第9話 告白
「あのね、健ちゃん。本当は死ぬまで話さないつもりだったけど、健ちゃんが明日香や瞳とあんなに仲良しだと分かったから、もう話さないといけないと思った」と、彩子は哀しそうな顔で話し出した。
「ん? 何の話?」
俺は彩子の真剣な顔に困惑した。
カーテンが揺れ、爽やかな風が通り抜ける。
彩子は一度窓の外を見つめ、決意したように再び話し出した。
「健ちゃんと別れて、私は生きる力が無くなってたの。私は自分のした事を後悔して、自分が嫌で嫌で死にたくなってた」
俺は彩子の話を遮って
「彩子、もう昔の事だし、その話は聞きたくないんだ」と言うと
「ごめんなさい。でも聞いて欲しいの。今しか多分言えないから。明日香の事だから」
「明日香の?」
「うん、辛いかも知れないけど聞いて下さい。あの日から一月程経って私は体の異変に気付いたの。体がだるくて、吐き気が何度もするようになって。最初は精神的なものだって思ってたんだけど、あんまりひどいんで病院に行ったら、妊娠3ヶ月だって言われた」
彩子はそこまで言って言葉に詰まった。
そして静かに泣き出した。
俺は言葉の意味を計りかねていた。
いや、『まさか』と思い呆然としていた。
「ごめんなさい。健ちゃんに話そうか、私は悩みました。健ちゃんの子供を授かったのに、私が愚かなせいで別れてしまった。健ちゃんの『戻ってこい』って言ってくれた言葉も拒んでいてしまったし。もう打ち明けることも出来ない。でも堕すことは最初から考えなかった。だって健ちゃんの子供だもん。でも、だからこそ私は生きる力を取り戻せた。健ちゃんの子供をちゃんと育て上げなければいけないから」
そこまで聞いて俺は唖然とした。
「何故話してくれなかった。別れてたって、それは別の話じゃないか?」
「ごめんなさい。でもあの時は健ちゃんにこれ以上迷惑はかけられないって思ったから。私が酷い事して、健ちゃんを裏切って、これ以上傷つけられないって。健ちゃんが苦しんでる姿を見てしまったから。だから私は1人で生んで育てる決心をしました」
「それにしても・・・」
俺は混乱した。
俺に子供がいたのか?
何も知らずに40年以上過ごして来たのか。
何で話してくれなかった?
彩子、酷いよ・・・
俺が子供好きなの知ってたはずだろ。
自分の子を抱きしめたかった。
父親の居ない事で寂しい思いをしただろう。
どんな気持ちで生きて来たんだろ?
俺は子供の成長する姿を見れなかった。
酷いよ・・・彩子。
俺は怒りを必死で押さえていた。
病院じゃなければ怒鳴ってたかも知れない。
なんとか言葉に出来たのは
「じゃあ、その子が明日香なのか?」だった。
漸く俺は気付いた。
初めて明日香に会った時、ずぶ濡れになって泣いている明日香を見た瞬間に、放って置けなくて、守ってやらなくてはならない気持ちになった事を。
「はい、明日香は健ちゃんの娘です。本当にごめんなさい。健ちゃんに酷い事してたと思います。許してもらえないかも知れないけど・・」彩子は再び泣き出した。
俺は言葉を無くした。
長い沈黙の後、彩子が聞いた。
「でも不思議。明日香とどうして仲良くなったの?」
俺は明日香と会った経緯を彩子に話した。
「そう、凄い偶然。やっぱり親子だからなのかな?」と彩子は呟いた。
「明日香は俺が父親だって知ってるの?」と俺は気になった。
「どうかしら? でもあの子は頭の良い子だから気がついてたかも? あの写真も見てたようだし」
なんとなく明日香は知ってるような気がする。
だとしたら彼女はどんな気持ちで俺に会ってたんだろ?
瞳を連れて来た時は俺に自分の子を見せたかったのかな?
彩子を見ると少し疲れているように見えたので
「彩子、疲れたでしよ。ベッドに横になって」と俺が言うと彩子は素直に横になり
「ごめんね、健ちゃん」と小さな声で謝った。
少ししてドアが開き、明日香が俺を手招きしたので、俺は彩子の手を軽く握ってから部屋から出た。
明日香は担当医の話を一緒に聞いて欲しいと言ったので付いて行く。
明日香が俺の娘なんだと思うと不思議な気持ちだ。
先生は若く真面目そうな先生だった。
レントゲンを指し示しながら、臓器の何ヵ所かに黒い影があるのを説明し、早急に手術が必要だと説明した。
難しい手術で成功率も5分5分か、それ以下らしい。
しかも、手術費用が とても高額になると言われた。
ご家族で相談して手術するかどうかの結論を早く出して欲しいと。
勿論、手術しないと余命は一年も持たないらしい。
やっと彩子と再会できたのに何て事だ。
こんな事ならもっと早く彩子と会っておくべきだった。
明日香も知っていたのなら教えてくれても良かったんじゃないか?
