第5話 本物の家族
「おい、ヒツギ。父上が呼んでいるぞ。今日はお前の生誕祭だろうが」
前世の記憶を思い出した衝撃で、しばし茫然としていると、ヒツギの背後から声がかかる。
振り返ると、そこには三つ年上の兄、ベントレー・フォン・アーガスがいた。
十歳の兄は、運動が嫌いだが食べるのは大好きな性格で、全体的に丸っとしている。
ありていに言えば、裕福そうなデブ。というか、「そうな」ではない。彼は正真正銘、ルーク・フォン・アーガス国王の正当後継者なのだ。
だが、その性格はひん曲がっており、幼くしてすでに人を見下し、王族という位の高さを鼻にかける、何かとヒツギが嫌いなタイプだった。
このままだと、将来ろくな国王にならないだろう。
ヒツギが前世で凰紅花(フアン・ホンファ)という敬愛する立派な師に巡り合えたように、彼にもまた優れた師が現れ、良い方向に導いてくれることを祈るのみだ。
アーガス王国の品格を落とすような行為だけはやめてもらいたい。
前世で日々過酷な鍛錬を積んでいた自分にとって、不摂生な生活をし、享楽に溺れ、使用人に理不尽な命令をする、他人に敬意を払うことを知らない、この我儘兄貴は目に余る。
恥を知れ。今の立場に甘んじ、その蜜を啜り、一歩も前進しないその在り方に。
精進しろ。人間は成長するために生きているのだから。
ヒツギは七歳とは思えない冷めた目で、今世で兄となった男の姿を改めて見つめる。
幼少期の三歳差というものは大きく、身長はベントレーのほうが二十センチ以上高い。ベントレーはすでに140センチはあるだろう。ちなみに髪色はブラウンだ。ちょうど父親のルークと母親のへレスの髪色を合わせたような茶色だった。
ヒツギだけが、アーガス王国では珍しい黒髪に紫水晶のような瞳を持つ。隔世遺伝だと言われているが、実際はどうなのだろう。父であるルークは王族としては珍しく、側室を作らない主義であり、個人的に好感の持てる男なので、腹違いの兄弟だということはないと思うが。自分が前世の記憶を引き継いでいることが関係しているのかもしれない。
「おい、ヒツギ。何を呆けているんだ。早く来い」
ずっと無言でいたヒツギのことを、ベントレーが若干の苛立ちを込めて、再度呼ぶ。
「わかりました。今行きます、兄上」
ヒツギは今世の兄にそう応え、その後ろ姿を追って庭から建物に入っていく。
本日の夜は、ヒツギ・フォン・アーガスの誕生を祝うために、アーガス王国の国民、主に城内の者や国家の重鎮、貴族や商売相手などが集まる。中には他国の者もいるだろう。
警備兵はいるが、一応暗殺には気をつけておこう。というのも、このアーガス王国では戦火が絶えない。別に国内に反乱分子がいる訳ではない。問題は他国との関係だ。
アスガルドの全陸地面積の四割近くを占める超巨大大陸――《バベルニア大陸》は東西南北四つの国に分かれており、その中央に《ミッドヴァルト》、通称、《魔の森》がある。
前世でヒツギが暮らしていた地球で言えば、バベルニア大陸はユーラシア大陸みたいなものだ。形はあんなに横長ではないが。
東の国、《アーガス王国》。今世でヒツギが産まれた国だ。特徴としては魔術大国であること。軍服の色は青で青龍の紋章が刻まれている。アーガス王国の成人平均身長は男性が175センチで女性が165センチだ。アーガス王国では女性の平均身長が他国より少し高い。
西の国、《サンマルカ王国》。特徴としては武術大国であること。軍服は白で白虎の紋章が刻まれている。この国について、ヒツギはあまり多くのことは知らない。
南の国、《ハイスヘイム共和国》。特徴としては魔術と武術と技術の国であること。軍服は赤で朱雀の紋章が刻まれている。共和国ということもあり、いろんな考えを持った者がおり、様々な技術を取り入れて発展してきた。気温が高いことで有名だ。
北の国、《カルトガルド公国》。特徴としては魔術と科学の国であること。四国の中、唯一化学兵器や銃器を戦闘で扱う国である。
突如として現れた一人の天才、七人の勇者によって形成される《七聖天帝》の一人、《軍火帝》エルシア・ディッセンバーによって、蒸気機関や機械技術の発達が目覚ましくなり、その技術を秘匿し、諸外国に漏らすことなく国内の改革を進めているところだ。
軍服は黒で玄武の紋章が刻まれている。公国なので貴族が国を支配しており、亜人差別が激しい。気温が低いことで有名だ。雪も降る。
中央地帯、《ミッドヴァルト》。隔絶不可侵領域。通称、《魔の森》。凶悪な魔物や、迫害された亜人の拠点になっており、中央に行くほど魔素が濃く、常人は長時間滞在できない。
当然だが、各国内に複数の都市が存在している。
