七難八苦を砕くオルタナティブ
たまマヨ
Prolog
今日からずっと天気は雨模様
嗚呼、と真っ暗な空間に声が木霊する。
その声は幾つもの見えない波紋となって空気に溶けていく。
打てば響くように暗闇だけがその悲痛な慟哭に応えている。
雑踏は今夜も変わらず歩き続けているのに対して、その場所は何もかもが進むことを諦めていた。
そこに夜明けは巡っては来ない。
進まない者に明日はなく。
黎明を斬り裂く白き閃光は差し込まない。
暗闇はその思いをただ優しく包み込むように抱擁している。
時々残響は響けど、どこまでも広がる暗闇に呑まれいずれもどこにも届かず。
だが無意味だと知りながらも未だ鳴り止まず。
幾許かの時間が経過した後、段々と暗闇が形どられ、少年の姿を模倣する。
口から赤い液体を零しながらも何者かへの呪詛を紡ぐ。
それはどこに向けたものなのか。
世界であるのか自分自身であるのか少年自身もわからなくなっていた。
冷静な思考も、出来なくなっていた。
それでも、内に沸き立つ溶岩のような思いを吐き出し続ける。
「もう、忘れてしまいたい。全部夢であって欲しい…嘘だ、嘘だと言ってくれ…なんで、お前まで俺を置いていくんだよ…。もう、辛いんだ…もう忘れたい。全て忘れて全く別の世界で幸せを知りたい…運命の、クソッタレ、がッ……!何が…何が魔法使いだ!何が魔法だ!何が奇跡だ!何が運命だ…クソっ!何の役にも…立たないじゃないか」
尻すぼみしていく悲痛な慟哭は、いつしか微睡みの中へと消えていく。
幸か不幸か微睡みでは歪んだ事実だけが存在する。
――微睡みとは甘美な毒。
――だからこそ抗う術もなく弱き者は縋る。
──縋るにはそれは薔薇の藁よりもなお質が悪い。
――薔薇は捕まれば容易くは抜けられないが。
――それに毒されればもう命はないだろう。
――だからこそ
――――が死んだ。
別に急いでたわけでも、信号を無視した訳でもない。
ただ、雨で濡れた道路でトラックのブレーキが上手く効かなかっただけ。
そしてスリップした方向に俺とその後ろに――がいただけ。
怖かった。
体が硬直して、動けなかったんだ。
まるで血管に直接冷気を注入されてるみたいになって。
トラックに撥ねられそうになった俺を庇って、それで、それで。
救急車で運ばれたけれど既に手遅れで、そして病院で医者に白い布をかけられて死んだ。
死んだことになった。
俺はまだあいつの胸に耳を当てて鼓動してないか確認もしてないのに。
約束もまだ、果たしてないのに。
好きだよって言葉もまだ言い足りないのに。
まだ俺にも話したいことが沢山あったのに。
やっとこんな悲しみから抜け出すことが出来たのに。
なんで神って奴は理不尽なんだ!
なんで俺なんかを…何故!
俺みたいな屑でノロマで何も出来ないような男を生かして、彼女の様な将来性のある人を殺していくんだ!
なんで…どうして…俺なんだ。
――なぁ…――。トラックに轢かれる大事な人を看取るのもトラックに撥ねられるぐらい苦しいのかな。
それともお前はもっと苦しかったのか?
教えてくれよ。お前勉強とか雑学とか得意だったろ?なぁ俺はどうすれば良い?なんでお前、最後に、最後に笑ってたんだ?
――教えてくれ…。
あぁ。目頭が熱い。胸が苦しい。呼吸が出来ない。全身が上手く動かない。まるでトラックにでも撥ねられたみたいに。
意識が闇の底に落ちて行きそうな気がする。
――。ごめんよ。助けて貰ったけど俺も駄目みたいだ。
あれ、どうなってこうなったんだっけ…?
そうして意識が完全な闇に落ちていく寸前に。
泣き笑いみたいな声と、暖かい誰かの手が俺の手を握り返した気がした。
―――それは甘美な感覚であった。
―――自身が毒されているとは露も思わないほど舌の上で甘く蕩ける。
―――自分のなりたい姿を写して。
―――妖艶な美女のように人を魅了して。
―――他人を都合のいい人形に仕立てて。
―――麻薬のように使用を繰り返すようになって。
―――都合の悪いことを全て忘れて。
―――賭け事のように結果に一喜一憂して。
―――欲望に身を任せて。
―――日常の一部になりつつある。
―――夢にうつつを抜かす。
―――全てを委ねる。
―――微睡みの中では全てが嘘になる。
―――まるで彼にとっては楽園ね。
―――果たして、少年の悲しみは本当の感情なのかしら?
