第54話 54

 僕は廊下に出て、下駄箱に向かった。寒い気温が僕の体温を悴ませる。

 外に出るともっと寒くなるだろうな。

 僕はそう思って、外に出た。外に出ると寒い風とともにそこに成田先生が立っていた。

「よう、笹原」

 成田先生は手をあげてそう言ってきた。僕はなぜかその成田先生の姿にブリキの兵隊を思い出した。兵士なのだけど堅くて動けない、ブリキの兵隊に。

「笹原、少し話をしよう」

 僕は肯いた。

「ええ、いいです」




 僕たちは下駄箱の前では邪魔になるので体育館裏に移動して話をすることにした。

 僕は成田先生について行く。そして、成田先生は体育館の裏に来て、僕のほうへ振り向いた。

「それで、成田先生、どう、僕を説得するつもりですか?」

 僕はそう、単刀直入にいった。先生はそれに口を石のように重くして話した。

「笹原、本当に波田(はた)さんのご両親のほうへ行くのか?」

「ええ」

 僕はそれに即答した。成田先生の瞳には黄色の光と青色の光がせめぎ合っていた。だが、成田先生は青色の光を勝たせ僕に向かって言った。

「だが、笹原、考えてくれ。もし、この事をご両親に話したとき、ご両親はこの事を教育委員長に直訴をするだろう。そのとき、マスコミがこの事をかぎつけて家の学校にたかってくるだろう。そのとき迷惑するのはみんななんだ。だから、話すのをやめてくれ」

 成田先生はそう自身の葛藤(かっとう)を切り捨てた。僕にはそう見えた。僕はそんな決意を胸に秘めた、成田先生を見ながらしかし、引く訳にはいかなかった。ここで引いたら何か、自分を裏切るような気がしたからだ。僕は高鳴る心臓の鼓動を感じながら成田先生の目を見ていった。

「先生。確かにそれはその通りです。成田先生のいうとおり波田(はた)さんの両親にいったらそうなる可能性は十分にあります。


 しかし、それだからといって、両親に真実を伝えないわけにはいかない。僕たちは両親から波田(はた)さんを奪って、なおかつ、まだ真実を奪おうとしているのですから。我々の安楽(あんらく)な暮らしのためにです」

 僕がそう言うと、しかし先生はこう言って反対した。

「笹原、別に安楽(あんらく)な暮らしのためとかじゃあなくてだな。ただ、真実を伝えればみんなに迷惑がかかるといいたいんだ。俺は楽な暮らしをしたいからこんなことを言いたい訳じゃないんだ」

 僕はその台詞(せりふ)を黙って聞いていた。確かにいいたいこともわかる。しかし、僕はこう言って反論をした。

「安楽(あんらく)な暮らしをしたいわけではないと先生はいいましたね。しかし、先生が反対していたのはマスコミが来て学校の秩序がみんなの安心が著しく損なうから反対ではないのですか?


 だから、反対しているのでは?僕は正義のためには一つのみんなが持っている安心を一度は破壊した方がいいのではないかと思うんです。波田(はた)さんの両親こそ、そういう安心がもうないのですから、彼らに真実を告げる代わりに我々の安心が壊れても構わないと思います。


 確かに、これはどちらかに肩入れすれば、どちらかが犠牲になります。しかし、僕は波田(はた)さんの両親に肩入れします。なぜなら、そちらのほうがより正義に近いと考えるためです。正義は多数派の安穏とした暮らしを守るためだけにある訳じゃない。多数派を守る正義もあってもいいけど、この場合なにに非があるかというと、真実を伝えないことに非があります。だから、僕は両親に真実を伝えます」

 それに先生が顔を真っ赤にしながら突っ立っていた。どうやら何も言えないようだった。

「じゃあ、いいたいことがないのなら僕は先に行きますね。

 そう言って僕が先生に背を向けると、後方から走る音がした。先生が回り込んで、僕の正面に立って土下座をしていった。

「どうか、笹原、やめてくれ!この事が知られたら学校が壊れてしまう。どうか、お願いだから、やめてくれ!この身はどうなってもいい!だから、生徒のためにやめてくれ!」

 そう言って、先生は頭を下げたが、僕はそんな先生に冷静な口調でこう言った。

「先生、土下座をしましたね。確かにこの僕の行いは今、やめれば止められます。でも、波田(はた)さんは土下座をしても戻らないんです。先生は土下座をする前にそのことをよく考えることが大事じゃないかと思います。それじゃあ、失礼します。決して波田(はた)さんは戻らないけど、僕らのできることはあると思うので」

 そう言って、僕は先生の元から去った。先生はずっとそこで土下座をしているのだと、なぜか見向きもしないのにわかった。




 僕が自転車置き場に行くと美春がいた。美春は自分の自転車の所に立って下駄箱からこの自転車置き場までに普通の生徒が通行する道を見ていた。誰かを待っているのだろうか?

