004●第1章●東京、時の彼方へ…2024年6月16日(日)昼①:機関銃少女

004●第1章●東京、時の彼方へ…2024年6月16日(日)昼①:機関銃少女




●第1章●東京、時の彼方へ…2024年6月16日(日)昼




 何者かに、僕のスマホが乗っ取られた?

 少年はその画面を凝視する。

 何だろう、こいつは?

 スマートフォンのフレーム一杯に、見たことのない画像が表示されていた。

 今朝、日曜日のいつものルーティンどおりに母を仕事へ送り出し、朝食の食器を片付け、衣類の洗濯を済ませた。そして友達や学校からの着信情報をチェックしようとケースを開いたとたん、この状態に陥っていることに気づいたのだ。

 指先でトントンと三、四回タップすると、その画像は消えて、いつもの待ち受け画面が現れる。しかし十数秒も過ぎれば、この“謎の画像”が復活し、画面全体を覆ってしまう。

 一度電源を切り、再び起動しても、同じ画像が変わらず表示される。

 システムの故障ではなく、誰かが意図的に、一枚の“謎の画像”を貼り付けたのだ。

 それは、スマホを目の前にかざして撮影したと思われる、縦長の静止画。

 うーむ……と、少年は目をすがめる。

 精細なCG? 写真にしては被写体が現実離れしている。でも、見ればみるほど、まるで実写じゃないか? ものすごくリアルだ。それともAI合成かな?

 画面の遠景は林。その手前にも十数メートル程度の高さの樹木が並び……

 それらの樹々を押し倒す勢いで、一匹の巨大な怪獣がそびえていた。

 その外観は、中生代ジュラ紀の、二足歩行タイプの肉食恐竜に近い。

 ティラノサウルスみたいな? そんな威圧感を発散している。

 そいつは、まさに大暴れの真っ最中らしい。見るからに格闘ポーズだ。

 ずっしりと太いももと尻尾、そして鋭い爪を突き出した前肢。その前肢で枝を薙ぎ払い、口を大きく開けて不揃いな牙を見せ、おそらく雄叫びを上げている。

 ただ奇妙なことに、そいつのボディにうろこや皮革はなく、はっきり見えるのは骨格と牙や爪だけだ。

 褐色の、色あせた骨でできた、見上げるばかりの骸骨のモンスター。とはいえ筋肉らしきものはある。七色に輝く虹のような、なかば物質、なかば光のような状態の肉。つまり、燐光を発するゼリーのような肉に覆われた身長十メートル余りの骨格恐竜が、こちらを威嚇しつつ、襲い掛かろうとしているのだ。

 そして前景には、一人の少女。

 撮影者に振り向いたところだ。距離は近く、画面に入っているのは上半身だ。

 背景のおどろおどろしい骨格恐竜とは正反対の、清らかなまでに真っ白なセーラー服が目を射る。逆三角形の大きなセーラーカラーも、胸元のリボンも、純白。

 一見、夏服かと思ったが、実は長袖だ。左の袖の二の腕に大小の七つの輪を組み合わせた図形が刺繍されていて、校章のようでもある。この刺繍とセーラーカラーの縁の線だけが光沢のあるピンクで、少女の白ずくめの装いに、乏しい色彩アクセントを添えていた。

 七つの輪でつくられた紋様は、初めて見る。

 同じ直径の小さな円環を六つ、下から三つ、二つ、一つと三角形状の俵積みに並べ、外側の三つの円に外接して、大きな円をひとつ描いた図柄だ。

 もうひとつ、少女を特徴づけているのは、その帽子だった。ふわりとした大きめのベレー帽、これも純白で、生地は起毛してあり、マシュマロでできたマッシュルームを斜めに被っているような感じ。しかしそのベレー帽はシンプルな軍用のデザインだった。部隊章などの代わりに、二の腕の紋章と同じ“七つの輪の紋”が淡いピンクで刺繍されている。

 純白のベレーに包まれた髪は漆黒。前髪は額の中央できっちりと分け、背中に流れる長い髪は二本の太い三つ編みに纏め、それぞれを左右の肩に留めている。セーラーカラーの両肩にボタンで留める肩章エポレット形のショルダーループがあり、そこに尾提髪おさげがみを通すことで、髪の散らばりを防いでいるのだ。

