全てが砂になった世界で女子高生がイチャイチャするだけの話

大川黒目

愛と音

膝を抱いて砂丘に腰かけている。


 目を閉じて集中しても、少しの風も感じない。この世界にはもうずいぶんと長い間、風が吹いていない。

 腿に埋めた口元から、息のぬくもりを感じる。

 どれだけの時間こうしているだろうか。もう何年も座っている気もするし、ほんの数秒しか経っていないかもしれない。

 とん、何かが肩にもたれかかってくる。

 顔を上げなくても分かる。音だ。隣に座っている彼女が、頭をもたせてきた。私は何も言わず、そっと体重を預け返した。



★★★★★★



 私、愛はありふれた高校生だった。

 ありふれた制服と髪型でありふれた高校に通い、当たり前のことで喜び笑い、悲しみ泣く、一人の女の子だった。

 そして愛という女の子は、今までもこれからも、ありふれた人生を歩んでいくと思っていた。

 あの日、音に会うまでは。


 あの日。高校2年生が始まった日。音と出会った。

 劇的な出会いではなかった。ただクラスが一緒になって、挨拶をして、自己紹介をして、連絡先を交換した。ただそれだけ。教室中で起こっていたはじめまして。

 ありふれた女の子とありふれた女の子の、ありふれた出会い。

その瞬間から、世界は崩れはじめた。


はじめは人が消えていった。

 昨日までいた人間が、ふと気が付くと居なくなっていた。何の前触れもなく、その人の生活ごと消滅した。まるでその人などはじめからいなかったように。

 制服の袖が短くなる頃には、教室に空いた席が目立つようになった。


 ある日、私と音の目の前の席の子が消えた。前触れもなく、出欠簿や下足箱からその子の名前がなくなっていた。気が付けばそこには初めからそうでしたと言わんばかりに、ふてぶてしい存在感を放つ空欄が鎮座していた。

 その子が私の手帳に貼ったシールも、一緒に撮ったセルフィ―も、その子が机に刻んだ相合傘も残っているというのに。まるで彼女そのものが空欄という存在に変質してしまったようだった。


 私と音は二人で彼女の家を訪ねてみることにした。

 不自然な空白のある表札の家に住む彼女の母は、空欄になってしまった一人娘のことを自然に受け入れていた。

「娘が消えてしまった。そのことは分かるけれども、なぜだか当たり前のようなことに思えるの」

 彼女の母はそういって静かにほほ笑んだ。

 実際のところ、こんなにも多くの人間が消えているというのに、ただ一人の分の捜索願も出されず、また議論の俎上に上ることも無かった。皆が皆、当たり前の自然現象としてこの神隠しを受け入れていた。

 消えた人の家を訪ねてみようなどと思いつくのも、この世で私と音の二人だけのようだった。

「ねえ音、みんな一体どうしちゃったのかな?私は人が消えていくだなんて、たまらなく怖いよ」

 私は音にそう話しながらも、自分の心のどこにもそのような恐怖が存在しないことに気が付いていた。

 音は寂しそうに微笑みながら答えた。

「でも、ある日ポンと消えてしまえるなら、それも悪くないんじゃないかと思っちゃったりね……。愛はどう?」

「私は……」

 私は私自身が消えてしまうということに関しても、不思議と恐怖を感じていないことにも気が付いた。

 それと同時に、たったひとつだけ感情が湧いていることも発見した。

「私は……。音が消えちゃうのはいやだな」

 音は少し驚いたような表情をした。それから悪戯っぽく笑った。

「愛がそう言ってくれるなら、私は消えても未練ないかな」

「もう!」

「あはは、ごめんごめん」

 音はそう言うと、そっと私の頬に触れた。

「もし愛がいなくなって、私がそのことを悲しめないのだとしたら、それはもう私じゃないよ」


 制服の袖が再び長くなる頃には、電車のつり革は殆ど使われなくなっていた。



★★★★★



 音の身体から、じんわりと熱が伝わってくる。石のようにこわばった体が、ゆっくりとほぐれてゆく。ゆっくりと瞼を上げた。

 大気はぬるりと液体のように体にまとわりついてくる。もともと風がどこから吹いてきていたのか知らないが、きっとその場所もなくなってしまったのだろう。かなり前から大気は静止したままだ。

 以前は変化のあった砂丘たちも、いまや私か音が触れない限り形を変えることがない。

 私は近ごろ急速に輝きを失いつつある星空を見上げた。北斗七星はいまやその数を3っつに減らしている。


 月は既にない。太陽もずっと沈んだっきりだ。


★★★★


 人が消え始めてしばらくしてから、あらゆる物体が砂になり始めた。

 建物や道が、自動車が、山や川が、海が、木や草むらが。人工物非人工物の分け隔てなく、音もなくサラサラと崩れて砂になった。

 それは空から無作為に茶色い絵の具を散らしたように、世界中で始まった。

 もし宇宙ステーションから地表をずっと眺めていたら、まるで食パンの表面に茶色いカビがわいて、そのシミが少しずつ広がり、やがて隣のシミとくっついて、食パン全体を埋め尽くそうとしているのと同じような光景が見えただろう。