今更娘だって言われても・・・
いや、それより今は彩子の手術をどうするかだ。
明日香は手術するべきだと言う。
お母さんをこのまま死なせる訳にはいかない。私は随分母に迷惑をかけて来たのに、まだ恩返しできてない。母を助けてあげたい。健太さん、協力してください。と涙も見せずに俺に言った。
俺は混乱していた。
彩子の話しと担当医の話しが頭の中でごちゃ混ぜになって、俺を悩ませる。
今の俺では冷静な判断は出来そうにないので、明日香に少し結論は待って欲しいと言って、その日は近くのホテルに泊まった。
瞳と明日香は
「家に来れば良いのに」と言ってくれたが、俺は一人でゆっくり考えたかったので断った。
俺はホテルのベッドに寝そべりながら考えた。
とにかく今は彩子の手術をどうするかだ。
明日香の事はその後考えれば良い。
彩子が死んでしまう・・・それだけは絶えられない。
40年以上待って、やっとまた会えたのに。
明日香の言う通り手術するべきだと思うけれど、失敗したらと思うと怖かった。
怖くて怖くて仕方がなかった。
ああ、やっぱり俺は駄目な男だ・・・
明日香の方がよっぽどしっかりしてるじゃないか。
俺の娘なんだよな。
彩子は自分の病気について、どのくらい分かってるんだろう。
夜中の2時を過ぎても堂々巡りで寝れなかった。
仕方なく冷蔵庫のビールを取り出し、飲んでいたら、いつしか寝てしまったらしい。
翌日、目が覚めるとすっきりしていた。
もう混乱はない。急いで病院に向う。
彩子はベッドですやすやと寝ていた。
明日香も瞳もいなかった。
彩子は確かに少し老けたが、まだ十分に綺麗で可愛い顔をしていた。
俺は彩子の寝顔をずっと見つめながら思っていた。
彩子を死なせたくない。
もっと彩子と一緒にいたい。
彩子が寝返りをうって、目を開けた。
俺と目が会った。
俺は微笑んで、出来るだけ優しい声で
「おはよう、彩子。今日は良い天気だよ」
と言った。
彩子は最初はキョトンとした目で俺を見てたがやがて意識がはっきりしてきたのか
「おはよう、健ちゃん」と言って微笑んでくれた。
それから窓の外に目をやり、
「ほんと、良い天気」と言って俺に顔向けると泣いていた。
「どうしたの? 彩子」
「もう健ちゃん来てくれないかと思ってた」
と彩子は小さな声で言った。
「何言ってんだ。やっと会えたばかりじゃないか」と、俺は彩子の手を握って答えた。
その時、明日香と瞳がやって来た。
明日香は俺の横に座ると彩子の顔を覗き込み
「お母さん、また泣いたんでしょ。駄目だよ、あんまり健ちゃんを困らせちゃ。ちゃんと仲直りはできたの?」と聞いた。
彩子が答えられずにいると
「しっかりしてよ、お母さん。そんなんだったら私が健ちゃん取っちゃうぞ」といたずらっぽく笑いながら言った。
すると瞳がすかさず
「駄目、お母さんはケンパパがいるじゃない。おばあちゃんはずっとずっとおじさんの事好きだったんだから取っちゃ駄目」と明日香に抗議する。
「おまえ必死だな」と明日香は笑い出した。
俺は明日香を見ていると、昨日とは違う感情になっていった。
明日香は強い女性になっている。
明るく元気だ。
もう瞳という可愛い娘もいる。
少なくとも今は不幸ではない。
彩子は女手ひとつで立派に明日香を育てあげた。
それは凄い事だ。
並大抵の苦労じゃなかっただろう。
俺は知らなかったとはいえ、明日香に何もしてあげてない。
そんな俺が彩子を非難する資格があるのか?
只の俺の我が儘じゃないのか?
むしろ俺は彩子に感謝しなければいけないのじゃないのか?
明日香と瞳が俺を見つめている。
俺の子供と孫だ。
そうだよ。俺たちは家族なんだ
俺には子供も孫もいたんだ。
そう理解した時、喜びが込み上げてきた。
俺は決心した。
「明日香、瞳。俺と彩子は離れて生きていたけれど心は繋がってた。昨日話して、それが良く分かった。だから仲直りとかじゃ無くて、俺は彩子とこれからは一緒に生きていきたい。もう1人ぽっちはごめんなんだ。だから彩子、 俺と結婚してくれないか? 明日香も瞳も賛成して欲しい」と言っていた。
彩子はびっくりして
「健ちゃん・・・」と言って泣き出した。
明日香は
「やっぱりね」と言って笑っている。
瞳は
「おばあちゃん、良かったね」と言いながら号泣していた。
俺は彩子の手を握りしめて
「彩子。俺と結婚して下さい」とお願いした。
彩子はぼろぼろ涙を流しながら
「よろしくお願いします」と答えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます