イマジナリーフレンド

@moonbird1

第1章 人生が分からない

第1話 財布が見つからない

 頭の中に音楽が鳴り響いている。穏やかな、ピアノの旋律。有名なクラシックだということは分かるけれど、曲名は分からない。


 腕時計を確認すると、夜8時になろうとしていた。駅前は人であふれている。疲れた顔をしたサラリーマン、大学生と思しきカップル、子供連れの若い母親。


 みんな帰る家がある。俺にだってある。そのはずなのに、俺に帰る場所なんてない気がする。


 コンビニの強い光は、俺以外の全人類を歓迎しているように思えた。名前の知らないクラシックが、ずーっと鳴っている。


「いらっしゃいませー」


 アルバイトの女の子が、カウンターから声をかけた。毎日ここにきているから、彼女も俺のことを知っているだろう。それが嫌な気もしたし、嬉しい気もした。常連なのに、ふと感じるこの疎外感はなんだろう。手にするビールは、冷たすぎて手がいたい。


 総菜コーナーを見ていると、頭の中のクラシックが止んだ。曲名を思い出した時、アズサが隣から声をかけてきた。


「ねぇ、これ買って帰ろうよ」


 アズサが指さしたのは、小さな鳥のから揚げ。


「お前か」


「ユウの方が良かった?」


「あいつが出てきた時はやばいよ」


「ふふ」


 唐揚げを手に取る。トレイからくしゃ、と嫌な音がした。アズサは今日も白のワンピースを着ていて、それはまだ肌寒い冬の終わりには似つかわしくない格好だった。


「他の服着ないのか」


 自分で分かり切っている質問を尋ねる。こいつらとのやりとりは、いつもそうだ。


「うん、だってそういう設定にしたのはあなたでしょ、龍二くん」


 俺はアズサに似合う他の服を想像してみた。女の子の服なんて、俺にはよくわからない。


「そんな顔しないでよ。私は服があるだけでも良かったって思ってるんだから。龍二くんがもっと想像力が乏しくて、あ、あと女の子の裸が見たいって言う変態だった場合、私はすっぽんぽんだったかもしれないんだからさ」


「……俺は、お前たちを歓迎なんかしてない。頭の中から消えればいいと思ってる」


 アズサはまっすぐな瞳で俺を見つめていたが、やがて俺から眼をそらし、


「そうだね」


と言った。


 気が付けばレジに来ていた。さっきの女の子だ。


「2点で463円になります」


「あ――はい」


 カバンから財布を探すが、なかなか見つからない。


「だ、大丈夫ですか?」


「あ、えっと――」


 まさかどっかで落としたのだろうか。いや、家に置いてきた? アズサに出てきてほしかった。けれど、出てきてほしい時にあいつは来ない。頭の中でまた、同じ曲が流れる。さっきまで覚えていたのに、また曲名を忘れた。


 曲名、財布、曲名、財布――。


 頭の中がいっぱいになる。突然、逃げだしたい気持ちに駆られる。


「そっちじゃなくて、小さいほうのポケット」


 アズサの声がした。綺麗な黒髪を揺らしながら、微笑んでいる。


「ね? 私が必要でしょ?」



 彼女はアズサ。俺の――イマジナリーフレンド。

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