第45話45


 ホームルームの時間。成田先生は教室に入ってきた。成田先生は極めて事務的な態度で扉を開け、閉めた。逆にこういう態度がこれから本当にみんなが追求されるというのが水が身にしみるように、肌感覚でわかった。成田先生は壇上(だんじょう)に上がると単刀直入に言ってくる。

「おまえらのプリントを見せてもらった。まず、俺が村田と金村に質問をするから、そのあと、何人かの生徒に質問をするかも知れないから、それを頭に入れてくれ」

「まず、村田」

 村田の体が震えた。

「なぜ、波田(はた)をいじめた?」

 村田が顔を俯け、貝が殻に籠もるようにその長い髪で顔を覆って、静電気のように微弱に揺れながら、その小さな口を開く。

「…………………おもしろそうだとおもったから」

 貝よりも小さな声で村田は言った。

「それで、実際にいじめられて村田、おまえはどう思った」

「…………………苦しいです。波田(はた)さんに申し訳ないと思います」

「だ、そうだ。実際に波田(はた)のときも村田の時も見ているみんなには分かっているだろうと思っているだろうが、いじめはしてはいけない、いじめは人間の尊厳を奪うものだ。金村!」

 金村さんのからだがびくりとした。村田のときとは違って、肉食動物に見つかった草食動物のように揺れた。

「なぜ、おまえは村田をいじめた?」

「……………………」

 成田先生は金村さんのそばに来て言った。金村さんは答えない。すっかりさなぎでいるつもりのようだ。

「何でおまえがいじめてかと聞いている!波田(はた)のときも死んでしまったんだぞ!また、村田のことも死なせる気か!いいか、もう一度聞くぞ。何で、いじめた!答えろや、コラァ!」

 ここからでも殺意のような物が流れているのが分かるというのに至近距離でこれを言われるというのはどういう気持ちだろうか?はっきりと自分の存在の殻(から)が一部粉砕(ふんさい)するというのがだいたい想像できた。

 金村さんは黙っていた。いや、はっきりと震えていた。罪の自覚故ではないだろう。ただ、先生が怖かったのだ。

 金村さんは黙っていたし、震えていた。先生はそれを見て、金村のほうの視線を外し、みんなに向かってこう言った。

「じゃあ、おまえ達。おまえ達は何でいじめを見て見ぬふりをしていたか、それに答えてもらおうと思う。おまえ、えー、原田郷司。おまえはどうしてみて見ぬふりをした?」

 そう、先生はある男子生徒を指さしていった。その男子生徒、原田君は慌てて立った。身長が高く体格もよいバスケ部の生徒である原田君は立ち上がった者の、肩を震わせていた。

「どうして、おまえは見て見ぬふりをしていた?答えろ」

「いえ、別に、女子達のふざけかと思って…………………」

 そう少し言葉を口の中でまごつかせながら原田君は言った。それを見ていた、成田先生はあることを話した。

「おまえ、波田(はた)の体型を見たか?」

「え?………あ、はい見ていました。それが何か?」

「おまえ、波田(はた)の体重が急激に減っているのに、何も不思議に思わなかったのか?バスケ部のおまえが」

 そう、成田先生は言った。原田君はあくまでどきまぎしながら黙っていた。

「不思議に思っただろう?あんなに太っていた波田(はた)が、最後にはがりがりみたいな体重になっていたなんて、普通に考えておかしいと思うはずだろう?」

「い、いえ、別に……………………」

 そうようやく原田君はそう言った。その原田くんは羽が一つもげた蜂(はち)のようにほとんど半死人になりながら途切れ途切れに言ったのだ。

 そうやって、先生に滅多(めった)打ちされた原田くんであったが、ようやく一つのことを言った。

「あ、それは、多分。先生、ダイエットのように思ったんで」

 そう言った。そして、それが成田先生の引き金を引かせた。

「ダイエットとは何だ!あんなに急激にダイエット何てするわけないだろうが!しかも、何だ、そんな思いついたように言った台詞(せりふ)は!俺はおまえ達の本音を聞きたいのに、どうして、おまえはそんなとってつけたことを言うんだ!おまえ達の本音は人に聞かせられないものなのか!ああ!」

 そう、成田先生は原田くんに、僕たちに向かって怒鳴った。彼は怒っていた。いっこうに責任を取ろうとしない僕たちに向かって怒っていたのだ。そのことにクラスの生徒はどれだけ分かっているのか?

