第1話 レコードと珈琲

「おじさん、こんばんわ」


 弾けるような笑顔を俺に見せてくれる。どこか懐かしい。


「ああ、こんばんわ。泳ぎ、うまいんだね」


「えへへへ、ありがと♪」


 特徴のある笑い方だ。


 思っていたより、随分と若い。整った顔立ちだが、まだどこか幼さを残している。


「おじさんって、あそこの店の人ですよね?」


 俺の店を指さして訊いてきた。


「うん、そうだよ」


「あのーお願いがあるんですけど、シャワー貸してもらえませんか?」


 店には海水浴客のために、外にシャワーを設けてある。


「ああ、使いな。良い泳ぎを見せてくれたから、ご褒美だ」


「やったー。私、瞳です」


「瞳ちゃんか。俺は健太」

 と答えると、何か考えるような顔をして


「け ん た さん・・・」と小さく呟いた。


 瞳はすぐに笑顔に戻り


「ちょっと待っててくださいね」


 ペコリとお辞儀すると、バイクのところに走って行き、手で押しながら戻ってきた。


 砂にタイヤを取られて重そうだ。


 バイクは少し古い型だが、良く整備されているのが、月明かりの中でも判る。


「ほおー良いバイクだ。きれいに乗ってるんだね」


「えへへへ、ありがと♪」と、あの笑いをもう一度してくれた。

 

 瞳はバイクを漂流木の横に置くと、大きなバッグを肩にかけ、店に続く坂道を俺の少し後ろから付いてくる。

 

 風が少し強くなった。雲が月にかかる。

 

 振り向いて俺は


「旅行かい?」と聞くと、


 瞳はちょっと考えて、


「え〜と、人を探してるんです」


「ふ〜ん。それは大変だね」


 その時、瞳はなんとも言えない顔をしたので、それ以上は聞かなかった。

 

 シャワーのところに着いたので

「好きに使って良いからね。お湯も出るし」と言うと、


 瞳はまたペコリとお辞儀をして

「お借りします」と笑顔で言った。

 

 俺はすぐ横の裏口から店に入ると、外灯を点ける。


 ビールの空き缶をゴミ箱に放り投げ、窓際のテーブル席の椅子に座ると、煙草にライターで火をつけた。


 窓を少し開けると煙が流れていく。


 波の音に紛れてシャワーの音が微かに聞こえてきた。


(しかし綺麗だった)


 目を閉じて、あの美しい光景を思い浮かべる。とても現実だったとは思えない。


(でも人探しか?・・・まあ色々あるよな)


 寂しさに気づいて、さっきまで聴いていたアルバムに再び針を落とす。


『STILL CRAZY AFTER ALL THESE YEARS 〜時の流れに』 ーポール・サイモンー


 1曲目の途中で裏口のドアが開き、長い髪をタオルで拭きながら、瞳が店に入ってきた。


 インクブルーのトレーナーにデニムのショートパンツ。月明かりの中で長い脚が際立って見える。


 奥のテーブルに座っている俺を認めると

「おじさん、ありがと。さっぱりしたよ」と、元気な声を出した。


 俺は右手をあげて、それに応えた。


 瞳は少し首を傾けながら上を向いて、耳を澄ましている。


 やがて微笑むと、近寄って来て

「素敵な曲♪なんて曲ですか?」と訊いてきた。


「ポール・サイモンの『 時の流れに 』って曲。古い曲だけどね」と、答えた。


「ふ〜ん! 私、英語は分かんないですけど。なんか哀しい声。この人とっても辛いんだろうな。だけど、それでもまだ希望は失ってないぞ。もう少しだけ頑張ろうって・・・そんな風に聞こえます」


