5.「【ML】争奪戦 Ⅱ 」



「なんだよ、リーゼント。お前も「竹刀(こいつ)」が欲しいのか?」


大男は最上(もがみ)の方向へとその筋肉質な巨体を向け、睨みを利かせるような目で威圧する。


だが、灰原と蒼が物怖じしていた大男の威圧感に対し、最上は特に態度を変える様子もなく、顔を腫らして倒れている灰原、そして、それを庇うように大男の前に立ち塞がっていた蒼へと視線を移す。


「‥‥。」


それで現在の状況を把握したのだろう。

溜め息代わりの鼻息を吹き出すと、再び大男へと視線を戻していた。


灰原よりも少しだけ背が高い最上 秀昇(ひでたか)ですら、大男と比べると小さく感じてしまう。それでも、最上を「大きく」感じたのは、あの豪快かつ丁寧に造り上げられた緋色のリーゼント頭のおかげなのだろうか‥‥。


そんな好奇心の籠った目で自身の頭部を見つめる灰原の視線に気が付いたのか、最上は少しだけ灰原に笑いかけた後、大男を睨みつける。


「‥‥いや、俺はもう持ってるから良いんだけどよ…。」


少しだけ悲しそうに最上は大男の質問に答える。

やはり、まだ本人の中でも心の整理ができていないのだろう。


灰原もここまで【ML】を探して来たからこそ、最上の気持ちは強く共感できる。

自身の【ML】、自分だけの「何か」を探すことの楽しみ、思ったように見つからなくて焦る気持ち…といった、それら全ての体験を通して勝ち取った【ML】の価値は大きく、愛着も湧くものだろう。


【ML】を見つけた生徒達の喜ぶ顔や期待に満ちた表情を観察していた灰原は、それを学んでいた。


———…あの塩崎という男は、とんでもない事をしでかしたのだなぁ…。


事件の当事者である塩崎は、きっと冗談でやったつもりだろうが、生徒から【ML】の選択権を奪う…というのは、この「神様ゲーム」においては禁忌(タブー)な気がする…。


———ん? 塩崎‥‥?


教室での塩崎と最上の一件を思い出したことで、灰原は別の事実に気がつく。


…目の前の大男は最上が【ML】を手に入れていた事を知らなかったのだ————。


————では、なぜ大男は知らなかったのか…?


数時間前にいた教室の風景を思い出しながら、灰原は考える。

…あの教室にいた生徒数は三十人。

だが、今まで見かけた生徒の数はどうであったか…。

【ML】争奪戦が始まってから現在までに見かけた「生徒の数」を思い出すために、灰原は脳内の映像をリプレイする。


 「教室」…「グラウンド」…「弓道場」…「文化棟」…「体育館」…。


一通りのリプレイを終えた後、最後に灰原は大男の言動を振り返る。


『なんだよ、リーゼント。お前も「竹刀(こいつ)」が欲しいのか?』


最上が【ML】を入手したのは、塩崎が【ML】争奪戦の説明をしていた頃。


初めに説明をしていた塩崎が注意をして、あの無意識下の行動を強制させる「命令」の力を見せてから「異質」な力を持っていることを証明した塩崎の説明を聞いていなかった…というのはないだろう。


あの「命令」以降、教室内の空気が張り詰めていたこともあり、あの空気の中で塩崎の説明を無下にする者は…まずいないだろう。


灰原自身、あの「教室」にいた全ての生徒の特徴を記録しているわけではないが、あれほど大きくて目立つ存在を覚えていないはずがない。


…では、これらの情報から導き出される答えは何か?




それは灰原、蒼、最上の三人がいる教室とは違う「別の教室」の存在である。



この校内には、灰原達がいたような「教室」が他にもいくつか存在し、他にも参加者がいるということになる。


確かに、たったの三十人だけならば、〈生徒手帳〉を使った争奪戦など、ほぼ起こり得ない。


だが、それが六十人‥‥いや、九十人ほどの集団であったならば?


…そのように想定するならば、ありえない話ではない。

「神様ゲーム」の参加人数について、塩崎は何も説明していなかった気がする…。

塩崎に乗り移っていた「何か」もその事には言及していなかったが、特に隠していた…というわけでもない。


理由は分からないが、特に言う必要はないという判断を下したのだろう————。




…ここまでのことを十数秒の思考で推測した灰原は、忘れていた頬の痛みの波を再び思い出し、痛みに少しだけ顔を歪める。


「…お前、説明聞いてなかったのか。鉢合わせたら〈生徒手帳〉出して戦う…っていうルールだろうが。」


「はっ…別にお前には関係ねぇだろ‥‥が!」


そう返すや否や、大男は筋肉の発達した剛腕を最上に振るっていた。


「…!」


最上に危険を知らせることすら出来ずに、灰原は振るわれた剛腕の動きを見ているだけに留まる。


予告も無しに振るわれた大男の剛腕は確実に最上の顔面を狙ったものだったが…、


「…あぶねっ。」


最上は振るわれた剛腕の持つ威力を冷静に判断し、即座に指を組んで両腕を固定した後、剛腕の側面部を的確に狙った肘撃ちで大男の攻撃を弾き返していた。


「…っ!」


僅かながらの隙が生まれた大男の顔面に目掛け、最上は軽く掌底を加える。


さらには、そのまま顔を掴み、体重をかけると同時に軽く片足をかけ、大男を押し倒していた。


「がっ…!」


ガンッ…と後頭部を地面に打ちつけられ、悲鳴を上げた大男は、そのまま仰向けで沈黙する。


「‥‥。」


倒れた大男を軽く睨みつけた後、するり…と立ち上がった最上は呆然と立ち尽くしていた蒼の傍を通り過ぎ、倒れていた灰原に手を貸していた。


「…よっ。大丈夫か?」


先程の攻防が無かったように、優しげな表情で最上は灰原の手を握り、引き上げる。


「…ああ、すまない。」


その表情の変化に灰原は少し驚きながらも最上の手を借り、立ち上がる。

だが、その拍子に気が抜けてしまったのか、灰原は右頬から湧き上がってきた痛みの大波に顔を歪めていた。


「…大丈夫…じゃなさそうだな。」


灰原の顔の腫れと表情を見た最上は心配そうに声を掛ける。

そして、呻(うめ)き声を上げて起き上がろうとしている大男に視線を移した後、


「そいつは俺が預かっててやる。

だから…色々気にせずに、あいつと戦って来いよ。」


灰原の側に落ちていた「竹刀」を顎(あご)で指しながら、最上は灰原に告げる。

そして、灰原の後方に立つ蒼へ僅かに視線を移した後、「任せろ。」と言わんばかりに大きく頷いていた。


————蒼のことは気にするな…ということか…。


灰原が蒼に気を遣って「竹刀」を大男に明け渡そうとしていた場面を最上は見ていたのだろう。その行動が決して「逃げる」ためではなく、彼女に迷惑をかけない為にした行いであると、最上は灰原の心中を覗いたかのように把握していたのだ。


