偶像 第四章

 手術がはじまる。

 人生を賭した手術である。

 ふうせいかくれいの医師が脳神経外科集中治療室=NCUにほうちやくすると看護師たちが聴性脳幹反射=ABR器機をへきとうとしてせんじようばんたいの延命器機がてんじようされた患者様ひつきよう白髪のゆきちゃんの手術準備にびんべんしていた。そうこうたるがんぼうながらもぜんとした医師がそうするとゆきちゃんはストレッチャーで手術室に搬送され医師も準備にまいしんした。清潔なる手術着手術用手袋と特別誂えの手術用足袋をてんじようさせるとしんしようしながら手術室にる。ひとしなみに〈実験台〉で訓練してきた百戦錬磨のスタッフたちをへいげいして命令する。〈すいを〉と。筋骨隆隆のすい医が全身すいを遂行する。一触即発の有害なる反射をようそく阻止するために抗コリンを投与する。薬腰椎麻酔を投与し酸素の注入をはじめる。入眠のためにプロポフォールとフェンタニルを投与する。マスクより気道確保してきんかんざいを注射した。予備の気道確保のために気管挿管をおこなう。静脈麻酔薬としてプロポフォールの継続投与をはじめる。医師はする。〈わたしはこの瞬間のために生きてきた〉と。〈諸君この手術にいままでの経験のすべてをそそいでくれ〉と。

 執刀がらんしようする。

 すい色のシーツであるドレープ=覆布で上半身を保護された患者の脳髄をナビゲーションシステム3次元空間認識技術で監視しながら三箇所の術野をめいちようとしてゆく。術野の皮膚をせんじようしたうえでかいわいのドレープを穿せんさくすると術野かいわいに精緻に穿せんこう穿せんさくする。〈神の手〉とさんぎようされる先輩からべんたつされた鍵穴手術という手術であり皮膚頭蓋骨硬膜という順序でえんすい型にえんされるかたちで〈鍵穴〉をあけるのである。直径一㎝の鍵穴が穿せんさくされると専用のリトラクションシステムで穿せんこうをひろげる。超音波診断器と手術顕微鏡で問題箇所をせんめいしながら特別誂えの吸引器で髄液や血液を処理してゆく。専用のコットンでざんとなった血液を払拭するとどうみやくりゆうクリップ・クリップアプライヤーで問題箇所かいわいの血管をクリップした。脳髄にしやりようの破片がちんにゆうしている一箇所は超音波吸引器で異物をひんせきし頭蓋骨がめりこんでいる二箇所ははく子で除去する。成功だ。スタッフはいう。〈自律呼吸かいふくしません問題がのこっています〉と。医師はきつきようした。〈完璧な手術のはずだぞ〉と。

 わたしはせきをおこした。

 きよくてんせきとして医師はしゆうしようろうばいする。いわく〈ゆきちゃん生きてくれ〉と。〈きみがいなかったらぼくは生きてゆけなかったかもしれない〉と。〈あのとき死んでいたかもしれない〉と。ばんこんさくせつのなか医師はほうふつとした。〈あの日〉からのことを。植物人間の患者に一生をささげるためにきよくべんしてきた医学のうんおうのすべてを。事故からしゆうしゆうしてきたこうかんの記録のことを。のうで幾度もシミュレーションしてきた悪夢の事故現場のことを。医師はせきてきに回顧した。〈第一術野のかいわいに原因不明のそんがあった〉ことを。医師はスタッフをろうらくする。〈第一術野でそんした頭蓋骨の破片が搬送に頭蓋内で移動したおそれがある〉と。直感をしんぴようし〈脳幹就中なかんずく延髄かいわいが問題とおもわれる患者をうつぶせにしてくれ〉と。マスクで気道確保したまま難儀にスタッフが患者をふくさせるとドレープをかけなおし後頭部の手術をはつじんする。〈せきの手〉が狂ったかというがんぼうでスタッフたちが白眼視するなかふんじんの医師は疾風迅雷で手術を遂行してゆく。

 手術はしゆうえんした。

 断末魔の患者がすいから覚醒するまで成否は認識あたわない。患者が永遠に覚醒しないおそれもある。看護師がきつきゆうじよとやってきて〈亡くなりました〉というかもしれない。憂鬱うつぼつたる医師は診察室に帰還してきやしやなる椅子にもたれていた。テーブルのうえにはミクダヨーの大型フィギュアがしようりつしている。医師はミクダヨーと会話する。〈いのちってなんだろうね〉と。〈ぼくはかのじよをすくったんじゃないんだ〉と。〈ぼくがかのじよにいのちをすくわれたんだ〉と。〈でもね〉――。ゆうすいたる診察室に看護師がってくる。いわく〈患者様の自律呼吸が確認されました全身のホメオスタシスもかいふくしているようです〉と。大型ミクダヨーをわしづかみにした医師はまつしぐらに集中治療室にまいしんする。治療室では患者が熟睡している。医師はいう。〈ゆきちゃんわかるかな〉と。〈目をさましてくれるかな〉と。〈誕生日プレゼントのダヨーさんだよ〉めいもくしていたゆきちゃんのそうぼうが開眼し医師のがんぼうを凝視する。いわく〈熊谷さんまたいにきてくれたの〉と。

 医師は慟哭した。

 医師のてのひらを患者がにぎってくれた。

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