 俺は、瞳がこの曲に気ずいてくれたことが、なんだか嬉しかった。


「うん、俺の好きな曲なんだ」


 気分が良いので、


「そうだ、珈琲でもどう?」と聞いてみる。


「あっ、私、珈琲大好きなんです♪ いただきます」と、とびきりの笑顔を見せてくれる。


「じゃあ、美味しいの煎れるから、ちょっと座って待ってて」


 曲は『マイ・リトル・タウン』に変わる。


 瞳はカウンターの端の椅子にちょこんと座ると、物珍しそうに店の中を見回していた。


 俺はカウンターの上のスポットを点け、厨房に入ると、新しく豆を挽いた。


 珈琲の香りが拡がる。良い香りだ。


 心の隙間を少しだけ埋めてくれるような気がする。


「おじさん、この店とっても居心地良いですね♪ なんかすごく安心出来ます」


「だろ♪俺の愛情がつまってるからね」

 瞳は何も言わなかった。


 俺はお気に入りのカップに珈琲を注ぎ

「はい、お待たせしました」と、いつもお客さんに出すようにカウンターに珈琲を置いた。


「ありがとございます」


 瞳はカップに顔を近ずけ、珈琲の香りを吸い込むと、ニマ〜と笑顔になった。


「おじさん、すっごい良い香り。びっくりした」


「わかる? なんせ特別な産地から仕入れてる、取って置きの豆だよ♪」


「えへへへ、いただきます」


 瞳は嬉しそうだ。俺も嬉しい。


 瞳は砂糖もミルクも入れずにブラックのまま、一口飲むと、止まった。


「おじさん・・・」と、泣きそうな顔で、俺の目をジーと見つめる。


「どっ、どうした?」


(あれ? なんか失敗したか? 完璧に煎れたはずだけど? )


「おじさん、美味しすぎて泣きそうです」


(良かった♪でも・・)


「それはちょっと大袈裟じゃないか?」と言うと、


 瞳は少し怒ったような顔で


「私、珈琲が大好きで、有名なお店にも色々飲みに行くんですけど、いつもなんか、ちょっと違うなって思ってて・・でも、でも、この珈琲は・・・」と声を詰まらせ、本当に涙を流した。


 少し惑ったけど、今まで俺の煎れた珈琲を、こんなに喜んでくれた人はいなかったんで、正直とっても嬉しかった。


 瞳はもう一口、珈琲を口にすると、

「おじさん、泣いたりしてごめんなさい。あんまり懐かしくて、お母さんの煎れてくれた珈琲の味がするから」


「なんだ、お母さんの味か・・・」


(ちょっとガッカリした)


「あっ違うんです、この珈琲は本当に今まで飲んだ中で一番美味しいです。お母さんのより何倍も。なのに懐かしいお母さんの味もするんです」


「ふ〜ん、そうなんだ。でも懐かしいって? お母さん、どうしたの?」

 


 外は、いつの間にか雨が降りだしていた。


 月は雲に隠れ、ガラス窓に激しく雨粒があたる。


 月明かりは完全に雲で遮られた。


 A面最後の曲『ナイトゲーム』が流れている店内は更に暗くなり、カウンターの周りだけが浮かんで見える。


 瞳はトレーナーの袖で涙を拭うと

「お母さんは五年前に・・・」 と、小さく哀しく声にした。


「そっか。ごめんな。悲しい事思い出させたね」


「ううん。おじさんのせいじゃあないですよ。私、泣き虫なんです。えへへ」と、無理して笑顔で言ってくれた。

 

 レコードが止まり、雨音が喧しく騒ぎたてる。


 雨は益々勢いを強めていた。


「雨、凄くなってきましたね。少し怖い位です」と、瞳は本当に怖そうに窓の外を眺めている。


 風も強くなってきたのか、窓がガタガタと音をたてだした。


「これじゃあ暫く止みそうにないな」


 俺はふと気付いて


「瞳ちゃん、今夜はどうするの? 泊まるとこは決まってる?」と、聞いた。


 瞳は急に

「あはははっ! 実はそこの海岸で野宿のつもりだったんですけどね・・・やっぱり無理ですよね。はははっ」と、今度はあっけらかんと笑い出した。


 俺も可笑しくなって

「瞳ちゃんって、笑ったり、泣いたり、怖がったり、ほんと忙しい子だね」と、笑いながら言った。


「あのさ、瞳ちゃんが嫌じゃ無かったら、ここに泊まる?部屋も空いてるし」


「ええ〜良いんですか? 凄い助かります。ありがとうございます」と、またペコリと頭を下げた。

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