heterotopic

モトコさんと整形男


白羽原子しらばねもとこ

大学四年生 十秒あればペンで描けるシンプル顔 

わりと動じないタイプか単に顔に出ないだけか定かではない。多分その中間。



整形男せいけいおとこ

顔が変わる



***



 白羽原子しらばねもとこは人目を引く女ではない。よく言えばすっきりとした、悪く言えば華のない顔立ちの女だ。眉毛を描いたこともなければ整えたことも無く、ささやかな大学デビューとして習慣化を試みた化粧も、「見せたい相手がいる訳でもないし」と、その内に辞めた。彼女は、洒落っ気を出すことに対して負い目があった訳でもなく、より単純に、洒落っ気を出すその手間を惜しんででも布団で過ごす時間を増やしたいと考えるタイプであった。それと同時に、人並みに垢抜けない自分を恥と思わない程度に、自分の簡素な外見に対して、無自覚な自信というには泥臭い、ひとつの愛着を持っていた。教え子の卒業と就活を理由に家庭教師のアルバイトを辞して、それから結局、就活もそこそこに更なる進学を志し、原子は一層、化粧をしなくなった。化粧ポーチに仕舞われた口紅は、大学入学時からの四年ものだ。

 大学生になってから四回目の四月、辛うじて咲き切った桜の残る大学構内では、やれ入学式だ新歓だと色めきだっているが、既に引退した世代である四年の原子には、およそ関わりのないことだった。

 コートの下はいかにも大学生といったところの出で立ちであるシャツとジーンズ、そして普段の丸眼鏡という出で立ちで、大学近くのコーヒーチェーンの片隅に陣取り、ラップトップを開いた原子に、話しかけた男があった。

「相変わらず、十秒で描けそうな顔、してますね。」

 テノールの声を軽やかに響かせた男は、不気味なまでに美しい男だった。琥珀色をした巻き毛は、光の角度によってその濃淡を変えながら、彼の耳を覆い隠し、形のいい白皙の頬に、印象的な影をうっすらと落とす。星を閉じ込めた風に煌めく濃いブラウンの瞳は、長い睫毛によって、余すところなく縁取られていた。原子を見下ろすその男のすらりとした長身は、このところ更新を続けているらしい一般的な平均身長をゆうに越えているように見えるが、仄かに色づく頬と唇には、まだ少年の影が色濃く残している。美しい男は、夢見るような角度で口許に弧を描きながら、二人掛けのテーブルを一人で占拠していた原子の、向かいの空席に座った。さも当然といった態度だった。

 相手が他の、並の人間であれば、原子にも苦情の言い様があった。しかし今原子の正面に座る男は真実美しく、それがいけなかった。ほんとうに美しいもののすること成すこと、その行動には、一種の引力や圧力に近い説得力がある。原子の向かいに座り、柔らかに微笑んでいるが、その実非常に胡散臭い男に対し、今の原子だけでなく周囲の人間も、「あ、そういうものか」と、そう思い込んでいることだろう。すっかり向かいに座り込まれてしまってから、スタンド付きの番号札を手持無沙汰に傾がせる男に、原子は思わず溜息を吐いた。惚れ惚れしたというよりは、うんざりしたといった風に。これが毎回ならこちらも慣れようがあるが、この男はどういう仕組みか、毎日整形を繰り返しているのかといった具合に、顔の全てが変化する。しかもそのどれもが真に美しいため、慣れが無いのだ。

 原子はこの男と知り合いではない。この男の名前も知らなければ、身分も知らない。出自もわかったものではないが、毎度顔を変えて現れる理由なんかを思うと、何だか、知らないままでいた方がいいような気もする。

「…………お名前は、」

 毎度のごとく原子が尋ねると、男はいっそう微笑んで答えた。

「美しいものと、そうお呼びください」

 あ、そういうものか。

 虚を突かれたように目を丸めていた原子は、ふと我に返ってから微かに眉頭を寄せた。


 この男は、出くわす度に顔が変わる。顔の系統に共通点は無く、時には肌の色すら変えてくることがある。共通点といったら、そのどれもが、揃いもそろって整い、何にせよ美しいことぐらいだった。

 この奇妙な美しい男との初対面のこれといった記憶や印象が、原子には無い。そのときも、「簡素な顔ですね!」等と言い出し、(あ、そういうものか)と、その美しさの一点突破によってそのように思わされたのかもしれないし、しかし、出会いがしらにそんな、不躾なことを言い出すような美形がいれば、はっきりそれと記憶に残っていても、何ら不思議はない筈だ。むしろ、覚えていないことの方が不自然。だが、原子はそれ以上のことを考えないようにした。気付いてしまえば気にはなるが、考えても仕方がないことというのは往々にしてある。

 それに、この男、これといって、何を仕出かすという程のこともない。原子の前に現れては、彼女の容姿に言及し、「美しさを得る手段」として、整形を勧めてくる。原子がそれを断ると、食い下がる訳でもなく、暫くの間、にやにやと原子の前に留まると、ふと目を離したその瞬間には消えている。

