早朝決意のプロポーズ
@Kosuke_N
前編
寝苦しくて目を覚ますと早朝だった。薄暗いベッドルームの中、隣では彼女が、鼻息を立てながら寝ている。窓のほうを見ると、紺色の空が広がっていた。まるで、プラネタリウムのように、星空が輝いていた。しかし、まもなく消えてなくなるだろう。もう一度、彼女のほうを見た。顔は見えないけれど、うっすら見える白い肌が神秘的で、愛おしく感じた。その頬に触れて、愛撫しようとしたが、すぐに手を引っ込める。俺には、そんなことをする資格がなかった。昨日、俺は、彼女の期待を裏切って、嫌な思いをさせてしまったのだ。そんな俺が、彼女の頬に触れることが許されるだろうか。首を振る。少し、目がさえてきた。なんだか、ベッドにいられなくなって、起き上がる。慣れないスリッパを履いて、冷蔵庫から、ペットボトルの水を取り出す。そのままラッパ飲みした。乾燥したのどが潤い、口の中もさっぱりした。ふと、ペットボトルのラベルに目を向けると、このホテルの経営者と思われる、女性の顔が載ってあった。「なるほどね」と意味もなくつぶやきながら、今度は、脂と汚れの溜まった顔を、洗面所で洗った。冷たい水を浴びて、さっぱりしたのと同時に、目やにも取れて、すっきりした。このまま歯磨きも済ませてしまおうと考えたが、その前にコーヒーが飲みたくなったので、バスルームを出る。ふと、ベランダのほうを見ると、紺色の空が次第に青くなり、太陽の訪れを告げるようだった。綺麗だと思った。俺は、窓を開け、ベランダに出てみた。顔と足に冷たい風が当たって、身震いする。しかし、次第に慣れるだろう、俺は彼女を起こさないように、ゆっくりと窓を閉める。すうと深呼吸すると、早朝のにおいがする。冷たくて、乾燥した空気。あたりはしんとしていて、小鳥のさえずりさえ聞こえてこない。いや、耳を澄ますと、下から、車の走る音が聞こえてくる。こんなに朝早くから、よく頑張るなあと思う。それに比べて、俺は旅行中。なんとも気楽だった。ふうと安息のため息をつくと、白い煙が宙を泳いだ。
部屋へ戻ると、彼女はまだ眠っていた。彼女のベッドを通り過ぎ、黙ってクローゼットのほうまで向かう。それをゆっくり開けると、自分のコートが掛けてあった。そのポケットに手を突っ込み、中からリングケースを取り出す。ケースを開けると、婚約指輪。ストレートラインの素朴な指輪で、10万円ほどした。しかし安いほうだろう。相場は3、40万ほどするそうだ。俺の給料を全部はたいて、ようやく手に入る額だ。あまりに、高すぎると思った。一つの指輪に、これほどまでお金を投じるぐらいなら、結婚式の費用に回したほうが、合理的だろう。いずれは結婚指輪を別に買って、それを日常的に身に着けておくわけだから、いま婚約指輪に30万もかけるのはもったいないような気がした。しかし、それはあまりに冷めた考え方だった。婚約指輪に大金をかけるのにも、ちゃんとした意味があるのだと後で知った。例えば、婚約指輪によくダイヤモンドが使用されるのは、永遠の愛への誓いを、ダイヤモンドの硬さで示すためらしい。婚約指輪そのものにも、記念品という意味合いがあり、今の時期にしか用意できない特別なものである。特別だからこそ、俺は、もっと慎重に選ばなければならなかった。そう考えると、俺は、急に自信をなくした。本当なら、昨日の夜、ディナーの後に、これを彼女に差し出すはずだったのだが、その直前になって、猛烈な羞恥心が襲ってきた。断られたらどうしようだとか、何を言えばいいのだろうという、当たり前の懸念以外にも、俺には、適当に安物の指輪を選んだという負い目があった。それに対して、申し訳ないと感じたとき、俺は、緊張と後悔で頭の中が真っ白になり、何も言葉を発することができなくなった。辛い沈黙の中、俺は、この場をやり過ごすことしか頭になかった。
「なんでもないよ」
ようやく出た言葉がそれだった。プロポーズは、また別の機会にすればいい、今はまだするべきではないと、自分に言い訳をした。しかし、驚いたことに、それを聞いた彼女は哀しそうな顔をした。まるで、俺のプロポーズを知っているかのようだった。いや、知っているどころではないだろう。「そっか」と頷く彼女は、明らかに落胆のまなざしで俺のほうを見た。きっと、期待していたに違いない。嬉しく思っていたに違いない。そう思うと、悲しくなった。彼女は俺から婚約の話を期待してくれていたというのに、俺ときたら、勇気が出せなくて、そのくせ指輪も適当なものを選んだ。これだけで、自分の彼氏としての存在意義を失うものがあった。
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