伝説の到来(11)

 クリスティンは眉根を寄せる。聞いた話とずいぶんと事情が違うようだ。静観する必要を感じたが、彼にとってそれどころではない話にと発展していくのだった。


「そんな連中に与するのが正義の軍だって? 腹筋が痛くなっちまうほど笑わせんじゃねえよ」

 少年はにやにやと笑う。

「愚弄するな! 正義の軍なのだ、ライナックが率いる軍は! 歴史が証明している!」

「じゃあ、こっちも正義の軍だぜ?」

 笑いを収めて半目で見てくる。

「くだらない冗談に……!」

「アーネスト・ライナックを知ってるな?」

「……な!」


 自身の血の引く音が聞こえる。誰もが知っている名前ではない。冷たい汗が吹き出してしまう。

 驚きとともに彼の様子を危惧するようなイムニの視線を感じる。それで自分が蒼白になっているのだと分かった。


「クリスティン様、大丈夫ですか?」

 人前で『閣下』と呼ばない辺りに彼の動揺も表れている。

「心配ない。ちょっと驚かされただけだ」

「それでしたら……」

 大きな吐息で困惑を押しやると同時に頭を整理する。


(どうしてその名が出てくる。あまり表舞台には出たがらない方だったはずだ)

 子供の頃に見上げた優しげな笑顔がクリスティンの胸を去来する。


「なぜ、その名を……? 伯父だ。病死なされた」

 内心を押し隠すように言葉を紡ぎ出す。

「死んだことにされてんのか」

「ど、どこにいらっしゃる?」

 彼の胸に希望が灯る。

「死んだんじゃねえのかよ」

「く……、出奔なさった。伯父上の心の内は知れないが、争い事を好まないお優しいお方だった。風物に造詣が深く、芸術を愛していらっしゃったと憶えている」


 彼の敬愛の対象だった。俗欲を好まず、清廉を良しとしていた。憧れがクリスティンを動かし真似させる。今の彼があるのはアーネストその人のお陰だと言ってもいい。

 夢見がちな人物だと酷評されることも多い。ましてや英雄の系譜。アームドスキンに触れるのも厭った伯父を冷遇する動きが無かったといえば嘘になる。それが出奔の原因なのではないかと思い続けていた。


「教えてくれ。どこにいらっしゃるのだ。もう一度会えるなら譲歩していい」

 彼にとってそれほどに思わせる人なのだ。

「抜かしてんじゃねえよ。てめぇらが殺したんじゃねえか?」

「こ……。そんな……」

 身体の芯が凍っていく。あの笑顔は二度と見られないのだろうか。

「調べてみろ。十四年前にアルミナで起こった航空機事故だ。そこにアレッサンドロ・ビューレイの名がある。それがアーネスト・ライナックの偽名だ」

「本当か?」


 イムニに目をやるとすぐに調べ始めてくれた。当該の事故に行き当たり、犠牲者リストをスクロールさせると確かに『アレッサンドロ・ビューレイ』なる人物も含まれていた。


「お待ちください。記事に高名な写実画家とありますし、自分も作品を拝見したことがあります」

 副官の瞳にも迷いがある。


(間違いない。伯父の絵だ)

 風景を写し取ったかのような精細な筆致の中に、作者の心象を塗りこめたような奥深い表現がある。映し出された画像に震える指を伸ばしながらクリスティンは確信した。


 幼い頃に接した伯父の絵はもっと拙いものがあったと思う。手遊びに描いたそれらは、目の前にある画像のように売り物になるような作品ではなかった。しかし、そこに込められた色だけは変わりようのない『アーネストの色』を表している。


「亡くなられたのか……」

 落胆が希望を押し流していく。

「だから殺されたって言ってんじゃねえか。航空機クラフターの墜落事故だぞ?」

「あ……」


 反重力端子グラビノッツが装備されている航空機は事故など無縁の乗り物である。重力下で飛行に支障が出ても失速して墜落などしない。

 例え衝突などの支障箇所で死傷者が出たとしても、それ以外の乗客は安全に不時着できる。墜落事故が起こったというのなら、安全が担保されている反重力端子グラビノッツが機能しなかったということだ。

 それはとんでもない偶然が重ならない限りは起こらない。或いは人為的な細工が為されない限りは。


「待て! このビューレイという画家がライナック一族のお方だとどうして証明できる。そんな記録はどこにも無い」

 イムニにはにわかに信じられないらしい。

「聞いたんだよ。本人からじゃねえが、一緒に暮らして世話をしてた人からな」

「そんなものは作り話だとしか思えん。ライナックを詐称する者などゼムナにもいる」

「じゃあ、そこの奴に訊いてみろよ。露骨に思い当たる節がありそうだぜ」

 

 沈黙しか返せない。まだクリスティンも混乱の最中にある。


「そもそも話が逸れているぞ。なぜお前のような粗暴な男が正義を僭称する。アーネスト様がお亡くなりになっているのならば、率いているなどと主張できまい。正義の旗を揚げる資格など無い」

 イムニはそんなに愚鈍ではない。これから語られるであろう事実に思い当たるからこそ否定したいのだろう。

「アーネストには息子がいたんだよ。母親似の赤毛の強い息子がな」

「…………」

 少年はそこが重要だと言わんばかりにニヤリと笑ってみせてくる。


「俺の本当の名前はリューン・ライナックだ」



※ 次回更新は『ゼムナ戦記 神話の時代』第十二話「ハザルク」になります。

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