————頭が上がらないな…。


ここまでの前座を用意してくれた最上 秀昇の思いに応えるためにも灰原は決断する。


「…すまない…蒼を頼む。最上 秀昇(ひでたか)。」


最上に頭を下げて、そう言い残した後、灰原は上体を起こし始めた大男の方へと向かい、ブレザーの内ポケットから〈生徒手帳〉を取り出した…。






「…痛てぇ…クソ‥ドジったな…。」


大きな独り言を言いつつも、大男は打ち付けた後頭部に手を当て、首をゴキゴキッ…と鳴らし、ゆっくりと立ち上がる。


「…!」


だが、大男の持つ本能的感覚が背後に迫る人の気配を察知すると、大男は反射的に体勢を背後に向けていた。


「…なんだよ、お前に用はねぇんだ。とっとと、後ろのリーゼントと代わりな。」


一時は臨戦態勢に入っていたものの、気配を放っていた背後の人物、灰原 熾凛(さかり)の姿を見た途端に大男は臨戦態勢を解き、不服そうな様子で灰原を突き放す。


「…すまないが、そういうわけにもいかない。」


「‥‥‥。」


しかし、確かな覚悟を持った眼を見た大男は即座に対応を変えていた。


「ちっ…しゃぁねえな。

〈生徒手帳(こいつ)〉を出して勝負に勝てばいいんだろ。

とっとと…お前をぶっ倒して、あのリーゼントに一発返してやらねぇとな。」


その真っ直ぐな瞳を見た大男は「退いてはいけない」と叫ぶ本能に従い、灰原の挑戦を引き受けることにしたようだ。


嫌々ながらも灰原の挑戦を受けた大男は、尻ポケットから〈生徒手帳〉を取り出し、灰原に向けた途端に例の電子音が「武道場」に響き渡る。


『【ML(マテリアル)】:「竹刀」の争奪戦を確認。

勝敗はこちらで判断させて頂きます。

両者…準備はよろしいでしょうか?』


灰原と大男、二人は武道場の中心へと移動する。

その戦いへ赴く初めの一歩をどちらが先に踏み出したのかは分からない。

だが…おそらく同時であっただろう。


ある程度の距離を保ち、向き合った両者が一呼吸終えた直後にカウントダウンが始まる。


『3…』

距離を目測で測り、間合いを確認する。


———…およそ7~8mほどだろうか‥‥。


『2…』

大男は指の骨をボキボキッ…と鳴らしながら、体勢を少し低くして身構える。


『1…』

空気が凍り付いたかのように一時停止する。まるで一秒が永遠にも感じられた。


『0』

その刹那、灰原は誰かが唾を飲み込んだ音を聞いた気がした。



『…争奪戦、開始。』



開始を告げる電子音の後、ドンッ…という地響きのような強烈な足音が「武道場」に反響する。


 開始の合図と共に大男が突撃してきたのだ。


太く、大きく、発達した筋肉を存分に使った突撃。

筋肉の弾丸ともいえる突撃は当たれば確実に骨が折れるだろう。

当たり所が悪ければ一瞬で意識を奪われる威力であることには間違いない…。


「…くっ。」


辛うじて、灰原はその肉の弾丸を避けるが完全に体勢が崩された。


「‥‥ちっ。」


不機嫌そうな顔で舌打ちをした後、〈生徒手帳〉から武器を創造する時間を与えないつもりなのか…大男はさらに追撃の次弾を仕掛ける。


先程の突撃よりも姿勢がさらに低く、右腕を後方に引いて振り抜こうとしていた…。


———…右と左、どちらに逃れるか。


その選択に脳内の思考回路をフル回転させた灰原であったが、唐突に天から降って湧いたような妙案を思いつくと行動に起こしていた。


灰原は大男の突撃に合わせて跳躍すると、

そのまま大男の低くなった体勢を利用し、その大きな背に片手を突きながら、反動をつけて大男の背を押し出す。


すると、灰原の身体は宙で転がるようにして大男の追撃をやり過ごしていたのだ。


「…なっ…。」


目標を見失ったまま体勢を崩したことで大男の連撃に大きな隙間が生まれる。


————観察しろ、見極めろ、行動しろ。


灰原は後ろに下がり、大男との距離を取ると同時に脳内で【創造/想像(イメージ)】力を組み立てる。


————〈生徒手帳〉……「紙」…「薄く」…「軽い」…。



脳内で連想図を組み立て、連想の網を張り巡らせる。脳内で組み上げた【創造/想像(イメージ)】力に比例して、創造物は強固なものとなる…。


初めての『創造』。

故に、その【創造/想像(イメージ)】に一片の綻びもあってはならない。

脳内での連想図を再連結させ、灰原の思考は連想の通路を幾数にも駆け巡っていく。


————…『AをBと見立てる。』‥‥『丸めた広告紙を剣にする。』

————…大丈夫だ。


大男がすぐさま体勢を立て直し、灰原の方へと巨体を向けると再び突撃の構えを取る。


ミシリ…と音を立てそうな分厚い筋肉が収縮し‥‥跳躍の瞬間に膨張する。

鍛え上げられた筋肉が生み出す驚異的な瞬発力。

発射された砲弾のように地を這う低い跳躍は数秒で大男を灰原の目前へと移動させることを可能としたのである。



…目前に迫る「恐怖」を前にして、灰原は心の内で再び自覚する。


————肉体性能においては、遥かにこの男の方が高いのだろう。


いまの灰原 熾凛(さかり)に「記憶」はない。

他の生徒に比べれば、知識も経験もなく、人に堂々と言えるほどの表立った【願望】もない。「とりあえずの」という頭文字が付く「願望」という薄っぺらな「願望」しかない。


そのうえ、この大男のような恵まれた肉体すら持ち合わせていない…。


