第46話虚ろなる騎士

 中世も大分終わりに差し掛かったころ、フランスの片田舎。とある若者がそこにはいた。




 いや、ともすればそれは若者ではなく、単なるバカ者か。小さな領地、その領主の息子。端的に言って、彼は気が触れていた。


 幼い頃から本が好きで、色々な本を読んでいた。本は良い、知識の集合体だ。しかし、彼は取りつかれたように、ではなく、実際本に取りつかれていた。




 具体的には、物語に。




 彼の心をつかんで離さなかったのはアーサー王伝説だ。素晴らしい騎士の伝説。旅をして各地を巡り、自らの武勇を頼りにあくなき探求を続ける。そしてどんな困難にも負けることなく突き進むのだ。自らの命が果てるまで。




 困ったことに、彼は物語の騎士に憧れてしまった。




 可愛い子供の夢であったなら、それは許容されただろう。しかし彼は何と言えばいいのか、青年になっても夢を追っていた。いや、それは最早夢と呼べるような可愛いものではなく、愚かな妄想。


 飾りの剣を振り回し、兜は鍋で盾は蓋。馬にも乗れずに騎士を目指し、いもしない姫君をありもしない悪の手から救い出すとのたまう。




 両親は心と頭を痛めた挙句、彼を川近くの小屋に押し込んだ。下女を一人付けて。




 人里から隔離された彼は、しかしその妄想をやめる事はしなかった。円卓を目指す彼にとって、これは神によって与えられた試練の時。




 強くならねばならない、いつか来る遍歴の時を夢に見ながら。


 彼は刃の無い剣を振る、やがて来る悪との対峙を夢想して。




 水辺に佇む小屋は、彼にとっては騎士を育むル・フェイの住処に映った。ならば自分はル・フェイに愛される騎士そのものに違いない。


 夢を心に誇りを胸に、彼は日々鍛錬に勤しんだ。




 愚かな夢に溺れる狂人、ジェラール・ド・リドフォール。彼はもう、自分の名前すらも覚えてはいない。










 門を通って扉をくぐり、出た先は大広間であった。城塞にしてはチグハグな作りをしている様に感じたが、城主の意向ならばケチの付けようもない。




「うわぁ、綺麗。」




 ミリアムが思わず感嘆の声を上げた。緊張感が無いように思えるが、ジョンやセリエも内心ではそう思っていた。この大広間、かなり豪奢な作りをしている。




「そう言っていただけると、こちらも嬉しい限りだよ。お嬢さん。」




 奥から声がした、若い男の声だ。皆一様に武器を抜いて身構える。声の先には一人の男が佇んでいた。品の良さそうな顔立ちで、線が細く色白だ。妙な事だが、室内だと言うのに真っ黒なマントを身にまとっている。寒いと言う訳でも無いだろうに。




「ノックをするべきだったかな?いかんせん育ちが悪いもんでね。黙って上がり込んじまった。」




 お道化てジョンが言う。相手の対応を見たいと言った所だろう。盾は男に向けて右手にはしっかりと剣を構えている。




「いや、構わないさ。君たちがここに来ることは分かっていた事だからね。」




 明るい大広間の中で、その男の周りだけが暗く沈み込んでいる様に見えた。武器を持っている様には見えず、無防備な様にも思える。




「私の名前はクリスチアン・タルボット。ここの主だ。以後、お見知りおきを。」




 手を前にして軽くお辞儀をする。慇懃にも見えるが、こちらを油断させるためにわざとそう振舞っていると言う節が強く感じられる。




 とは言え、名乗られたならばこちらも名乗るべきだろう。ここに来るまでに散々な目に遭わせられたが、それでも礼節を忘れてはならない。一応話も出来そうではあるし。




 と、アルベールは思った。




「紹介、痛み入る。私の名前はアルベール。そして・・・!」




 そこから先は言葉にならなかった。




 クリスチアンに皆の目が集まった瞬間、それは起こった。突如として体がしびれ、自由にならなくなったのだ。会話を誘っておいて何らかの術にかけたというのは理解できたが、何の術かは分からない。異界の者であればこちらの世界で魔術は使えないはず。その先入観もあり、完全に虚を突かれてしまった。




「あぁ、君たちは名乗らなくていいよ。もう知ってるしね。」




 クリスチアンが一歩引き、その奥から一人の男が出てくる。




「やぁやぁ初めまして、私の名前はニーグルム。先だってはアスワドが世話になったようだね。短い付き合いになるとは思うけれど、どうぞよろしく。」




 ニーグルムと名乗った男は前に進み出る。服装はアスワドと同じ、黒一色だ。




「クリスチアン君はヴァンパイアでさ、って言っても分からないか。まぁいいや。とにかく、彼は麻痺の邪眼っていう能力を持っていてね?目が合った人を動けなくすることが出来るのさ。便利だろう?」




 得意げに語るニーグルム。しかしクリスチアンの方はうつむき加減だ。気乗りしないと言った感じが見て取れる。どうやら向こうは向こうで何か事情があるらしかった。




「数日前に団体さんが来たんだけどさ、面白い位に一網打尽に出来たよね。彼の邪眼がこちらの世界で効果があるのかどうかのテストだったんだけどさ。バッチリだったよ。ついでに向こうから持ってきた道具が効くかどうかも試させて貰った訳。」




