第48話48


 それが昨日のことだった。僕は今学校にいる。学校にいて村田がいじめられていないか見張っているのだ。だれにも気づかれないように。

 それはともかく、昨日はそのあと寺島さんが帰って大変な一日だった。泣き出すことはしなかったが、ほとんどその一歩手前だった。

 僕はそんなにも寺島さんに嫌われていたのかと思い、気分ががっくしとくる面、それ以上に僕は彼女とどう距離をおくか考えなければならなかった。

 彼女とこれからのことを。

 それも追々考えるとして、今は村田のことだ。今、昼の授業を受けている最中だが、その間に村田がいじめられているふうには見えなかった。最大の難所、昼食時は無事のりきったので、あと考えられるのは休み時間と、放課後だ。

 僕はそれらに向けて村田がいじめられていないか、注意を払わないといけなかった。だれにも気づかれずに。そして、それは結構(けっこう)骨のいる作業だった。

 あとは放課後に気をつけるだけだな。そう思い、僕は授業に意識を向けた。




 そして、果たせるかな。放課後の時、村田に金村さんを含む女子生徒が絡んできた。そして、村田は女子生徒についていった。

 僕はそれを見て、男子トイレに駆け込み、便所の前に立って成田先生に連絡をした。

 それが終わったあと、僕は水を流してトイレから出た。

 どうか、いじめが止められますように。手を水で洗いながら僕はそう思った。昼の薄暗い明かりの中、石けんはじっと座っていた。




 僕は成田先生にメールをしたあと、すぐに帰った。下手に残って疑われるより、さっさと帰った方がいいと思ったのだ。それで、廊下に出ると真部とばったりあった。

「よう、笹原」

「やあ、真部。真部も今帰るところ?」

「ああ、そうだよ」

 僕たちは雑談をしながら、下駄箱に向かっていく。雑談はたいした内容ではない。クラスのことや文学について、政治のことを居酒屋の雑談のように僕らは語ったのだ。そのとき、ある話が僕らの間に浮上してきた。

「そうだ!」

 それは真部の口から出てきた。

「笹原、いつか約束したよな、俺の家に行くって。今日来なよ。ちょうど二人っきりになれたのだからな」

「ああ、そうか」

 確かにその通りだった。僕たち4人のグループは異性同士ということもあって、そんなに深い話をしてこなかった。やはり深い話をするのは同性同士じゃないとダメなのか?と僕は思っていた。

 しかし僕は友だちが欲しい、友だちが欲しいと思っていても、肝心の友人ができたら、いったい何を話すのか考えていなかった。

 何を話せばいいんだろ?好きなタイプの女性とか、純文学のこととか、かな?でも、僕はあまり純文学が好きではないし、だいたい読むものは重松清とか、うえお久光とか、大衆エンターテイメント作家か、ライトノベル作家ぐらいなものだし、どうなるんだろう?

 そう言う不安を抱えながらも、僕は真部の後に付いていった。




「さあ、上がってくれ」

「お邪魔しまーす」

 僕は一言挨拶(あいさつ)をしてから家に上がった。真部の玄関を上がったとたん、すぐにキンモクセイの香りが鼻孔をくすぐった。

「どうした?」

 僕が止まったまま真部の家を嗅いでいたら、真部が不思議そうに僕を見ていた。

「なんでもないよ。さ、行こう」

 そして、僕達は玄関のすぐそばの階段を上がる。古い木造のキンモクセイのような香りのする家の階段を上がっていき、真部の部屋に入った。

「ようこそ、何にもないけど茶ぐらい出させるから、待っていてくれ」

 真部がそう言ったので僕は待った。周りのものを見る。だいたい、真部の家に置かれてあるものは部屋の隅にある書棚の中にあるほんとその上に置かれているボックスタイプのCD入れと、ちゃぶ台ぐらいな、至ってシンプルな部屋なのだ。別に特に見るものはないはずだ。