…だから、灰原は本当に何もない〈空虚な男〉なのである。


それ故…なのか。

灰原は知識に「貪欲」であり、紅葵(もみぎ) 蒼(あおい)の言うように「よく見ている」。

もしかしたら、これはあくまで自身の空っぽな器を別の何かで必死に埋めようとする「知」への「貪欲さ」が生み出した卑(いや)しい行動なのかもしれないが…。



「観察」・「考察」・「学習」。



「観て、考えて、学ぶこと」…一言で簡潔に述べてしまうのならば、それだけが灰原の持つ唯一の武器であり、〈灰原 熾凛〉の本能が生み出した最小且つ最大の武器なのだ。



 灰原の「観察」は、大男を一目見た時からすでに始まっていた。

大男の言動、表情、気性の荒さや雰囲気…を「観察」。

「考察」を経て、予測し、確証を得た大男の性格と思考。

目覚めてから「学習」した半日分の記憶を総動員させ、勝利への活路を見出す。


————流れはここまで予定通り、以降は…自分次第だ。



〈…脳内の連想図を再構築、再現。〉


幾重にも脳内に思い描いた連想図を再度復元し、【創造/想像(イメージ)】力の概念を安定化させる。


〈…次いで記憶の中から武器である「創造物」を想像、【創造/想像(イメージ)】の固定化‥‥成功。〉


幾重にも織り固めた【創造/想像】力を放出するように、灰原は無意識に息を吐き出す。


その直後、疑似武装である〈生徒手帳〉は形を失い、空に消える様に結晶化していく。


その小さな欠片は心の殻を破り始めた灰原の心の錆にも見えた。



…そして、今ここに灰原の【創造/想像(イメージ)】力を収束させた「創造物」が顕現する————。



それは「細く」、「軽く」…〈美しい〉。

氷柱(つらら)のように細長く半透明な刀身と咲き誇る花の如き螺旋を描いた柄を持つ一振りの剣。

灰原が創造した「創造物」、それは教室で塩崎が見せた初めての「創造物」…。—————「レイピア」であった。




「よし…!」


上手く創造できたことに歓喜しつつも、即座に灰原は「レイピア」の柄をやや上段に構え、細く半透明な剣先を大男の上体に向けて牽制(けんせい)する。


「‥‥!」


空気を切り裂きながら直進する大男は、突如創造された「レイピア」に驚く様子を見せるが、その速度は少しも緩まない。


大男の「逆境」に対する耐性、「逆境」を自らの糧とする力。

「逆境」に対し、それでもなお進もうと「一歩」を踏み出す力…。


———…それは「勇気」とでもいうのだろう。


刹那の合間に灰原が得た新たな「知識」と「学び」。

それを与えてくれた大男との「出会い」もまた、灰原の「経験」へと昇華するのだろう。


———勝負は一瞬、すでに種は蒔(ま)いた。

あとは芽吹くのを待つのみ…臆することはない。

自身の本能…たった一つの〈灰原 熾凛〉の武器を信じろ———。


目の前に立ち塞がるは「恐怖」という二つ名を持つ「逆境」。

そして、これは「逆境」へと挑む空虚な男の踏み出した…小さな「勇気(いっぽ)」だ。


「おらぁぁぁっ!」


怒号をあげると同時に大男は地面を踏み、高く跳躍する。

発射時の瞬発力に上部からの重力が加算され、鋭角に向かってくる重い飛び蹴りは、まともに受ければ、確実に対象者の命を奪えるだけの威力を持った兵器と化していた。


————条件(じょうけん)は整った。最後はタイミングのみ…。


自身へと迫る「恐怖」に対して灰原は息を吐き、そして吸い込む。

こんな状況だというのに、頭がよく回ることに自身でも驚きながら、呼吸と精神を整えて体の強張(こわば)りを打ち払う。



…一撃目、大男は突撃を避けられた。


…二撃目、低めの攻撃を逆手に取られ、灰原に避けられた上に体勢を崩されてしまう。


…そして現在の三撃目、大男は上段からの飛び蹴りで止(とど)めに入っている。


自身の肉体に相当の信頼を置いているのか…。

ここまでの段階でも、大男が〈生徒手帳〉を使う様子は一向に見られない。


〈自らの身体に絶対的な自信があり、短気で、肉弾戦を好む事。〉

〈三時間近くもの間、「竹刀」を探し続けていた大男の「執着心」〉


「観察」から得たこれらの精神的要素は、大男の弱点だと灰原は感じていた。


———…いかにして大男の弱点を戦闘に生かすのか…。


それは一撃目を避けた時に見せた大男の反応が答えを教えてくれた。


『‥‥ちっ。』


不機嫌な顔…そして、舌打ちである。


「攻撃を避けられること」は大男にとって、自身の思い通りに事が運ばないことへの苛立ちを深めることになることに繋がっている。



そんな大男が二撃目を避けられた上に体勢まで崩された際には何を感じたのか…。



「怒り」、「悔しさ」など様々な負の感情を抱いたことだろう。

だが、その中でもひときわ目立っていたのが…おそらく「屈辱」である。


〈自らの身体に絶対的な自信があり、短気で、肉弾戦を好む事。〉


その大男が肉弾戦で結果を得られなければ、何としても肉弾戦で勝敗を決めよう‥とその手段を考える。


その苛立ちは灰原と戦う以前、最上との攻防から溜まっていたのだろう。

その過程を経て、大男は三撃目の止(とど)めに入っているのだ。


 さらに、二撃目は体勢が低かった為に背中を取られ、「屈辱」的に避けられた。


———…それを考慮したうえで、次の三撃目はどうなるか…?


