魔女の出会いと別れ

将月真琴

前編

 昔々、もう語る人も今やいないほど昔のこと、あるところに大きな国がありました。

 その国は、交通の要所として、人も、物も、数多く集まる国でした。その国には、昔から伝わる古い言い伝えがありました。曰く「国の東にある深い森の奥には魔女がいる。彼女が森から出てくることは滅多にないが、まれに森から出てきて、人間を攫ってゆく。攫われた人は魔女に食べられてしまう」

 人々は魔女を恐れ、子供が悪さをすれば「魔女に攫われるぞ」と子供を脅すのが習わしとなっていました。

 だがしかし、人々の中には、自らの子供を森に捨て、魔女のせいにしてしまう者も少なくはありませんでした。国はそれを知りながらも、黙認していました。


 ある日、若い女が東の森を訪れました。その女の腕には三歳ほどの幼い少年が寝ていました。女はおどおどとした様子でを木の陰に少年を隠すと、足早にその場から立ち去ってしまいました。

 暫くすると少年は目を覚まし、見慣れない風景に驚き、母親がいないことに気づいて泣き出しました。

「おい、そこのお前」

 少年は、いきなり声をかけられたことに驚き、きょろきょろとあたりを見回しました。

「上だ、上」

 少年が見上げると、近くの木の枝に一人の女性が腰かけていました。女性は魔女であり、住みかとしている森に人間が捨てられたので様子を見に来たのでありました。

「お前、私の森で騒ぐんじゃない。さっきからうるさくて仕方ないんだ」

「でも、ママがいないんだ」

「お前の母親なら、お前をここに捨てていったのさ」

「ウソだ!ママが僕を捨てるわけがないよ!」

「でも、お前はここに置き去りにされている。その事実は変えられないだろ?」

「ママは絶対僕を迎えに来てくれる!」

「絶対?ハッ、笑わせるな。認めろ、お前は捨てられたんだ」

 少年はその言葉を聞くと、じわりと目に涙を浮かべ、すぐに大声で泣き出しました。

 それを見ていた魔女は、「そうだ、こいつを食ってしまえば森は静かになり、こいつが母親のことをうじうじ言うこともなくなるだろう。我ながら名案ではないか」と思い、

「おいお前、母親にもう一度会いたいなら、黙って私についてこい」

と言いました。

 少年は、女性のことを怪しいとは思いましたが、母親にもう一度会えるのならば、と考えて、女性についていくことにしました。


 森の奥にある家に少年を連れ帰った魔女はさっそく少年を食べようかと思いましたが、少年はあまりにも痩せていて、食べても美味くないだろうと考え、少年を育てることにしました。

 魔女は、人間を食べなければいずれ死んでしまいます。それが魔女になった者の定めでありました。

 この魔女はまだしばらくは人間を食べなくても死にませんが、それでもいずれ食べなくてはならないので、出来るだけ美味くなってから食べようと考えたのでありました。

 魔女は少年にしっかりとした食事をとらせ、運動をさせるなど、丁寧に育てました。

 少年は、なかなか母親に会わせてくれない女性のことを怪しみながらも、家にいたころには食べたことのないような美味しい食事をお腹いっぱい食べることができていたので、だんだんと女性のことを信用するようになりました。

 魔女は、少年に魔法の才能があったので、ちょっとした暇つぶしになればと思い、少しだけ魔法を教えました。歯向かわれても全く問題はなかったものの、一応の安全策として、ごく弱い、物に簡単な命令を与えられるだけの魔法のみを教えました。

 連れてこられて数年がたったある日、少年が女性の家に帰ってくると女性が倒れていました。少年は慌てて手当てをしようとしましたが、女性はそれを拒否しました。

 そのことを不審に思った少年は、普段絶対に入るなと言われている女性の部屋にこっそりと忍び込みました。そこで少年は、様々な怪しげな道具や薬を見つけ、昔、母親に教えられた昔話を思い出し、初めて女性が魔女であることを知ったのでした。

 少年はとても、とても悩みました。魔女は母親に会わせてくれると言った。けれども、魔女は母親は自分を捨てたとも言った。どちらも本当かもしれない。どちらも嘘かもしれない。どちらかは本当で、どちらかは嘘かもしれない。少年はぐるぐると考え、結局、結論を先延ばしにしてしまいました。


 さらに時は過ぎ、少年は青年といっても差し支えない年齢にまで成長しました。しかし、魔女は青年を長い間育ててきたせいで、青年に愛着がわいてしまっていました。本当なら、もうそろそろ青年を食べなければ、魔女はその命を失うというところまで来ていました。

 無論、少年が森に捨てられてからも、子供や老人などが森には捨てられていて、それらの人々はすぐに魔女に食べられていました。しかし、その数もだんだんと減りつつあり、子供や老人では魔女にとってそれほど栄養になるものではありませんでした。それでも魔女は、「まだ美味しくなる、まだ美味しくなる」と自分をごまかしながら、日々暮らしていました。

 そんなある日のことでした。青年と魔女が一緒に食事をとっていると、青年が、「貴女はいつになったら僕を食べるのですか。貴女はきっと、しばらく人間を食べていないのではないか?魔女ならば人間を食べなければならないのでしょう?」と尋ねました。

 魔女は、青年が自分のことを魔女だと気づいているのは、一度栄養不足で倒れてしまった後に、青年が魔女の部屋に入ったことがあるので知っていましたが、どうして魔女がしばらく人間を食べていないと思ったのか気になり、「どうしてそんなことを思ったのだ?」と尋ねました。

