第49話 Survivor

この地獄みたいな世界でも、ほんの一握りの幸せを求めて。

今日を確かに歩んでいく。

摩天楼から一転、周りの景色は夕暮れの中にいる。

移ろいゆく季節の狭間。

その狭間に聳え立つのは嘗ての母校。

甘酸っぱくて、ほろ苦く、ちょっぴり大人な味の恋の季節に。

互いの想いが交錯するこの校舎は、どこか懐かしい匂いがする。








階段を上る音がする。

カツン、カツンと大袈裟な音が響き、暗い黄昏に色々な色が灯っていく。

鮮やかな色が灯って、目の前で露わになるのは懐かしい校舎の禁じられた屋上へ続く階段。

禁じられた理由はわからないが、多分飛び降りなどの危険な行為を未然に防ぐためであろう。

しかし、今まさに誰かによって開けられたその階段を遊は上っている。

こんな時間に、屋上を解放する誰かさんの正体も、その目的も遊には何となくわかった。

叶依が告白のためにわざわざこの場所を用意したのだろう。

シンデレラを夢見ロマンチストる者が、屋上なんてベタなことを考えたのだと。

そう考えると、ストンと腑に落ちる。

欠けたパズルのピースを埋めるように当て嵌めていくと、それ以外に考えられない。

彼女の邪魔はしない。

出歯亀をしようと積極的な意思もない。

しかし、見届けなければ帰れない。

だから、失礼を承知で見物する。

邪魔をしたくても出来ないのだろうが、仮に出来たとしても息を殺してただ耳を澄ますだろう。

何が起こったのかを知る権利は———否、把握する義務はある。

だからこそ、遊は内面的な切迫感に駆られて階段を駆け上がっていくのだろう。

息を切らしながら、長い階段を駆け上がっていく。

暗い外の景色が、夜に登っていくような気分を引き立てて、夜が訪れることに心が躍る。


「──叶依、一体どうしたんだ?こんな遅くに、屋上なんかに来て」

「──櫻翔君…実は、その、話したいことがあって」

「やっぱり、…何かあったのか?」

「あぁ、いえ、その…そのことなんですけど…————ごめんなさい、実はあの子たちは悪くないんです。全く、これっぽっちも」


どうやら、一世一代の告白が始まったらしい。

歯切れの悪かった言葉は、覚悟が決まったのか次第に覇気のある言葉に。

扉の奥から聞こえる声に、遊は耳を澄ませる。


「は?いやでも、叶依はいじめられて…」

「事実はそうじゃありません。それは櫻翔君に声をかけて貰う前から、気付いてました。悪いのは私だから。気付いていて、櫻翔君が勘違いしていることをあえて訂正しませんでした」

「どう言う…?」

「私は、あなたに振り向いて欲しかった。私はあなたさえいればそれでよかった。その為なら何でも出来たし、化け物にだってなれたし、世界を差し出しても良かった」


普段の物腰丁寧な口調を少しだけ崩して、根源の怪物欲望が貌を覗かせる。

他人から見たら、鳥肌が立つ程の醜さを。

曝け出されたその怪物の貌に怯んだのか、それとも信じていたものが呆気なく覆って放心しているのか絶句しているかのような雰囲気が感じられる。

事実、彼はきっと絶句しているのだろう。

まずそんなことありえないと疑うのが常識だ。


「だからみんな私に近づかなかった。それに、私が彼女たちの邪魔をしたから、彼女たちは怒ったんです。当然ですね。逆の立場だったら私だって怒りますもん。だからこそ、私はそうしたんですけど」