『雪辱を果たし、次の一撃で決める事』ではないか…と灰原は確信をもって推測した。


「短気」で「強い執着心」、さらには「自身の肉体に絶対的な自信」を持つ大男が、この条件を満たすため無意識に必ず≪上体を上げる≫、または≪上段から攻撃してくる≫のではないか…と二撃目を避けた時点で灰原は読んでいたのだ。


そして現在、大男の行動予測をしていた灰原にとって、今がまさにその状況であった。


 さらには、二撃目の回避によって生じた「屈辱」を意識させる保険として、灰原は創造した「美しいレイピア」を上段から大男を指し示すように構えてみせた。


…全ては、この状況を作るための布石である—————。


確かに上にはもう避けられない。

だが、元々灰原の狙いであった大男の足元へと攻撃をする機会が滞空している大男の身体の真下に出来たのである。


「行くぞ‥‥。」


タイミングを計り、灰原は砲弾へと駆け出す。


殺人兵器と化した大男の蹴りを紙一重に避け、手にした「レイピア」と自らの「観察眼」を駆使し、大男の足首から「レイピア」を沿わせるように切り込みながら、大男の真下を鼠のように潜(くぐ)り抜けていく。



「‥‥!?」———/———「…っ!」



二人の身体が交差する瞬間、剣先を見つめていた灰原の視界と目下に這う鼠を睨みつける大男の視界が交わり、二人だけの世界が展開する…。


その世界は数秒…いや、一秒すら存在することが許されない世界であろう。


だが、集中状態にある二人の身体には闘いを見守っている蒼や最上とは別次元の時間が流れており、一秒にも満たないその世界を十秒、百秒、千秒‥‥万の時にも感じていた。



…されど、終わらぬ世界はない。



「始まり」と「終わり」は決して絶つことはできない永年の夫婦であるのだから、それが数秒であれ、永遠とも錯覚する長い時間であれ、終わりは来る。


而(しか)して、この二人の世界は血の匂いで「終わり」を迎える事となった———。





「レイピア」を振り終わると、灰原はその場で膝を突いていた。


「…はぁ…」


大男とのすれ違いざまに刺し込まれた冷たい緊張感が遠のくと同時に張り詰めていた緊張の糸が解(ほつ)れ、灰原は塞き止めていた息を大きく吐き出していた。


————‥‥あの男は…?


吐いた息と一緒に抜け出そうな緊張感を何とか体内に押し留めて、急いで背後を振り返ると、床に撒かれた血痕の先に大男は倒れていた。


いつの間にか「武道場」内に反響していた怒号は消え、足首を切られた大男に立ち上がる様子は見られない…。


倒れた大男の姿を灰原が確認した数秒後に電子音が勝者の名を告げる。


『【ML】争奪戦。勝者、灰原 熾凛(さかり)。』


電子音が戦闘終了を告げた直後、破裂した水風船のように身体の力が抜けた灰原は、その場で仰向けに倒れ込んでしまう。

同時に【創造/想像(イメージ)】力を失った「レイピア」は、氷の欠片のように結晶化し、再び元の〈生徒手帳〉に戻っていった。


「はぁ…はぁ‥勝ったのか…?」


未だに自身の勝利に実感が持てず、天井を見上げながら一人、自問する灰原の傍らに最上がしゃがみ込む。


「おう、おつかれさん。ほらよ、戦利品だ。」


どこか誇らしげな表情をしていた最上は、預けていた「竹刀」を灰原に差し出す。


「‥‥はぁ…はぁ…。」


呼吸を整えながら、灰原は自身が勝ち取った「竹刀」を眺めていると、今感じている疲労感とは別の感情が込み上げて来るのを、しみじみ…と感じ始めていた。



 自分の力で掴み取った…自分だけの【ML】。

この〈神様ゲーム〉で初めて得た「自分だけの何か」に灰原は心躍らせ、無意識のうちに笑みを浮かべていた。


「‥‥っ。」


その灰原の笑みを見た最上は何を感じたのか…唐突に灰原から顔を背けていた。


「何か…可笑しかったか…?」


顔を背ける間際、最上が笑っているようにも見えた灰原は少しだけ不安になり、顔を背けた最上の背中に問いかけると、


「‥‥いや。何か…ガキみたいに笑ってるな…って。」


「‥‥?」


無自覚の笑みだったために、灰原には最上の言わんとしている事がよく分からなかった。


———もしや、それほど可笑(おか)しな顔をしていた…ということなのだろうか…。


自分がどんな表情をしていたのか自覚していない灰原の不安は募っていく。


「…まぁ、要は良い顔してんな…って話だ。」


いまいち、状況を掴めていない灰原の様子を見た最上はそう言って灰原の肩を叩きながら、上手くまとめ上げてしまった。


————良い顔…?


再び出た知らない言葉に灰原が疑問を感じていると、最上の登場から一向に動きのなかった蒼が声をかけてきた。


「‥‥お疲れ、熾凛。」


どこか気の落ち着かない様子で言葉をかけてきた彼女の変化に灰原は不安を感じながらも、言うべき言葉があることを思い出す。


「蒼。俺のせいで怖い思いをさせてすまなかった。

初めから俺に「勇気」があれば、あんな思いをさせずに済んだのかもしれないのに…。

‥‥けれど、あんな状況でも俺を気遣ってくれて‥‥守ってくれてありがとう。

俺のために勇気を出してくれてありがとう、蒼。」


「‥‥う、うん。」


下を向きながら、そう返答する彼女の顔は前髪に隠れて見えない。

しかし、彼女の耳が少し赤くなっているのを最上は横から見てしまったが、彼女の顔だけを見ていた灰原はその事に気づかなかった。


「…それと、無事に【ML】が取れて良かった。

認証の宣言(コール)はもう済ませたのか?」


「うん。‥‥だって、降りられなかったから‥‥。」


「…そ、それはすまなかったな。」


彼女の【ML】である「御神札」を「武道場」に祀(まつ)ってある神棚から取る事ばかり考えていたために失念していたが、彼女が上った掃除道具入れから降りるまでの流れを全く考えていなかったのである…。


