プロテイン・パック
淡波亮作
第1話
「今日は午後からフィールドに出る予定なんだ。久し振りだから、ちょっと興奮してるんだよ」
デイヴィッドが声を弾ませ、壁のホロディスプレイに喋りかけていた。
「ね、デイヴ、もし良かったら私も、ご一緒していいかしら?」
思ってもみない反応だった。ホロ・ディスプレイの中から、3D表示のトレイシーがやや右に首を傾けて白い歯をこぼれさせていた。褐色の肌と白い歯の描くコントラストが眩しい。仕事上の連絡のついでに、ちょっとプライベートな話を滑り込ませたのは、別にトレイシーのこんな反応を期待してのものではなかったのだ。デイヴィッドはそんな気持ちが表れてしまわないよう、努めて落ち着いた低い声を発した。
「僕は構わないけど、大丈夫なのか? ハンティングの経験は?」
「初めてよ。色々教えてくださるかしら?」
「ああ、それは結構だけど、僕が言いたいのはさ……」
「それは大丈夫よ、気にしないで。迎えに寄れる?」
「そうだな、じゃあ二時間後に寄るよ。それでOK?」
「うん。楽しみにしてる」
「じゃ、後で」
「じゃあね」
デイヴィッドはさっと右手を振り下げるジェスチャーでディスプレイを閉じると、冷蔵庫からプロテイン・パックを一袋取り出してマイクロウェーブにかけた。プロテイン・パックが温まるのを待つ間、デイヴィッドは椅子にどかりと腰掛け、にんまりとしていた。デイヴィッドはたった今ホロ・ディスプレイで会っていたトレイシーの笑顔を思い出し、「これ、デートだよな」と小さく呟いた。仕事上のつきあいは長かったし、同僚兼友人としては好かれている実感があった。だが、男女の関係はまた全く別の話だ。ずっと夢想していた瞬間が、あまりにもあっけなく訪れてしまったのだ。デイヴィッドは、不思議な浮遊感の中にいた。
内容物が温まりパックが膨らむと、甘い匂いが部屋に立ちこめた。今晩は歯応えのある有形食にありつけると思うと、デイヴィッドはトレイシーとの初デート以上に待ち遠しくてならなかった。本当は同じ程度に待ち遠しかったのだが、あまり意気込んでトレイシーに興ざめされては元も子もない。さっきの会話のように、あくまでも自然に、落ち着いて、物欲しげでない態度で臨むのだと、デイヴィッドは自分に言い聞かせていた。
少し、腹が減り過ぎているくらいがいいな。デイヴィッドはそう決めると、食べ掛けのパックを閉じて冷蔵庫にしまった。冷蔵庫の棚には、少しずつ色の違うプロテイン・パックがずらりと並んでいた。
三十四階に位置する自室を出ると、デイヴィッドはエア・チューブで一気に七十階まで上がった。トレイシーのビルに行くには地上に出るよりバス・チューブでの方が速かった。七十階のバス・チューブ乗り場に着くと、ちょうどそこにミニバスが到着したところだった。バス・チューブのアクリル扉がすーっと滑って開き、冷たい圧縮空気がデイヴィッドの黒髪をボサボサに掻き乱した。風がおさまると何事もなかったように髪を整え、デイヴィッドは空席に着いた。ディヴィッドの周囲360度をぐるりと取り巻く半透明チューブの外を、高層アパートメントが次々と飛び去って行った。
《当店のパティは100%ピュアでナチュラル。大草原を自由に飛び回るレッド・グラスホッパーだから、歯応えがまるで違います!》ハンバーガーショップの宣伝が、前席後部に浮いたホロディスプレイに流れていた。へっ、所詮あんなものミンチじゃないか。デイヴィッドは口にこそ出さなかったが、小馬鹿にした顔でホロディスプレイをピシャリと消した。
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