 そして、怒鳴ったあと、成田先生は原田くんにこう言った。

「よろしい、座りなさい」

 座る原田くん。その姿勢からは乾燥室に入れたつるのようにしょげかえっていた。

「おまえ達にはもう少し話し合いたいと思うが、おまえ達がこんなものでは何も、話し合おうにもおまえ達が話せないというなら何もできないと思うから、いじめで死んでいったひとの遺書を言ってから俺がいじめについての個人的な意見を述べて終わろうと思う」

 その遺書は今年の春に亡くなった、高校生の男子生徒が残したものだった。最近下火になっていじめ自殺と言うことでよくニュースになっていた時期があったのだ。




 空洞のパンク。 奈留瀬川優人。


 空洞の音がする。それはいじめにあったときからそうしている。学校に行っても、飯食っても、ゲームしても空洞の音ががんがん聞こえてくるのだ。

 夜も寝れない。テレビを見ても空洞の音がますますひどくなっていく。そいつはからっぽにするんだ。空っぽの人が聞こえて、すべてを空っぽにするんだ。

 空っぽのパンク。空洞のパンクが鳴り響く。そして、俺は空洞になっていく。空っぽになっていく。

 そんなときに俺は死のうと思った。




「おまえ達、これを見て、どう思うか?」

 みんなは黙った。当然だ。アメーバ達が答えられる質問ではないからだ。

「おまえ達が何を考えてるか知らんが、まず、俺の意見から言わせてもらおう。こんな事になった人間をおまえらは許せると思うか?言い方が変だな、これでは奈留瀬川が悪人みたいだがそうじゃない。


 奈留瀬川のようなこれほどまでつらい、人の存在をおまえらは容認できるかと聞いている。つまり、奈留瀬川のような苦悶があってはならない、とおまえ達が考えれるかどうかだ。今のような状態になった人を容認できるか?


 いや、否だ。こんなのは容認できるはずじゃないんだ!奈留瀬川がどんな人間であるかどうかは知らないが、そのことは俺にとってどうでもいいことだ。どんな人間であってもこれほどの人間の尊厳を奪うことはあってはならないんだ!とにかく俺が言いたいことはそれなんだ。だから、どんな理由があってもいじめをなくさないといけない。おまえら分かったか!!」

 それにみんなはイナゴの大群になって成田先生から逃げようとした。みんなで黙れば怖くないというのか?

「よし、おまえらにもこの詩の感想を言ってもらおう。金田!おまえはどう思う?」

「え?」

 金田くんは最初に当てられたときは何を言われたのか分からず、きょとんとしていたが、慌てて立った。

「あ、はい。奈留瀬川くんはこんなに苦しんでいるから、いじめはいけないと思います」

 そう金田くんは言った。だが、先生は金田くんが行ったあることを指摘する。

「そうか、金田。おまえはいじめはよくないというのか。なら、何で波田(はた)をいじめた?」

「え、それは……………」

 金田くんは黙った。弱い人をいじめることができても強いやつに立ち向かうことができないんだ。

 そのとき、また成田先生の怒号が飛んできた。


「なら、何でいじめた!おまえにはいじめられる苦しみを知らなかったのか!しかし、知らなくてもいじめが悪いと思っているだろ!それをなぜ、いじめたんだ、ゴラァ!!ちゃんと答えろや!!」

 そう成田先生は言った。金田くんは地上に落とされた魚のように血の気がどんどん小さくなっていた。

「おい、なんか言え」

 金田くんは口をぱくぱくさせて死すべき魚になっていた。本当にこいつはこのまま死ぬかも知れないな。そういうことを僕はふと感じた。

 成田先生はその恥ずべき汚物に向かってこう言った。

「もう、いい座れ」

 金田くんは死人のような顔をして座った。

 それで成田先生は最後の人を当てて、この授業を終わろうと言った。

「フレイジャー」

「はい」

 フレイジャーが成田先生に当てられ立ち上がった。流れるような金髪、服が張ってある胸、170センチある身長は、僕と同じ身長なはずなのに、自分よりも大きな存在に見えた。