 そして、ほどなく真部がやってきた。

「笹原待ったか?」

「いや、別に待たなかったよ」

「そうか、それならよかった」

 真部はそう言った後グラス二つ分に入ったお茶を乗せたトレイをちゃぶ台において、自分も座った。

「まあ、ゆっくりしていってくれ。今日、笹原を呼んだのは、笹原と親しくなりたいためなんだ。だから、ゆっくりしていってくれ」

「ああ、分かった。それじゃあ、二人で質問をしあおうか?よく知るために」

 僕がそう言うと真部は細い唇をさらにもう少し細くして笑った。

「ああ、いいよ。じゃあ、俺からいってもいいかな?」

「ああ、かまわない」

「じゃあ、いうぞ。笹原が好きな文学者は?」

 最初にそれが来たか。

「重松清とうえお久光かな?一人はエンターテイメントとのほうだし、もう一方はライトノベル作家だから、真部にいうのは恥ずかしいけどね」

 そう僕は恥ずかしながらそう言った。実際に真部にいうのは恥ずかしかったのだ。

「いや、そんなことはないぞ?考えが違っていても、それはそれでわかり合えることはできるからな。笹原はなぜ、重松が好きなんだ?」

 真部がそう言ったので僕は糸を張る蜘蛛(くも)のように着実に自分の立っている場所を認識しながら話し始めた。

「う〜ん。それは重松の作品に登場している人たちはどこにでもいる普通の人だからだよ。どこにでもいる弱さを持った人々、だから僕は好きになったんだ」

「なるほどな」

 真部は肯いた。

「笹原は普通の人々が出てくる作品が好きなのか?」

「ええ、普通のどこにでもいる。自分の弱さを持った人が出てくる作品が好きなんだ」

 今から思うとこの頃の自分は無邪気なときだったな。今では当時の考えとは正反対とはいかないまでも、かなり変わってしまった。しかし、当時の僕はかなり重松にはまり込んでいたのだ。

「なるほど。ちなみに俺の好きな文学者はフィリップ・K・デイックだ。彼の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』は一品だから見といてくれ」

「ああ、分かった」

 ディックか。ディックは知っている、SFは興味がないが、彼の著作は前から読もう、読もうと思っていたのだ。

「さ、質問を続けるぞ。笹原の好きな映画って何だ?」

 その質問か。

「最近リメイクした『リメイク』や『蜜月』かな?」

 僕がそう言うと真部の気が変質した。今まで張ってあった気が失望とともに脱力したような、そんな変質を真部はしたのだ

「笹原、そんなのを見るなよ。よし!ちょっと待っとけ!」

 そうして、真部は本棚のほうに向かう。そこの本棚の奥で何かを取り出した。

「ほら、笹原これ持ってけ」

 そうやって真部が取り出したのは一つのDVDだった。

「ええと、『アゲインスト』?」

「そうだ!それはおもしろいから見といてくれ。主に移民を題材に撮った映画だ。あとでどこがおもしろかったか聞かせてくれ」

「ああ、分かった」

 僕はそう言った。

「まだ、話を聞こうか」

 そうして真部はほかのことも聞こうとしたのだ。

「好きな音楽のアーティストは?」

「……………」

 僕は少し口ごもる。この事を話してもいいのだろうか?神奈川地一丁目はともかく、加奈子が好きだといってもいいのだろうか?

 しかし、その逡巡(しゅんじゅん)は早めに終わらせた。ここは本音を話した方がいいと思ったのだ。今まで読んだ文学作品にも最初にうそを言ったばかりに後々で苦労をするというものが大半のものだからだ。それに真部にはうそをつきたくなかったので、そういうことで僕は真部に本音で話すことにした。

「好きなアーティストは加奈子と神奈川地一丁目かな?」

 そして、そう僕はいった。真部はそれに対して水が地下に流れ落ち、難透水層にぶつかって地下に落ちていくことをするのが難しくなったような、そんな雰囲気を漂わせた。

「笹原、加奈子とか好きなのか?」

 真部は蛇が舌を出して相手がどんな状態なのかを調べているように行った。

「うん、そうだよ。加奈子はね、自意識のことで悩んでいるから、だから僕も好きになったんだ。それで、真部が言いたいことも分かっている。どうして男なのに加奈子を好きなんだ?だろ?まあでも、これが好きなんだよ」

僕は顔を赤くしながらそう言い切った。結構(けっこう)この事をいうのは恥ずかしかったのだ。

 そして、真部はそれを黙って聞いていた。そのあと、すっと幽霊が立ったように立ちまた本棚に向かった。そして、本棚の上にあるCD入れをとって開けた。

「これか、あったな」

 そう言って、真部は一つのCDを僕に手渡した。

「ほら、笹原、これを聞いてみろ」

そう言って渡されたCDは……………。

「『人間プロデュース』?」

「そうセンターオブライフの最初のCDだ。それ聞いてみろ笹原、今までの世界の見方、社会の見方が変わるぞ、マジで」

 そう言って真部は頬を漁師が大物の魚を引き揚げるように笑った。僕はそれを見て真部の別の一面を見た気がした。

 これまで僕が真部に抱いていた感想は男らしくて、礼儀正しい優等生みたいな顔を見ていたが、その笑顔を見たとたん。戦いも辞さず、部下からにも慕われている豪族の長みたいな表情をしたのだ。