アーガス王国のさらに東側には、雄大な《ヴィルヴィ山脈》を挟んで軍事国家、《ドルムント帝国》があり、サンマルカ王国のさらに西には海を挟んで《死の大地》を超えると、魔王の一人、《蓋世王》シークエンス・エンドが治める《魔国》があり、ハイスヘイム共和国のさらに南には、亜人たちの海上都市、《デミランド》があり、カルトガルド公国のさらに北には、いまだに未知の地が存在していると聞いた。
まあ、バベルニア大陸に住む者が一生のうちにバベルニア大陸外に出ることはほとんどないのだが。
以上が、現在七歳のヒツギが知っている世界情勢だ。東のアーガス王国民にとって、西のサンマルカ王国は、魔の森を挟んだ反対側にあるため、あまり交流はない。
そのため、どうしても情報が伝わりにくいわけだ。南のハイスヘイム共和国とは、今のところ上手くいっている。問題は北のカルトガルド公国だ。近いうちに戦争状態に入るだろう。それぐらい国家間の中は険悪だ。
そんなことを考えていると、ヒツギはベントレーに王城の一室に案内された。
「兄上、生誕祭の会場は反対側ですよ」
「いいから中に入れ」
ベントレーに促され、ヒツギは扉を開いた。
その瞬間、パンパンとクラッカーのようなものが打ち鳴らされる。
一瞬頭が真っ白になり、何も考えられなくなった。
「ヒツギ、誕生日おめでとう。私もお前の目覚ましい躍進に心が躍っているよ」
この世界での自分の父、ルーク・フォン・アーガス。アーガス王国国王がこちらに眩い笑顔を向ける。身長180センチ。今年で三十五歳。
国王なのに血気盛んな武闘派で、赤い髪は短く切りそろえられていた。清潔感があり威厳に満ち、それでいて気さくな男。
確かに、前世の記憶がなかったこの七年間のヒツギは勉学に励み、現在は数年先のカリキュラムに取り組んでいるところだ。ルークはそれを褒めてくれているのだろう。
(でも、こんなの、前世ではなかった)
家族に自分の存在を肯定され、必要とされることなんて……
「誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとう、ヒツギ。わたくしもルークもね、あなたが成長していく姿を見るのがとっても楽しいの」
この世界での自分の母、へレス・フォン・アーガス。アーガス王国王妃が若干涙ぐみながらこちらを見つめる。
「ヒツギはベントレーと違って、生まれつき身体が弱くて病気になりがちだったのよ。それがこんなにも賢く、健康に育ってくれて……母として嬉しいわ」
身長165センチ。現在二十八歳。金髪のロングヘアーを一つ三つ編みにしている、美しい碧眼の持ち主で巨乳の若い母。貴族出身だが謙虚で優しい女性だ。
その母の隣には、ヒツギの一つ下の妹、モニカ・フォン・アーガス。アーガス王国第一王女が恥ずかしそうにこちらをチラチラと上目遣いで見ていた。
母のへレスと同じく金髪ロングの碧眼で、三つ編みをハーフアップにしている。内気で照れ屋だが、ヒツギによく懐いている可愛い妹。
ちなみに、モニカはベントレーのことは少し苦手なようだ。
「お、お兄様、おっ、お誕生日おめでとうございます」
顔を赤くして、モニカは綺麗な花束をくれた。
ベントレーも壁にもたれかかりながらも、手を叩いてヒツギの誕生を祝ってくれる。
「…………嬉しい、俺――生まれて初めて『本当の家族』が、できました」
気付けば、ヒツギの瞳からは大粒の涙が溢れていた。流れ落ちる涙が止まらない。
(……夢だった。家族に必要とされることが。愛されることが)
こんな気持ちになるのか。今までずっと辛かった。
でも、この想いは一生忘れない。
急に泣き出したヒツギを心配して、ルークとへレスが近くに寄ってくる。モニカは背中を撫でてくれ、ベントレーすらも不安そうにこちらを慮ってくれた。
「生きていていいんだって、自分の存在を認められるのって、本当に幸せだな」
泣き止まないヒツギの小さな体を、母であるへレスが優しく抱きしめてくれた。
もしも、アスガルドに神がいるのなら、その神がこの世界で幸せになれと言っている。自分はこの二度目の生で生きた証を残す。
次に死ぬときは、多くの人に惜しまれるほどみんなを幸せにして。
改めてそう決意し、ヒツギはささやかに『家族』に誕生日を祝われた後、アーガス王国の政治や財政に関係してくる、大人向けの大きな生誕祭に参加した。
そこで出会った人たちとは、数年後、様々な形で関わることになる。
前世の未練が晴れれば、自分はこの世界で天に召され、成仏するのだろうか。
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