具体的な手段はわからないが、おそらく【ML】を使って降りて来たのだろう。


「そういえば…早く…宣言(コール)しちまえよ。」


手で口を覆い、笑いそうになるのを隠しながら提案する最上の様子に灰原は少しだけ首を傾げつつも、落とした〈生徒手帳〉を手に取り、認証の宣言に入る。




‥‥だが—————



「おい…何勝手に決めてんだよ…。」


低く、深く、身体の奥底にまで刺し込んでくる鋭い刃物のような声に、灰原は身の毛もよだつような「恐怖」を覚えた。


…いつの間にか、倒れたはずの大男が灰原の背後に立っていたのである。




初期武装の〈生徒手帳〉であったためか、それとも灰原の【創造/想像(イメージ)】に綻(ほころ)びがあったのか…大男は足から血を流しながらも立ち上がって来たのだ。


足首から切り込んだ灰原の攻撃は、対象の足の機能を著しく低下させるほどの手傷を負わせた。それでもなお、大男が立ち上がることができたのは、大男の持つ強靭な筋肉と執念へと変貌を遂げた「執着心」。


そして、灰原の中に突如として開花した「人に傷を負わせること」への戸惑いの念が攻撃の手を緩ませてしまった事が大きく関係していた…。



「お前…まだやるつもりか。」


【ML】争奪戦の勝敗は確かに決した。

それでもなお立ち上がってきた大男に対し、最上(もがみ)は拳を構えて臨戦態勢に入る。


「これ以上やるなら私も全力で止めるわよ。」


【ML】の「御神札」を持った蒼(あおい)も臨戦態勢に入っていた。

灰原は先程の戦いで〈生徒手帳〉からの創造は出来ない上に、闘いの疲労感がかなり残っていたが「それでも盾になるぐらいは…」と思い、何とか立ち上がろうとすると…。




「はい…『ストップ』。」



「‥‥」


別の人物の一声によって、大男は石のように固まっていた。


「「「‥‥!」」」


声のした方向へと灰原、蒼、最上の三人は反射的に視線を向ける。

三人の視線の先にいたその人物は、首元のスッキリした白シャツの上にキャメルのジャケットを羽織っており、足首が見えるほど少し丈が短い黒パンツに灰色のスニーカー…という少し若めのスタイルでありながらも、白髪交じりで灰色の髪、眠たげな二重瞼(まぶた)の目、口角にうっすらと浮かぶシワを築き始めている中年の男。


ジャケットに手を突っ込みながら「武道場」の入り口に立っていた男は、灰原達の教室を担当している塩崎であった…。





「…お前なぁ。さっきの結果、聞こえなかったのかよ。」


「…な…。まだ、俺は戦える! あんな結果で納得できるかよ!」


硬直が解けた後、謎の男…塩崎の出現に大男は少し驚いていたが、再び身体を動かせるようになった大男は塩崎を無視して灰原との再戦を始めようとする。


「『絞めろ』」


塩崎が命令を下した直後、何の迷いもなく大男の剛腕は主の首を絞め始めたのである。


「…が……あ…‥?」


自身の身体に起きた謎の現象に、大男は困惑した表情で力無く膝を突き始める。

大男の様子を見ると、塩崎の「命令」の中でも意識を保った状態であることに灰原は疑問を覚えた。塩崎の「命令」は無意識の行動をさせるもの…と灰原は捉えていたが、意識の有無は塩崎に選択権があるようだ。


そして、塩崎がゆっくりと大男の背後にまわると耳元で囁く。


「特別に意識だけは残るようにしてやったから、よ~く聞けよ。

俺ら教師陣には何個かの【権限】が認められている。

その一つが【絶対命令権】だ。基本は生徒の避難とかに使うもんだが…まぁ、こういう使い方も出来るものなんだわ。」


邪悪な笑みを浮かべながら大男に語り掛ける塩崎は、自らの首を絞め続ける大男の尻ポケットから〈生徒手帳〉を抜き取り、中身の〈ステータス〉を確認する。


「‥‥Bクラスの…梶原(かじわら) 宗助(そうすけ)か。」


〈生徒手帳〉を読み上げた塩崎は確認を取るように大男へと視線を向ける。


だが、大男は自身の手で首を絞め続けているため、返事をする事もできない…。


「……あ、返事できねえか。」


わざとやったのか…それとも本当に忘れていたのかは定かではないが、質問から数秒の間を開けてから塩崎が言葉を零すと、途端に大男の両腕から力が抜けていった。


「が…あ…っ。ごほっ‥ごほっ!」


「梶原」と呼ばれた大男は両腕の感覚が麻痺していたのか…首を絞めていた両手を震えながら開放すると、激しく咳き込み始めていた。


「‥‥はい。

そういうわけだからルールはしっかり守りましょうね…ってわけですよ。」


しかし、顔を真っ赤にしながら苦しそうに咳き込む「梶原」をよそに塩崎は話を続ける。


「あんまりにも揉めるようならよ…。

お前の【ML(マテリアル)】、俺が勝手に決めちまうぞ。

どうする…梶原ぁ?」


「‥‥。」


塩崎の言葉に梶原は口を閉ざしてしまう。


塩崎のとある言葉によって、数時間前に植え付けられたトラウマを想起させられた最上が身体をビクつかせていたのを後方で見ていた蒼は見逃さなかった…。




その時、灰原の心中でも堪えていたものがあったのだろうか…。


大男…梶原が「武道場」を荒らした犯人である事が分かった時から、ずっと質問する機会を窺(うかが)っていた灰原は、疑問に思っていた事を梶原にぶつけていたのである。


「…なぜ、そんなにも「竹刀」という物にこだわるんだ? 」


梶原(かじわら) 宗助(そうすけ)が三時間近くかけて探し求めていた「竹刀」。

そんな梶原との闘いを経て、これを勝ち取った灰原 熾凛(さかり)は「竹刀」という一つの物に対し、「自分だけの何か」という[抽象的]価値を付けた。


だが、それは灰原が独自に付けた価値であって、梶原が「竹刀」に付けた価値とは、その〈単位〉も〈大きさ〉も‥‥何よりも価値の根幹にある【具体性】が全く異なるものだ。



‥‥それでも、お互いに「竹刀」というものに価値を付けた事には変わりはない。



ここまで人の「執着心」を肥大化させた「竹刀」という物は梶原(かじわら) 宗助(そうすけ)という人物にとって、一体どういった価値を持ったものなのか———灰原は知りたかったのである…。