ブーッ!ブーッ!ブーッ!とガラステーブルの上でアラームアプリを起動していた手帳型のケースに入れられていた多機能ケータイが震えている。
それを脇のベットから伸びてきた手が掴み取って画面に表示されている停止ボタンをタップした。
途端に静かになる室内。
そのままシーツや毛布が絡まりあった謎の物体Xが緩慢な動作でベットからゆっくりと起き上がり、部屋の東側の窓に向かっていく。
一歩一歩を千鳥足で進んでいく謎の物体Xの謎のベールはだんだんと布団や毛布の外装が剥がれ落ちて正体が露わになって行く。
直立したその全長は170センチ後半の背丈の男。
服越しではあるが、意外と線は細いながらもしっかりとした筋肉が付いているように見える。
バーベル上げなどの筋肉トレーニングで鍛えた筋肉と言うよりは長距離ランナーなどがしなやかな肉体を保ちながらも筋肉を付けているのと同じような筋肉であろう。
ちゅんちゅんと
「ウッ!うぅーん!ッはぁ!」
遊が奇声を上げてピンと背筋を伸ばして気持ちよく背伸びをしているとポタ、ポタ、と水滴が垂れるような音がした。
「???」
不思議に思って下を見てみると、床に水滴を垂らしたようなシミが出来ていて確かにどこからかは知らないが何滴か雫が落ちているようだった。
奇妙だなと思って顔を上げると、窓にはうっすらと遊の顔が写っており――
――厳つい虎のような鋭い瞳は潤んでおり、充血して泣き腫らしたかの様だった。
「え?は?え?…なんで俺は泣いて?」
どうやら自分の両目から誤魔化せないくらい量の涙が流れているらしい。
頬を伝ってなお落ちる滴。
原因は不明なれど、いい歳こいた男(16)が涙を流しているなんてみっともないと思い、慌ててゴシゴシと擦る。
――人は身体や精神の異常を知らせる為に涙を流す――。
いつかどこかで聞いた事のある人の涙を流す理由を無意識に思い出して遊は震えた。
(え?俺どっかおかしくなった?…そう言えば変な夢を見た…様な気がしないでも無いなぁ。夢だっけ?あれ?そうだとしたら悪夢の主に魅入られた?啓蒙溜まっちまった?)
混乱しすぎて頭おかしくなったようなことを考える遊。
これはある意味頭の中に瞳を得ている。
そんなことをしながら遊は頭を掻き毟りながら独りごちる。
「まぁいいや。体調悪くなれば学校早退出来るし。てかなんであんな頭のいい高校に行っちゃったんだか」
密かに日課になりつつある毎朝窓から朝日を見て自身の現状について同じような愚痴を零す。
かれこれこんな事をやって数週間が経過していた。
彼が通っているのは都市の中心辺にある就職率進学率共に上位に位置する普通科の国公立の高校である。
その学校は志願する生徒の八割が工業系だと言うのに文理共に秀でていて、1年生の時は皆同じ勉強ではあるが、2年生からは選択制で文系理系で別れる。
ちなみに偏差値的には63~65であるため、勉学に懸命に励む若人が集まる筈である。
しかし遊は地で頭がいい天才でも勉強している秀才でも無い。
試験前の1週間集中して勉強した中学の時も150人中40~50辺りであった。
必死に苦手な数学を勉強した濃密な青春を思い出して苦汁を舐めたどころかタップリと飲み干したような顔をする遊。
才能の差というシステムを作った者を呪う一年だった。
「はぁ…なんで身の丈に合う高校にしなかったんだよ。明確な将来がある訳でもないのに。いくらあの高校でも赤点取ってちゃ人生勝ち組ではないんだぞぉー」
案の定過去の自分に愚痴を零し始める。
「はぁ。くだらねぇ事やってないで支度するか」
そう言って軽やかに遊は階段を降り始めるが途中でふと足を止めて思案する。
「あれ?なんかしなきゃいけないことがある気が…」
そう口に出してみたが、特に思い当たる節もない。
「気の所為、か」
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