 青年は少しうつむくと、小声で「貴女が昔に比べて、おいしそうに食事をとるようになったからです」と答えました。

 魔女はそれを聞いて、ハッとしました。魔女の力は人間の血肉を食べることで保つことができますが、どうしても人間を食べることができないとき、普通の食事からでもごくごくわずかに、生きるのに必要最低限度な量に少し届かないほどですが、力を手にすることができます。魔女の体は、彼女からすれば短い期間に、しかし、ただの人間からすれば長い間、魔女の力を保つのに必要な量の人間の血肉を得ることができていなかったのです。そのことを、魔女は忘れてはいませんでしたが、自分のこととはいえ、少し甘く見積もりすぎていました。

 青年に自らの衰弱を気付かされた魔女は、日に日に弱っていってしまいました。

 青年は、魔女のために栄養価の高い食事を作りましたが、魔女が回復することはありませんでした。

 ベッドに寝たまま、起きている時間が短くなった魔女は青年に尋ねます。

「私はお前を食べようとしていたんだぞ。どうして私を助けるようなことをするんだ?」

 青年は魔女に食事を与えようとしていた手を止めると、

「貴女は確かに僕を食べるために連れ帰り、美味しくなるように育ててきたのかもしれない。けれども、貴女が僕にくれた優しさは、貴女にとっては嘘偽りだったとしても、僕にとっては、とても、とても温かくて嬉しいものだったのです」

と静かに答えました。

 魔女はその答えに対して、何も言うことができませんでした。

 さらに衰弱し、自らの死期を悟った魔女は、枕元に青年を呼んで言いました。

「私はもうすぐ死ぬだろう。そうなればお前は自由だ。どこにでも好きなところに行くといい」

「何を言っているのですか。僕を食べたかったのではないのですか」

「変な奴め。食べられたがるとはおかしな話だな」

 青年はその言葉を聞くと泣きそうな顔になって部屋を出ていきました。


 次の日から、青年は自分にできることが何かないのか、必死に探しました。魔女が持っていた本を読み漁り、来る日も来る日も探し続けました。

 そしてある結論にたどり着いたのでした。青年は、それを実行するのか悩みましたが、魔女のためになるのなら、と思い、実行することにしました。


 ある日、魔女が目を覚ますと、以前によく嗅いでいた、しかし、もう二度と嗅ぐことはないと思っていた匂いがしました。それは、鉄の匂い、つまり、血の匂いでした。

 魔女は、その匂いに突き動かされるように、力を振り絞ってベッドから起き上がり、匂いの強いほうへと歩いてゆきました。匂いは、どうやらキッチンのほうから漂ってくるようでした。魔女が部屋を出てキッチンへ歩いてゆく間、青年は一度も姿を見せませんでしたが、魔女はそのことに気が付きませんでした。

 魔女がキッチンにたどり着くと、そこは血の海になっていました。キッチンには、血まみれになった包丁やまな板や鍋などがそのまま放置されていました。そして、そこにはいくつかの肉料理が置かれていて、そのうちの一つには、使ったであろう食材の頭が置かれていました。

 魔女は、よろよろと皿の前まで歩いてゆくと、ゆっくりとその頭を、昔は小さかったのに大きくなってしまった頭を、今では痩せた魔女の腕にすっぽりと収まるようになった頭を、とても大切なものであるように胸に抱えました。

 そして魔女は、一人で静かに泣きました。


 しばらくの間そうしていた魔女は、立ち上がり、ダイニングに行くと抱えていた頭をゆっくりとテーブルの上に置き、自分はその対面に作られていた料理を持ってきて置きました。そして、何も言わずに食べ始めました。


「美味しい」「美味しくない」「美味しい」「美味しくない」…………。

「ああ、ああ、こんなにも美味しくない料理を食べたのは初めてだよ。ああ、でも、でも私は食べなければならないんだ。」

「とてもとても、美味しいんだ。私はこの料理を食べることができることに感謝したいんだ」

「でも、でもやっぱり食べたくないぐらい不味いんだ」

「けれども、今までに食べたことがないくらい美味しいんだ」

「だけど……だから、私は、私が食べなければいけないんだ」


 魔女はゆっくりと時間をかけて、文句と歓喜の声をあげながら、けれども全ての料理を食べ終えました。

 久しぶりに料理を食べた魔女の体にはつい先日まで衰弱していたようなそぶりは全くなく、元気を取り戻し、力に満ち溢れていました。

 すっかり元気になった魔女は、皿を洗って片付けると、家の中をぐるりと見て回りました。そして、ダイニングに戻ると彼の頭の前で一つ頷き、頭をゆっくりと持ち上げ、自分の部屋にあった袋に入れました。


 それから、魔女がどうなったのか知っている人は誰もいません。彼の頭を持ってどこかへ行ったのか、それともそのままそこで暮らしたのか、確かなことは分かりません。

 ある人は魔女が空の向こうへ飛んでいくのを見たと言い、ある人は国の人が魔女に攫われるのを見たと言いました。ほかにも、数多くの人が魔女について様々なことを言いました。

 けれども、よくよく調べてみると、それらは全てデマでした。




 昔々、あるところに大きな国があり、その東に森がありました。その森には人間を攫って食べるという魔女がいましたが、今でもその森に住んでいるのかどうかは、誰も知りません。

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