ファイナル・オペレーション

稲庭風

ファイナル・オペレーション

 あたしの名前はサリカ。サリカ・エルシータ。

 歳は十三、髪はママと同じオレンジブロンドのストレート、目はパパと同じ茶色。眉毛がちょっと太いのはおじいちゃんに似たらしい。

 肌は白い。パパよりもママよりもずっと白い。あたしが昼間は窓もない小屋に閉じこもって、夜、みんなが寝静まった頃にしか外に出ないせいだ。


 そうしたくてしてるわけじゃない。あたしは、そうしないと生きていけない。

 あたしのことを吸血鬼だって思ってる子もいるけど、そうじゃない。

 星空は嫌いじゃないけど、あたしはやっぱり明るい青い空のほうが好きだし、夜の黒い海ははっきり言って怖い。青い海のほうが、絶対すてきだと思う。

 それでもあたしが明るいうちは外に出られないのは、あたしが『さとりもの』だからだ。


 『さとりもの』っていうのは他の人が考えてることが分かる力のことだ。

 あたしのママのママのずーっとママの頃、うちの家には代々一人はこの『さとりもの』がいて、この力で神様からお告げをもらって、王様がいろんなことを決めるのを手伝う神託の巫女というのをやっていたらしい。

 だけど、蒸気機関車が走り回り、飛行船や気球が飛んでる今のこの国には、もう神様も王様もいない。神殿が昔あったっていう村はずれには風車付きのポンプ小屋が建っていて、小さな石積みがお情け程度に残っているだけだ。

 だから『さとりもの』なんてもう何の役にも立たない。それなのに、うちにはそれでも時々『さとりもの』が生まれる。あたしは、それに当たってしまった運のない女の子だ。


 人にない力があるっていうのは、いいこととは限らない。

 少なくともあたしにとって『さとりもの』であることはちっともいいことじゃなかった。


 あたしはたぶん生まれた時から『さとりもの』で、みんなもそうなんだと思ってた。誰でも、誰かの考えていることがわかるんだと思っていた。だから、あたしはみんなにとっては時々急にかんしゃくを起こす変な子だった。あたしの中では、一生懸命思ってることを全部無視されて怒ってたんだけど、そんなの誰にもわからない。

 あたしにみんなと違う力があることを知ったのは、それをみんなに知られたのは、あたしが三つか四つの時のことだった。いつもあたしに意地悪をしてきてた男の子が、あたしの靴を片方隠した。当たり前だけど、返してってどんなに思っても返してくれなくて、言っても知らないってとぼけられて、あたしは我慢できなくなってわめきたてたのだ。

 

「崖から砂浜に捨てたっていま思ったじゃない! なんで思ってるのと違うことを言うの!? なんであたしが困るってるのにうれしいって思ってるの!? ママもみんなも、どうして『可愛い』なんて思ってるの!?」


 お年寄りの中にうちの家系のことを知っている人がいて、噂がすぐに広まった。

 あいつは『さとりもの』だ。考えていることを全部読み取られるぞ。分別もないし、秘密を覗き見てそれをわめきたてるぞ。

 大人も、子供も、あたしを見ると逃げていくようになった。

 大人も、子供も、あたしを見ると『嫌だ』『怖い』『気持ち悪い』という『思い』を持つようになった。

 あたしはその『思い』を読み取らずにいる術を持っていなかった。

 あたしはすぐに外に出られなくなった。誰かが思いを向けてくる明るい間は。


 あたしが昼間閉じこもっている小屋は、昔は巫女の社と言われていたらしい。あたしみたいに『さとりもの』に生まれた子が、自分の力をうまく使えるようになるまで暮らすための小屋で、木でも石でも鉄でもない何かで出来ている。

 この小屋の壁は『思い』を通さない。だから、外で誰が何を考えても、どんなに強く誰かがあたしに悪意を向けても、あたしがそれを読み取ってしまうことはない。

 だけど、壁は光も通さない。空気を通すためらしい小さな穴がいくつかあるけれど、中は真っ暗でランプがないと鼻をつままれてもわからない。

 なのに、壁は音までは遮ってくれない。誰かが「村を出て行ってくれ」とママに声高に抗議する声も、誰かが「覗き見女は化け物女、おひさま当たるととろけて死ぬぞ」とはやし立てる声も、全部聞こえてしまう。


 村を出るのは無理だった。

 あたしは『巫女の社』がなければどこに行ってもすぐおかしくなってしまうだろうし、あれを別の場所に作ることも、持っていくこともあたしやパパやママにはできない。

 あたしが力をうまく使えるようになれば違うのだろうけど、そのための方法を知る手段はもうどこにも残ってなかった。


 だからあたしは、明るいうちはできるだけ眠っていた。

 どうしても眠れない時は、本に逃げた。

 そして夕方、みんなが家に帰った頃にそっと小屋を抜け出してオレンジ色に染まった海を見渡し、日が沈んだ後は月と星を眺めるのだ。


 今日も、あたしはそうするつもりで海岸へと降りていた。

 だけど、普段はこれぐらい暗くなれば誰もいなくなる海岸に誰かの『思い』があって、あたしは慌てて砂浜にいくつも転がっている大きな岩の陰に隠れる。

 そこからそっと覗くと、砂浜にあげられた小さな船のそばに人がいて、何かやっているのが見えた。


「……ちぇ」


 あたしは頭を引っ込めると、岩陰から岩陰へ身を隠しながら海岸の奥へ向かった。さすがに村の人たちも、あたしを見つけなければあたしに何かを思うことはない。見つかりさえしなければ、悪意にさらされることはないのだ。