「‥‥‥。」


投げ掛けられた質問に対し、初めは沈黙を貫いていた梶原であったが、しばらくすると、そっぽを向きながら「…から。」と何かを呟いた。


「?」


塩崎を含めた全員の視線が梶原に集まる。

しかし、その状況が余計に喋りづらくさせてしまったのか…梶原はなかなか口を開こうとはしない。


「‥‥ちっ。身体でけぇんだから、もっと腹から声出せよ。」


そんな梶原の様子に痺れを切らした塩崎が催促すると、梶原はその分厚い唇をゆっくりと開ける。


「…「生前」にな。思い出のある物なんだよ‥それは…。」


そう言って、どこか上の空を見ながら梶原は灰原の問いに答えた。


————「生前」の話か…。



記憶の無い灰原には、己(おの)が歩んだであろう人生の足跡すら分からず、「生者」と「死者」の混在する「神様ゲーム」の中、未だに自分が「生者」か「死者」であるかの判別すら付かない。


そんな灰原にとって、「生前」という言葉を口にした梶原…もとい、「死者」である梶原 宗助という一つの人生を終えた人物から、興味を引く話題が出てきたことで、灰原は全身を梶原に向けて、自然と聞く姿勢にとっていた。


「…ここが「学校」だったからだろうな。‥‥なんか懐かしくなっちまってよ。

ガキの頃、よく「竹刀(そいつ)」を振り回して暴れまわってたんだよ…」




—————誰も共感などしなくても良い。ただ、強く生きなければならなかった。

そうでなければ、あの弱肉強食の世界を生きられなかったのだから…————。




大男は遠い過去の意志を想起すると、吹き出すように、ふっ…と短い鼻息を鳴らす。

そのたった一つの大男の行動から、灰原は「人」の中に内在する…一種の「趣深さ」の様なものを感じた気がした。


「‥だから、また「学校(ここ)」から始めるなら、もう一度「竹刀(そいつ)」で…と思ってな。そんな理由で三時間近くも馬鹿みたいに探して…全くよぉ、この歳で何してんだか…」


「‥‥。」


頭を掻きながら自身を嘲笑う大男、梶原 宗助。


「その見た目のお前がそれを言うのかよ」とでも言いたげに、呆れた表情で梶原を見つめる中年の塩崎はさておき、最上には梶原に共感し得(う)る確かな「節」があったようで、その瞳はかすかに潤いを帯びていた。


一方、蒼は最上ほどの共感の深みにはまったわけでは無いらしい。

人と人との「共感域」というのは、男女間でも差が出るものなのか、むむむっ…と首を傾げそうな様子から見るに「もしかしたら…こうなのかな…」とでも考えているようで、僅かばかりの「引っ掛かり」が生じているようだ。



 梶原 宗助の「竹刀」に対する「執着心」。

その根源たるものの本質が何なのかは、今の言葉が答えではなかったのだろうか。


「…懐かしい…。」


その言葉は「文化棟」でピアノに触れた紅葵(もみぎ) 蒼から初めて聞いた言葉であった。


だが、そんな彼女ですら、梶原に共感し得(う)る「節」は無く、逆に最上には、それが有ることから「懐かしい」という言葉は個人ごとに共感の領域に境が生じているようだ。



「懐かしい」。

それは記憶のない灰原にとっては、縁もゆかりもない言葉。

蒼や最上、梶原、もしかしたら塩崎も…この場にいる灰原以外の四人にしか分かり得ない事なのかもしれない。


…どうして、梶原がこの「学校」という場において「竹刀」という物を求めたのか?


…なぜ、「竹刀」という一つの物に執着していたのか?


その答えは彼が駆け続け、そして歩み終えた【人生】が大きく関係している事だけは間違い。

彼の零(こぼ)した「「学校」だったから…」という言葉に対し、灰原は決して理解できない人生経験の深さをただ淡々と感じていた。


だからこそ、自身の歩んだ人生を忘れてしまっている灰原に梶原に共感はできない———いや、してはいけない。


これは経験による「知識」…というわけではなく、経験による「本能」でしか理解できない領域なのだから————。



‥‥故に「学校」という「場」が生み出す雰囲気によって、梶原の心が強い影響を受けたのではないか…という理屈っぽい考えしか灰原には浮かばなかったのである…。



————ん? 待てよ…。


だが、思考を巡らす中、思わぬタイミングで灰原は梶原の問題に対する解決案を導き出したのである。先程の戦いを経たからこそ、思いついた案なのかもしれないが…おそらく梶原の希望を叶えられる方法であった。


「…一つ思いついたのだが、他の【ML(マテリアル)】からより強固な「竹刀」を創造すれば良いのではないか?」


【ML】である「竹刀」は確かに竹刀としての役割を持ってはいるが、それは決して「レイピア」のような攻撃力を秘めているようなものではない。

本来は材料たる竹で構成された刀であり、いわゆる練習用の模擬刀の役割しか持ち合わせていないのである。


————…であれば、別の【ML】から【Rs(ランクスキル)】として「竹刀」を創造すれば、元の竹刀よりも強力な「竹刀」が創造できるのではないか‥‥。


発想を逆展開し、導き出した灰原は梶原にその解決案を提案することにしたのである。しかし、それに対する梶原 宗助の反応は灰原の想像を一回り…いや、二回りほど超えたものであった。


「…ん? そんなことできるのか?」


戦闘の中、梶原 宗助が〈生徒手帳〉を使わなかった理由が灰原はようやく分かった気がした…。




「まぁ…とりあえず、もう大丈夫そうだな。

【ML】が決まったら、梶原は「保健室」に行くように。

それから…二度と問題を起こすんじゃねーぞ。」


そう言い残して、塩崎は凝り固まった体をほぐし、「あいつに貸し一つだな…」と独り言を呟きながら「武道場」から去っていった。



 その後、灰原、蒼、最上、梶原の四人は、梶原の【ML】を探すこととなった。

残り時間が少ないため、早急に「竹刀」に代わるものを探し出す必要があったが、元の素材と大まかな形状が「竹刀」に近いことから「武道場」付近に立て掛けてあった「竹箒」にすることになった。梶原本人もそれで納得したらしい…。