 こちらが痺れて動けないのをいい事にニーグルムはペラペラと気分よく喋り出す。アルベール達があっさりと術中にかかった事に気をよくしたのだろう。




「マンドラゴラって言う植物があるんだけどさぁ、抜いた時に絶叫を上げるんだよね。その声を聴いた者は瞬時に死に至るんだけどさ、これも大成功。二百人もいたのに一瞬で全滅さ。いやほんと、いい余興だったよね。」




 ニーグルムの口が止まらない。これだけ話すという事は、アルベール達を生かして帰す気はさらさら無いのだろう。当然の事とは思うが。




「口上もその位にして貰おうか、ニーグルムとやら。」




 ニーグルムの話を遮る者がいた。ジェラールだ。




「おやおや、黙っていればその分長く生きられたのにねぇ。風車の騎士は我慢が足りない。」




 ニヤついた顔でニーグルムがジェラールに向き直る。




「その麻痺の邪眼とやら、どうやら私には効かなかったようだな。無抵抗のまま皆殺しにしようと言うお前の目論見は早くも破れた。最早言葉も不要。行くぞ、ニーグルム!」




 剣を構えてジェラールは駆ける。見てみるとマリオンも術にはかかっていないようだった。しかしマリオンは知識はともかく戦闘能力は無い。




「ニーグルムの動きに気を付けて、ジェラール。多分彼は私達だけ敢えて術にかけなかった。」




 しかしマリオンは洞察力がある。武勇はジェラールに、知恵はマリオンに。ジェラールが考え無しと言う訳では決してないが、彼らは二人で一つと言う節がある。




「おや、水辺の妖精は意外と聡明なのかな?とてもとても、ただの下女とは思えないねぇ。」




 ジェラールの剣戟を、同じくニーグルムは腰の剣で受け止める。ジェラールの剣は重い、それを片手持ちの剣で受け止め切った。アスワド同様、ニーグルムもやはりただ者では無いのだろう。




「貴様、マリオンを下女と宣うか!」




 ジェラールは剣を引き盾でニーグルムを弾こうとする。しかしニーグルムは素早く後方に下がりこれを難なくかわす。




「おいおい、風車の騎士は物忘れだねぇ。自分の名前、覚えているかい?」




 ニーグルムのニヤつき顔は収まらない。むしろこれから起こる事を想像して止まらないと言った風だ。




「何を言うかと思えばそんな事。いいか、よく聞け。我が名はジェラール・ド・リドフォール。リッシュモン王国は国王フィリップ陛下の第一の騎士だ。」




 胸を張ってジェラールは言った。地位まで言う必要は無かったと思うが、彼にとってこれらはセットなのだろう。




 これを聞いてニーグルムはにやつき顔を更に膨らませ、とうとう堪え切れないと言った風に大笑いをしだした。




「あは、あーはっはっは!いいねぇ、そうだよそう。それが聞きたかったんだ。でもさ、思い出せよ。君は本当に騎士だったかい?思い込んだ君の名前は、本当にそれが本当かい?」




 痺れて動けないアルベール達はニーグルムが何をしようとしているのか直ぐに分かった。ジルベルタの時と同じように、きっと彼もまた何か事情を持っているのだ。ニーグルムはそれを暴き、ジェラールを無力な存在へと貶めその上で殺そうとしているのだと。




 しかし今、アルベール達には何もできない。麻痺の邪眼の力は強く、声を満足に出すことも出来ない。魔術による癒しを試みようにも、集中が出来ない。




「何を言っているのやら、確かに騎士となったのはこちらの世界に来てから。それまで私はマリオンの水辺の住処でひたすら修業に明け暮れていたのだからな。なぁそうだろう、マリオンよ?」




 ジェラールは顔だけマリオンの方に向ける。少し距離をとって会話を挟んだ。ニーグルムは話好きな様で、会話の途中に攻撃行動はとらないようにも思えた。




「う、うぅ・・・」




 マリオンは頭を押さえる。何かしらの攻撃をされたようには思えない、ニーグルムの言葉に動揺したのだ。しかし、ジェラールならばともかく彼女が何故?




「どうしたのだマリオン。おのれニーグルム、マリオンに何をした!」




 ジェラールが動揺する。自分ならばいくら傷つこうがそれは彼にとって勲章だろう。しかし愛するマリオンが何かに傷つけられるようなことがあれば、それは彼にとっては最も我慢のならない事だ。




「いやいやいやいや、私は何もした覚えがないけどねぇ。敢えて言うならさぁ、彼女の心にあるうしろめたさとか?そういうのじゃないかなぁ?だってほら、思い出してみなよ。彼女は本当に、水辺の妖精だったかい?」




 ジェラールは鈍いのかどうか分からないが、反応を見るにどうにも時間がかかりそうだった。しかしマリオンの方には効果てきめんだったようだ。ニーグルムはすかさず攻める方向をジェラールではなくマリオンに変更する。




「マリオンマリオン、君なら思い出せるよねぇ?」




「いや・・・やめて・・・・・」




 頭を押さえて座り込んでしまうマリオン。それを見て駆け寄るジェラール。そして彼らのそんな姿を見てにやにやと愉悦を隠そうともしないニーグルム。




 クリスチアンは椅子に座ってただ黙ってその様子を眺めてた。

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