第47話 真実の担い手

「声援が、俺に力をくれたから、俺は折れてもここに立てる。応援があったから俺はまた立ち上がれた。挫折があったから強く在れた。追いかけるべき存在がいたからここまで走ってこれた。目標が、切磋琢磨が、現実が、悲嘆が、理想が、協力が…そして何よりお前が支えてくれたからそんな素晴らしいと思えるものに気づけたんだ。いくら俺が他人を救おうと、自分自身は救えない。救いは与えられるものだから。それと同様にお前はお前自身を救えない…だから、この手で。多くを救いあげてきたこの手でお前を救おう。一度きりの、英雄に」


自信に満ち溢れたその宣言はある種の盲目的な信念と傲慢さを纏って溢れ出す。

心は歓喜に震え、理性は危険だと促す。

依存するなと、ピーターパンにもシンデレラにもなるなと。

結衣は思わず胸を押さえる。

目頭が熱くなり、まるで燃えているかのようだった。

とてもとても、痛かった。

それが断罪として地獄の業火に焼かれたのだったらどれだけ良かっただろうか。

罪が罪として裁かれるのだから。

だがそれは聖なる光に貫かれた痛みだ。

悪が浄化される痛みだ。

自分自身が悪という自覚があるが故に訪れた苦しみだった。

それに救いあげられれば、もう二度と孤独には耐えられないと。

何度でも理性は警告をしてくる。

それは人たらしの発言。

それは救世主メシアの権能。

元樹にも、叶依にも、千佳にも、凛華にもない、英雄では拾い切れないある種の弱者の英雄ヒーローの資質。

英雄ヒーローのための救世主。

勇者ではなく勇者の道標となる賢者。

救われないものを掬う力。

あるいはその勇ましく輝く瞳や顔に照らされたのだろうか。

その輝きは心の暗い部分を消し飛ばし、希望の光を届ける。

それは神のお告げや救済の光に似ていた。

目を背けたいのに、背けられない。

光が体を灼き、ジレンマが心を焦がす。


「確かにあいつらに固執するもの、お前に依存するのも間違っているかもしれない。自分に自信がなくて、それでも、どこかで普通とは違う、特別な存在だと思ってて。世間からはピーターパン症候群シンドロームと詰られるかもしれない。…でも、俺はそれでいい。人の数だけ思想がある。だからこそ人間に必要なのは理解で歩み寄りをすること。だから無理に変える必要はないんだ。夢も、理想も、思想も。モラトリアム人間?大いに結構。大人になりきれない?当たり前だ青年期の俺は大人の成りかけ。まだ成長途中だ。思い悩み、苦しむ存在なんだ。大人になりきれない人間なんだ。一生子どもでもいい。青い鳥を求めて幾星霜走ってやる。諦めと打算と妥協で他人を利用する処世術を巧みに操るのが大人になることなら、俺は子供のまま夢を追っかける」


その言葉には救いようのない救いがあった。

まさしく、人という矮小な存在によって齎された救いの光。

人類という母集団の中で数が少なく、「悪」とされてきた思いを認めて。

変われ、大人になれ、なんて無責任な言葉で急かしてくる周りとは違い、そのままでいいだろうと、自分のしたいようにできる、それこそが生きがいだと言い放つ度胸と。

一人、そんな存在がいればきっと生き辛い人も少しは救われるからと。

塚原遊とは結局そういう人間だった。

確かに公には立てないだろう。

全ての人から賛同は貰えないだろう。

激しく糾弾もされるかもしれない。

だって道徳的では無いから。

人が信じる、大衆が信じる美徳や正義とは外れているから。

正道から外れているものに、大抵の人は賛同をしない。

しかしその背には誰かしらが尊敬の眼差しを向けている。

開き直りというひとつの方法を選択した者。

自分というものの性質を理解し、認め、踏み出す者。

必要としているものの心に静かに語りかけてくる。

その語りかけには優しさと厳しさとが両立していて。

突き放し、認めさせ、その上で肯定する。

本人が本人たるアイデンティティや在り方を自覚させることで道標を差し出す。


「道を指し示す側であった俺が路頭に迷うなんてどんな笑い話だ、なんて思ったが…やった事は返ってくるんだな。良い意味でも悪い意味でも。…それも、俺を救ってくれたお前のおかげだ。自分に一人で向き合えと突き放されて、自分という人間を自覚したよ。だから今度は塚原遊を肯定してくれ」


