福笑いしても出来事は笑えない(元ネタ:福笑い殺人事件より)
時は、とある節分の日の事であった。
駅から600mほど離れたところに八幡神社がある。
八幡神社内には、木造建築の「八幡マーケット」があり、
賑わいを見せていた。棟割長屋に小売店、飲み屋、理髪店、大衆食堂、
喫茶店、小料理屋が並ぶ・・・こうした古い昭和の様な造りのマーケットは
敗戦まもない頃からの普遍的な風景だった。
八幡マーケットには「みはる」という飲み屋があった。
高校1年の和子さん(当時16歳)は、村の祖母の家から通学していたのだが、
週に1度は別居してこのマーケットで水商売をやっている
母親の店「みはる」を訪ねて、こまごました手伝いをしたり、
祖母に届ける金をことづけることになっていた。
母親は村の小学校校長の三女でだけあって、母校の高校や短大を
優秀な成績で出ておりその後デパート店員などをしたのち、
24歳でメインバンク本店員と結婚した。
だが夫は急死。母親はその後、実家の村内の製靴会社の
事務の仕事をしている時に、専務と深い仲になったが、
教育者である両親に叱られ、3人の子どもを
実家に置いたまま東京に出ていた。それからは寿司屋や飲食店に
女中として働きながら金を貯めてマーケットの「みはる」を買い取っていた。
そんな「みはる」に紺色のセーラー服姿した
少しばかり美人な女の子が訪れた。どうやら、
この「みはる」の店主の3人いる娘のひとりと思われる。
和子さんは店の前まで来たが、
ガラス戸は閉められており、中にはカーテンがひいてあった。
「まだ4時半だから、お風呂にでも入っているのかな?」
と思い、裏手にまわってみたが、開き戸の鍵は閉まっていた。
鍵は和子さんの見たことのない新しい南京錠だった。
和子さんは再び表にまわって、ガラス戸をひいてみた。
鍵はかかっていなかった。和子さんが戸を開くと、
挟まっていた読売新聞がぽとりと落ちた。
この時、背後から1人の男の子が話しかけた。
「お姉さん。小一時間くらい前に、何やら銀行の預金通帳を持って
ここから出かけた人が居たみたいだよ?」
この時、和子さんは欲しいようこと、星井陽一郎の言った言葉から
何者かによる預金通帳の窃取の可能性を疑い、
すぐに銀行にスマホに電話して不審者による銀行口座からの不正
引き出しを防ぐ対処をしておけば助かっただろう。
だが、彼女は目の前の少年に対し何を言ってるんだこの子はと
思い込むばかりであった。そして店内に入る。
店は長屋のどの店舗も同じつくりで、間口9尺、奥行き3間。
「みはる」は1坪ほどの土間の左側にカウンターがあり、
その向うが調理場、右側はベニヤ板ばりとなっていた。
和子さんが正面奥の障子を開けると、3畳間のこたつの右側で、
母・川俣はる子さん(41歳)は布団をかぶってうつ伏せになって眠っていた。
ビールの空ビン、キャラメルの空箱、クシ、ミカンの皮などが散乱していた。
和子さんは母親が酔っ払って寝ているのだと思い、布団をめくってみた。
すると、母親は目隠しをされて顔が血まみれになっており、
首には麻紐が巻きつけられて死んでいた。
現場は荒らされていた。はる子さんはいつも手提げカバンに
銀行の預金通帳を入れていたが、通帳だけが無くなっていた。
また死体にかかっていた鹿の子の掛ぶとんをどけると、
はる子さんの手袋、そろばん、鉛筆にまじって、
「福笑い」のおかめの”のっぺらぼう”の顔が浮かんでいた。
そしてその”眉”の部分の黒い紙きれが、ちょうど遺体の左手の横にとんでいた。
はる子さんは麻紐で首を締められてから、ビール瓶で殴られたらしい。
遺体は右手を膝に当て、左手は胸の前に曲げた状態で、
両足はあぐらをかいたように組まれていた。
目隠しは4つ折りにたたんだ手拭であった。
この目隠しが謎だった。どうやら死後にされたものでなく、
殺される前にされていたらしい。
現場検証の結果、犯人は盃の数から見て2人。
客になりすまして上がりこみ絞殺、
バッグから預金通帳と水牛の印鑑、
銀行の出定期予金証書4通、財布から現金20~30万円を
奪って逃げたらしいことがわかった。
刑事はすぐにはる子さんの預金がある東京三菱UFJ銀行に向かったが、
すでに手遅れだった。3日の朝に、茶色のジャンパーを着た男が来て、
はる子さんの口座から312万3千円を引き出していた。
店の馴染み客であった映写技師・正一(6歳)は、2日の夕方5時ごろ、
「みはる」に入った。台所から出てきたはる子さんは、
土間に脱いである2足の茶色い靴を指差し、
「今夜はこのお客さんが久しぶりに来て、1時まで飲むと言っているのよ」
と言って、正一さんを座敷に上げることができないことを告げたので、
正一さんはそのまま映画館に戻った。
正一さんは勤務が終わって、他の飲み屋に立ち寄ってから
再び「みはる」を訪れている。3日午前1時過ぎのことだった。
店の明かりは消えていたが、座敷は明るかった。
