ホワイトラブラドライト

八ツ波ウミエラ

第1話 チャンネル間違い

 井守が精霊狩りをするのは、いつだって真夜中だった。昼間に鉈を持って歩くと、面倒なことになるからだ。


 精霊は人間の物を盗む。あるものは視力を。あるものは愛を。形の無い物を盗むのだ。精霊に盗まれた物は、精霊を殺すことでしか戻らない。


 井守は小学生の時に同じクラスの谷岡にゲームボーイアドバンスを盗まれて以来、泥棒が大嫌いだった。だから精霊狩りをしている。




 井守は暗闇を歩いていた。右手には鉈を持っている。時刻は午前三時。鉈でかぶと虫を真っ二つにしても、誰にも咎められない時間帯。


 鮮やかなオレンジ色の液体が鉈を汚す。井守は次郎がこの液体を赤色だと言っていたのを思い出した。人によって違う色に見えるのだ。井守が盗まれたゲームボーイアドバンスはオレンジ色だった。


 精霊は全て、虫の姿をしている。何故なのか井守は知らない。どうでも良かった。精霊を殺せば、盗まれた物は持ち主に返る。井守にとって大事なのはそれだけだった。




 かぶと虫の精霊を追いかけているうちに、井守は随分と山奥まで来てしまっていた。とぼとぼと歩いていると、駅を見つけた。


 駅名は笑顔。けれども、駅の壁には泣いている女の写真が数え切れないほど貼ってあった。


「どうにも情緒不安定な駅だな」


 何のアナウンスも無しに、電車がやって来て止まる。午前三時、山奥の駅、一両だけの電車。


「これに乗るやつは相当な馬鹿だろ」


 言葉とは裏腹に、井守の体は券売機で切符を買って改札を通った。電車に乗る。


「君、チャンネル間違いだよ」


 つり革を握っている老人が井守に話しかけた。老人の足元には大きなトランクが置いてある。電車にいるのはふたりだけ。運転席には、誰もいない。


「早く降りなさい」


「俺も降りたいんだけど、体が言うこと聞かない」


 電車が進みだした。さっきまで山奥にいたはずなのに、窓の外には高層ビルの立ち並ぶ街が見えた。スーツを着た男たちが街を歩いていた。男たちには首から上が無かった。


 精霊以外にも異形の存在がいたんだな、井守はそう思った。体はまだ言うことを聞かない。


 電車が駅に着いた。駅名は読めなかった。漢字でもアルファベットでもない、知らない文字で書かれていた。ホームには先ほど窓から見えたスーツの男が一人立っていて、電車が止まるとドアにへばり付いた。まるで井守を見ているようだった。


「君、名前は?」


 老人が世間話をするように聞いた。


「……笑わない?俺、変な名前なんだよ」


 井守もまた世間話をするように答えた。


「大丈夫、ジジイも変な名前だよ。どっちがより変な名前か、競おうじゃないか」


 ドアが開いて、異形の男が電車に入ってきた。井守は鉈を握る右手に力を込めた。体が動く。


「俺の名前は、井守。井守冥朗だ」


 そう言って井守は鉈で男に切りかかった。けれど、鉈は男の体を、通過しただけだった。まるで水を切ったように、通り抜けただけ。男が井守の右手を掴んだ。ひんやりと冷たかった。


 老人はいつの間にかトランクを開けて、中からウサギの着ぐるみを取り出していた。ウサギの着ぐるみには読めない文字がびっしりと書かれていた。耳なし芳一みたいだな、と井守は思った。


 老人はウサギの着ぐるみを着始める。井守の右手を掴んだ男は、井守を電車の外に引きずり出そうとする。井守は男を素手で殴ろうとしたが、また水のように通り抜けるだけだった。


「イチゴパフェ」


 ウサギの着ぐるみが言った。そして、男を殴った。男は電車から吹き飛んで、ホームに倒れた。氷が溶けるようにどろどろになり、ホームに水溜まりだけが残った。


「ジジイの名前は、北条イチゴパフェ」


「ちぇっ。あんたの勝ちだ」




 二人は電車から降りて、もうひとつのホームに移動した。


「ここの駅名、俺には読めないんだけど何て書いてあるんだ?」


「はじまり」


 そう答えると、イチゴパフェは井守の顔にマジックペンで読めない文字をいくつか書いた。


「これでちゃんとした電車に乗れるよ。もうチャンネル間違いするんじゃないぞ」


 びっくりするくらい普通の電車が来て井守の目の前に止まった。みんな、読めない駅名の駅に着いたことを、不思議に思っていないようだった。電車からこの駅に降りるものはいなかった。


 高層ビルの街は遠ざかり、電車から見える景色はやがて井守の見慣れたものに変わっていった。さっきまでのことが嘘のようだった。


 時計を見ると午前八時だった。井守はつい十五分ほど前まで午前三時にいたはずである。時間が、ずれている。顔中に落書きのある井守と不気味なウサギの着ぐるみは電車でよく目立った。二人のまわりだけ人が避けた。快適だな、と井守は思った。


「……ところでおじいさん、どこまで着いてくるんだ?」


「どこって、家まで送るよ。心配だからね。そういや、ここ何県なの?」


「広島県だけど」


「やったー。ジジイ、広島県はじめて来た」


「良かったね」


 広島駅に着いた。朝食にハンバーガーを二人で食べた。店員が井守の鉈を見て青ざめた。


 家に着くと、イチゴパフェは井守の寝室の押し入れを見てはしゃいだ。はじめて見たのだそうだ。


「入っててもいいよ」


 イチゴパフェは喜んで押し入れに入っていった。三十分ほどそのまま放っておいた。シャワーを浴びる。顔の文字はうっすら残った。


「そろそろ出てきなよ」


 井守は押し入れのふすまを開けた。押し入れは空っぽだった。


 挨拶くらいしてから帰ればいいのに。井守はテレビを見ながらそう思った。昼食にはミートソーススパゲティを食べた。


 変なところに行ったせいかひどく疲れていた。午後三時にはベッドに入り眠ってしまった。




――ピンポーン


 次の日。玄関のベルが鳴り響く。その音で井守はベッドから飛び起きる。階段を降りて玄関に向かう。時計を見ると午前六時だった。誰が来たのかは分かっている。


「なんで次郎のやつこんな朝早くに来るかね……」


――ピンポーンピンポーンピンポーン


 玄関のベルはまだ鳴り響いている。それにスマホの着信音が混ざる。リビングに行ってスマホを取る。画面には牧原次郎の文字。


「頭のおかしいやつの相手をするのは大変だよ」


 井守はそうつぶやきながら電話に出た。


「何度もピンポンすんな。今すぐやめろ」


「冥ちゃん?今、君の家のそばにいるんだけど、玄関のとこに変なのがいる。ピンポンしてるのは僕じゃなくてそいつ。君がぶっ殺してまわってる精霊ってやつじゃないのか?」


「マジか。てっきりお前かと思った。何度もピンポンしやがって、迷惑な精霊だな。そいつ、何の虫の姿してる?」


 井守は寝室に戻ってベッドのそばに置いていた鉈を拾う。


「虫?黒いスーツを着てて、首から上が無い男だよ」


 玄関のベルが鳴り響いている。鉈から、オレンジ色の液体がポタポタ落ちた。


「チャンネル間違いだ」


 押し入れからイチゴパフェの声がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る