第13話 主体性と醜態
スーっと音のない世界に大して大きくもない音は響いた。
どうやら向こう側の車両から車掌らしき人が来たらしい。
顔は透明な黒い色をしていてないも見えない。
鼻らしい膨らみはあるのだが、口や目に該当する部分が見受けられない。
いわばのっぺらぼう状態だった。
不思議なことにそんな人物を見ても不気味さも不快感も訪れはしなかった。
その人物は緑を基調とした服に身を包んでいた。
首元からタイプライターに取っ手の付いたハンドルをくっつけたのような機械をぶら下げている。
遊にはその服の知識はないが、なんというか車掌のようでもあるし、軍隊の服装のようでもあった。
首から提げているのは国民的神隠し映画から予想するに切符を確認するための機械だろう。
切符を入れてぐるぐる回すやつだ。
各席を回って二、三言会話をし、立ち去っていく。
それを繰り返しながらこちら側へとやって来る。
(あれ?やばくね?切符持ってないし…無賃乗車が…夢だろうけど、怖い、な。状況を説明したいけど、言葉通じるのか?)
もう既に遊を除いて二人しか残っていない。
絶体絶命のピンチだ。
走って逃げるにしても捕まえられるだろう。
というか怪しすぎる。
列車は既に最高速で走り出しており、止まる気配はない。
(いっその事カウボーイみたいに上に乗ってやろうか…いやあれ列車の貨物の部分か?…ええい、どっちでもいい!無賃乗車なんてするんじゃなかった!)
遂には残る二人も終わったようで車掌が最後の一人とばかりにこちらに向かってくる。
すると、どうした事だろうか。
途中で止まったかと思うと、手招きをし始めた。
手招きというよりは挑発のように人差し指を曲げる動作だ。
クイックイッ、と靱やかな指が曲がる。
少し貫禄が出ているのは服のお陰か。
入口に立ち尽くしていた遊は困惑した。
え、俺?と意味を込めて指を自分に向けたら、車掌だけでなく周りの客からも視線を頂戴した。
渋々と車掌の元へと行く。
腹を括り、どぎついお叱りを覚悟しながら。
すると、そのまま車掌の手で背をグイグイと押され、列車最前列の車両に連れてこられた。
怒られると覚悟していたのに全くの想定外の事態に混乱していると車掌が懐から一枚の焼印で封がされた封筒を出し、遊に握らせて去っていった。
太陽のように顕れ、嵐のように掻き回し、風のように去っていった。
それが車掌に対する遊の最終的な評価だった。
さも迷惑を被りましたとばかりにしているがあくまで悪いのは無賃乗車をした遊である。
「なんだよこの封筒。高級そうな焼印で封されてるけど」
渡されたのだから読もうと短絡的な思考で封を切る。
手触りの感触で中に入っているのは嵩張るものでは無いことが分かる。
中に入っていたのは何の変哲もない手紙だった。
折りたたまれた中身を取り出して広げ、読む。
『人として立派な事は果たして人間的に正しいことなのだろうか。他人から賞賛を受け続ける存在は果たして自分を持っているのだろうか。幸福を追い求める存在として活動しているのだろうか。誰かの都合のいい存在として、手駒として、操り人形として利用されていないか。自我を持って、道を進んでいるか。かつてはそんな疑問も感じなかった。だが、誰かの移し身だった俺を誑かす悪魔がいた。《もし》や《たられば》でものを語ってあるはずのない可能性の魅力を説いてきたアホがいた。その言葉は赤の他人から齎されるどんな正しい言葉よりも、俺の氷でできた心の芯を熱で溶かして行った。
荒唐無稽な夢を共に見る大馬鹿より』
一見、誰に向けたかは分からない手紙。
しかし、遊は知っている。
直接これを手渡されたから、という陳腐な理由ではなくて。
デジャブを感じる。
本能で理解する。
「これは元樹から俺への手紙か。ここは夢で、大切な記憶を思い出しているんだったな」
全て思い出した。
モヤモヤしていた気持ちが今は晴れやかだ。
心の奥底で燻っていた疑問がすっかり解消された。
これだ。
これなのだ。
教室でずっと座り込んで悩んでいたのは。
なにか大事なことを忘れていた気がした原因はこれだ。
あの時、結衣と出会ってからの記憶が今では鮮明に思い出せる。