正一さんが「みはる」に入ろうとすると、
奥の台所から出てきた若い男が飛び出してきて、
「こんばんは、ぼくらが徹夜で飲むから、すまないが・・・・」
と言って、Sさんを押すように、店に入るのを拒んだため、
Sさんは不愉快に思いながら店を出た。
Sさんの証言から、この若い男は22、3歳で、
色は白く小さくて痩せた顔、オールバックの頭髪、
紺のスーツを着ていたことがわかった。
「みはる」の隣りで飲み屋を開いていた奈津子さん(当時47歳)も証言した。
奈津子さんの店と「みはる」はベニヤ板1枚でしきられているので、
隣りから物音はよく聞こえたらしい。
2日10時頃、はる子さんの「まあ、いらっしゃいませ」という
愛想の良い声が聞こえた。しばらくすると客の
「こうしておこたで飲むと、自分の家で飲むような気がする」、
はる子さんの「あなたは〇〇さんと一緒に来て、これで3回目ね。
今日は、あなたがこちらをお連れして来てくれたのね」という
会話が聞こえた。午後10時50分頃には、
「もう、店を閉めましょうね」
「おれたちはいいだろう」
「あなたたちはいいのよ。幕さえしておけば、
あとはお客さんが入ってこないわ」
という声が聞こえた。
奈津子さんは11時に店を閉めて帰宅したので、それ以降のことはわからない。
だが証言から、犯人が2人連れであり、
1人は以前にも来店したことのある人物というのが確実となった。
ただ正一さんが来店した午後5時ごろにいた2人組と、
奈津子さんが聞いた午後10時ごろに訪れた男の客が同一人物であるのか、
異なるのかはわからなかった。
捜査本部は銀行に金をおろしに来た男と、
正一さんに「帰れ」と言った男が犯人であると断定した。
捜査本部ではこの事件を「福笑い殺人事件」と呼んでいた。
鑑識課指紋係は集めた指紋を調べると、15日の夕方、
無職大之木博文(19歳)の指紋が、
現場に残されたビール瓶に付着した指紋と一致した。
大之木は詐欺、窃盗などの常習で5回の検挙歴があった。少年院を出所後、
そば屋で働いている時「店の若旦那」と称して「みはる」に出入りしていた。
捜査本部員はただちに大久保の行方を追ったが、
彼は1月21日に隣の街の警察署管内で窃盗をはたらき、指名手配中だった。
この事件では共犯がおり、この共犯の人相も質屋の証言からわかった。
2月20日、共犯の吉川元雄(21歳)を逮捕。26日には大之木も逮捕された。
大之木と吉川は少年院の同期生だった。出所後の1月20日、
電車の中で偶然出会い、2人で山谷の簡易旅館に泊まっているうちに
金がなくなり、以前出入りしていた「みはる」の女将が
小金を持っていることをに目をつけ、この店を襲うことを計画した。
大之木らは当夜、はる子さんと「福笑い」遊びをやった。
はる子さんがおかめに目鼻をつける順番になり、
目隠しをしておかめの顔をまさぐり始めた。
その時、1人がはる子さんの後ろにまわって麻紐を巻きつけ、
さらにビール瓶で殴りつけ、完全に死亡したのを見澄ましてから、
現金や預金通帳を奪った。タクシーで逃げた2人は、
その晩、風俗で遊んだという。
逮捕、送検からからかなり経った9月28日、地裁で裁判長は
「被告等は何れも不遇な家庭に成長したもので、
憐憫の情禁じ得ないものがあるが、
その反社会的性格は強制困難と思われ、
その犯行は計画的で残虐を極めたもので、
情状酌量の余地は全くない」と、未成年の被告に死刑を言い渡した。
犯人が逮捕となったのを知った和子は、
ある日欲しいようこと星井陽一郎を飲食店内で見つけると
あの事件の事を持ち出して陽一郎の事を責めた。
「アンタのせいで、お母さんは死んじゃったじゃない!」
これに対し陽一郎はこう反論した。
「だから、あのときボクはこう言ったよ。
"小一時間くらい前に、何やら銀行の預金通帳を持って
ここから出かけた人が居たみたいだよ?"ってね。
なのに、キミはボクの事を疑うだけで何の対策も講じなかった。
確かにキミのお母さんを殺したのは犯人のあの二人組みだけど
キミのお母さんが必死の思いで稼いだお金をあの二人に盗られる
二次被害を招いたのは何処の誰?
ボクのせいにする前にその辺、よっく考えてよ。」
そういうと陽一郎は、お店を後にした。
その店内の空気は、ただ気まずい雰囲気が漂うだけだった。
店主は、和子に対する言葉を見つけ様が無く
他の客も安易な言い方は、かえって彼女を傷つけるだけと解ってるだけに
何を言ってあげればいいのか、適切な言葉を出せるほど頭は働かない。
さりとて陽一郎の言ってる事も、正論ではある。
この場合、どちらの方を支持すればいいのか正しい答えが見つからず
去って行った陽一郎を睨みつける和子をその場に居る者たちは
ただ見守るしか出来なかった。
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