 少女の左胸のポケットの上に何か文字のようなものが見える。画面上で指先を開いてズームすると、名札だ。短い布切れに筆で縦書きに墨書し、縫い付けている。

 “桜組級長 東風こよみ”

 少年は首を傾げた。ひがしかぜ・こよみ? それが彼女の名前らしい。

 “こよみ”は美少女だが、可愛いというよりは、幾何学的に整った端正な面立ちだ。 とはいえ、しかし静謐な令嬢レディとは真逆の、きりっとした厳しい表情で、こちらを睨んでいる。どこか空恐ろしく、殺気すら漂う鋭い眼光。唇は何かにあきれたように少し開いていて、次の瞬間には「あなたなんかお呼びじゃないわ!」と恫喝されそうだ。

 道義心の強い、例えば弟がなにか粗相すると「だめじゃない! 恥ずかしいわよ!」と人目もはばからずビシバシと叱責できるタイプだ。

 たぶん僕よりも二歳か三歳、年上だ。こんなお姉さんが家にいたらどうだろう?

 ふと、そんなことを思う少年の名は、星川久ほしかわひさし、十六歳、東京都立第三辰巳高校の一年生だ。中二病はさすがに卒業済みで、クラスでどんなに背伸びしてイキがっても、“親ガチャの当たり組”を頂点とするスクールカーストを下剋上して上位にマウントすることは不可能であることを知っている。中肉中背で成績も中くらいという、特徴の無いセルフキャラを自覚しつつ、その現状を肯定している自分。我ながら、無気力な性格なんだろうと思う。

 母一人子一人の家庭で、住んでいるのは江東区の辰巳団地、建て替え寸前の老朽アパート。母の職業は派遣社員で、日曜日の今朝もどこかへ出勤していった。たぶん介護か医療関係。生活は楽ではない。頑張って大学へ進学しても、おそらく死ぬまで貧困ボンビー寄りの冴えない人生となることは確約済み。

 ラノベの主人公のように、剣と魔法で覇道を開く異世界に転生したい気分にもなる。けれど、きっとあちらの世界でも、無双できるチート力はもらえないだろう。なれたとしても勇者様の召使、ドン・キホーテよりはサンチョ・パンサの方。

 そんなわけで、久少年の望みはつつましい。

 こんなお姉さんが家にいたらどうだろう、と仮定してみる程度だ。

 母と二人だけの生活では、叱られたことがない。

 ……母さんは仕事に忙しくて僕を叱る余裕はないし、僕は僕で主婦みたいに炊事洗濯に掃除に買物、つまり家事全般を仕切っているから、母さんも叱りづらいだろう。だから、こんな姉貴が家にいて、毎日、ああしなさい、こうしなさいと指図してくれたら、うるさいけれど、ちょっと楽しいかも。

 おこりんぼでも、きっと賑やかだろうな。

 母さんは僕のことを幼いころから、ひさしでなく“キュウちゃん”と呼んできた。なら、姉貴にも、“キュウちゃん”と呼ばれる……いや、“キュウ公!”と怒鳴られるんだろうか……と、想像してみる。まあ、それでもいいような気がした。母と子、二人きりの家庭は、やはり決定的に寂しい。

 そして、できれば、可愛い妹もいてくれればベストだ。

 頭がいいけれどドジっで、“キュウ兄ちゃん”と呼んでなついてくれて、ダメダメな兄貴でもそれなりに頼りにしてくれるような。そして絶対に怒ったりせず、兄ちゃんの立場を認めてリスペクトしてくれなくてはいけない。そのかわり、どんなおねだりをされても、僕は全力でかなえてあげようと頑張るだろう……

 と、なんとも虫のいい希望を神様に願ってみたい、と思ったところで久少年は幻滅する。神様なんて、いるはずがないからだ。ぶるっと頭を振って、現実に立ち返る。 

 にしても、この画像はいったい?

