第7話 追憶の廃校

「何もわからずにこのまま死ねるか!」と遊は自分自身に啖呵切って廃校に来たは良いものの、具体的には何一つ打開策がない。


(啓示でもお告げでも蜘蛛の糸でもなんでもいいから神様仏様お釈迦様助けて!マジでやばいぃぃぃ!)


と半狂乱で願ってみたものの遊は無神論者だ。

神様なんて存在は居たら愉快だけども、この目で見るまでは信じない派閥であった。

神様は熱心な信徒しか救わないと言われるなら真っ先に除外される人種だ。

遊だって自分に関係ない赤の他人などいちいち気にかけてはいられない。

まあこの理論は人間側の主観なので、神様は違うと願うばかりだ。

現状は行けど地獄、待てどもやはり地獄。

やはり進まねばならない。

『もしかしたら』があるのだからその『もしかしたら』を掴み取るために行動を起こさねばならない。

たとえその『もしかしたら』が一パーセントを切っていたとしても、行動しなければ確率は絶対にゼロパーセントであるのだから。


「シュレディンガーの生存確率…か。そうだ、ジョセフ・マーフィーも言ってたじゃないか!『』ってな!」


しかし遊は忘れていた。

マーフィーの法則には他にもいくつもユーモア溢れる法則がある。

例えば『ジャムを塗ったパンが塗った面を下にして落ちる確率は絨毯の値段に比例する』。

事件とは被害者本人が最も嫌がることばかり起こることを簡単に置き換えた名言だ。

例えば『人間の感は悪い予感ばかり的中する』。

そして『失敗する余地があれば失敗する』。

遊は希望的観測に基づく事しか出来なかった。

それがいい事なのか悪いことなのか…まだ分からない。






「なんか…こうさ…違うじゃん。さっきまで命の瀬戸際でやり取りというか鍔迫り合いしてそうな雰囲気だったのにさ…!」


死の運命さだめに抗い、自分のうんめいを掴み取ると奮起したばかりの遊は廃校の中の様子に唖然として、叫ばんばかりに大声で発したのが上記の内容である。

なんと言ってもこの外見は物々しい廃校。

まだ昇降口に入ったばかりだが、埃一つ被っておらず、砂などや埃も見当たらない。

奥へと続くフローリングの廊下や階段なども磨き抜かれている。

どれくらい凄いかと言うと外の水面のような地面といい勝負だ。

遊的にはそこら中に建物の残骸が散乱する中を探索して、奇々怪々な体験をすると身構えていたものだから、早々に雰囲気をぶち壊された気がした。

この世界の主からしたら所詮、勝手に盛り上がった癖に自分の想像と違うとイチャモン付けられている気分だろうが。

それでも尚、遊の糾弾は続く。


「せっかくアドレナリンドバドバ分泌して怪物でもなんでもぶっ倒そうと思ったのに…とんだ拍子抜けじゃねぇか!」


実際に怪物がいるかどうかというのは置いといてアドレナリンの量なんかで怪物が倒せたら異世界に勇者も冒険者も異能力を持った青少年もいらないではないか。

という冷静な思考は遊には残っていなかった。

未だ冷めやまぬ興奮の残滓を抱えて前へと踏み出す。


「さてと、問題はここに来ても解決の糸口が見えないってことなんだよなぁ…参った」


遊はこのような時に考えるよりもまず行動を起こすタイプ。

じっとなんてとてもじゃないがしていられない性分。

生まれ持った性なのである。

軟弱な心の内は不法侵入なのではと訴えかけていたが、ここは訳の分からない世界なので大丈夫とそれこそ訳の分からない理論でそれをねじ伏せ、律儀に下駄箱に靴を入れる為に脱ぎ始める。


「懐かしいな…小学校時代は靴箱上の方で色々と不便だったんだよなー懐かしい」


自分自身との対話と言えば聞こえがいいが、このような独り言が増えているのは一人でいること不安の裏返しだ。

今はそれだけ遊は会話に飢えている。

何となく縁起が良いし、かつての自分の下駄箱の位置に靴を入れようと決め、遊が下駄箱の前に立つとそこに書いてあったのは――


『三年一組六番 塚原 遊 』


――書いてあるはずのない、かつての彼のクラスと出席番号、そして彼の名前であった。


「…は?」


想定していない事態に目を見張って動きは凍りつく。

視線が吸い寄せられ、目が離せなくなる。ゆっくりと寒気が首筋を撫でて、牛歩の如き速度で冷たい感覚が全身にまわっていく。

見ていた文字が点滅し始め、遊の動悸は速まり、吐き出す息は荒くなっていく。

そのうち手先はガタガタと痙攣し、頭は真っ白に染まってまともな思考すら残っていない。

ただそこには静寂だけが佇んで、物音一つ立ってはいなかった。

異常。

異常なのだ。

音のない異常な空間がそこには存在していた。

先程と何も変わらないが、なにか雰囲気のような抽象的なもののような、概念的な物がなにか変わった。

そう確信できるほど先程までと何かが違う。

その濃密な静寂の中で遊は徐ろに手を伸ばす。

その手が求めるものは下駄箱の中身。

真偽を確かめようとそっと腫れ物に触るかのように優しく戸に触れ、音を立てながら開ける。

ギィィィィィィィ。

意外と古めかしい音を立てて下駄箱の戸口が開いたかと思うと中に入っていたのは可愛らしい意匠が施されたメモ用紙だった。


『私はあなたの記憶です。私はあなたの大事な記憶です。あなたの宝物の日々です。どうか私を見つけてください。私はずっとここにいます。どうか思い出してください。どうか忘れないでください。あの日の約束を。あの日から私達はあなたの帰りを待っている。

