二十五話「百合と夜鶯」

 香苗が自慰を覚えたのは十三歳の頃だった。

 自らの衝動に抗い切れなかった。要約するとそういうきっかけで香苗は自らを慰めた。

 無論、実の姉である裕の事を思い浮かべながら、だ。

 両親は既に無く、頼れる親族も存在せず、香苗と裕は無駄に広い家に二人で暮らしていた。自らの指先が敏感な突起に伸びた理由を、香苗ははっきりとは記憶していない。理由自体、あったのかどうかも定かではない。気が付けば、いつの間にか姉を浮かべて自らを慰めていた。

 幸福な自慰だった。

 没頭した。

 姉の温かさに包まれたいと心底思った。

 絶頂に達した時は、大きな嬌声を上げてしまっていた。

 しかし、果てた後には疑問だけが残っていた。

 自分は何をしていたのだろう。何をしてしまったのだろう。何が起こってしまったのだろう。

 ひどく頭が混乱して、答えはどうやっても出せそうになかった。

 裕の事は大好きだ。世界で一番大好きで、愛していると言っても決して過言ではない。いつまでも傍に居たい、大切な姉。

 けれど性的な関係を想起させる『好き』ではなかったはずだった。粘膜を刺激させたくなる『愛情』ではなかったはずなのに。

――どうしてあたしはお姉さまでオナニーしちゃったんだろう?

 その答えを香苗は今も出せない。

 出せていないのに、週に二度は裕で自らを慰めてしまっている。

 元より娯楽の少ない、娯楽に興じられる余裕の無い迫田家なのだ。嫌になる現実から目を逸らしたい時には、自慰に頼るしかなかった。自慰に耽るしかなかった。

 罪悪感はある。

 自分のしている事が『普通』ではない事も自覚している。

 同性の肉親を思い浮かべて性器を弄んでいるのだ。

 こんな事が一般的な『普通』であるはずがない。

 香苗は自らを正当化しない。自分が『普通』でない事は誰よりも深く自覚している。

 だからこそ分からないのだ。『普通』でない自分を客観視できてしまっている事が。

 男の事が嫌いというわけではない。慧遠は好きだし、連も悠樹も一緒に居ると楽しい。蒼鬼とでも、話していると存外に面白い。

 同性に性的な魅力を感じているわけでもない。庚とはよく銭湯に行く仲だが、庚の裸体を目にして下半身が疼く事は無い。沙羅の戯れで胸を触られても、感慨深い何かが胸に湧き上がって来る事も無い。

 裕だけだ。

 裕だけに、香苗は性的な欲求を抱いている。

 その理由も、そのきっかけも、何もかも、香苗には分からない。

 分かっている事は一つだけ。

 裕は香苗を大切に思ってくれてはいるが、性的な感情とは全く無縁だという事だけだ。

 当たり前だ。物腰こそ古風で柔らかくはあるものの、それ以外では不器用な『普通』の姉なのだ。実の妹に性的な感情など有しているはずがない。

 故に、香苗は自らの中にある衝動を口にはしない。誰にも言わない、絶対に。

 口にしてしまえば、裕と自分の関係が完全に砕け散ってしまう事を分かり切っているから。あらゆる物を失ってしまった自分にたった一つ残った家族と言う絆――思い浮かべるだけで苦笑したくなる陳腐な言葉ではあるが――だけは失いたくなかった。

 或いはそれが、香苗がこの仕事に就く事を選ばせたきっかけなのかもしれない。

 実のところ、香苗達の両親が残してくれた遺産はそれなりにあった。少なくとも香苗が高校に通う程度の蓄えは十分に残っていたらしい。

 けれど、香苗はどうしても高校に進学する事ができなかった。遠回りしたくなかった。すぐにでも裕の役に立てなければ、自分には何の存在価値も無いと自覚していた。裕の役に立てない自分など、存在していてはならない。

 だから香苗は裕の勤める何でも屋の下っ端になった。ろくに稼げもしない薄給冷遇、しかし裕の手助けにだけは間違いなくなれる下っ端に。

 後悔は無い。その選択について、香苗に後悔は無い。寧ろ満足しているし、これは強がりでも何でもない。

 香苗はこれからも裕の為に生きていく。姉で自らを慰めている罪悪感を抱きながら、裕とともに歩んでいく。いずれ年上である裕の命が尽きる時、その時こそが香苗の罪悪感と命が尽きる日でもあるのだろう。

 その日まで、香苗はいい妹であり続けるのだ。

 人知れず週二回実の姉を想って自らの性欲を満たしながら。

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