 原子は、これが自分にだけ見えている、都合のいい(というには無礼な)幻覚ではないか、とも考えていた。その都合よく美しい幻覚は今、原子の目の前で、奥からやって来た店員に、ベルギーワッフル(ベリーストロベリー)の皿が載ったトレーを置かれ、引き取られゆく番号札を見送りながら、上機嫌に微笑んでいた。その雰囲気ばかりは春に咲く花か何かと見紛う程の、華やかかつ繊細な作りの顔といったら、目鼻の数は同じであるのに、ここまで作り込みが違うというのも、思えば全く奇妙な話だ。この考えが、この男が実体を伴わない何かしら、例えば原子の脳内の産物であるという主張を、一層それらしくしていた。一方で当の幻は、臙脂色のジャケットから黒っぽいスマートフォンを取り出すと、ワッフルの上に乗って少し溶けたストロベリーアイスと、ワッフルの上に散らされたイチゴのスライス、ストロベリーピューレの集合体が載った白い皿に向かって、スマートフォンを向けている。インスタでもやってるんだろうか。さぞ華やかでキラキラした、そして気詰まりな暮らしをしているのだろうと、原子は眼前の男の背景を想像する。この男はいつも、こういったものを注文しては、撮影するのだ。一口も食べないのに。

「……いつも食べないじゃないですか」

 原子が敢えてそう指摘すれば、男は顔を上げると、心底意外そうにブラウンの瞳を瞠って見せた。目映い程の双眸は、コーヒーチェーン店内の灯りに照らされ、微かに菫色の光が混じる。

「それは、大きな問題じゃあありませんよ」

「勿体ないじゃないですか」

「いま、華やかなものを摂取しているじゃないですか、こうやって、」

「……視覚的に?」

 驚くほどに細長いながら、存外しっかりとした骨組みを持つ白い指先で挟んだ黒い板を、左右に振って見せながら、切られた言葉を不本意ながら補足する原子を前に、男は愉しむように目を細めた。そこに睥睨するような調子は全くないが、全く上から見下ろされているような心地のした原子は肩を竦め、青いログイン画面から操作されていなかったラップトップを閉じた。暫く作業は進まないだろう。

「それにしても簡単な顔ですね、外をご覧なさいな、春ですよ。もっと華やかにしてみては?」

「私、予防接種も嫌いなんですよ」

「No pain No gainと申します」

「間に合ってます!」

 これが現れてしまってから作業も進まず随分と時間が経ったような気がしていたが、実の所まだ入店してから数十分も経っていなかった。変な勧誘に、また遭ってしまった。さっさとここを出ようと、原子は、すっかり時間が経ったような気分で、先刻注文したレギュラーサイズのコーヒーを呷り、そして呻く間も無く、マグを机の上に戻す。いっそ叩きつける程の勢いがあったが、寸での所で勢いを殺す程の理性はあった。ゴツンと鈍い音のしたカフェの天板に前のめりになりながら、いたく焼けた舌先のヒリつきを少しでも抑えよう、発散しようと、彼女は努めて息を整えながら、舌先を少しだけ突き出した。

「ふはははっ」

 その対面に座る幻のように美しい男は、背もたれに少し仰け反り、いっそ生気の無い程白い歯を見せ声を上げて笑ったが、それは若干気安いないし胡散臭い感じこそすれ、その美は一切損なわれなかった。

「ほんっと、鈍くさいですよねぇ! アッハハハハハッ!!」


 人の不幸で存分に楽しみやがって。火傷を負った原子が苛々と中座し、しかし座席から程遠い所にある訳でもない店内のスタンドに置かれた水を、小さめの紙コップに注いで戻った時には、美しさを損なわないまま器用にひぃこら笑っていた男の姿は、影形も無く消えていた。ベルギーワッフルの上に載ったアイスはより一層溶け、手付かずのまま、原子の机の上に残されていた。男は、原子がこの類のものを余り好んでいないことを果たして、知っているのか知らないのか、しかし、どうでもいいことだった。だいたいアレは何なのか。存在自体は大層不気味だけれど、相談する先もないし、「超絶イケメンが前触れも無く目の前に出て来て、私に整形を進めて来た挙句、いつも足音も残さずに消えるんだけど」等と相談したところで、誰を相手にしようと、まず精神科とか脳神経外科とか、その辺の受診を進められるのが関の山だろう。どったのモトコサン、卒論で追い込まれてんの? みたいな。

 原子はテーブルの上に広げていたラップトップと筆箱を、足元に置いていたトートバックに仕舞い、対面に置かれたトレーを、忌々しく手繰り寄せる。そしてすっかり緩くなり、最早液状になりつつあるストロベリーアイスを掬って、口に運ぶ。そこには彼女の痛む舌を癒す程の冷たさがある訳でもなく、ひたすら薄っぺらに甘いばかりだった。

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