そして、意外なことに【ML(マテリアル)】を探し終える頃、知らぬ間に梶原と最上が仲良くなっていたのである。

塩崎が去ったあと、最上が泣きながら梶原に話し掛けに行ったのは見ていたが、あれほどの出来事があったのに短時間でよく仲良くなれるものだ…と灰原は最上に感心していた。


「『認証する』」


『はい、梶原宗助。【ML】:「竹箒」を認証。【Rs】が解放されました。』


「認証」のコールを行うと、「竹箒」が梶原の【ML】として認証される。

認証のコールにより煌々と白い光を放ち始めた〈生徒手帳〉が、その光源を【ML】となる「竹箒」に伝達していく中、「悪かったな…。」とそっけない様子で梶原が灰原に謝ってきた。


「あぁ、こちらも…手荒くしてすまなかったな。」


「レイピア」で切りつけた梶原の足を見ながら灰原も謝罪をする。

強靭な肉体を持つ梶原だからこそ、こうして立っていられるが、常人であれば立っていられないほどの重傷であるはずだった。


先程、去り際に塩崎が言っていた「保健室」で、どの程度の治療が受けられるのかは分からなかったが、無事に完治してくれることを願うばかりだった。


「私には?」


そんな微妙な空気が二人の間に流れたかと思えば、灰原の横からひょっこり現れた蒼が、やや食い気味に尋ねてきたので「おぉ…悪かったな。」と少したじろぎながらも謝っていた。


「うんうん…。」


その様子を後ろから見ていた最上は、どこかの誰かと似たようなニヤニヤ‥とした表情を浮かべていた。おそらくだが、陰ながらに最上が梶原に謝れるように手をまわしていたのだろう…。


「色々ありがとう。最上(もがみ)」


「武道場」で助けてくれたこと、手を貸して立ち上がらせてくれたこと、【ML】や蒼の件、梶原への配慮などを含めた最上の行動に灰原は頭を下げてお礼を述べる。


「まぁ、そんなに畏(かしこ)まるなよ…照れるじゃねぇか。

えっと…名前、聞いてもいいか?」


「…そうだったな。俺は同じクラスの熾凛(さかり)、灰原 熾凛だ。」


そういって灰原は蒼の例に習って手を差し出す。


「おう! よろしくな、熾凛(さかり)。

俺は最上(もがみ) 秀昇(ひでたか)だ。

良かったら「最上(さいじょう)」って呼んでくれ。」


元気に返事をしながら最上は灰原の手を握り、握手を交わす。

大きく、暖かい最上の手に触れた灰原は僅かながらに安心感を覚えていた。


「じゃぁ、俺らは「保健室」に行ってくるわ。」


その後、最上が梶原に肩を貸しながら、二人は先に「保健室」へと向かっていった。


「ほら‥大丈夫か。」


「すみません、最上さん。」


「…なんで敬語?」


———————…


「……凄いわね、男の子って…。」


何やら楽しげに話しながら歩き去っていく二人の様子を眺めながら、蒼が小さく呟いていた。


————さて…俺も早く【ML】を認証するとしよう。


 戦利品の「竹刀」を地面に置く。

「竹刀」は二振りあったのだが、もう一本は朽ちて欠けていた事もあり、欠けていない方の一振りだけを持ってきていたのだ。

〈生徒手帳〉を胸ポケットから取り出し、灰原は「認証」のコールを行う。


『はい、灰原 熾凛。【ML】:「竹刀」を認証。

【Rs(ランクスキル)】が解放されました。』


「ふぅ…。」


 灰原は自然と息を吐いていた。

三時間の探索に加え、梶原との戦闘もあったのだから当然のことと言えば、そうなのだが…色々と濃い一日であった。


ふと周囲を見渡すと、いつの間にか日が暮れ始め、快晴の蒼い大空はうっすらと山吹色に染まっている。


「お疲れさま、熾凛。」


疲れ切った様子の灰原に蒼が髪を片耳に掛けながら声をかける。

耳に掛けられた金色交じりの茶髪、露わになった白く潤った左頬の肌、初めて会った頃から変わらない楽しそうな笑み…と、流水の如く灰原は視線を送っていた。


————結局、蒼はずっと一緒にいてくれたな…。


出会ってからここまで、何も知らない自分に付いていてくれたことを思い返し、灰原は彼女にお礼の言葉を贈る。


「ありがとう、蒼。お互い【ML】が見つかって良かった…。」


「ううん。こっちこそ、ありがとね。

でも…さすがにちょっと疲れちゃったかな。」


彼女もまた感謝の言葉を口にすると、ぐぐっ…と肩甲骨を引き、胸を張る彼女。

そんな彼女をぼんやりと見つめながら、灰原は別の事を考えていた。


————ここまで彼女には世話になったのだ。何か恩返しはできないだろうか…。


そう考えてはみたものの、残念なことに灰原は何も持っていない。

「それでも何かないか…」と思い、気づけば懸命に灰原は〈生徒手帳〉を見ていた。


しかし、それが功を奏したのか…〈生徒手帳〉には「名前」や〈ステータス〉とは別に「クラスメイト」という項目が増えており、そこには紅葵(もみぎ) 蒼の名前が記されていた。


「蒼…これを見てくれないか。「クラスメイト」という項目があるのだが。」


「…え、何それ?」


突然〈生徒手帳〉を見せてきた灰原に蒼は少し驚きながらも、ゆっくりと灰原の〈生徒手帳〉を覗き込む。そして、しばらく何かを探すように視線を動かした後、灰原の言っていた〈クラスメイト〉の項目を見つけたようで、


「え…なにこれ。」


そう言って、自身の〈生徒手帳〉を開いて見ると、蒼の欄には灰原の名前が記されていたようだ。


「…うーん。「フレンド登録」みたいなものかしら。」


「…? それはどういうものなんだ。」


「そうね…「あなたの友達になりたいですよ…」って意思表示…のことかな。

仲の良い人や‥‥仲良くなりたい人を登録すれば…いいと思うのだけど…。」


そう説明する中、なぜか彼女は徐々に声のボリュームを下げ、そわそわした様子を見せていた。


「…なるほど「フレンド登録」…か。」


彼女の反応が灰原にはよく分からなかったが、この「クラスメイト」登録をすることで何か彼女の力になれるのならば…と灰原は彼女に提案する。


「では、俺を登録してくれないか?