 すっかり冷えた砂浜を踏みながら、人影から逃げるように足音を殺して進む。水平線の端に引っかかっていた太陽はすとんと向こうに落ち、あたしが黄昏の色を楽しまないうちにあたりは夜の闇に包まれた。でも、あたしの足取りが鈍ることはない。暗い場所慣れしているせいか、それともこれも何かの力なのかはわからないけど、あたしは結構夜目が効くのだ。


 だけど、さすがにそんなあたしの目も、砂浜からそびえる崖に空いた洞窟の奥は見通すことができなかった。

 あたしが生まれるよりずっと昔、空から落ちてきた何かが開けたらしいその大きな穴は、恐ろしい災いが眠っているとかで太い鎖とたくさんのお札で厳重に封印されていた、らしい。でも、潮風と波しぶきのせいでお札なんかもう一枚だって残っていないし、鎖は真っ赤に錆びてあちこちが欠け、いまにもちぎれ落ちそうだ。こんなので恐ろしい災いなんか閉じ込めておけるわけがない。というか、もうとっくに逃げ出してるんじゃないの?


 そう思ったあたしはちょっと意地の悪い気分になって、中を確かめてやろうと入口の岩場に足をかける。洞窟の入口はあたしの胸ぐらいの高さで、そこに両手もかけてちょっと反動をつければ簡単によじ登ることができた。

 見上げると赤く錆びた鎖が潮風に少し軋みながら揺れていて、あれが落ちてきたら大怪我だと思ったあたしは、急いで洞窟の奥へと入る。


 外から見るとほとんど円形の入口はそのまま奥へ続いていて、床はごつごつで弧を描いている上、奥に向かってゆるやかに下っていた。転がり落ちないように慎重に足元を確かめながら、バランスをとるためにちょっと仰け反ってあたしは進む。

 月や星の光も届かない奥のほうは本当に真っ暗で、これ以上は無理かなと思ったその時、あたしの目に岩肌じゃない何かがかすかに映った。一生懸命に目を凝らしながらそれに触れると、確かに岩とは違う金属っぽい感触があたしの手に伝わってくる。


 何これ。これが災い? こんな、なんだかわからない鉄のかたまりみたいなものが?


 その金属の塊に手探りで触れていた時、急に声が聞こえた気がした。

 唐突で警告っぽかったそれは嫌な感じじゃなかったけどとても大きくて、あたしは思わず手を放して後ろへひっくり返る。運良く頭は打たなかったけど、あんまり肉付きの良くないおしりでごつごつの岩の上に尻餅をついてしまって、あたしは痛みに涙目になりながら、暗くて何も見えなかったけど、そこにあるはずの何かに向かって視線を上げた。

 いたわるような、様子を訊ねるような言葉が、今度はさっきよりは小さな声で聞こえた。


 いや、違う。声じゃない。これは言葉じゃない。感情とかそういうものを読み取ってしまった時の感じに近い。

 あたしの『さとりもの』の力は、必ずしもはっきりした思いを読み取れるわけじゃなかった。直接話を聞いているみたいにはっきりわかることもあれば、うまく言葉にできない気持ちのようなものを感じることもある。

 ママとパパ以外から向けられる気持ちはたいていよくないもので、言葉にできないぶん直接気持ちを引っ張られてしまうから、読み取ってしまうとだいたい気分が悪くなる。だから、あたしは人がたくさんいるところへは行けない。あたしは思いを読み取らないことができないから、あっという間にたくさんの嫌な感情に絡みつかれて動けなくなってしまう。


 あたしは、少し感動していた。

 久しぶりの、ママとパパ以外から感じ取れる、嫌なものが含まれない思い。

 意味というか印象というか、そういうものが含まれたそれは感情とは違っていたけど、少なくとも悪意は感じられなかった。

 そんなあたしの心に、それ・・はまた語りかけてくる。いや、言葉じゃないから語り掛けてくるっていうのはおかしいかな。とにかく、それ・・は何か聞きたいみたいだった。

 でも、それはあたしも同じだ。あなたは何なのか。こんなことができるあなたは誰なのか。知りたい。聞きたい。答えて欲しい。あたしは必死にそう思って、それから思い出した。そうだ。ただ思ったって伝わりはしないのだ。


 だけどその瞬間、あたしは読み取っていた。意味そのものなのに意味がわからない思い。たぶん男の彼が名乗った名前だと思うそれを、あたしは思わず口に出す。


「ディセット……。それがあなたの名前なのね?」


 抑えたつもりだったけど、思っていたよりも大きな声が出てしまっていて、あたしの声が洞窟にこだまする。誰かに聞かれたかもと慌ててあたしは口を押さえて耳をそばだてたけれど、誰かがやってくる様子はなかった。安堵の息を大きく吐き出してから、あたしは頭の中で強く念じる。


