ソウルステーション/パンデミック

 映画の話がしてえ。


 映画の話がしたくてたまらねえ。




 派手な遊びをせず、ペットも飼っておらず、パートナーも子どももいないとなると、日々に彩りを与えてくれるのは本当に本か映画くらいのものなのである。


 このブログは発足当初から「思ったことを聞いてもらう」という体をとってきたわけなのだが、この「思ったこと」、すなわち私が平素 思い考えていることというのは、その大半が、私自身の人生経験から生み出されているものであるということに最近気が付いた。 そして、平々凡々な27歳独身女性の人生経験は、2,000字×70記事=14,000字くらい出したあたりから、もうかっすかすの搾りカスになってしまったわけである。


 マジで、映画くらいしか話すことがねぇ。 いや、映画の話がしてえ!!

 ブログ開設から2年経って話のネタは尽きたが、このブログは私が「話を聞いてもらったつもりになる」ために作ったのであり、私の身の回りに話を聞いてくれる人がいないという状況はこの2年間何一つ変わっていない。 毎日毎日暇にあかして眺めている映画の感想を、誰かに聞いてもらいたくてたまらないのだ!!


 この欲求をいよいよ抑えきれなくなってきた私は、再び映画ブログと著作権の関係を調べ、まぁこの程度なら現行法に抵触しないだろうというフォーマットを考えた。 今後はそのフォーマットに則って主に最近観た映画の話をしつつ、たまに思いついた自分の話をしていきたいと思う。


 というわけで以下、韓国アニメ映画『ソウルステーション/パンデミック』のネタバレ感想である。




 『ぽすたー』




 パンデミックの字面からお察しいただけるとおり、ゾンビ映画である!

 この世には既に星の数ほどのゾンビ映画が存在するわけだが、それでも人々が新しいゾンビ映画を求めてやまないのは、動き、知能、発生条件、生人間(なまにんげん)との意思疎通の可否など、要所要所にオリジナリティが散りばめられた、唯一無二の作品ばかりだから──────というわけではなく、単にみんな血と暴力と殺戮が好きなだけだろう。 少なくとも、私はそうだ。



 この映画の舞台は夜のソウルステーション、韓国の首都ソウルにある大きな駅である。 私は韓国に行ったことがないので具体的にはわからないが、東京駅のようなものだろうか。


 あらすじはまぁ、説明するまでもないだろう。 何せゾンビ映画である。 ゾンビが発生する→ゾンビから逃げる、これに尽きる。



 ちょっと今回は初めてなので、一旦私の興奮のままに話させてもらおう。



 まずこの映画の面白いところは、韓国の社会風刺を多く含んでいるところだ。 ゾンビ・パニックに侵されたソウルの街を、主にホームレスやフリーターといった社会的弱者の視点で描いている。


 この映画の主人公であるヘスンは19歳の家出少女であり、家出してから勤めていた風俗店からも逃げ出して、現在はヘスンに売春を斡旋して金を稼ごうとするロクでもない彼氏と一緒に、民泊のようなところを借りて暮らしている。 ヘスンも彼氏も、定職はおろかアルバイトすらしておらず、働きたくないのかそれとも働き口がないのかはよくわからないが、とにかくこういう仕事にも金にもありつけない若者が、ソウル駅周辺にはたくさんいるんだろうなということが作中の描写から窺える。




 物語は、ゾンビが発生したところから2つの視点に分かれる。 主人公ヘスンの視点と、ヘスンの彼氏およびヘスンの父の視点だ。

 ゾンビ発生時、彼氏と喧嘩別れしたヘスンは街角で途方に暮れており、彼氏の方は、ネットの掲示板で娘の売春広告を見つけて連れ戻しにきたヘスンの父親にブン殴られそうになっていた。


 ヘスンは成り行きで一緒になったホームレスのおじさんとソウルの街を逃げ回り、彼氏とヘスンの父は、ヘスンの父の良い車でヘスンを探し回る。 ヘスン側の視点は見ていて非常にハラハラしたが、彼氏と父親の方は、体格の良い父親と車がゾンビとの戦いで頼りになりすぎて、見ていてかなり安心できた。




 ところで物語の中盤、街の外に繋がる道が警察によって完全に封鎖されているシーンがある。

 私はこのシーンについて、韓国政府がゾンビの被害を最小限に抑えるために市民を見殺しにし、感染の有無に関係なく全員閉じ込めているのだと思っていたのだが、他の考察サイトを見てみると、どうやら私の解釈は半分間違いで半分正解らしい。


 警察組織はゾンビの異変に気付いていたわけではなく、ゾンビから逃げてパニックを起こす集団を、反政府デモだと勘違いして鎮圧しようとしていたようだ。 しかし途中で、その鎮圧部隊の指揮権は警察から国営軍に移ってしまう。

 おそらく後からやってきた軍の目的は、さっきの私の推測どおりソウル駅周辺からゾンビを逃がさないようにするため、脱出を試みるものは片っ端から殺してしまうことなのだろう。 実際この後、ヘスンと行動していたホームレスのおじさんは軍に射殺されてしまう。



 最後、一人でゾンビから逃げ延びたヘスンは、モデルルームの展示場のようなところに辿り着く。 ゾンビ発生より前から閉館し、戸締まりがされていたそこにはゾンビが入っておらず、ヘスンはそこで彼氏と連絡を取り合い、ようやく父と彼氏と落ち合うことができる。