ここまでのお礼‥といっては何だが、蒼の力になれる時があれば頼ってほしい。」


真っ直ぐに彼女の眼を見て、灰原は彼女に頼み込むと、


「うん…。じゃあ…私のも…お願いします…。」



‥‥なぜだかわからないが、敬語で返されてしまった。



彼女が下を向いていたので、その表情は読み取れなかったが、彼女の了承を得たことが嬉しかった灰原は、それ以上深く追及することも考えることはなかった。


「あぁ、もちろんだ。」


「クラスメイト」に表記されている相手の名前の欄を指で触れると、お互いに「クラスメイト」登録ができるようだった。最上や梶原の名前は表記されていないことから、登録にはお互いの距離が関係しているのだろうか…。


「ありがとう、蒼。また今度、最上や梶原にも一緒に登録してもらうとするよ。」


「せっかく関わった二人なのだから…」と思い、灰原はそう発言したのだが、なぜだか蒼は少し頬を膨らませながら、むっ…としていた。


————女の子は難しいものだ…。


時折、不可解な行動を見せる彼女に内心振り回されながらも、灰原はまた一つ学習するのであった…。




 すでに夕暮れ時の空は、今までの青空と違い緋色の美しさを放ちながらも、その輝きは僅かながらに哀愁(あいしゅう)を感じさせる。

灰原と蒼は二人で「教室」へと戻っていく中、廊下の窓から差し込んでいる夕焼けが蒼の金色交じりの茶髪を少しだけ緋色に染め上げていた。


「おなか減ったなぁ‥」


「それは…この腹部に何もない空白感の事だろうか?」


「…そうよ。人はね、食べて寝ないと生きていけないのよ。」


空腹の初体験をした灰原の質問に対し、蒼はまるで子どもの質問に答えるように答えた。


「食べる‥‥冷蔵庫にあった食材を食べればよいのだろうか…。」


「うん。食事は自分で作るか…「マンション」の上階にある〈飲食スペース〉で食べるかのどっちかになりそうね。」


自炊用の食糧は〈マイルーム〉の食糧庫や冷蔵庫に入っているのを確認している。

しかし、彼女は灰原の知り得ない情報を開示してくれた。


————「マンション」上階の〈飲食スペース〉…。


彼女は灰原が知らない施設の場所を言葉にしていた。

なぜ、彼女がその施設の場所を知っていたのかは分からなかったが、おそらく灰原に出会う前に自分で調べていたのだろうか…。


「しかし‥‥料理か…。」


—————そういえば、自分に料理のスキルはあるのだろうか。


ふと、灰原は自問自答する。

梶原との戦闘では何とか「レイピア」を扱うことはできたが、はたして食材の調理はどうだろうか———正直、自信は全く無い。


「‥‥良かったら…一緒に食べる?」


自身の料理スキルに不安を感じていたところ、彼女が思ってもみなかった提案をしてきた。調理ができる自信は無く、「飲食スペース」についてもよくは分からない。


それらを考えると、彼女の提案は灰原にとって非常にありがたいものであった。


「…まぁ…熾凛(さかり)が良かったら…だけど…。」


腕組みをしながら、度々目線を外しつつ、もじもじ…と彼女は自信無さげに確認する。


なぜ彼女がそのような様子を見せたのか…やはり灰原には全く分からなかったが、とりあえず早急に返事をすることにした。


「ありがとう、蒼。非常に助かる。

食材は俺の部屋のものを自由に使ってくれて構わないから、色々終わった後で部屋に来てもらってもいいか。」


———彼女の部屋の位置が分からない以上、余分な荷物は減らした方が良いだろう。



そう思い、彼女を気遣っての言葉だったのだが、またしても灰原は何か誤解を生み出してしまった気がした。


…だが、さすがに気のせいだろうと思い、灰原はゆっくりと彼女の顔を見ると、


「熾凛(さかり)の部屋……」


なぜかは分からないが、顔を赤くしながら、口をハワワ‥‥と震えさせていた。


そんな彼女の様子が可笑しくて、つい灰原は笑ってしまいそうになったが、何とか堪えて言葉を注ぎ足す。


「…蒼に食材を持ってきてもらうのは申し訳ないからな…。」


初めて出会った時と同様、言葉の足し算を行うことで灰原は蒼の誤解を解きにかかる。


「‥‥。」


…しかし、今回は上手くいかなかったのか蒼の顔は赤面したままであった。


————…「言葉」とは難しいものだ。


言葉の誤解を解く方法は足し算だけではない…と灰原は失敗を元に新たに学習する。





「わかった…。じゃあ、授業とか終わったら行くから…。」


あれから数分間、彼女は動揺していたが、結果的には夕食は蒼が作ってくれるようだったので、ひとまず灰原は安心した。


————初めての食事、一体どんなものだろうか‥。


そんな呑気なことを考えていると、いつの間にか二人は「教室」前に到着する。

扉の上に掛けられた札には「Aクラス」と表記がされていたことから、灰原は自身のクラスが「Aクラス」であることを初めて知ることになる。


さらには右手を見ると少し離れたところに「Bクラス」、その奥には「Cクラス」と表記されていた教室を発見した。


「さて、戻りましょうか。」


「あぁ、そうだな。」


蒼が扉を開け、二人は教室へと入っていく。


そして、二人が席に戻り、一時間も経たないうちに校内は「戦場」と化す。





…しかし、この時の灰原達は知る由もない。


異世界からの侵入者たる「ゲーグナー」という存在がどんなものであるのか‥‥。


そして、「神様ゲーム」で生き抜くことが、どれほど過酷なものなのかを…。


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