魔術世界の日常生活

天照てんてる

第1話 ある家族の風景

 父親は一般企業の課長、母親は専業主婦、一人娘はこの春から高等魔術専門学校の1年生になったばかりの、どこにでもありそうな一般のご家庭。


 高等魔術専門学校とは――現代日本でいうところの高等専門学校、いわゆる高専である。就職のために特化したカリキュラムをこなすために5年間通う、少し変わった学校だ。もちろん、中等部の成績がよくなければ入れないので、この家庭の一人娘は成績優秀だったのである。




 ある朝の風景。


「お父さん、ユキちゃん、ごはん作るわよ」

「あぁ、俺は軽くでいいや、卵かけご飯かな」

「あたしはトースト! バターたっぷりね!」


 母親はキッチンに立ち、まずは炊飯器に米と水をセットして、蓋をしたら呪文の詠唱を開始。と同時に冷蔵庫を開ける呪文と、卵を取り出す呪文の詠唱もしている。有能な専業主婦なら、これくらいのことは当たり前にこなすのがこの世界の特徴である。


 魔術ですぐに炊きあがったごはんに卵をかけて、卵かけご飯の完成。


「お父さん、醤油は食卓にあるから、これでいいわね?」

「あぁ、いつも手際が良くて助かるよ。いただきます」


 トーストの方はもっと簡単だ。この世界にオーブントースターや電子レンジといったモノはない。冷蔵庫も、魔力の蓄積による冷却器でしかなく、電源ケーブルはどこにも見当たらない。


 冷凍庫を開けてパンを取り出し、冷蔵庫を開けてバターを取り出し――もちろんすべて呪文の力でだ――冷凍されたパンの上にバターを乗せたら、トーストするための呪文の詠唱。


 またもあっという間にバターたっぷりほかほかトーストの出来上がりである。憎らしいことに、焦げ目まで付いている。


「あぁ美味しい。母さんの作る料理、ほんとサイコー! あたしももっと呪文使えるようになって、これくらいてきぱき料理できるようにならなきゃね!」

「高等魔術専門学校にまで入れたんだから、頼むよ?」

「食べ終わったらあなたたち、自分で片付けくらいはできるわよね?」


 食べ終わったあとの片付けも、もちろん魔術で片付けるのだ。水洗いなどしない。汚れる前の状態に戻す呪文を、父親はすらすらと、娘はたどたどしく詠唱する。


 娘のほうが詠唱がたどたどしい分だけ時間はかかったが、どちらの食器もまるで新品同様に輝いていた。


「それじゃ母さん、会社まで車で行くけど、どこか乗せていってほしいところは?」

「今日は特にないわね、ありがとう」

「あたしは入学準備があるから、家にいるよ~」

「そうか、わかった。じゃあ、行ってくる!」


 車――もちろん魔術によって動くモノだ。魔力が足りなかったりすると免許は取れないし、いざ免許を取ったはいいが呪文の詠唱が遅くて曲がりきれないなどという恐ろしい人間も存在するので、ある意味命がけの運転になることは、現代日本とさして変わらないのだが、この世界では空を飛ぶ交通手段はまだ開発されていなかったので陸路を行くしかないのであった。


「あら、お弁当忘れてたわ。急いで届けなきゃ」


 普通なら、車もなくどうやって届けるのだ、と思うところであろう。ただ、彼女の魔力は結婚前には起業家としてやっていけていたほどのモノなのだ、忘れ物を相手の居場所に届けるなど、容易たやすいモノなのだった。


 彼女はささっとお弁当を作ってしまい、携帯電話のようにも見える、テレパシー送受信補助装置で彼に連絡を取る。


「あぁ、お弁当! すっかり忘れていたよ。ここまでテレポートさせることはできるよね?」

「位置情報さえ送ってもらえれば、すぐにでもね」

「わかった、じゃあよろしく頼むよ。後部座席に届けておくれ」


 彼女の手の中にあった弁当箱は、神々しい光りに包まれたかと思ったら、消えた。そして、彼の運転する車の後部座席には、紛れもなくその弁当箱が光とともに現れていた。


 ユキの心中は複雑だった。


 自分にそんなに魔力があるのだろうか、と。


 本格的に魔術の教育を受けたこともない15歳が不安に思うのも仕方ないのだが、あと5年でどうなるのか、ユキは不安に押し潰されそうになる気持ちと闘う毎日を過ごしていた。

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