『あたしはサリカ』


 しばらくしてから、それ・・があたしの名前を理解してくれたような思いを、あたしは読み取った。



-◆◆◆◆◆-



 それから毎晩、あたしはディセットのところへ通い詰めた。

 夕焼けにも、星空にも、あたしはもう目もくれなくなっていた。

 恐ろしい災いだろうが大いなる災いだろうが構わなかった。どうせあたしの未来には、災いしか待ち受けていないのだ。ひとつやふたつ増えたってどうってことはない。

 まともに話せる家族以外の誰かに会えたのは、あの社にこもるようになってからたぶん初めてのことで、あたしは本当に夢中だった。


 最初は本当にもどかしかった。

 あたしの『思い』は時々しかディセットに伝わらず、ディセットから読み取れる『思い』は意味だけで形がなかった。

 いつも邪魔でしかなかった『さとりもの』の力が、初めて足りないと思った。


 だけどほんの数日で、ディセットの『思い』はみるみるうちに形を持った。


 あたしとディセットは会話をするようになった。


 その中で、ディセットはあたしにいろいろなことを教えてくれた。


 ディセットは空の向こうのもっと向こうで戦う戦士の武器だったらしい。敵に敗れたディセットは戦士を逃がして、自分はここに落ちてきたのだと言う。二十五年前に落ちてきて、あと八十年ぐらいは生きられるらしい。

 ディセットを使うには『さとりもの』の力が必要で、その戦士もあたしと同じ『さとりもの』だったそうだ。


 あたしは、あたし以外の『さとりもの』の話を初めてちゃんと聞いた。

 うちにもいくらか先祖の話を書いた本はあったけど、中身はどれも物語とか伝承で、普段の生活の様子はわからなかったから、その人の話はすごく興味深かった。

 ディセットによるとその戦士は気さくで明るく社交的な人で、友人が多くて恋人もいたらしい。同じ『さとりもの』なのに正反対の人生を送っていたその人のことが羨ましくて、あたしはその人の話をしつこいぐらいに聞いた。


 その中に、あたしの人生を変える話があった。

 ディセットは『さとりもの』の戦士のための武器だけど、その戦士の力を高める訓練をする先生でもあったのだと言う。こんな力なんか高めてもしょうがないとあたしは思ったけど、ディセットの言う『高める』は単に強くするって言う意味じゃなかった。


 最初にディセットが教えてくれたのは『送る』方法だった。『逆さとりもの』とでも言うべきだろうか。つまり、あたしの思いを相手に伝える方法だ。

 ディセットと話をするようになってなんとなくはできるようになっていたと思っていたんだけど、彼に言わせると最初の頃のあたしの声は途切れ途切れで、聞き取るのがとても大変だったらしい。それでも彼があたしと話してくれたのは、あたしがすごく必死で、それから楽しそうだったからだと後から聞いて、あたしは恥ずかしくなるのと同時に彼に感謝した。


 次に教えてもらったのは『絞る』方法だった。『さとりもの』の力が及ぶ範囲を狭くする方法。それを身に着けられるかもしれないと知ったあたしの気持ちを想像できるだろうか。


 あたしにとって『さとりもの』は力じゃなくて呪いだった。

 その呪いを解けるかもしれない。

 それは、災いしか待っていないと思っていたあたしの人生に光が差した瞬間だった。


「ディセット! 今日もよろしくね!」

「こんばんは、サリカ。さっそく始めようか」


 今夜も人目を盗んでディセットのところにやってきたあたしは、早速彼のそばに座って目を閉じた。

 ちなみに、あたしたちは会話するときに声を出したりしない。というか、彼は声を出すことができないらしい。だから、来るときに見つかりさえしなければ、あたしがここにいることが誰かに知られる心配はなかった。


 彼が教えてくれたやり方でゆっくり息を吸って吐いて気持ちを落ち着け、あたしはあたしの中にある『さとりもの』のことを考えた。

 そして、あたしはそれをカーテンで覆うことを想像する。目の前に見えているディセットの『思い』が見えないように。


 ディセットによると、重要なのは形を与えることなのだという。

 言葉にしてみると拍子抜けするぐらい簡単だけど、ディセットに教えてもらうまで、あたしはそんなこと思いつけもしなかった。ただ流れ込んでくる『思い』に打ちのめされて、それから逃げ出すのに精いっぱいで。


 でも、あたしは彼のおかげでそれから身を守ることができるようになった。巫女の社に逃げ込まなくても、心の中に自分で社を作れる。目を閉じて眉を寄せ、唇を結んで懸命にカーテンを閉じることを思い浮かべると、ディセットの『思い』が見えなくなっていく。


 完全にそれが見えなくなってしばらくしてから、かつんという音があたしの耳に届いた。一旦終了を知らせる彼の合図だ。詰めていた息を吐き出して体から力を抜くと、彼の思いがまた感じ取れるようになる。


「よくなってきたな、サリカ。遮断の基礎はもうほぼ完璧だ」

「ありがと、ディセット。あなたのおかげだよ」


 ちょっと疲れた気持ちに、ディセットの言葉がうれしい。彼はあたしに嫌な感情を向けてくることがないから、話していてとても安心できる。ママやパパと一緒にいるときでも、こんなにゆったりした気持ちになることはないぐらいだ。


「次は、がんばらなくても遮断できるようになる練習だな。それを続けて、遮断されているのが当たり前の状態になるんだ」

「当たり前か……それで、あたしも普通の人と同じになれるのかな」

「まだ同じではない。私の国の研究によれば、普通の人間も皆わずかにテレパシー……『さとりもの』の力を持っている。気配を察知する、視線を感じる、何かを予感するなどは、その現れだ」

