真夜中に母校で

伊瀨PLATE

第1話

 特徴的なアラームに起こされる。

 時刻は午前一時十三分。深夜未明と言っていい時間。机に置いていたペットボトルを取ろうとして、スマートフォンを握りっぱなしで寝ていたことに気付く。


 画面には一応男女としてお付き合いしている彼女からの受信通知がいくつか。だらだらとした下らないやりとりが続いていたため、こちらが飽きて寝落ちてしまったらしい。

 スマホをポケットにしまい、ペットボトルに入ったお茶を一口飲み込んで、頭を覚醒させる。


「どこだ?」


 かすれ声で話しかけてきたのは、四十半ばの先輩社員。俺と同じく仮眠を取っていた先輩は、上体だけを起こして見せて、脱げている靴を履く様子はない。


 警備会社に勤める我々は、あのアラームが鳴ったら現場へすぐさま向かわなければいけないというのに呑気なことだ。……まあ我々のどちらか一人で良いのだけれど。


 弊社と契約している建物に施されたセンサーに反応があると、まずその建物の方へ弊社のコールセンターから電話を掛ける。その建物で勤務している人間がセンサーを切り忘れて開錠したとか、そういったヒューマンエラーではないかの確認のためだ。その電話に応答がないと、建物から最寄りの待機所や事務所にいる我々警備員が現地へ急行する流れになっている。


「現場は海近くの……小学校ですね。……おお、びっくり。自分の母校ですわ」


「そうか、そりゃお前の庭みたいなもんだな。んじゃ若いもんに任せた、おじちゃんまた寝る」


 現場がどこでも任せる気満々だった先輩は、もう仮眠を取る体勢に入っている。今も場所の確認だけはしてくれたり、面倒見のいいところもあるのだが、いまいちやる気の見えない先輩だった。


 俺も高卒で入社して四年目になる。とはいえ、二十二才は確かに若造と言われても仕方ない。


「それじゃ、気を引き締めて行ってきます」


 準備を整え、誰も返事を返さない待機所を後にする。

 俺こと、里島祐一(さとじまゆういち)は久しぶりに自分の母校へと向かった。


 防犯センサーに反応があれば、我々警備員は現地へ向かい、異常がないか確認するのが仕事である。ただ残念ながらと言うべきか、センサーは人以外にも反応してしまうため、結果無駄足、異常なしという報告書を書き置くことが多い。

 今のような時期であれば雑草がセンサーの範囲内まで伸びたとか、鳥がたまたまセンサー近くを飛んでいて、なんてことがままある。

 気を引き締めて行ってきます。なんて言って出てきたものの、どうせ小学校の用務員のジジイが草刈りし忘れたかやり方が甘いかでセンサーに雑草が引っかかったのだろうと、実際俺は高をくくっていた。


 九月上旬の現在。暦の上で秋ではあるが、日中はまだ肌が焼けるほど暑い。季節の変わり目の予感すらしない、まだまだ夏真っ盛りのような気候が続いている。たまに降る雨はスコールじみた集中豪雨ばかりで、とても風情など感じる余裕はない。『しとしとぴっちゃん』なんて表現される雨はもう降らないのではないかと不安になるが、それでも雑草は強く逞しく育つのだ。


 現地である母校は近くに日本海があることをはじめとして、線路を挟んで内陸側に日本一小さい山脈の櫛形山脈、それに学校を挟むように二本の川が流れている、海・山・川の三拍子揃った場所に位置している。都会の子にそれだけ言えば羨ましがられるような恵まれた自然環境である。海岸沿いにはキャンプ場や、宿泊等の合築施設を敷地に含んだ記念公園があり、そちらに人は集まるが小学校の周りはよくある田舎である。


 夜には明かりが消えて暗くなり、外を出歩く人も極少なくなる。

 この小学校へは、毎朝三十分弱かけて登校していた。農道を追いかけっこしながらだったり、石を蹴飛ばしながら学校までたどり着ければゴールと自分ルールを作りながらだったり、色々懐かしく思い出しながら車を走らせた。


 現場に到着して、夜に小学校へ来る違和感に久しぶりに触れた。普段日中にしか人が集まらない学校のような施設は、夜になると雰囲気ががらりと変わる。個人的にはもう信じていないが、お化けの類いがよく学校などの場所で噂されるのは、この昼と夜の雰囲気の落差が原因だと思う。

 深夜巡回の数をこなす内、ようやくその違和感にも慣れてきたと思ったが、自分の直接通っていた母校となるとまた特別違和感が強い。

 ヘルメットに付けたピンライトの明かりを頼りに暗い敷地内を見回って、職員玄関から校舎に入る前、もう一度校門前を見渡している途中のこと。


 怪しい人影を見つけてしまい、入社以来初めての緊張をした。


 こうして現地へ異常の確認に来るのは慣れていたが、実際に不審者と向き合うのは初めてだった。


 不審者と遭遇した際のマニュアルをすぐに思い出せず、慌てながら後ずさる。するとその際に俺が起こした足音に驚いたのか、人影は、若い男性の声で謝りながら両手を挙げて降服のポーズをした。