「邪魔?…一体?なんの邪魔をする必要が」

「ふふ。そんなのひとつに決まっているじゃないですか」


世界がスローになる。

感覚が研ぎ澄まされ、その一言を聞き逃すまいとする。

多分、遊もそうであったし、櫻翔もそうだったであろう。

叶依の次の一言に関心が集まる。


「恋路に運命の人以外はいらないんですよ」


怪物は少しづつ、少しづつ、全貌を顕にして欲望に忠実に喰い散らかそうとしている。

遊は、その他の大勢は怪物を嫌悪し早々に封印を施したが彼女は違うようだ。

欲望をぶら下げ、飼い慣らす。

醜悪の権化を認めて、そうして首輪をつける。

そうして、自らには牙を剥かないように躾をし、自らは欲望のままに行動する。

もしかしたら、自分自身が怪物であると言うことを認め、怪物になったのか。

どちらにせよ、そうすれば皆が離れていくのは必然だ。


「恋路…?それって————」

「そうです。私は…いいえ、私たちは、あなたが好きです。あなたの親切な態度も、抜け目ないように見えておっちょこちょいな性格も、誰に対しても差別しない生き方も、もちろんそのルックスも。全部、全部、大好き。この世界の誰よりも、あなたのことを愛してます。私が一番、愛しています。愛して、いとおしくて、愛したくて、恋しくて、狂おしい。好きで、好きで、堪らない。恋に恋なんて陳腐なものじゃなくて、もっと運命的で、もっともっと情熱的な恋」


内に篭る熱を吐き出すように。

触れただけで火傷しそうなほど熱い想いを吐露する。

いっそ狂っていると否定したい、できたのなら楽な程の辛い現実が彼を追い詰める。

向けられた言葉の刃がいつ、その凶悪な牙がいつ、自身に牙を剥くかわからない。

今は決して向けられてはいないがいつ向けられるかわからない。

失望されたら、興味を失われたら、そう思い悩むことだろう。

今は絶対にないと言いきれるが、永遠の普遍性はない。

彼は、どう考えているのだろう。

彼は、どう彼女に言うのだろう。

返答の仕方次第では、遊が介入せざるを得ない。

閉ざされた扉を蹴って彼女に伝えなければならない。

この世にはまだまだ素敵な事があるからと。

責任を取らねばならない。

それがどんな困難に立ち向かうと誓った代償であり、彼女に諦めろと言った責任だ。


「理解が、追いつかない。叶依は、みんなから嫌がらせを受けていたんじゃ?」

「嫌がらせ、と言うよりも報復ですね。目には目を、歯には歯を。古くからの人間の性ですよ。やられたらやり返す。嫌がらせではなく、やり返しているだけ。そうして、過剰な報復を抑制する言葉」

「悪いのは…?」

「喧嘩…とかいう可愛げのあるものだと仮定して、ですけれど喧嘩両成敗という考えを捨て去れば、先に仕掛けた私ですね。あなたと触れ合える特別な機会を奪い、独占したんですから」

「どうして、なぜ、そんなことを…?」

「あなたを確実に手に入れる為。そのためだけですよ。あなたの為なら、私は神だって撃ち落とす。そういう覚悟です」


一個人に向けるには重すぎる感情。

それは脅威から個人を守る城壁となるのか、それとも粘着し、閉じ込める牢獄となるのか。

言葉とは話し手の意図に関係なく、受け取り手がどう感じたかで決まっていく。

例え叶依の愛が本物でも、櫻翔に伝わらなければ意味がない。

伝われば、もうその歯牙からは逃れられない。


「わからない、わからないな。理解できない…」

「何がわかりませんか?」

「全部、全てがわからない」

「私は、あなたが好き。それじゃダメですか?」

「叶依が、俺のことを好きだって言ってくれるのは嬉しいよ。だけど、それなら普通に好きって言ってくれれば、それでよかったのに。どうしてみんなを不快にするような真似をして…本当にどうしてなんだ!?本当はいい子なのに…さっきだって、楽しそうに笑って、辛そうにしてて、そして…そして他人をおもんぱかることができていたのに」