「どういうこと?」

「ほぼ遮断するが、完全には遮断しきらない。それが普通の状態になれば、普通の人間とほぼ同じと言えるだろう」

「うわ、難しそう……」


 カーテンを閉じておくだけでも必死なのに、ちょっぴり開けてそれを保つとか。しかも、がんばらないでそれをするとか。普通の人ってすごいんだな。


「サリカならできるようになる。そのあとは、能力の到達距離を伸ばしたり、景色や音を伝える練習もするといいだろう」

「それは……いいかなあ。あたしには伝えたい景色とか音なんてないし。ディセットはすぐ近くにいつもいるんだし。……それより、また何か聞きたいな。ディセットの国の音楽」

「わかった。この間の曲でいいかな?」

「うーん……似た感じの違う曲がいい」

「難しいことを言うな。サリカは」


 その日、音楽の後にディセットはいつもと違うものを聞かせてくれた。

 聞かせてくれたというか、見せてくれた。

 オペラと言う名前のそれは、もうどう言っていいかわからないぐらいすごかった。素晴らしかった。どきどきして、くすぐったくて、せつなくて、悲しくて、幸せで。

 気持ちを揺さぶられすぎて、ふわふわしながら顔を上げた時には入り口から少し朝の光が差し込んできていて、あたしは慌てて洞窟を出た。



-◆◆◆◆◆-



 それからも、あたしはほとんど毎晩彼に会いに行った。

 一か月が過ぎ、二か月が過ぎ、夏が来て夜が短くなったころには、あたしは『さとりもの』の力を意識しないでも使わないでいることができるようになっていたし、ディセットがオペラや映画というものを見せてくれるうちに、景色や音も彼に伝えられるようになっていた。

 相変わらず昼夜は普通の人と逆だったけれど、あたしは社じゃなく、ママとパパと一緒の家で暮らせるようになっていた。


 最初、ママにこれからは家で過ごしたいってお願いしたときはすごくびっくりされたし、同じぐらい心配もされた、と、思う。

 あたしが正直に「最近、神様みたいなものに稽古をつけてもらっている」と言ったら、ママはあたしがついにおかしくなったのかと思って泣き出してしまったけど、それでもあたしが平気な顔をしていることに気が付くと、あたしのことを信じてくれた。前のあたしなら、近くで悲しくて泣いたりされたらすぐに倒れてしまうことを、ママはわかってくれていたからだ。


 他にも身についた、というか気がついたことがあった。

 あたしはずっと、誰かが持っている『思い』っていうのは一つだけだと思っていたんだけど、実はそうじゃなかったことだ。

 たぶん、昔のあたしは、その人がその時持っている一番強い『思い』だけを感じていたんだと思う。それに惑わされて、あたしは他のものをなんにも感じ取れていなかったんだ。


 あたしのことをただ嫌って怖がっていると思っていた村の人の中にも、あたしのことを憐れんだり、好きだったり、羨ましいと思っている人がいた。

 あの日、あたしの靴を捨てた子の中に、あたしのことが好きな気持ちを見つけてしまったときは、あたしは久しぶりに社に二日ぐらい閉じこもってママを心配させてしまった。


 逆に、こんなあたしでも愛してくれていたママとパパの中にも、少しだけどあたしのことを嫌う気持ちがあった。それを見つけてしまった時は悲しかったけれど、同時にしょうがないとも思った。ママやパパにはいっぱい大変な思いをさせてるし、あたしにだってそういう気持ちは全然ないわけじゃない。


 でも、変わらないこともあった。

 一人一人の気持ちはどうでも、やっぱりあたしは村の嫌われ者だった。


「ねえ、ディセット。……あたしって何のために生まれたと思う?」

「唐突だね。どうしたのかな」


 しょうがないことなのはわかっていた。あたしにだって、秘密にしておきたいことはある。例えば入ってはいけない洞窟に入ってディセットと語らっていることがそうだ。その秘密を防ぐことのできない方法で覗き見てくる誰かがいたら、あたしだってそんなやつは怖いし、近くにいてほしくない。

 だから、あたしを『さとりもの』だと知っている人ばかりの村には、やっぱりあたしの居場所はないのだ。


「あたしね、村を出ようと思ってたの。あなたのおかげで社にこもらなくても生きていけるようになったけど、やっぱりあたしは村の嫌われ者で、この村で一緒に暮らしてるとママやパパに迷惑をかけるから」

「ふむ」

「あたし、自分には素敵な未来なんてないんだと思ってた。でも、そうじゃないってあなたのおかげで思えた。ちゃんとがんばればなんとかなるんだって」

「その通りだ。君は見事に己の能力を使いこなす術を身に着けた。それは、君の努力の結果だ」

「でも、それも無駄だったみたいなの」

「どういうことかな?」

「もうしばらくすると月が降ってきて、みんな死んじゃうんだって」


 月が二つになったことにあたしが気が付いたのは、何週間か前のことだった。

 村に見慣れない人が増えたのもその頃だ。


 不安になって少し噂を集めてみたら、その人たちは星とか月のことを研究している学者さんだった。

 どんどん大きくなっている二つめの月が落ちてきて、どこへ逃げても助からないという噂が広がった街は大変なことになっていて、彼らはそれから逃げるのと同時に、その噂のことを確かめに来たらしい。

 彼らは毎日望遠鏡を覗き、結果を紙に書きつけて必死に計算した。

 そして、結果は。

 あと十日で月は落ちてきて、大地は粉々に砕け、生き物はすべて死に絶えるのだという。


「そうなのか」

「毎日、月は大きくなってるわ。十日もしないで明日にでも落ちてきそう。十日よ。せっかく未来が持てたと思ったのに、あと十日。……本当にあたし、何のために生まれてきたんだろう」


