第18話18

 灰色の空気の中をぼくは自転車でこいでいた。今日はもう日は昇らないだろう。ぼくはそう思い自転車をこぐ、灰色に染まった自分の体を使って。灰色ははっきりしない世界だ。灰色になるということは自分がはっきりしない。起きているのに体が寝ているかのように動かない。灰色はそんな矛盾を抱えた物の場所だ。

 ぼくはそんな世界で泳いでいた。見えない川で。




「おはよう、笹原君」

「ああ、おはようございます」

 真部の家に行こうとすると寺島家から寺島さんが徒歩で出てきたところに偶然鉢合わせして挨拶(あいさつ)をした。ぼくは自転車を止め、降り、自転車をこぎながら寺島さんと会話をした。

「今日は残念な天気だね。笹原君」

「はい。そうですね。降らなきゃいいけど」

「たぶん、それは大丈夫だと思うよ。今日の降水確率は低いから」

 そう言って、寺島さんは笑った。

「今日も勉強か。なんだかいやになるな」

「なに?笹原君、勉強がいやになったの?」

 寺島さんがおどけた調子で言ってくる。

「ああ、そうだよ。だって勉強いやでしょ?」

 そう軽い感じでぼくは言った。寺島さんはそれにイエスともノーとも言わなかった。

「う〜ん。確かにおもしろくないけど、でもできないと言うことはないでしょ?」

「いや~。かなりできない」

 そう言ってぼくは笑ったら、それに続いて寺島さんも笑った。

「そうか、できないか~。わかる、わかる。私も中学は勉強なんてからっきしダメだったからね」

 そう言って、ふんふんと頷いていた。

「そういえば、真部が言った事って事実だったの?」

 ふとした疑問からそう言った。それに寺島さんは恥ずかしそうに答えた。

「ま、まあね。あれは事実なの。私、中学のとき勉強がダメでね。それで勉強が嫌いになったの。そうしたらいつだったかすごい悪いテストの結果をもらってね。それで親が光に勉強を教えてくれって頼んできて、それで光に勉強を教わることになったの。まあ、最初はいやだった、いやだったよ。でも、光が言うようなあそこまでひどい状態じゃあないんだからね!わかった!笹原君!」

 寺島さんは親が自分のために残しておいたケーキを妹に食われそうになるのを必死で追い払うような、鬼の形相でこちらに迫ってきた。そういうことなのでぼくは思わず、首を縦に振った。