 スマホの画面に見入る久少年の関心は、謎の少女“こよみ”の手元に集中する。

 少女は、機関銃を構えていた。

 サブマシンガンと呼ぶには、骨董めいた銃だ。銃床や肩当ては木製、銃身の左舷から水平に突き出した弾倉はカタカナのノの字の形で、前方へ曲がっている。

 友達の誘いでネットの野戦RPGすなわちVRサバゲーに参加したことのある久には、その武器の正体がわかった。旧日本軍の落下傘降下兵をアバターに選んだところ、この銃を持たされたのだ。

 百式ひゃくしき機関短銃。第二次世界大戦中に日本陸軍が実戦配備したサブマシンガンだ。

 銃口の口径は八ミリで、南部ナンブ十四年式拳銃と同じ弾丸を共用できる。“ノ”の字形の弾倉には三十発収納でき、有効射程は百五十メートル。銃全体で八十センチ余りの長さがあるものの、自重は四キログラム前後と比較的軽い。確かに、女の子にも扱いやすいとはいえる。

 この武器で、背後の骨格恐竜と戦うのだろうか?

 セーラー服&機関銃……という通例的テンプレなイメージが頭に浮かんだ。ゲームアプリの一場面としては、特に珍しくない。可憐な少女にミリタリーな服を着せ、大量殺人マシンともいうべきダーティな巨大火器を与えて戦わせるゲームは無数にある。下着チラ見せのきわどいショートスカートに生足で、保護帽ヘルメットも被らずに戦場を駆け、戦車や戦闘ロボットに騎乗して爆走する美少女たち……は、ごくありふれたアニメの光景だ。

 自分の好きなゲームアプリを複数同時に起動し、恐竜狩りと戦闘美少女の画面を生成AIのソフトで合成すれば、似た構図の画像を作ることができるだろう。たぶん著作権侵害になるけれど。

 しかし、自分はそんなことをした覚えがない。なら友達の誰かが、この画像を黙って送り付けてきたのだろうか? にしても、勝手に自分のスマホに挿入されたのだから、気味が悪い。

 そう、どう考えても、何者かにハッキングされたことは確かだ。

 “怪獣&機関銃少女”の写真が、通常の待ち受け画面の上に、強制的にマスキングされている。

 なぜだろう、誰が、何のために?

 まるで、この少女、東風こよみが怨み満々の亡霊のようにスマホに取り憑いて、何かを命じているかのようだ。

 「ここへ来なさい! でなきゃ呪うわよ」と……

 というのは……

 画像の上端に、撮影日付と時刻が表示されていたからだ。

 ならば……この画像はCGでなく、実物を撮影した写真、ということか?

 にしても、奇妙だ。

 謎の骨格恐竜と、謎の少女、東風こよみが撮影されたのは……

 “西暦2024年〈平成36年〉6月16日(日曜)《先負》、13時13分13秒”

 日付は今日だ。でも、今は午前十時前。撮影時刻は、三時間ほど未来じゃないか? 

 何かの謎かけみたいに、好奇心が刺激される。

 しかも撮影時刻の下に、撮影場所の緯度と経度、そして現在の時刻表示も付け加えられている。

 緯度と経度の隣に、“GPS表示”のボタンがある。タッチすると、画面の下半分が地図に変わった。

 上野公園だ。

 確かめよう。

 この写真が撮影されたとされる、その時刻にその場所にいれば、何かわかるだろう。

 考えられる仮説は……

 例えば、新手の宣伝プロモーション。

 新作の映画かアニメのお披露目のために、視聴ターゲットと目される大衆のスマホに興味をそそりそうな映像を強制配信、食いついた人々を指定時刻に上野公園に集め、そこで宣伝イベントでもやらかすつもり……かな?

 乗せられてみよう。行ってみれば正体がわかるはず。

 地下鉄で、上野公園へ。

 自宅最寄りの辰巳駅の改札は、スマホの電子マネー機能であっさりと通過できた。

 幸い、決済機能やIDは“東風こよみ”に乗っ取られていない。

 車中で、東風こよみの写真に表示されている撮影時刻と現在時刻を見比べる。

 現在時刻の秒数字が刻々と進んでゆく。撮影時刻に向かって。

 「この時刻に遅れずに、ちゃんと来るのよ!」と尻を叩かれているみたいだ。


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