 ぐす、と、あたしは鼻をすすり上げる。

 悲しかった。結局、あたしには素敵な未来なんてなかった。

 もしかしたらあるのかもしれないと思ったものを一瞬で取り上げられるのは、長い時間の間に諦めるよりもずっとつらかった。

 だけど、ディセットの返事はあたしが思っていたのとちょっと違っていた。


「それを考えることには、きっと意味がない」


 彼の言っていることがわからなくて、あたしは言葉を返せなかった。


「私は戦って、殺し、壊すためにこの世に生み出されたが、今は君とただ話している。共に力を鍛え、音楽や映画を楽しみ、悩みを聞いている。何のために生まれたのかではない。生まれて何をしたいと思い、何をするのかが重要だ」

「何をするのか……」

「サリカ、君は何をしたい。何をする?」

「あたしは……」


 決まってる。そんなの決まってる。考える必要もない。


「あたしは、十一日目を手に入れたい。その次の日も、その次の日も、その次の日も! ずっと先まで手に入れたい!」

「私と君が力を合わせれば、なんとかできる可能性はある。だが、必ずしもうまくいくとは限らないぞ。何もしなければ十日はある命を、今日失うかもしれない。それでもやるかね?」

「やるわ。ただの偶然だったけど、あたしはディセットと会った。ディセットに会って、あたしは変わった! もう、あの社の中でゆっくり死んでいくみたいな人生はうんざり!」

「わかった、サリカ。洞窟から離れて待っていてくれ。ここにいると生き埋めになってしまう危険がある」


 ディセットに促されて、あたしは洞窟の外に出た。鎖の下をくぐって砂浜に降り、漁船の向こう側に回り込んで空を見上げると、笑っちゃうぐらい大きな丸い月と、それに食べられたみたいな小さな細い月が夜空に浮かんでいた。


 あんなものに、あたしとママとパパと、他のみんなの未来を取られてたまるもんか。

 あたしがそう思ったその時、浜辺の洞窟が爆発して中から何かが飛び出した。ものすごい音がして洞窟ががらがらと崩れ、千切れた鎖の欠片があたりに飛び散る。


 そして、あたしの前にゆっくりと大きな人の上半身のようなものが降りてきた。

 月の光に照らされたそれは、大きな鉄の鎧のようにも見えた。脚は右足の太ももしかなく、腕は左腕しかない。胸や腹にも凹みがあって、それは傷だらけの騎士人形みたいだった。


「ディセット?」

「ああ、そうだ。これが私だ。不安になったかね? 今ならまだやめられるぞ」

「やめないわ。いいじゃない。歴戦の戦士って感じでかっこいいよ」


 あたしがそう伝えて笑っていると、村からたくさんの人たちがやってきた。彼らはあたしとディセットを見てびっくりしたのか、ある程度以上は近づいてこなかったけど、何か文句だけは口々に言ってきた。もう聞く気も起きなくて、あたしは耳をふさぐとディセットを見上げて聞く。


「それで、どうするの?」

「私の中に入ってくれ」


 答えと同時に、彼の胸のあたりが開いた。すぐに一本しかない手にあたしを乗せて、彼がそこへあたしを導いてくれる。

 そして、あたしが色々な所がぴかぴか光っているディセットの中に踏み込もうとした時、急に村の人たちの声がやんだ。振り向いたあたしの目に入ったのは、ママとパパの姿。


「サリカ! それは何!? 何をするつもりなの!?」

「ママ! 彼があたしの『神様みたいなもの』よ! これから一緒にみんなの未来を取り返しに行くの!」


 あたしは笑顔で答えて、ディセットの中に飛び込んだ。

 彼が映像で教えてくれる通りに変な服を着て変な兜をかぶり、椅子に座って体をベルトでそれに縛り付けると、ディセットの言葉が伝わってくる。


「私の力を使うためには、君の力で私と一体になることが必要だ。だが、残念ながら練習をするための時間の余裕が私にはない。アドバイスは一つだけだ。自分をしっかり保つんだ」

「よくわからないけど、わかった。始めよう、ディセット! どうしたらいい?」

「いつもと同じように、私の『思い』を読み取るんだ。必要なつながりを作る」

「うん!」


 音楽や映画を見せてもらう時と同じように、あたしはカーテンを開いてディセットの『思い』に触れた。途端に、不思議な感覚があたしを襲う。そして次の瞬間、あたしの目にはぴかぴかのディセットの胸の中じゃなくて、夜の砂浜であたしを取り囲んでいるとても小さな村の人たちが見えていた。


「同調接続OK。順調だ。サリカ、上を見てみろ」


 言われて、あたしは彼と一緒に夜空を見上げた。村の人はあんなに小さく見えたのに、そこにぽっかり浮かんでいる月はまだ大きい。でも、今からあたしと彼はあれに挑む。挑んで、勝つんだ。


「行こう!」


 そしてディセットは、あたしは、膝から上しか残っていない右脚で砂浜を蹴って宙に浮かび上がった。重さは感じない。慣性制御装置イナーシャル・コントローラーが効いているからだ。そのまま、あたしは左側しか残ってない背中の推進装置スラスターを吹かして――


「サリカ、しっかり。君は私ではない」

「う……っ!」


 ディセットの声を感じて、あたしはめまいと共に我に返った。全身が汗びっしょりで、薄いワンピースが体に張り付いている。まだ頭がくらくらする。あたし、あたしはサリカ。サリカ・エルシータだ。