 僕はそんな美春に声をかけた。

「どうした、美春。そんなところに突っ立って」

 僕がそう言うと、美春はひゃは!と、飛び上がって振り返った。

「一樹!何で、後ろから出てくるのよ!何で、あそこの通行路から出てこないのよ!」

「いや、そう言われてもだな。ちょっと、先生と話をしていたんで、こっちから出てきたんだ」

 そう言って、僕は体育館裏を指さした。美春はふ〜ん、と肯いた。そして、またイタチのような鋭い目をしたが、すぐにそんな雰囲気を霧散霧消して明るい笑顔を見せた。

「ねえ、それよりもさ、一樹。私はね、昨日一樹の家に荷物おいていたんだけどさ、それ、今から取りに行くんだけど、一樹、一緒に帰らない?」

 そう満面な笑顔で寺島さんは言った。僕は寺島さんを見た。本当にうれしそうに寺島さんは笑って、この事を話した。僕と一緒に登下校をするのがそんなにうれしいのだろうか?美春がそう思っているなら僕にとって光栄なことだ。だが、しかし。

 僕にはやることがある。今からやりにいかなければならないことがある。美春のうれしそうな笑顔を見ると僕の心はほっとくつろぐ反面。彼女にはそんな笑顔をすることがあっただろうか?特にいじめられたあとに、と思ってしまうのだ。

「美春、ごめん。僕はやらないといけないことがあるんだ。だから、ごめん。この埋め合わせはあとでするよ。だから、今日は一緒に帰れない。寄るところがあるんだ」

 そう僕はいった。美春はしばらく埋め合わせで悩んでいたが、すぐに破顔していった。

「そうだなぁ。埋め合わせは何がいいかなぁ。じゃあ、一樹。埋め合わせは休日のカラオケぶっ通し6時間ね。それで全部、一樹持ちで決まりね」

 ぶうっ。

 思わず吹き出した。何だ?その悪夢のような金額は休日で6時間だろ?一時間400円だろ?いや、フリータイムがあったな、あれって何円だっけ?いや、それよりも、二人だろ?なんだその金額僕にそんなのを払えっていうのか!!!

「ちょっ!お前!そんな金額僕が払えるか!」

 それに美春が手をたたきながら大爆笑をしていた。こいつめ、ただの冗談か。

「あはは。いやー、一樹の怒った顔はサイコーだよ。私、こんなにも笑わせてもらっちゃった☆」

「ちょいまちいや。お前しばいたるから、そこで立っとけよ」

 僕がドスをきかせて声で言うと、美春が小動物のようにいやいやをした。

「ヤダヤダ、そんな暴力なんてやだよー。だから、逃げちゃおー♡」

 そう言って、美春はひょいと逃げた。

「こら待てやー!!」

 僕はすぐに追いかける。そうして、駐輪場で鬼ごっこをして、二人ともすぐばてた。

「ハアハア、マジきついな、これ」

「ハアハア、うんそうだね」

 そうして僕と美春はしゃがみ込み、息を整える。そして、だいぶ復活した頃に僕らは立って話をした。

「よかった」

 美春がぽつりと言う。

「近頃、一樹が元気なくて心配したよ。でも、笑ってくれて安心したよ」

そう言って美春が僕を見る。その美春の目の色は夕凪の海岸のように優しい色が寄せて返していた。

「僕は笑っていたか?」

「うん。笑ってた。私を追いかけるとき笑いながら追いかけてきたよ」

 僕は顔を触った。僕自身、怒ったつもりだったが美春からいわせると笑っていたようだった。これが僕の自分が思っている像と他人が見た自分の像のずれを初めてそれを意識したときだった。

 だが、何はともあれ僕は波田(はた)さんの両親の家に行かなくてはならなかった。だから、僕は美春に一時の別れを告げた。

「ごめん、美春。僕は本当にいかないといけない。美春、君もだいたい感づいているとおり、この事は僕らにとってよくないことだ。でも、僕はいかないといけない。そうしなけれならないんだ、人として」

 美春のものを吸い込む漆黒の丸い瞳がそこにあった。そこに僕が写っている。僕の考え、仕草をブラックホールのように一挙一足を逃さずに吸収していた。

「そういうわけだから、じゃあね」

 そう言って、僕は自分の自転車に歩いた。しかし、何歩か歩いたところでくるりと反転して美春にいった。

「あと、ありがとう、美春。気を遣ってもらって、心が少し楽になったよ」

 それに美春が満面の笑みで答えた。

「うん!」


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