 その、自分が持つ他人の認識の変化に僕自身が驚いていた。こういうことは2回目だ。寺島さんに1度その人となりを修正しなければならなかったし、この真部にもそういうことをしなければならないとは。人はその自分の中や他人にいろんな顔を持つと本で書いてあったけど、実際に経験するとまた違った感触が浮かび上がってくるな、と僕は新鮮な驚きに浸っていた。

 そして、真部は僕の驚きを知らずにこんなことを言ってきた。

「こりゃあ、笹原にはいろんな事を教育しないといけないな。みんなにもいっておくわ。笹原に最先端のサブカルチャーを詰め込んでやれってね」

 そう言って、またあの豪族の笑顔を真部はした。それにつられて僕も笑った。




「今日はいろいろ来てくれてありがとう。おかげで笹原のことがいろいろと知れてよかったよ」

「ああ、こっちこそ真部と一緒に入れて楽しかったよ」

 日が落ちかける夕暮れ時の赤の世界の下で、僕たちは別れの挨拶(あいさつ)をした。

「じゃあ、真部、今日はありがとう。これで失礼するわ」

 そう言って僕は手を振って帰ろうとしなかったが、真部は手を振らなかった。のみならず、僕のほうへ来てこんなことを言ってきた。

「なあ、笹原」

「ん?なに?」

 真部は少し逡巡(しゅんじゅん)していたが、やがてそれをふりきりこう言った。

「なあ、笹原、俺たち名前で呼び合わないか?結構(けっこう)、去年の春からのつきあいな訳だし、なんか、タイミングを外して言えなかったけど、そうしないか?」

 そう、真部は言った。僕は驚いた(おどろいた)。まさか友人を名前で呼び合う日が来るなんて考えたことがなかったから、

 しかし、僕はすぐに承諾をした。

「ああ、いいよ。そうしよう。友だちを名前で呼ぶなんて今まで一度もないからなんだか恥ずかしいけどね」

 それ真部は肯いた。それから僕は自転車を手で押しながら、真部は歩きながらとりとめのない話をした。

「ああ、そうだったな。美春から聞いたよ。何でも美春が初めての友だちだとか。それ聞いたとき、おれびっくりしたよ。いったい15年間友だちができないやつってどんなやつだろう、ってね。でも、美春が言うにはすごく優しい人だって言ってたから、どんなんだろうなと思っていたら、美春が言うようにまともな人だった。それで美春も案外(あんがい)まともなことを言うな、と思ったんだ」

「はは、なにそれ」

 そう言って僕たちは笑いあった。それは少しの時間だったが、夕焼けに琥珀(こはく)色の結晶を透き通らせるような幸福な出来事だった。

 しかし、そのとき。僕たちは寺島家の前に来て、寺島家の門の前からある声が聞こえてきた。

「ほら、いくよ。ボア。…………よ〜し、よしよし。いい子だね、ボア。さ、散歩しよ」

 そして、その人は僕たちの前に現れた。犬と一緒に散歩しようとしている寺島さんが。

『あ』

 二人で同時に黙って、そして寺島さんはぷいっと顔を背けた。

「ほ〜ら、ボア、今日は美しい夕日だね。明日もまたこんなふうに晴れるといいね」

 そう言って、寺島さんは飼い犬と共に歩いて行った。僕はその背中を黙ってみることしかできなかった。

 そんな僕に真部はぽんと肩をたたいていった。

「気を落とすな、一樹。美春のことは俺からも何度か言ってみる。あいつは結構(けっこう)、お前のことを気に入っていたんだ。だから、また仲良くなれることができるって。この事に耐えれば、また友だち同士になれるから」

「ああ、分かった」

 僕はそう、肯いたものの、でも自分の内面は複雑な気持ちだった。確かに友人を失うのは怖かったが、それでも、彼女のしたことを許していいか、というと仲直りするにはためらった。だから、僕はろうそくの火のように揺らめいていた。

「………………………。うん、分かったよ、真部僕は何とかこれを乗り切ってみるよ。心配させて悪かったね」

 一応真部に対してはこう答えた。

「ああ、それが分かっているなら上出来だ」

 真部も肯いた。それから僕たちは正真正銘(しょうしんしょうめい)の別れの挨拶(あいさつ)をして別れた。

 僕は自転車で家路を急ぎつつ、さっきまで赤で染まっていた町並みが、今は少しずつ暗くなっているのに気づく。

 僕と寺島さんの関係はこんな風に暗くなるのだろうか?。

 そう僕は思った。


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