私はあの日の約束の場所であなたの帰りを待っています。私は、ただあなたの幸せを願っています。


淡い恋の味 より


PS これが最初の嘘。そしてこれが最初で最後の嘘。どうか私を信じて』


奇っ怪な文章だった。

一見まともに見える一文も目的や語り掛ける対象が支離滅裂だ。

書き手も一人だったり複数だったりもうめちゃくちゃな文である。

そう遊は感じた。

単純に彼の読み取りが甘いのかも知れないが。

誰が書いたのだろうか。

淡い恋の味と濁されているが、文字を書いている時点で人であろう。

いくつか気になるワードがある。

『記憶』、『あの日の約束』、そして『最初で最後の嘘』。

自分と親しい人物であろうかと遊は疑問に思って首を傾げる。

しかし友人だとしてこんな湾曲した文章で一体何を伝えたかったのだろうか。

彼の親しいものなら遠慮せずに言ってくるものだと思うのだが。

大事な想いは伝わってくるのだが、猜疑心が拭えない。

伝えたいのならば、回りくどく手紙なんかじゃなくて直接伝えてくれ、と言いたかった。


「……。そう言えば、あの女の子がなんか言ってたな。なんだっけか…『隠れている物を見つけて』とか言ってたな。そしてこの手紙も見つけてくださいってあるな…ということは俺が小学生三年生の時の記憶にヒントがあるって事か?」


流石にこんな意味深な手紙が全くもって無関係は無いだろうと踏んで、思考を続ける。

十中八九この奇妙な空間は彼女の仕業だろうし、そう考えれば辻褄も合う。

というかそうとしか考えられない。


「見つけるものがこの差出人名の淡い恋の味って奴なら、何か恋に関する事なのか。はぁ~?そんな浮ついた話ある訳…いや?そういや記憶がないとか何とか言ってたな。そして約束ねぇ。人と言葉を交わす場所と言えば…廊下?…いや他クラスに親しい人いなかったしなぁ…とすると下駄箱か教室、だな」


記憶を刺激するのにも過去を振り返るのにも、インスピレーションというか脳に刺激を与えるのは効果的だろうと結論付け、遊はかつての三年一組の教室へと足を進めた。







彼はきっと気づかない。

自分が、塚原遊が信じてきた自分自身というブラックボックスが既に

自分自身が結び目の紐解かれた怪物だということに。

違和感は感じているだろうがそれから目を逸らし続けている。

だって彼は愚かだから。

それほどまでに愚かで、賢くて、愚鈍で、犀利で、憎たらしくて、愛おしくて、歪で、整っていて、浮気症っぽくて、実際は一途で――そして現実を直視出来ないし、してしまったらショックで死んでしまうほど脆い。

あぁ、私は何故こんなことをしているのだろう。

いくら働きかけたって彼は気づかないと。

そして何より気づかない方が彼にとっては幸せかもしれないのに。

彼の心にも、彼の周りにも、生きとし生けるもの全ての深層に小さな悪魔は潜んでいる。

時折なにかの弾みにそれは貌を覗かせ、深淵に引き摺り下ろそうとしてくる。

だから人はその深淵への扉を鎖で結ぶのだ。

嫌なものに蓋をして、何食わぬ顔で日常に戻るのだ。

二度と開くことなかれと。

戒めて知らん顔をする。

そしてその封印に失敗した愚か者はその全貌を知覚し、恐怖し、正気と混乱と嫌悪と自暴自棄の狭間でのたうち回る。

自身とその深淵の宿主のギャップに怯え、余計に結び目を作る手を乱雑にする。

毎日の行動一つ一つをとっても自分アイデンティティが二人に分裂し、熾烈な争いをする。

誰が最も自分らしいか。

自分を自分たらしめるのか。

それは欲望を解放せよ、と堕落を誘いかけてくる。

愚者はいやいやと首を振るばかり。

打ちのめされて、ついには立ち上がることさえ出来なくなるだろう。

やがてそれは結べば結ぶほど存在感を増し、醜い躯が、結び目の一つ一つが醜悪なオブジェとなる。

そして自我を持ち始めるそれは弱弱しい宿主に取って代わってやろうと結び目の隙間から出ていく。


「――私は、その結び目を紐解いただけ。――」


――もう自分を責めたりしない。

きっとあの日にした選択を信じて、彼に託そう。

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