手紙から目を離し、再度周りを確認する。
先程までは三十数人くらいいた乗客がこの一番奥の車両には十人未満になっていた。
「…えッ!」
その顔触れを見た途端に、声を出してしまうくらい驚いた。
前の車両よりも色や
千歌や叶依を幼くしたような人達がひとつのグループとなって談笑している。
誰も彼も表情も心做しか、明るい気がする。
それに、何より驚いたのは。
幼い頃の遊がいるのだ。
写真や映像なんかで見た、自分の姿だ。
自分という意識は、身体は、ここにあるのにあそこには別の形をした自分がいる。
不思議な感覚だった。
ドッペルゲンガーに遭遇したら、こんな心境になるのだろうか。
自分の制御を離れたところで、あるはずのない体が動いている。
しかし、ドッペルゲンガーと遭遇した時に描かれるようなおぞましさはない。
身体中に怖気が走る事もない。
本当にビデオでも見ているような気分だ。
少し、恥ずかしくすらある。
しかし、そう思ったのも束の間。
変わらず、千佳や叶依が遊と楽しそうに話している。
一度は恥ずかしさを覚えた筈なのに、今度はそれに言葉にできないような感情が芽生えるのを遊は自覚した。
それはスルりと胸から飛び出してきて、喉元を食いちぎり、脳目掛けて一直線に向かってくる。
ただ、なにか取り返しのつかないことをしたような気分になる。
これ以上ここを見るな、と思わず目を逸らしたくなるほど強く訴えかけてくる。
自分ではない自分が彼らと楽しそうに話しているのが気に食わない。
暗い感情が心の奥底の釜の中で燻るのを感じる。
その正体は分からなかったが、このままではいけないことだけはわかった。
理性ではなく感情で。
理屈ではなく本能で感じ取った。
これは決して人前で出してはいけない感情だ、と。
劣等感のように自虐的で。
敗北感のように内罰的で。
自己嫌悪のように自傷的な感情。
醜い人間の生々しい内面。
刺々しい攻撃的な負の感情。
目を逸らしたくなる醜態。
これ以上は耐えられないと遊は意識しないことにした。
別の場所に視線を向ける。
車両の一番奥には幼い頃の元樹らしき少年が背を向けて立っている。
その前にはいかにも厳格そうな眼鏡をかけた男性がいた。
遊はその人物を一度だけ、見たことがある。
高校の入学式に来ていた元樹の父親だ。
ただ入学式の時はここまで凄味は無かった。
なんというか、厳しくはあるが正しく導いてくれる指導者のような雰囲気だったのを覚えている。
もっとわかりやすく言うと、歳を取った大物俳優と言えばいいのか。
厳格とは言えども、決して気圧されるような剣呑な雰囲気を纏った人物では無い。
だがどうだろうか。
元樹らしき人物に向けられる感情は失望よりも憎悪が強い感情だった。
「何度言ったらわかるんだ。あそこではあの方が一番才覚に溢れていたのだ。他の者を差し置いてでもあの方の息子と縁を持つべきだ」
それは他人に対する向上のためのアドバイスでは無く、思い通りに事が運ばなかった事の鬱憤を晴らす為の悪口だった。
「それを不意にしてまで他の子と話すとは何事だ!…まぁ、恥ずかしがって誰にも話しかけられないよりはマシだが」
「ごめんなさい」
「はぁ…まぁいい。だが、元樹。何度も繰り返して言うがあの方々に挨拶するのが最優先事項だったのだ。それがお前の人生にとって最前の選択だ」
「はい…」
叱られてしゅんとするその背はこの車両にいる誰よりも薄く、黒かった。
その背を見て遊はやり場の無い憤りを感じた。
(なんだあれは…あいつの為って言って…人生においての自由を縛り付けるなんて…!)
そして何より。
(全くもってアイツらしくもない。言われっぱなしなんて!ガツンと言い返せ!お前の父親だろ!俺は自由だって叫べよ!何で背を向けて、縮こまって、必死に歯軋りしてんだ!嫌なんだろ!今の状態が!)
きっと効果はないだろうけど、今すぐ言ってやりたかった。
この出来事が変わらなくても、言ってやりたかった。
「――じゃあ、直接それを伝えたらどう?」
最近、また聞き慣れた声に釣られ、また遊は意識を落とした。
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