「では… 櫻翔君は、もしそんな普通な私が普通に告白したら、受け入れてくれましたか?」

「そんなの———」

「言うまでもなく、きっと無理ですよ。私みたいな地味子なんて。毎日顔を合わせなきゃ忘れられてしまいそうな私じゃ、王子様には釣り合わないんですよ。たった一度きりの舞踏会で王子様を射止めたシンデレラと違って。着飾っていないシンデレラなんてただの灰被りですから。魔法使いが居なきゃ踊る機会すら巡って来なかったかもしれません」

「それにしたって、あんなことまでする必要は…」

「1%でも、失敗する可能性が低くなるなら私はその方法を選びます。私は、私の気持ちは、私の愛は、妥協できるほど安くない」


キッパリと言い切るその声音で、真剣ということが窺える。

しかし、真剣味が伝わったところで、何かが劇的に変わる訳ではない。

心意気がどうだろうと、どんな理由があろうと殺人が忌避されるのと同じで。

苦しまないように優しく絞め殺しましたなんて言われても、殺したことには変わりない。

殺人鬼の言葉が酷く狂ったものに聞こえるように。

彼女の言葉は、心は、歪んで伝わる。


「そんなの、認められない。他人の幸せを壊して、願いを打ち砕いて、その残骸で幸せを組み立てるだなんて、俺は認められない」

「──ッ!」

「だから、ごめん。告白の返事はNOだ。その気持ちは受け取れない。他人から盗った幸せで俺は生きては居られない」


そのまま一言も交わさずに、ただ距離を開ける足音だけが聞こえる。

その背に呼び止める声も掛からない。

ひとつしかない足音は遊のいる扉の方に近づいてくる。

そのまま扉が開き、遊の目にどこか思い詰めたような、裏切られたような瞳をした櫻翔が写った。

余程そのことで頭がいっぱいなのか、遊に気づかなかった様子で階段を降りていく。

それを尻目に遊は叶依の元に向かう。

一番星が漸く顔を出すような時間帯に、屋上で一人、彼女は大粒の涙を流していた。

星の輝きが、彼女の涙を照らしている。

涙を流すままにしていた彼女は、遊の姿を見つけると、慌てて目元を擦り、平然を装う。

やはり、悲しい結末になってしまった。

彼女に涙を流させた結末に、その後味の悪さに顔を顰める。


「遊、君…私、ちゃんと言えました…一から全て、伝えちゃいました」

「ああ」

「それで、私、私、フラれ、ちゃいました」


その言葉に耐えきれなくなったのかまた雫がこぼれ落ちる。

嗚咽が喉の奥底から微かに漏れて。

その姿を見た遊は近寄って励ます。


「大丈夫。あいつはこんなことで差別するような奴じゃないよ。俺が保証する」

「…はい」

「そもそも、なんだが。なんであんなみたいに聞こえるように言ったんだ?確かに嘘は一つも無かったが、真実よりも酷く誤解されるだけだ。どうしてあんな偏った事しか言わなかったんだ?俺は、まぁ確かにこれ以上こんな事を続けるのはまずいと言っていたが、何も馬鹿正直に俺の言ったように全てあいつに打ち明けなくてもよかったんじゃないか」

「…聞いて、いたんですね。…確かに、掻い摘んで話して、好きだと伝えれば、もしかしたら彼のいう通り受け入れてくれたかもしれません。でも、私はそれで、犯した罪の清算もせずにのうのうと幸せは享受できません。それで、些細な事で亀裂が走る関係で、幸せにはなれません。例え、今が辛くても、未来に笑えるように」


毅然とした表情で言い放つ。

それは遊にいうと同時に、自分に言い聞かせているようでもあった。

その言葉に、態度に、在り方に感銘を受けた遊は暖かい声をかける。


「そうか。すごく立派だな。そういうとこ、好きだぜ…それに尊敬する。やっぱり叶依はいい人だよ。…さぁ、あいつらが待ってるし、帰ろうか」

「…はい」


失恋を経験した後の家路は、笑い声に満ち溢れていたと言う。

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