「サリカ、自分を保て。君の能力は強く、私と過剰に同調しやすい。慎重に自分を保ちながら私の力を使うんだ」

「う……ん」


 短い間にいろんなことが一気に頭に流れ込んできて、あたしは混乱していた。ディセットと訓練する前に戻ったみたいだった。

 とりあえず、あたしは必要でないことを振り落とそうとするように、シートの上で頭を左右に振った。シート? シートじゃない。これは椅子だ。いや、そんなことはどうでもいい。今必要なことだけ考えるんだ。

 あたしは、ディセットと一緒にあの新しい月まで行って、あの月を殺す。いや、違う。勢いを殺す。正確には慣性制御で運動エネルギーのベクトルを少しじ曲げてやるのだ。チャンスは少ない。残っているエネルギーで活動できるのは――。


「うう……っ!」


 気持ちが悪い。聞いたこともないのに意味の分かる言葉が頭の中でぐるぐる回っている。あたしは気持ちを落ち着けるために、最初の頃のように目を閉じて深呼吸した。知らない言葉が浮かんでも気にしない。意味が分かればそれでいい。

 テレパシーのボリュームを絞って、自分と彼の境界を強く意識する。慣性制御を効かせながらスラスターを慎重に吹かし、あたしとディセットは夜空を突き抜けて、落ちてくる星へと一直線に向かっていった。


 飛んでも、飛んでも、星には手がまだ届かなかった。大きな丸い星だったそれはもう視界に入り切らず、あたしは地面に向かって落ちているような錯覚を覚えた。そして、ディセットの残りのエネルギーはどんどん減っていく。


 距離感が分からない。そう思った瞬間、ディセットが視界の端っこに残りの距離を出してくれた。十二万キロ? 十二万キロってどれぐらいなのかぱっとわからない。


「現在加速中。加速終了まであと三十秒。目標にはあと五分二十二秒で到達予定。減速開始まで残り四分三十二秒。サリカ、下を見てみるといい」

「下?」


 あたしは首を――違う。ディセットの首を動かして、言われた通り下を見た。目に飛び込んできたのは、青。それから白と緑。


「何? 何これ?」

「サリカの住んでいる大地をずっと遠くから見るとこう見えるんだ。本当は今はこの近辺は夜中だから、もう少し暗いがね」


 そんなやりとりをしている間にも、視界の端に表示された残りの距離がものすごい勢いで減っていく。だけどあたしは、もうそんなものは見ていなかった。

 空を超えたところから見た、あたしの住んでいる大地は綺麗だった。

 海だって、森だって、山だって、普通に見ても綺麗だけど、ここから見る景色とは比べ物にならなかった。

 ここから見る大地の景色を知っているのは、今はきっとあたしだけだ。

 すごい、すごい、すごい。


「サリカ、目標を見ろ。あと十五秒で減速に入る」


 あたしは、慌ててディセットの首を上げてイメージを作った。あたしが操作しやすいように彼が描いてくれた移動ベクトルの矢印を心の目で睨みつけて、縮め、縮め、と、強く念じる。ディセットにはもう姿勢制御用のスラスターがあんまり残ってないから、逆噴射の体勢なんていうものは取れなかった。


「予定より減速が不足している。サリカ、ショックに備えろ」


 目の前に茶色の岩壁が迫ってくる。遠くから見た時は白かったのに、なんていらないことを考えながら、あたしとディセットは右の肩から月に突っ込んだ。凄い衝撃が体を突き抜けて、あたしの意識が明滅する。


「サリカ、大丈夫か」

「だ、大丈夫……ごめんディセット、あたしの力が足りなくて……」

「いや、君はよくやった。君の習熟度を考慮しなかった私の責任だ」


 ヘマをしたあたしをディセットが慰めてくれるのを聞きながら、あたしは今の状態を確認する。ディセットは右の肩と頭の右側と左手で接地していて、見方によっては重いものを肩に担いでいるみたいな格好になっていた。そっと左手で岩を押して少しだけ離れ、あたしは周りを見回してみる。


「……あれ?」


 だけど、あたしとディセットの首は動かなかった。ぶつかった衝撃で首の駆動系が壊れたのか、外殻が歪んだのか。首すじがった時のパパみたいな恰好のまま、あたしはもう一回ディセットに謝った。


「ごめん……首が動かなくなっちゃった」

「問題ない。この作戦では特に首を動かす必要はない。それよりもサリカ、次はあそこまで移動するぞ」

「……わかった」


 ディセットが、視界の中で岩の表面に赤い印をつけてくれた。変な方向へ飛んでいかないように、少しだけ残った姿勢制御スラスターを細心の注意を払って吹かしながら、あたしとディセットは逆立ちで這いずるみたいに目標地点へ向かっていく。そこが、これを地面に落とさせないための落下角度変更に一番効果的なポイントだった。


「よし、では始めよう。サリカ、気を楽に。ほんの数度上向けてやるだけで、この岩の塊は地面に落ちることはできなくなる。簡単な作戦だ」

「うん」

「ただし、推進剤には限りがある。噴射時間が四十秒を超えると帰還の安全性は低下していく。だから慣性制御で出来る限りその効果を高めてくれ。作戦の成否は君の意思力次第だ」

「うん……」


 あたしはうなずいたけど、矢印でディセットが見せてくれたこいつの運動エネルギーはめちゃくちゃ太くて長かった。こんなのほんとに動かせるのかな、と、あたしの心に不安がよぎる。