 ここが! ここからがこの映画の肝である。 まだこの映画はNet flixで配信中なので、見るつもりのある人は、以下の文章は読まない方が良い。




 ヘスンを見つけるため、死に物狂いでゾンビの蔓延る街を駆け回ってきたヘスンの父であるが、実はこの男、ヘスンの父親ではなかったのである。

 あれだけヘスンを助けるために頑張ってたのに、じゃあコイツ誰!? という話であるが、この男はヘスンが彼氏と出会う前に逃げ出してきた風俗店の店長なのだという。 ヘスンを店に連れ戻して働かせるために、ここまでヘスンを追ってきたのだ。


 序盤の方から、ヘタレで頼りない彼氏を叱咤しながら、ゾンビを車や鈍器でぶっ飛ばしていくヘスンの父(偽)は見ていて本当に頼もしく、命懸けでヘスンを助けに行く彼を私はめちゃくちゃ応援していたので、この真実を初めて知ったときのショックは相当大きかった。 絶望の疑似体験といっても過言ではない。

 しかしよくよく思い返すと、確かに作中、ヘスンと電話で会話するのは彼氏だけで、ヘスンの父(偽)は娘の安否は気にするもののヘスンの声を直接聞こうとは一度もしていないのである。


 最終的にこのヘスンの父(偽)は、実は逃げる途中でゾンビに感染してたヘスンに殺されて、国営軍も駅周辺だけにゾンビを押しとどめておけず、ソウルの街が炎と阿鼻叫喚に包まれていく遠景でもって、物語は幕を閉じる。




 この映画の基本骨格は『ゾンビ』であるが、そこに『社会風刺』と、ヘスンの父が父じゃない『どんでん返』しと、もう一つ 『因果応報 』 を、要素として含んでいる気がする。


 はじめにも言ったとおり、この映画はホームレスや貧しい若者といった貧困者の視点で描かれていて、ソウルの街の仕事を持った立派な人々は、彼らにひどく冷たい。 助けを求められても適当にあしらったり、怒鳴り返したりする人ばかりなのだ。

 ホームレスのためのシェルターは小さくて職員も少なく、政府が彼らのために十分な支援を施しているとは言い難い。 韓国の社会全体が、弱者に無理解かつ厳しいということが、特に冒頭では強調して描かれている。


 ゾンビ・パニックが始まったときは駅や周りの店も閉まるくらいの夜であったため、家のある人たちは終始閉じこもることで難を逃れることができただろう。

 しかし逃げ込める場所を持たないホームレスたちは凶暴なゾンビたちになす術なく殺され、瞬く間に膨大な数となった。 もし社会のセーフティネットが発達していて、ソウル駅周辺の路上で寝起きしなければならない人が少なかったなら、パニックはもっと小さい規模のうちに制圧されたかもしれない。 しかし劇中では、ゾンビ化し、法律や倫理の枷から解き放たれたホームレスたちが駅員を襲い、警察を襲い、軍の兵士たちを襲い、権力を持つ幸福な強者たちを次々と食い殺し、虐げる側と虐げられる側を大きくひっくり返すのだ。


 主人公のヘスンについても、腕力も守ってくれる人もなく、道具のように扱われていた若い女性が、最後は女性を食いものにしてきた風俗店の店長を食い殺してしまう。


 そういう、「社会的弱者を放置したら、いずれ強者ごと共倒れしてしまうよ」という、中流~上流層への警告も、この映画には込められているのかもなぁと私は感じたわけである。




 ところでこの映画では、ゾンビ・パニックへの政府の冷酷すぎる対応から、国民の政府に対する不信感が見て取れた気がするが、我らが祖国は、もしこんな事態に陥ったときどうするのだろうか?


 多分、ゾンビから逃げようとする市民を警官隊が押しとどめるくだりは、反政府デモ鎮圧での実際の様子を参考にしているのだろうが、日本だと鎮圧されるほど大きいデモがほぼ起きないため具体的なイメージが浮かばない。

 数年前、住んでいた学生寮に2回くらい機動隊が乗り込んできたことはあったが、彼らは一部の寮生と押し合いへし合いをする程度でそんなに暴力的な雰囲気にはなっていなかったような気がする。


 日本映画でゾンビ・パニックと言えば、大泉洋主演で映画化された『アイアムアヒーロー』であるが、この話だとゾンビの感染拡大が早過ぎるのと、対応に向かった警察や自衛隊からゾンビになるので官憲の存在感が非常に薄かった。

 (ちなみにアイアムアヒーローの原作はめちゃくちゃ面白いが、結末がやりきれなさすぎて私は辛かった。)


 他に、ゾンビに限らず日本中が脅威に晒される系の映画だと、小日向文世主演の『サバイバルファミリー』(ある日突然地球全土で電気が使えなくなる)、あとは庵野秀明が総監督・脚本を手がけた『シン・ゴジラ』(ゴジラが来る)、あとは小松左京原作の『日本沈没』(日本が沈没)あたりだが、シン・ゴジラと日本沈没はパニック映画というよりは災害映画であるためむしろ政府あるいは政府に近い人たちの視点が主であり、サバイバルファミリーの方はタイトル通り家族の絆に主眼をおいていて、官憲はほぼ出てこない。


 日本だとやっぱり、官憲が市民に対して行使できる権利の範囲がたぶん他の国に比べて小さいので、自衛隊や警察が集団で一般市民を傷付けるシーンは我々も想像がしづらく、フィクションでもそうそう出てこないのかもしれない。




 ………………、


 ………………、


 ………………楽しい!!!




 映画の感想話すの、楽しい! 久々に心が潤う感じがした。

 やはり人間、ちょくちょく思っていることを話して聞いてもらうのは健康増進のために不可欠なのだ。 1000字くらいにしておくつもりが4500字くらい話してしまった。

 聞き手の体力を考えるとやはり2000字前後が限度な気がするが、まぁ、いいだろう! 初回だし!


 諸君、次回もよろしく頼む!!

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