病は腰からも

 24年間の人生で縁(えん)も縁(ゆかり)もなかった仙台で突如働き始めることになってから、いつの間にか2年の月日が経っていた。


 仙台はいい街だ。色々な思い出が出来た。


 おいしいと評判のご飯屋さんを回ってみたり、ジムに通って太ったり痩せたり、あとは当時付き合っていた彼氏が、片道12時間かけて私を振りに来たり……このブログで話した思い出で言うとそんなところだが、本当は学生時代の同期と加美町へキャンプしに行ったり、秋保の温泉に繰り出したり、Youtuberのライブに行ってみたり、宮城を飛び出して青森のねぶた祭に参戦してみたり、結構いろいろやっていた。




 そして現在、26歳になった私は、そんな思い出いっぱいの仙台を離れ、これまた26年間の人生で縁(えん)も縁(ゆかり)もなかった大阪府箕面市で働き暮らしている。


 箕面市はいい町だ。多分、そうだと思う。


 コロナ禍の影響でロクに出歩けないので、正直細かいところはまだよくわからない。しかし、箕面山の沸き立つような緑と、丁寧に耕された田畑が混じり合うこの町の風景を、私は既に気に入りつつある。


 仕事の都合で箕面には1年程度しか居られないのだが、その分いっぱい遊んで、仙台の2年間に負けないくらいたくさんの思い出を作っていこう!─────そう思っていた矢先、コロナ禍もまだ明けないうちに、この箕面にて新しい思い出が一つ増えた。






 先日、ギックリ腰を発症した。






 あまりにも突然の出来事だった。タイツを穿こうとして片足立ちでかがんだ瞬間、右脚の膝から腰にかけて、鈍い電流が走ったのだ。最初はただ攣っただけかと思ったが、いつまでも引かない痺れと段々増していく痛みに少しずつ事の重大さを悟り、それから10分ほどの間、私は両足をつくことはおろか床に倒れ込むことすら出来なかった。股関節がまるで硬いゴム製になったような感覚で、痛いとか以前にほとんど動かせなかったのだ。




 幸い我が家にはキャスター付きのリクライニング座椅子があったので、なんとかそこに乗り上げた後は、仰向けの姿勢のままで部屋中を自由に移動することができた。しかし、それでもほとんどの日常生活動作は制限された。洗面台に届かないので顔は洗えないし、服を自力で脱げないのでシャワーも×だ。便器によじ登るようにしてトイレはなんとかクリアできたが、食事の仕度と買い出しはできなかった。掃除と洗濯も同じだ。




 ギックリ腰は回復が早いので、私も1日半経つ頃にはどうにか自力で立って歩けるようになったが、起きている時間にして16時間、床上40cmの世界を生きた経験から、ここに自分への戒めおよび備忘録および、僭越ながらこのブログをご覧いただいている皆様方へのアドバイスを残そうと思う。




①非常食は下に置く。


 まず私は災害時に対する危機意識からして低かったし、自分が倒れて歩けなくなる事態など考えたこともなかったので、非常食の準備を一切していなかった。その上、普段からまとめ買いしている2Lペットボトルの水は場所を取らないように洗面所の棚の上に積んでしまっていて、立てるようになるまで手が届かなかった。


 まぁ、今は春で、私は若く健康な人間だったために今回はそこまで切羽詰まらなかったが、もしこれが夏で、倒れた理由が脳梗塞や肺炎だったら、脱水などで死ぬ危険もある。


 真剣に、非常食は台所の下とか棚の最下段など手の届きやすい場所に、最低限の量だけでも取り置いておくことをおすすめする。




②スマホを高いところに置かない。


 ギックリ腰を発症する直前、あろうことか私は、スマートホンを本棚の上段に置いていた。立っているときは目の高さで置きやすかったが、床に寝そべった状態から見る本棚の下から5段目は、最早ほぼ天井である。手が届くわけが無い。今回はギックリ腰だったが、何かもっと一刻を争うような病気を発症した場合に備え、スマホはなるべく手に取りやすい場所に置くように心がけようと思う。




③衛生用品を用意しておく。


 今回地味に辛かったのが、立てるようになるまで歯を磨けなかったこと、そして風呂に入れなかったことである。私は普段あまり使わないのだが、洗面所の下などに汗ふきシートやマウスウォッシュなど、少しでも体をキレイにできるものがあると良いかもしれない。






 以上、こんなところだろうか。


 長々と700字近くも使って語ったが、これらのアドバイスは、たった一つの条件によってほぼほぼ要らないものとなる。同居人の存在である。


 家族か、恋人か、あるいは友人か何かと一緒に暮らしていれば、たとえどんなに仲が悪かろうと119番通報くらいはしてくれるだろう。優しくて面倒見のいい人なら、ご飯を買ってきてくれたり、体を拭くための蒸しタオルなんかも用意してくれるかもしれない。




 ギックリ腰になった日の夜、私は久々に一人が嫌になって泣いた。こんなに辛いのに、誰も手を握っていてくれないことが心の底から悲しかった。いつか家族が死んで、友だちが離れて、誰にも必要とされない自分になる未来が怖くて仕方がないのに、頭を抱えてうずくまることさえできなかった。めちゃくちゃに腰が痛かったからだ。



 腰が痛い、食べ物もない、風呂に入れなくて気持ち悪い。そんなコンディション最悪の夜、私は1人めそめそと泣いて、自分を責めたり慰めたりしながら、頭の中で色々な理屈をこね回した。次回はその理屈の内容についてお話ししよう。

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