「そう。よかった。笹原君がわかってくれて、私うれしいよ」

 僕が必至に首を縦に振ったら、寺島さんはさっきの鬼の形相から一転して、天使の微笑みで言った。だけど、さっきはマジで怖かった。

 そんなことをしているうちに真部の家に来た。それで自転車を止めるために裏庭にくるとフレイジャーがもういた。

「おはよう、フレイジャー」

「おはよう、リンちゃん」

「おはよう」 

 フレイジャーもいつも通りに氷のような透き通った空気をまとっていた。

「今日はよろしくね、リンちゃん」

「ええ、よろしく」

 これもいつも通り、ぼくの方には向かずに寺島さんのほうだけを見て話した。

 そうこうしてるうちに真部家のドアが開いた。真部家のドアはガラスが張っているスライド式の古風なドアなのだが、それが開いて真部が出てきた。

「おはよう、みんな」

『おはよう』

 みんなで挨拶(あいさつ)をしてから真部はこう言った。

「さ、みんな、上がってくれ。さっさと勉強を終わらせて遊ぶことにしよう」

「おーす!」

 やっぱりこれに反応したのが寺島さんだったということは言うまでもない。それでみんな真部の家に入っていた。




「よ~し、かんぱ〜い」

『かんぱ~い』

 勉強が終わってみんなで乾杯をした。

 それでみんな追々好きな物で飲んでいた。ぼくは午後の紅茶、寺島さんと真部はコーラ、フレイジャーはウーロン茶を飲んでいた。

「よ~し、みんな飲んでるか~!」

「飲んでるよ。寺島さん」

「ならよし!」

 そんなことをいいながら盛り上がっていた。寺島さんが一番盛り上がっていたのは言うまでもないことだ。

「よし!ここは恋バナをしよう!みんな!まずはリンちゃんから!何か恋バナない〜?」

「私?」

 フレイジャーが驚いた(おどろいた)声をした。しかし、すぐに頭を振って答える。

「いいえ、特にないわ」

 フレイジャーは否定したが、寺島さんはゴミ箱を見つけたカラスのようにねちねちと食べれるところを探す。

「え~?本当に~?だってこんなに美人じゃん。絶対、もてるはずだよ」

「いいえ、私は『外国人』だからもてることはないわ」

 フレイジャーのその言葉に寺島さんはいくらか考えるようなそぶりを見せた。

「そうか…………。やっぱり、リンちゃん、まだ、クラスに溶け込めてない?」

 寺島さんはフレイジャーを気遣うようにそう言った。フレイジャーは寺島さんの視線に横を向いてこう吐き捨てた。

「別に仲良くする必要はないわ。そういう美春はどうなのよ?」

 突如(とつじょ)、キャサリンは寺島さんに矛先を向けた。

「え?わたし?」

 寺島さんはきょとんとしていたが、すぐにでへり、と弛緩(しかん)した顔になった。

「私?いや〜、私は別に恋なんてしてないよ?本当だよ?ああ、恋したいなぁ〜、すてきな彼いないかなぁ〜」

 そんなことを随所(ずいしょ)にのろけながら美春は言っていた。それにフレイジャーは真部に目を合わせてこう言った。

「光。ブツを」

「ああ、もうできている」

 それで光は写真入れのケースを取り出してフレイジャーにわたした。

「え?なにそれ!」

 寺島さんの驚愕(きょうがく)をよそにフレイジャーはさっさとケースを取り出して、机の上に並べた。そこには寺島さんがスポーツ刈りをしたかっこいい男の子と手をつないだところが移っていた。

「何だ、これは!」

「きゃー!きゃー!なにこれ!いつの間に!」

 ぼくと寺島さんが驚きの声をを発するかたわら真部が説明してくれた。

「これは2年のサッカー部の少年佐藤浩二だ。佐藤は2年でも結構(けっこう)実力のある選手でレギュラーにも選ばれているな。あとは一目見ただけでわかるな。ちなみにこれは写真部の楠(くすのき)伸也君からの協力で得た物だ」

「嘘!いったいどうして、いつ取ったのよー!」

 真部の淡々とした説明と寺島さんの叫び声が混在してこの場に反響していった。

「そりゃ〜、これだけのろけていたらとれるわよ。だって、あなた。この写真すごい顔が緩みっぱなしじゃない」

 フレイジャーが写真を見ながら若干あきれ顔で言った。

「ええ〜!何で〜!おかしい、おかしいよ〜!絶対〜」

 寺島さんはすねた口調で言った。

 フレイジャーはそれを無視して、こんなことを聞いてきた。

「それで、美春。彼とはうまくいっているの?」

「え?ええ〜?そんな、うまくいってるだなんて、ふ、普通だよ」

 照れくさそうに寺島さんは言う。しかし、フレイジャーは寺島さんの弁明を聞かず、こんなことを言ってきた。

「彼とはうまくやれてる?彼の好き放題させてない?たとえば、彼だけが一方的に話しているとかそんなことはないの?彼はあなたの意思を尊重してくれてる?あなたのしたいこともさせてくれてる?二人で何かするときはちゃんと二人で相談してる?彼だけが一方的に決めてると言うことはない?それか、彼は何も言わないと言うことはない?それから……………」

「ああー!、ちょっと、ちょっと。そんなに聞かないでよー!」

 フレイジャーが一気にまくし立てた言葉の渦に飲み込まれ、寺島さんは悲鳴を上げた。

 そして、そうなるとフレイジャーはいったん言葉を止めて、寺島さんに向かってこう言った。

「じゃあ、話してみてよ」

「う、うん。話すから聞いていてね」

 それで寺島さんは言葉を少なくしながら、こう言った。

「うん、わかった」

 フレイジャーはそう静かに言って、話していた言葉をすべて止めた。それで寺島さんは話し始めた。

「うん、あのね。彼、とっても優しくて私の言うとおりにしてくれているし、何をしたいかも二人で相談して決めているの。だからリンちゃんが危惧しているようなことなんて起こってないよ?本当だよ?だから、あのね、心配しないで」

 そう、寺島さんは言った。最初はもじもじしながら話していたが最後には晴れやかな笑顔をしていったので、フレイジャーも真部もぼくも目配せをして大丈夫だろ、ということを確認しあった。

「なら、いいわ。大丈夫そうだし、もう、こちらから何も言うことはないわね」

 そう、フレイジャーは言った。友人についての話だというのに、あまり喜怒哀楽を表に出していなかった。彼女自身、無表情な人かもしれないし、それか、あまり関心がないのか、ちょっとよくわからなかった。

「そうそう、私の話はこれでやめよう。次は光の番にしよう」

 寺島さんは自分の向けられたやじりを真部に向けた。

「俺はそういうのはない」

 しかし、寺島さんの槍は真部の一刀によって切り捨てられる。

「そんな〜。なんかないの〜」

「いや、特に。声をかけてくる女子はいるが、どれもぴんと来ない。俺としては青春の恋はもう香(かおり)のときに全部やったという感じで、あまり、今探そうという気が起きないんだ」