「お巡りさん、ごめんなさい違うんです!」


 警備員はお巡りさんではないが、どうやら警察が来たのだと勘違いしてくれているらしい。


「ここで何をしている」


 正体不明の相手だ。こちらも怖い。が、なんとか威圧的な声を出せた。


「すみません、久しぶりに母校をまじまじと見ていたら懐かしくなってしまいまして、つい校門の横を抜けて中に……」


 校門と柵の間に、ちょうど大人でも半身になればすり抜けられる隙間があるが、そこは当然センサーの範囲内である。

 自白もしているし、防犯センサーに接触した犯人はこいつで決まりだ。


「……そんなに怯えなくても、過失ならこんなことで前科が付いたりしないから落ち着いて」


 普段、悪いことをやり慣れている人間ではないのだろう。彼が可哀想なほどビクついている所為で、こちらは随分落ち着くことが出来た。


 落ち着いて彼の顔をライトで照らしてみると、強い既視感に襲われた。というか――


「…………夏樹?」


「え、はい」と返事をされた。ということは間違いない。


「俺、里島祐一さとじまゆういち

「…………え、祐一くん? ホントに?」


 彼もこちらのことを覚えていたらしい。


 彼――肥田野夏樹ひだのなつきは、小中学校を共にした同級生だった。


「なにやってんだ……お前の家ここから五分も歩かないじゃん……毎日見てるくせになんで今更懐かしがってるんだよ」


「いや、その、ふと昔さ、先輩とかがグラウンドとか夜に入って花火とかしてたでしょ? ああいうのに憧れて……都会の学校はもうダメだろうけど、ここみたいな田舎ならまだセーフかと思って……」


 確かに、昔は名前も知らない先輩たちが夜グラウンドに忍び込んで手持ち花火で遊んでいた。


 大人になった今なら、それこそ近くの海水浴場とか川辺とか、足を伸ばして色んな選択肢を見つけられる。子どもは目の前の世界が全てだから、知っている場所で出来そうな場所を選ぶしかない。あの先輩たちにとってはこの小学校が一番手近で楽だったのだろう。彼らが後になって怒られたという話も覚えがない。が、


「今はもう、小学校は基本的にダメだからな。セキュリティ掛けてないところもあるかもしれないけど、そんなのただの怠慢だから。関係者以外立ち入り禁止は常識だよ」


「す、すごい祐一くん。もう完全に社会人だね。警察官になったんだね」


「いや、俺は警備員。警察が直接来るとしたらお前が不審者として通報された場合だから」


「そ、そうなんだ。……だ、大丈夫かな」


「俺が来る前に来てないんだから、大丈夫だろ」


 会社の待機所よりも、駐在所の方がこの小学校に近いし。

 それにしても、相手の正体がわかった途端に会話が弾む弾む。


 夏樹に会うのは、中学校を卒業した翌年に一度遊んで以来だから約六年ぶりだ。顔がちっとも変わっていないからすぐにわかった。身長もそれほど伸びていないのか、最後に会ったときの記憶とほとんど変わらない印象が持てた。


 昔から小柄な体型、運動部に入らず髪を伸ばしがちで、当時からその幼顔と女の子っぽい名前から『夏樹ちゃん』『なっちゃん』と呼ばれていたが、今でもそう呼ばれていて不思議じゃないくらい華奢な体つきである。相変わらず髪も長い。


 夏樹の近況を聞くと、今は四年制の大学に通っていて、ちょうど今年で卒業だという。九月の今は最後の夏休み期間なのだと聞いて俺は驚いた。夏樹は単位こそほぼ取り終えているが、卒論と就活に追われる日々で休みを実感できていないと言う。週に二度休みがあれば嬉しいような仕事をしているこちらの身からすれば贅沢な話だと思ったが、口には出さなかった。


 積もる話があるわけでもないが、これだけ久しぶりに会ったのに普通に友達同士に戻って話が出来たことは、純粋に嬉しかったし楽しかった。

 当時はまだ携帯電話も持っていなかったから連絡も取っていなかったし、近くに住んでいるのに積極的に会いに行ったりはしなかったけれど、それでも縁は消えないのだと信じることが出来た。


 久しぶりに、童心に返って笑えたような気がする。

 社会人になってからは仕事に手一杯で、楽しいことが見つけられなくなっていたから。心が鈍化していって、まるで高校卒業と同時に時間が止まったようだった。


 おかしな再会の仕方になったが、せっかくお互い二十歳を過ぎてこうして会えたのだ。そのうち酒でも飲まないかと切り出そうとした矢先、夏樹のスマートフォンから着信音が鳴り響いた。静かな夜の中でそれは本当に良く響いて、もはや耳障りなほどだが、何故だか夏樹はすぐに出ようとしない。