「フレイジャー。この遺書をどう思う」

 フレイジャーの横顔を見る。真っ白の肌に、夕暮れに光に染まる金髪、澄み切った目。その瞬間、僕はこの少女こそがこの腐った沼を浄化できるのではないか、と思った。

 フレイジャーがなにかを言おうとして言葉を発する空気を纏った。

 そうだ、言え!

 しかし、フレイジャーが言った言葉は僕が求めていた者とは全く違っていた。

「私の意見を言わせてもらうなら、自殺をして死んだ奈留瀬川は弱い人です。弱い人に同情するほど私は余裕を持っていませんので、簡単に言うといじめで自殺した奈留瀬川や波田(はた)は愚かな人と言わざるをえません」

 そのとき場の空気が固まった。一点に凝縮(ぎょうしゅく)して僕たちを閉じ込めたのだ。




 この、女なんて言った?

 僕の思考が凍った。そして、氷は溶け冬眠生活から復活した直後の熊のように自分の思考がふわふわとあたりをさまよっているようだった。

 フレイジャーが何を言ったのかは分かる。しかし、分かるのだけど集中力の焦点がぶれて分からなくなってきてる。

 この女は何て言った。こいつは波田(はた)や奈留瀬川を愚かな人と言ったのか?

 そんなクラスの結晶化にいち早く抜け出したのは成田先生だった。

「おい!フレイジャー、おまえなんてことを言うんだ!おまえ、正気か!」

 成田先生が昂然(こうぜん)と怒りフレイジャーを怒鳴った。対して、フレイジャーは氷山のように冷たく、少しの力では壊せないほどの頑丈だった。

「はい、全く正気の状態で話しています。問題はありません」

 そのようなことを透明なきらめきと人を凍えさす冷気を併せ持った口調で言った。どうやら、彼女は本気らしい。

「いや、そういうことを言ってるんじゃなくてな!さっきのことは正気かと聞いているんだ!」

「はい。先ほどの話は私の本心で言った台詞(せりふ)です。嘘、偽りはありません」

 そのようなことを毅然とした態度で成田先生に言った。成田先生は戸惑うように手を握り、開きをしているのが僕の目にとまった。

 成田先生は頭を振って、もう一度この事を問うた。

「改めて聞くぞ、フレイジャー。おまえは本当に波田(はた)や奈留瀬川が愚かな人というのか?」

「はい」

「あんなに苦しんでいるのに、それでもおまえはあいつらのことを愚かだというのかぁ!!あんな遺書を残して、それでもいじめをうけるひとはおろかだというのか!!違うだろ、いじめは全部悪いものだ!あそこまで苦しむいじめをすべて根絶していかないといけないんだ!違うか!」

 獅子の咆吼(ほうこう)をすべて受け止めた氷山は顔一つ換えず、訂正をして反論した。

「私はいじめは悪ではないと言っていません、いじめは悪いものだと言うことに異論はありません。ただ、それで死んだ人が愚かな人たちだと言ったのです。私は持論を変えるつもりはありません」

 フレイジャーは高い冬の山の空気みたいに僕らのクラス一陣の風のように濁った(にごった)空気を変えた。ただ、僕には涼しいと感じると同時にどこか冷たい場所だな、ということを感じた。

 成田先生はあまりに驚きの表情が強かったのだろう。成田先生の動きがからくり人形みたいにかくかくと動いた。

「おまえは死んだ人を侮辱するのか!?」

「ええ、彼らはあまりにも愚かな死を迎えましたから。学校でいじめを受けるなら、転校するか、中退して大検を取ればいいものをそれを知らず、知ろうと努力もせずに死んでしまいましたから、愚か者の最後になったのです」