 そう真部は言った。香というのは昔の彼女のことか?ただ、寺島さんとフレイジャーは何か、納得している風だった。

「あの、香というのは真部の元カノでしょうか?」

「うん。そうだよ。すっごいきれいなひとでほんと光とお似合いだった。中学まで真部とほんといつも一緒にいたんだ。あれ?光いつ別れたんだっけ?」

 真部は首をかしげながら言った。

「いつだったか。高校に入るときだな。香は俺と一緒にこの高校に進んでいるんだが、何となく高校に入るとき別れた。きっかけはなかったけど、たぶん、飽きたんだ。俺たちは本当にどこに行っても一緒だった。だけど、それを3年間もしていて、何となく飽きてしまったんだ。だから別れた。笹原、これでわかったか?」

「う、うん。何となく」

 そういう物なのか?好きだった人同士が別れるというのはそういう物だろうか?

 ぼくはよくわからなかったが、いや、わからないから、恋人同士というのを少し保留にした。

「じゃあ!笹原君!君の甘酸っぱい話を私たちは求めているのよ!」

 寺島さんはぼくの肩をつかみ、拳をたてて声に力を入れて話してきた。

「ないよ」

 しかし、ぼくがそう言うと寺島さんは昆布のようにへなへなとしながら倒れていった。

「ちょっとー!笹原君、それはないんじゃないの?私たちがせっかく話してきたのに、あんまりだよ」

「いや、だって実際に彼女なんていないからないものはないんだよ」

「まあ、それなら仕方ないか」 

 そう言うと寺島さんも渋々(しぶしぶ)納得しながら引いてくれた。

 しかし、そうなると今度は話題がなくて全体的にぐったりとした空気になった。

「ねえ、なんかない?」

「ないわよ」

「ないね」

 そんなことをいいながら適当に菓子をつまみ、ジュースを飲んでいた。人と一緒に集まってもなかなか話題という物が見当たらなかった。

 しかし、真部が言った台詞(せりふ)で場の空気が変わることになった。

「そう思ってだな」

『ん?』

「そう思ってだな。もう映画を用意してある」

『おおー!』

 みんなが興奮した。それはそうだ。映画が用意されてあるなんて思っていなかったからだ。

「タイトルはなに?」

「いろいろ、ある。『サーチャー』、『地獄のベトナム』、『the great guiltys』これぐらいの物かな?どれがいい?」

 真部があげた物に、一番に選んだのが寺島さんだった。そして、それにみんなは異論を唱えなかった。

「よし、じゃあ、これでいいか?」

 そういうわけなのでそういうことに決まった。

「よし、じゃあそうしよう」

 そのあと真部てきぱきと押し入れを開けてdvdを取り出した。押し入れにはすごい数の本とdvd(映画)があるのが見て取れた。

「すごいね。あれ、全部真部の物なの?」

 真部は映画をセットしながら答える。

「いや、あれがすべてではないよ。俺たちの親は書籍代は全部、金を出してくれるんだ。それでかなり買ったから、親父の所にいくらか本を置いてある。いや、あっちの本も結構(けっこう)あるな。さっき押し入れにあるのは気に入った物だし、古典とかは両親が持っている場合があるんでそれを読んでいるし、まあ、ここにあるのはほんの一部分だ」

「へ〜」

 本を全額親が負担してくれるというのはなんだかすごく意外だった。何というか親は子に対して愚痴を言うだけで親が支援してくれるというのはすごく意外な感じがした。

 まあ、それはともかく、僕たちは『サーチャー』を見ることになった。画面が起動して、プール場が写される。そこから女性を狙撃するところから物語が始まっていった。

 だれもがしんとしていた。暗い、独特の映画にみんなが釘付けになっていたのだ。

 ぼくはそれを感じていたが、ぼく自身も映画に集中することにした。





「よかったね!」

「ああ、確かに」

 僕は肯いた。一を狙撃した犯人の追跡、逮捕などはあったが、やがて釈放された犯人をほうの手で寄らず自分たちの力で倒す姿は圧倒された。

 この話にだいたいみんなも満足していた。じゃあ、そろそろ帰るかな。

「じゃあ、真部、そろそろ帰るわ。僕ら」

「ああ、そうだな。また来いよ」

 そして、僕らは帰りの支度をして真部の家から出て行った。

「さようなら、真部。また来るよ」

「さようなら、今日の賑やかな時間は忘れないわ」

「さよならっす!また、明日この家に集合ね、みんな!」

 その言葉にみんなが肯いた。また、ここでみんな集合。それは甘美な響きだった。漫画やアニメで友人同士で集まる時間を確認するということは長年の夢でも合ったが、実現できるとは思わないことでもあった。だから、こんな甘い梨(なし)のような甘美な時間を過ごせるとは思うことはできなかった。

「じゃあ、みんな気をつけて帰れよ」

 それにみんなが肯いた。そして、僕達は思い思いに真部の家の玄関をくぐっ家路についた。

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