


「じゃあ、リオ。お願い」

「うん」


 紫色の淡い光の環がリオの首の辺りに現れ、一瞬のうちに環が広がって霧散した。そして厚そうな布でできた胴長な巾着袋のようなバッグが一つ、いつの間にかベッドの上に現れていた。


 ――おお、これが転送魔法ってやつか!


「届いたかな?」

「うん。無事転送したよ。これって、マイコが使っていた旅行バッグだよね?」

「そうよ。冬也にあげるね」

「へえー。このバッグで冒険していたんだ」

「そうよ。それは魔法のバッグなの。見た目の十倍くらいは物が入る便利アイテムなのよ」


 バッグをベッドから降ろして、紐をほどいて開けようとするが……

 あれ? 開かない?


 紐はほどけたのだが、バッグの口が開かない。


「母さん? 開かないよ、これ」

「魔法のバッグだもん。本人じゃなきゃ開けられないよ」

「……じゃあ、オレが持ってても仕方ないじゃん」


 こんなの貰ってどうしろと?


「あははは。リオ、あっちの世界に行ったら、持ち主の書き換えをお願いね。マスターコードは知ってるよね?」

「うん。分かった」

「じゃあ、冬也。その中に入っている赤い宝石をライトルネのフューネに渡して頂戴ね。あと、遅くなってごめんなさい、と伝えてね」


 ライトルネというのは都市だか地域だかの名前か?

 それだけの情報で個人を特定できるものなのか?


 そう思ったが、どうやらリオも面識のある人物らしく、問題無いそうだ。どうせあっちの世界の土地勘や常識などはリオに頼るしかないのだし、こういうところは任せよう。


 フューネという名前は、なんとなく女性のように思えるが、どうだろう?

 美人なのかな?


 でも、オレより年上なのは確定事項だし、もしかしたら母さんよりも……?

 おっと、女性相手に年齢の話は何処の世界でもタブーなのかもしれない。

 気を付けよう。


 バッグの中にはその他に、母さんが冒険の最初の頃に使っていた剣と多少の路銀も入っているそうだ。


 一年間も冒険をしていたら、もしゲームならかなり強い装備と宝石などの高価なアイテムとかありそうなんだが、そういうのは全部、こっちの世界に帰ってくる時にあっちの世界に置いてきたらしい。もったいない。


「リオ、転移先はラカの東の草原地帯でお願いね」

「……いいの? ライトルネからかなり離れていると思うけど」

「いいのよ。あの辺は強力な獣なんかもいないし、初心者向きだと思うわ。それに近くにちょっと大きな都市もあるから、獣人にも会いやすいかもしれないしね」


 ――グッジョブです! お母さま!


 聞いていないフリしながら、心の中では感謝した。

 それはともかくとして、オレは気になったことをリオに聞いてみることにした。


「なぁ、リオ。この世界には魔法の粒子が無いから魔法が使えないとか言ってなかったか? さっき転送はできてたみたいだけど、オレたちのあっちの世界への転移とかは、魔法使えずにどうするんだ?」

「うん? ああ、魔法素粒子だね。そう、確かにこっちの世界にはほとんど無いから、目を治すほどの治癒の魔法は使えないんだ」


 リオの説明によると、リオの体の中にある程度の魔法素粒子は蓄えられているらしい。こっちの世界にはほとんど無いとは言っても、極僅かには存在しているそうで、二十年以上の眠りの中で、微々たる量ではあるが吸収もしていたそうだ。


 そして、自分の活動や先程のバッグの転送、更にはオレたちのあっちの世界への転移くらいならば問題なくできるそうだ。しかし、単なる体力回復程度の治癒魔法なら可能だが、目のような複雑な部位の再生治癒にはとても足りないのだそうだ。


 ラノベやアニメで語られている魔法だと、転送や転移の空間魔法のほうが、再生治癒の魔法より圧倒的に難しく、魔力も消費しそうなイメージを持っていたのだが、実際には違ったようだ。


「大丈夫。あっちの世界に着いたら、周囲の魔法素粒子を使ってすぐに実行してあげる。安心してていいよ」


 頼りにしてますよ、リオ

 なにしろ、それが第一の目的だからな。

 万が一それが何らかの理由でできなかった場合、母さんのお使いももちろん、旅することは正直難しいと思うし。

 まぁ、この様子ならば大丈夫と思っていて良さそうだ。


 そう考えていたところへ、母さんからの非常に重要でありがたい忠告が与えられた。


「あ、そうそう、冬也。出発する前に、部屋の片づけはしておきなさいよ。月に一度は部屋の掃除に行くから。特に、は、ちゃんと自分で処分しておきなさいよ」


 ……はい、分かっております。お母



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