強い光はその物の裏側にいつも強い影を作る。

それは光の強さに比例し、強大でかつ何時でも付いて纏う問題だ。

底の見えないどこに向けられているかも分からない怨嗟の眼差しと暗闇の中から聞こえてくる呪縛の声といつも闘わなければならない。


「だからさ、お前も塚原遊の大切な一部なんだからさ…救われていいんだ。いや、救わせてくれ。俺も、同じことをしたい。お前がしてくれたことを恩返ししたい」


そう言って遊は手を差し伸べて来る。

その手をとってはダメだと分かってはいるのに。

それでもなお、結衣の手はその手を取るように動き出し。


「───ぁ!」


気づいた時にはもう遅かった。

手を取ることは規定事項だった。

絶対不変の事象だった。

百回同じことをやったとしても、百回とも同じ結果になる運命。

無意識のうちに救いを求めていた。

救ってくれと願っていた。


「やっと、手を取ってくれたな。──お前に救ってくれって意思がなかったらどうしようかと思ったよ。きっとそうでも思ってくれてなきゃ俺の言葉は届かないから。一生懸命届けようとしてる言葉も、無価値になってしまうから。…最初はお前に恋をしてたって勘違いしてたけど…恋と勘違いするくらいお前に救われてんだ。それと同じくらい俺が救わなきゃな。そうじゃなきゃお前が可哀想だよ。そして俺はやるせない。だから、俺がお前を救う。お願いだ。どうしようもないくらいに救わせてくれ」


その言葉に連られて、瞳から二筋、暖かいものが流れ落ちた。

それは、頬から滴り落ちて、弾けて消えた。

その瞬間、結衣の世界罪の象徴は音を立てて崩れ落ちていった。











「これで、良かったのかな。私は私自身を許していいのかな」

「いい。それに、真に自分を罰することができるのも、許すことができるのも、自分だけだ。救えはしない。でも、それが多分、救いなんだ。救いだと信じていいんだ。そう考えると、自分で自分を救うことになるな…。ほら、トラブルの最中には気づかないけどさあとから見返してみると、そうやって救われるんだ…過去の自分に。もちろん、思い返して初めて気づくけれど。お前が自分の未来を許さなくて誰がお前の過去を、過ちを真に救えるんだ。…例え世界中がそれを責め立てたって、俺はお前にありがとうって言うよ。俺を叱ってくれてありがとう。俺を連れ戻してくれてありがとう。俺の———イマジナリーフレンドでいてくれて、本当にありがとう。これでよったのか、じゃなくてこうして良かったねって言えるようにしていくから」


あんなに絶望でいっぱいだった空間がいつの間にか空には星屑が、人々の願いを聞き届けていて。

地には、摩天楼の群れが様々な色に輝いて、天へ昇り。

足元には生きる者の生を謳歌する活気が満ち溢れている。

ビルの上で二人きり、誰にも邪魔されずに星に希う。

どこまでも続く地平線を眺めながら沈黙を交わす。


「もう、いくの?」


不意に、結衣がそう溢した。

そう溢されたら、覆水盆に返らずのように取り返しのつかない事だったのかもしれない。

安眠のひと時は、終わる。

終わりは、目覚めの時は刻一刻と迫ってきている。

終わりは、新しいものの始まりを意味する。

終わりと始まりは表裏一体。

何かを壊さなければ新しい何かは生まれない。


「ああ。凛華が、あいつらが待ってるから」


だから、明けない夜はない。

昨日が終わったから今日がきた。

今日が終われば明日が顔を出して。

時間は平等に訪れる。

残酷にも、幸運にも。


「そうだよね。塚原遊には、素晴らしい…勿体無いくらいの友達がいるものね」

「明けない夜はない」

「…?」

「つまり、沈まない夕日はないんだ。月と太陽はそう簡単に巡り合えないからな。夜になれば、今日に別れを告げて、また眠って夢を見る」

「———ッ!」

「————大丈夫、きっとまた会える。俺はお前で、お前は俺。何時もずっと側に。それに…俺はまだ大人になれないから、大言壮語を口にして、荒唐無稽な夢を見るんだ。今生の別れじゃない。———だから、また今夜」

「———ええ。また今夜。———いってらっしゃい!」


涙を堪えて見送ってくれた彼女の堪えきれなかった涙を、きっと遊は忘れない。

役目を終えたかのように、世界と共に消えた彼女のことを、遊だけが知っている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る