 だけどその時、その矢印は急に細く短くなって、なんだか綿みたいなふわふわの見た目に変わった。びっくりするあたしに、ディセットがまじめな感じで伝えてくる。


「心理的にこのような見た目のほうが動かしやすいのではと考えたが、どうだろうか」


 それを聞いたあたしは、ぷっ、と、噴き出した。そのままあたしはお腹を抱えて、大きな声で笑い転げる。今までの人生でこんなに笑ったことってあったかなって思うぐらいに大笑いしてから、あたしは息を整えてディセットに伝えた。


「そんなにふわふわで軽そうだと、逆に気合入らないよ。でもありがとう、ディセット。気持ちは楽になった」

「それならよかった。戻したほうがいいか?」

「うん、お願い」


 ふわふわの小さくて細い矢印が、またさっきの大きな矢印に戻っていく。さっきと同じ見た目のはずなのに、今度は動かせそうな気がした。あたしが大きく深呼吸すると、ディセットがあたしの視界に矢印以外にもいろいろなものを表示してくれた。作戦時間の時計。必要な角度の変化量と、今変化させられた量。


「では始めようか。サリカ。作戦時間Tマイナス十五。危険ラインはプラス四十。……噴射カウントダウン。十、九、八……」


 ディセットのカウントが続く中、あたしは改めて矢印を睨みつけた。首が動かないからちょっと不自由だけど、それでも大きくて重そうだ。でも、あたしはこれを動かす。動かさないといけない。


「……三、二、一、噴射!」

「でやあああああーっ!」


 あんまり女の子っぽくない叫び声をあげながら片側だけのスラスターを全開にして、あたしは岩を押し上げにかかった。イメージの中で矢印に両手をかけて、力いっぱい手足を突っ張り、その方向をちょっとでも上向けようとあたしは歯を食いしばる。


「達成率六パーセント。作戦時間は現在プラス四、五、六。達成率十三パーセント」

「んぎぎぎぎぎ……!!」


 傷だらけのディセットの体がきしんでいるのか、あたしの頼りない体がきしんでいるのか、区別がつかない。目をぎゅっとつぶっているのに景色と数値は見えていて不思議な感じだったけど、そっちもあんまり見ている余裕がなかった。ディセットが教えてくれる数字を聞きながら、あたしは全力で矢印を押し上げ続ける。


「達成率八十七パーセント。作戦時間プラス三十二。残り六、五、四……」


 もうちょっと。もうちょっとなのに時間が足りない。このペースだと矢印を押し上げきれない。推進剤の残量は――まだある。これを使えばやれる。


「作戦時間プラス四十。危険ライン到達」

「くああああああーっ!!」


 達成率九十一、九十二、九十三! もうちょっと、もう少し! 視界の端で真っ赤になっているタイマーを無視して、あたしは夢中でスラスターの噴射を続ける。達成率九十七、九十八、九十九! そして、ついに達成率が一〇〇に届いたとき、作戦時間はプラス四十六になっていた。


 あたしが力を込めていたのはイメージの中での話のはずなのに、あたしの体はぐっしょりと汗に濡れていた。胸の奥が激しく脈打って、息は絶え絶え、喉もからからだ。だけど、やってやった。この岩の塊は、もうあたしたちの大地に落ちてくることはない。


「よし、サリカ。作戦は終了だ」

「ありがと、ディセット……でも、ごめん」

「どうした? サリカ」

「推進剤を使いすぎちゃった……」


 必死の時間が過ぎると、あたしの胸に急に不安が押し寄せてきた。六秒の超過はどれぐらいの影響があるのだろう。あたしとディセットは村に無事に戻れるのかな。不安がぐるぐると胸の中で渦を巻いて、胸の鼓動がいつまでたっても落ち着かない。


「心配することはない、サリカ」

「でも……」

「確実性は失ったが、まだ君と私の最終作戦ファイナル・オペレーションは失敗していない。確かに、阻止作戦は予定時刻を超過した。しかし、阻止作戦が終了しなければ最終作戦には入れないのだから、やむを得ないことだ」

「ディセット……」

「私はまだ君の未来をあきらめてはいないぞ。成功率は低下したが、まだゼロではない。君もあきらめるな、サリカ。十一日目はそこにある。あとは、君がそれを手にするだけだ」


 穏やかなディセットの励ましが伝わってきて涙がこぼれそうになったけど、あたしはがんばってそれを我慢した。我慢できた、と、思う。代わりに一回だけ鼻をすすりあげて、あたしはゆっくりとひとつうなずいた。


「帰ろう、ディセット。どれだけ成功率が低くっても、このままあきらめるなんて選択肢はないよね」

「わかった。それでは帰還作戦を始めよう。残りの推進剤の最も効率のよい使用スケジュールは計算済みだ。この隕石を押しながら離脱し、慣性制御を全開にして二十八秒間加速。母星到着後、同じく慣性制御全開で減速しながら大気圏に再突入する」

「うん」

「なお、往路よりも加速が弱いために母星到着には約二時間二十分が必要だ。映画がゆっくり一本楽しめる。お勧めがあるのだが、見てくれるかね?」



-◆◆◆◆◆-



 ディセットが見せてくれたのは旅の映画だった。

 天井のない、二人しか乗れない馬のない馬車で、二人の男の人がずっと旅をする映画。

 二人はいろいろな人と出会って、別れて、喧嘩して、笑いあって。そして、目的地に着いた二人は別々の道に進むけど、また出会って再び旅に出る。

 恋愛のどきどきとか、派手な立ち回りとかはないし、映像もほとんど茶色、黒、灰色、白みたいな色合いの地味な映画だったけど、気が付くとあたしは泣いていて、ヘルメットの中が大変なことになってしまっていた。


