長編小話
鈴音
慣れない痛み (神様の十八番)
痛みには、慣れているはずだった。
覚えている限り、ずっと昔からおれは痛みと共にあった。人から人へと、長い年月をかけて渡り歩いた。ある時は不老不死の研究材料として、ある時は消耗しない奴隷として、ある時は戦場での特攻役として、ある時は動く的として。細かいのも数えればもっと色々あったと思うけれど、それでもどこにいてもおれは物のように扱われた。
目を潰されても、鼻を削がれても、耳を引きちぎられても、腕が吹き飛んでも、腹を裂かれても、首を刎ねられても。どれほど手酷く扱ったところですぐに再生するおれは、そう扱うのに都合が良かったのだろう。人間ではない、ヒトの形をした化物。その痛みを理解しようとする者などいるわけがない。ただおれが再生するさまを見る、たくさんの嫌悪に満ちた瞳を覚えている。
そんな俺にとって痛みは当然で、日常で、当たり前のことだった。それは全く辛くないと言ったら嘘になるけれども、それでも少しの間耐えてさえいればどんな痛みも消えるから。だから痛みなんて、大したことなんて無いもののはずだったのに。
耳を塞ぎたくなるような断末魔の悲鳴が、おれの目の前で上がる。飛び散った赤い血がおれの頬をびしゃりと濡らして、吹き飛んだ華奢な身体が地面へとぐしゃりと叩きつけられた。
じわりと広がる血溜まりの中心で物のようにアスファルトの上に転がる身体は、あちこち骨が折れているのか歪な形をしていて。おれはその傍らに、崩れ落ちるように跪く。その横を、彼女を跳ね上げたワゴン車が急発進して行った。大方、あまりの凄惨な光景に怖くなったのだろう。そんなことは、今のおれにはどうでもよいことだった。
震える手でそっと上半身を抱き上げて、彼女の血に染まる長い白い髪を梳く。すぐに目覚めると、傷が塞がると分かっていてなお、その姿は見ていて苦しくて悲しくて。おれの、神様のような人。おれを人間のように扱って、おれに痛みを与える度に泣き出しそうな顔をしていた優しい人。誰よりも守りたかった、大切な、唯一無二の少女。
それなのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう。
あれから幾度も繰り返した想いが、胸を焼く。今のおれには彼女を守る力はない。異形と誹られ忌まれた白い髪も、赤い瞳も今は黒くなり、この体についた傷はなかなか治らなくなってしまったのだ。おれは死ぬ体に、人間になったのだと彼女は笑った。おれの忌まわしい不老不死の力を押し付けられながらこれが自分の罰なのだと、そう言って。罪なんて、彼女には何もなかったのに。
彼女が毎日毎日小さなその身に余る痛みを受ける様を、おれはもうただ見ることしかできない。こんなの、体を千刻まれたほうがましだろうとすら思う。何もできないということは、これ程辛かったのか。こんな、こんな苦しみを、彼女はずっと。
「……と、うや…………?」
腕の中で静かに瞼を持ち上げた彼女の、鮮やかな赤い瞳がゆるりとおれを見る。気が付けば、その体はいつものように華奢で美しい姿を取り戻していた。血の跡も何もなく、ただ僅かに破れ、汚れた服だけが彼女が受けた衝撃を物語っている。
「……………れんげちゃん」
まだ慣れない名で呼べば、彼女は少しだけ困ったように眉尻を下げてくすりと笑った。そっと伸ばされた綺麗な指先が、おれの目元へと伸ばされる。
「どうして、灯矢が泣くのよ」
その言葉に、懸命にこらえていた涙がついにぼろりと零れ落ちて。ほたりほたりと彼女を濡らしてしまう。一度溢れてしまえば、それはもう止まるすべを持たなかった。
「痛いんだ……れんげちゃんが、傷ついても痛めつけられても何もできないのが、苦しくて……悔しくて……胸が痛くてたまらない……」
こうなって少し経つのにいつまでも慣れることのない、じくじくとした痛み。その辛さをべそをかく子供のように嗚咽の合間にぽつぽつと零すおれに、彼女はーーれんげちゃんは少しだけ身を寄せる。
「いいのよ灯矢、これでいいの」
れんげちゃんの穏やかな声に、おれはただ首を横に振ることしかできない。早く、早く彼女の不死の呪いをおれへと戻さなくては。そうしなければ、おれはいつか彼女より先に死んでしまう。永劫痛みで嬲られ続ける地獄に、れんげちゃんを置き去りにしてしまうのだ。優しくて寂しがり屋の、誰よりも尊い彼女を。そんなこと、あっていいはずないのに。
「灯矢」
柔らかにおれを呼んで、そうして笑ってくれた彼女におれはどうしても笑い返せなくて。ただぎゅっと抱きしめて、泣き続けることしかできなかった。
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