「電話出ていいぞ。こんな夜中に掛けてくるんだから身内だろ?」


「そ、そう? 誰だろう……」


 モタつきながら……というか恐る恐るスマホを手に取って画面を確認し、えっ、と驚いた後、怒られるのを覚悟したような顔をする夏樹。

 こんな夜更けに出歩いていることを親に怒られでもするのだろうか。


「……もしもし」


『もしもし。いまどこ』


「………………」


『どこかって聞いてるんだけど』


 どうでもいいのだが、着信音もそうだが音声のボリュームも夏樹は最大に設定しているらしく、隣にいる自分にまで相手の声が丸聞こえだった。若い女性の声である。


「……ちょっと、夜の散歩に出てて」


『目的は聞いてないのよ。今現在どこにいるのかって聞いてるの』


「母校の小学校です!」


『……わかった』


 それだけ言って、通話を切られていた。彼女だろうか? いったい何をやらかしたのだろう。現在進行形でもやらかしているのに。……こいつ、もしかして色々ダメな奴なのか?


「な、なんか大変みたいだな。俺は異常なしってことにして報告書書いてくるから、お前もふらふらしてないですぐ帰るんだぞ。じゃあまた縁があればどこかで会おう。それじゃあな」


 変ないざこざに巻き込まれる気まではさすがにない。痴話喧嘩なら尚更だ。

 言い捨てて足早に逃げようと夏樹に背を向けると、正面に見知らぬ女性が仁王立ちしていた。


 年は自分や夏樹と同年代くらいに見える。肩に掛からないくらいに切りそろえられた髪と女性にしては高めの身長で、シルエットは少し夏樹に似ている。しかし暑い夜に外へ出る格好だ。上は半袖の白いデザインのカットソー。下は虫対策をしてあると信じたい、妙に気合いの入ったショートパンツ姿。性別を見間違うことはない。


 それはそれとして、突然目の前に人が現れたことに対しては驚いて息が止まりかけた。


「は、早かったね紅葉……」


 紅葉というのが彼女の名前だろうか。夏樹が自分の背に隠れるようにしながら、未だ仁王立ちのままの女性に話しかける。


「早かったね、じゃない! どこに行ったのかと思えば、お巡りさんにまで迷惑掛けて!」


 この子も警備員をお巡りさんと混同してるクチだった。日本全国の若者共通の間違いでないと信じたい。


「そ、そもそも、こんな時間にどうしたの? 今日なにか約束してたっけ?」


「してたわよ! あなたがしばらく前に『今夜は天気が良さそうだなぁ。家の近くは灯りも少ないし、星が奇麗に見えるかなぁ』とかあたしの隣で呟いた次の日に、『紅葉と一緒に見たかったなぁ』ってさもあたしが約束破って来てくれなかったみたいな言い方したの覚えてないの? 今日の昼間にまったく同じ台詞吐いてきたから、今度は同じことしないようにと思って家に行ってみれば!」


 うわぁ。遂に危惧した通り、俺を挟んでの痴話喧嘩が始まってしまった。


「ご、ごめん。でも携帯に先に連絡くれれば良かったのに」


「うるさい。あんなさりげない誘い方しておいて『何時にどこで集まる?』なんて聞けるわけないでしょ。昼間の会話で『日付変わってからが最高だったなぁ』って言ってたのをヒントに、日付変わってから夏樹が出てくるのを一時間家の前でうろうろして待ってたあたしの気持ち考えてよ!」


 この女の子も大概だった。防犯意識が足りなすぎるし、この子自身が不審者だった。


 そして、この子の舌のよく回ること。さらに声が通るものだからこのままエスカレートされては本当に通報されかねない。


「すみませんが、この場所は警備対象の敷地内でして。口論でもデートでも構いませんが出来ればよそでやっていただけますか」


 実際の立ち位置的にも間に挟まれていたが、紅葉という女の子に向けて言った。そして後ろに隠れたままの夏樹の腕を掴んで、彼女の前に無理矢理立たせる。


「ほら、お前もしゃんとしろ。家に行くならもう行け。俺の仕事を増やすな」


「祐一くんひどい……」


「ひどくない」


 今日ここに来たのが俺で良かったとむしろ思ってほしい。俺以外が来ていたら問答無用で二人とも警察に連絡されて身分証明させられて、リストに数年間名前が残り続ける展開だってあり得ている。

 俺が今していることこそが職務怠慢だと言われてしまえばぐうの音も出ない。


「ゆういち……? あなたもしかして、里島祐一?」


 夏樹の彼女にフルネームを言い当てられて、思わず「は?」と素の声が出た。彼女は素早くスマホを取り出すと、そのライト機能を使って無遠慮に俺の顔を照らした。


「うわっ、ゆっちーじゃん! 久しぶりー!」

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