 もっとも、宇宙ステーションも砂になってしまったんだろうけど。

 この現象もまた、皆もそのことを認識しているのにも関わらず、誰にとっても問題ではないように振舞われた。

 家や職場が砂になってしまった者も多い筈なのに、路上に行き場を失った人が溢れることも無く、世界はさも正常かのように回りつづけた。


 ある日、私と音はとあるコーヒーショップが砂になるのを目の当たりにした。そこは私と音が二人で何度も使ったことのある店舗だった。

 時間が遅くなっても追い出されぬように、一旦家で私服に着替えてから待ち合わせて、二人っきりで夜ふかしをしたお店だった。

 そのお店が、私たちの目の前で音もなく崩れ、一山の砂になった。そこまで小さな店舗ではなかったけれど、砂の山に変換されてしまえばぺしゃんこになって、驚くほど体積が少なくなってしまった。

 まるで中に詰まっていた色んな人たちの記憶が、きれいさっぱり消え去ってしまって、カルデラのように落ち込んだようだった。

 この砂になってしまったお店の中には、人はいたのだろうか。何かに導かれるように店の外に出ていたのかもしれないし、一緒に砂になってしまったのかもしれない。もしかしたら、人が消える現象が同時に起きていたのかもしれない。

 それを確かめる事が困難なほど、その頃にはもう建物も人もあまり見かけなくなってしまっていたし、なにより私と音は真相を確かめようとする気が起きないほどには、心細かった。


 私は音の、音は私の手をギュッと握り、この繋いだ手が消えてなくなりませんようにと、声もなく祈った。


 翌日、私たちは学校が砂山になっているのを発見した。



★★★



『ねえ、音』

『なに、愛』

 私たちの声は、くぐもったようでやけにはっきりと聞こえる。まるで囁きが頭の中に直接流れ込んでくるようだ。

 もしかしたら、もう空気が存在しないのかもしれない。どういう仕組みでお互いの声が聞こえているのかは知らないが、きっと口を動かさずとも会話ができるという確信がある。

……でも、このことは言わないでおこう。私は音の唇が、「ア、イ」と動くのを見るのがが好きだから。私も「オ、ン」と唇を震わせるのが好きだから。


『愛ってば、なに笑ってるの?』

『音だってニヤニヤしてるじゃん』


 ふたりでクスクスと笑う。脳がくすぐられるようでこそばゆい。



★★



 私たちは旅に出た。正確には、私たちの日常が消えて、残ったのは旅と呼ぶべきものだった。

 私たちの家族は消えた。友達も消えた。家も学校も、街も林も、山も川も海も、私たちの周りに存在するものは全て消え失せて、あとは一面の砂だけが残った。

 私たちは二人で旅に出た。本当は私も砂になってしまいたかったけれども、音がいるから生きていられた。

 音がいるうちは、私は生きないといけない。そう声に出すと、音も同じことを言ってくれた。


 不思議と恐怖感はなかった。音と手をつないでいれば、いつまででも生きていられる気がした。二人で食べ物を探して、まだ砂になっていない建物を探した。



 はじめのうちは水も食べ物も容易に見つかった。でもある時を過ぎてから、歩けど歩けど何も見つからなくなってしまった。

 なにも見つからなくなって3日が過ぎた。食べ物が尽きた。

 なにも見つからなくなって5日が過ぎた。水が尽きた。

 なにも見つからなくなって一週間が過ぎた。まだ何も見つからない。

 なにも見つからなくなって一か月が過ぎた。私たちは、喉も乾かなければお腹も減らないことをしぶしぶと認めた。


「私たち、死んじゃったのかな」と音が言った。

 たしかに、私たちはもう幽霊になっているのだとすると、お腹が減らない説明がつく。

「うーん、物には触れるみたいだけど」

 私はそう言って、足元の砂を掌で掬った。すぐに風が吹いて砂はどこかへ飛ばされた。

「私たちも本当はもう消えちゃってて、心だけがこうやって動き回ってるのかな」

「それはどうなんだろう。もしかしたら、もっと前からこんな状態だったのかもしれないし」

 たとえば、音と会った時から。

「でも、正直もう何でもいいのかなって思い始めちゃってるんだ」

 音もすがすがしい笑顔を浮かべた。

「実は私も……」

 音はすこし悪戯っぽく笑った。

 私もにっこりと笑った。


「だって」「だって」


「愛がいるから」

「音がいるから」





 空を見上げた。

 かつて月があった場所に広がっている、もやのように見える砂は、空を仰ぐたびに薄くなっていっている。砂そのものもまた、姿を消し始めているのだ。

 きっとこの私たちの居る地球も既に砂の塊の残骸になっていて、その体積を急激に減らしつつあるのだろう。私と音はひっくり返された砂時計の中に居るようなものだ。

 かつて地球だったこの砂の大地がすべて無くなったとき、私たちは宇宙に放り出されるのだろうか。

 重力も何もない空間で、音と二人でぷかぷかと浮かぶのだろうか。

 ならばこの宇宙自体がいつまであるのかも怪しい。空間や時間という概念はよくわからないけれど、もしかしたらそういうものすらも無くなってしまうかもしれない。


 だけど、恐怖は全く感じない。

 音が隣にいる。それだけでいい。それだけで私は、私たちは生きていける。




『ねえ、愛。きっとね』

 音は、静かに確信を含んだ声を響かせる。


『きっとこの世界は、私たちが出会うためにあったんだと思う』



 その使命を果たした世界が、安堵の涙を流し崩れてゆく。


 このまま砂が無くなって、重力が無くなって、すべてが無くなって。

 もし空間や時間すら無くなったとしても。





 愛と音は、きっといつまでも一緒だ。

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全てが砂になった世界で女子高生がイチャイチャするだけの話 大川黒目 @daimegurogawa

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