 到着までに少しだけ残っていた時間で感想を語り合い、それが一段落ついたあたりで、ディセットがあたしに伝えてきた。


「そろそろ減速開始だ。減速噴射と姿勢制御は私が担当する。慣性制御は頼む」

「うん。それじゃあまた矢印出して、ディセット」


 伝えると、目を閉じたあたしの目の前に矢印が現れた。ちろりと自分の唇を湿らせてから、あたしはイメージの両手をそれに沿える。


「大気圏再突入準備。減速開始まで五秒。四、三、二、一、噴射開始」

「それーっ!!」


 叫ぶと同時に、目の前の矢印をあたしはイメージの両手で力いっぱい押し返した。制動力が最大になるようにディセットは姿勢をコントロールして、メインのスラスターで落ちていこうとする体を支える。

 びりびりとディセットの体が震えていた。残った左腕がちぎれ飛びそうになるのをできるだけそれを縮めることでこらえながら、あたしは落ちていく力をできるだけ減らそうと必死で歯を食いしばる。

 降下は順調だった。

 ディセットは飛行機じゃないから滑空はできないけど、このまま減速していけば無事に降りられる。

 だけど、そう思った時、不意にがくんという衝撃があって、あたしの支えている矢印が急に重たくなった。


「ディセット、どうしたの!?」

「メインスラスターの推進剤切れだ」


 そんな。

 もうちょっとなのに。

 もうちょっとで地上なのに。

 あたし、ここまでなの? ここで死ぬの?


「ディセット! 慣性制御だけでなんとか……!」

「あと八十二秒でエネルギー切れだ。残念だがサリカ、君の作戦は失敗だ」

「そんな……」

「二十五秒間だけ維持してくれ、サリカ。そこでハッチを開放し、君を気圧差で外へ吸い出させる。落下開始から二秒後にパラシュートを展開する。そのスーツは耐熱耐圧だ。君は無事に地上へ戻れる。そうすれば、私の作戦は成功だ」


 ディセットの伝えてきたことを、あたしは理解できなかった。

 そんなの、あたししか助からないじゃない。

 そんなの成功じゃない。成功じゃない!


「私は満足している。殺して壊すために生み出された私が、誰も殺さず、何も壊さず、君に未来を作ることができた。最高の最終作戦ファイナル・オペレーションだ」

「ディセット! いや! あたしそんなのいやだよ! あなたは満足でも、あたしは満足じゃない! あたし、あなたしか友達いないんだよ! ひとりぼっちになっちゃうんだよ!」

「前にパパとママの話をしてくれただろう、サリカ。それにもう君は大丈夫だ。これからは、人間の友達を作ればいい」

「そうじゃない! あたしはディセットにいて欲しいの! パパとママがいたって、人間の友達がいたって、ディセットにもいて欲しいの!」

「仕方のない子だな、サリカは」


 きっと、さっき映画を見た時よりも、あたしのヘルメットの中はひどいことになっていた。目も、顔も、たぶん鼻も真っ赤だ。あたしとディセットの間の思考伝達は、口で話すよりずっとずっと速い。でも、あたしとディセットの残り時間は、もう七秒しかなかった。


「では、こうしよう。そのスーツの腕の操作パネルには、記録用メモリチップが内蔵されている。私の思い出と魂を、全てそこに眠らせておく。いつか、君が目覚めさせてくれ」

「無理だよ、そんなの!」

「君ならできるさ。いつかきっとな。サリカ、君は最高のパイロットだった。前のパイロットも腕はよかったが、私とは映画や音楽の趣味が合わなくてね。君との語らいはとても楽しかったよ。いつか目覚めたら、その時は君のお勧めを教えてくれ。素晴らしい作品を期待している。それではおやすみ、サリカ」

「ディセッ――」


 しゅっという音がしてディセットのハッチが開き、あたしの目の前にうっすらと白んだ朝の空が広がった。同時にベルトのバックルが外れて、あたしは落ち葉みたいにくるくると外へと吸い出される。

 少し遅れて、あたしはがくんとパラシュートに体を上へ引っ張られて。

 あたしの友達は、大地に赤い焔の花を咲かせて姿を消した。




 それから十五年。

 パパとママと一緒に村を離れたあたしは勉強に勉強を重ねた。

 街で初めて高等学校に入った女になり、国で初めて大学に入った女になり、世界で初めて工科系の首席を取った女になって、あたしはいま、世界最高の工学者と言われる先生の一番弟子だ。

 ここまで来るのに、パパにもママにもすごく迷惑や苦労をかけたし、あたしも死ぬほど苦労した。辛いことも苦しいことも数えきれないぐらいあった。

 だけど、あたしは折れなかった。自分の存在意義を問うこともしなかった。友達のおかげで出られたあの社に戻るようなことはごめんだった。


 そして、あたしの友達の小さな魂は、しっかり封をした小さなガラス瓶の中で、あたしの首にぶら下がってまだ眠ったままだ。

 起こすめどはまだ立っていないけど、あたしはあきらめてはいない。

 だって、それはあたしのやりたいことだからだ。

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ファイナル・オペレーション 稲庭風 @InaniwaFuh

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