 そんなフレイジャーのクールな意見にそれでもなお成田先生は食い下がった。

「しかし、いじめが原因で彼らはああなったんだ。そんな人たちを救うためにいじめは根絶していかないといけないんだ。だからこそいじめは悪でいじめを根絶しないといけない!違うかフレイジャー!」

 フレイジャーはうっすらと頬をゆがめてこう言った。

「では、先生。あなたは現にいじめられている人を全部救えるというのですか?」

「ああ、もちろんだ」

 先生はそう答えた。

「すべてのいじめなくせると?」

「ああ、それが教師のつとめだ」

 フレイジャーはゆがめていた頬を直して姿勢を屹立(きつりつ)してこう言った。

「では救って下さい。その…………………」

 村田のほうに目を向けて、そして先生に向き直りこう言った。

「村田さんを」

 空が暗みをまし、秋から本格的に冬へ移行するその狭間の風が僕たちの肌に忍び寄る。そんななか、電灯の光が僕らの真剣さを明快にしながら軽くしていた。




 成田先生はホームルームを終え、教室から出て行った。僕たちはだれもがなにも口にしないまま、教室から出た。

 クラスのみんなは負傷者を運ぶ軍人のように黙々とした態度で歩いていた。僕はようやくこのクラスがまともになったのかと思ったが、それは違った。

 彼らが階段を下り、下駄箱の靴(くつ)を取り出し、履き、外に出て行って、学校の裏側にある、自転車置き場に来たときにそれは起こった。

「あ〜、マジだりぃ、何であんなやつの言うことを聞かなくちゃならないんだよ」

 その堕落した集団の先陣を切ったのは金田くんだ。しかし、金田くんのその一言でクラスのみんなはそれに続いた。

「ああ、ほんとだ。あんなに叱ることはねぇと思う。どうかしているぞ、あの教師」

「そうーよねー。だいたいさ、あの波田(はた)がいけないんだよ。あのデブ、ぺちゃくちゃ話してちっともこっちの話聞かないんだから、はっきり言ってダメよね〜。死んでくれて当然な人間なんだよ」

「そうそう、あいつさ本気でうざかったんだから、死んでくれたら、その分。あれ、環境保護!?になるんだよ。だってもうなにも食べないんだからさ」

 それにみんなが爆笑した。僕はその輪に加わらす、さっさと帰ろうと思い、自転車のロックを外し帰ろうとした。

 そうすると、金田くんが僕に声をかけてきた。

「おい、笹原。おまえ、あの授業のことどう思う?」

 ついにこの時が来たか。だいたい予想してきたところだけど、ついに来たか。と、僕はそう思った。

「べつに」

 それだけ答えて僕は自転車で去ろうとしたら、僕らのなじみ深い野太いが聞こえてきた。

「コラァ。お前らまだ、こんな所にいたんか!さっさと立ち去らんか!」

 成田先生が飛んできて僕らを叱ってきた。

「いや、先生これはですね。今から帰る用意をしていたんです」

 金田くんがしどろもどろになって弁明をした。しかし、成田先生はそれを許さなかった。

「お前ら、たださえ遅い時間になっているんだからさっさと帰れ。親が心配するだろう。だから、さっさと帰れ」

 クラスのみんなは敵軍の負けた敗走兵のように屈辱にまみれつつ、しかしそれを隠して付き従うという姿勢を見せつつ、黙って帰途についた。

 しかし、宗堂に帰る帰り道、まえにいる二人組の男達の声が聞こえてきた。

ーああ、今日は大変だった。あんな事になるなんてついてないな。

ー全くだぜ。それよりか、川口。これからうちに来てゲームをしないか?新しいやつを買ったんだ。ファントムてやつ。それするか!

ーああ、そうしよう、そうしよう。今日は大変な一日だったからな。

 そんな声がミツバチが過ぎ通るように僕の耳に入り込んできた。








 10月の秋の登下校。僕は校舎の裏手にある駐輪場に自転車を置いて、校舎に入ろうとすると、一つの凍てついた冬の凛とした声が聞こえた。

「署名、お願いしまーす!」

 僕がその声を発している当の人のそばに行くとその人は流れる金髪をたなびかせなが射

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