第283話『卒業式予行』

せやさかい


283『卒業式予行』   





 起立! 着席!



 ……もう十回以上やらされてる。


 なんや、もう罰ゲームっちゅう感じ。


 気合いが足らんいうのは分かってる。せやけど、もうええやんか、予行やねんし。



 そう、今日は卒業式の予行で、久々に登校。



 昨日は公立高校の入試やったんで、予行が始まるまでは、教室のあちこちで入試の話で盛り上がってた。


 うちと留美ちゃんは聖真理愛学院、つまり、私学の専願やったんで、まあ、聞き役というか、その他大勢。


「あれ?」


 留美ちゃんが呟いた。


「え?」


「ううん、なんでも……」


 留美ちゃんは人の陰口叩いたりせえへんので、ちょっと目につく子がおっても口にせえへん。


 うかつに「ちょっと、あれ……」とか言うたら、さくらのハートに火がついて、あとの展開が恐ろしいからと、頼子さんなんかは言う(^_^;)。


 それで、留美ちゃんの視線が向いていたあたりを探ってみると、瀬田が静かに座ってるのが目についた。


 瀬田は田中とワンセットで、一年からの腐れ縁。


 一年の時に凹ましたったんで、うちらにチョッカイ出すことはないけど、まあ、アホのイチビリ。


 いっつも二人でワンセットで、しょうもないこと言うたりやったりしては先生に怒られとった。


 それが、今日の瀬田は……なんや静か。


 田中は、相棒がかもてくれへんので、廊下に出て、ひとりウロウロしとおる。



「ちょっ……」



 留美ちゃんに注意されて前を向くと、ペコちゃん先生が入ってきた。


「では、これから体育館で予行です。入場の練習から始めるから、廊下に並んで」


 そして、廊下に並んで瀬田の事は忘れてしもた。


 で、体育館で、何べんも起立・礼の練習をやらされてるんですわ。


「何べんもごくろうさんでした。では、最後に、わたしから少し話をさせていただきます」


 校長先生がマイクの前に立った。


 明日の本番にも校長先生は、贈る言葉的な話をするはずやのに、なんやろ?


「今日は三月の十日ですね、昨日が公立高校の入試で、明日は卒業式。それでいいんですが、この谷間の十日は、日本人にとって特別な日なんです」


 え、なんやろ?


「じつは、七十七年前の今日、東京大空襲がありました。一般には、一度の空襲で一番多くの人が亡くなったのは広島と長崎の原爆だと言われていますが、実は東京大空襲が一番多いんです。記録では六万人ですが、記録から漏れた人たちが多くいらっしゃって、一説では十万人ぐらいではないかと言われています。今月に入ってから、連日のようにクリミアの戦闘の様子がテレビやネットで伝えられていますね……」


 そうか、三月十日は、そうなんや。広島の原爆忌の時は留美ちゃんと散歩に出てて、たまたま通りかかった家から原爆忌中継のテレビが聞こえたから、思わず手を合わせて、神妙な気分になったけど、三月十日は、ぜんぜん頭にも無かった。


「東京は、その四十年あまり前に関東大震災があって、壊滅状態になりました。昭和天皇は摂政の時に震災の状況を視察されておられましたが、大空襲のあと、東京の街を視察されて『関東大震災の時よりもひどい』とおっしゃいました。陛下の御所も焼け落ちてしまったので、陛下は御文庫と呼ばれた防空壕で生活されて、その生活を、いまの天皇陛下が御結婚される時まで続けられました。むろん、周囲の人たちは『もう、御所を再建されては』と勧めるのですが『いや、国民はまだまだ困っている人も多いのだから』とご遠慮されてきました。御文庫はひどいところで、特に湿気がひどく、上着を吊っておくと、二日もすると湿気でずっしりと重くなったそうです。アメリカから大使がやってきた時に信任状を陛下に渡すのですが、大使は、御文庫のひどさにビックリしてしまいます。すると、陛下は『いや、申し訳ない。戦争で、君の国が焼いちゃったからね』と言って笑われたそうです。まあ、一矢報いたというところでしょうか」


 へえ、そんなことがあったんや。


「あ、空襲の話でした。まあ、ウクライナのニュースを見ていて、そんなことを思ったわけです……じつは、わたしのお祖母ちゃんは、深川というところで、この空襲に遭いました。家族四人で逃げて生き残ったのはお祖母ちゃん一人だけでした。ひいお祖母ちゃんも、その子どもたちも亡くなってしまいました。お祖母ちゃんは、逃げる途中、下駄の鼻緒が切れて、そのためにはぐれてしまって、結果的に生き残りました。そのお祖母ちゃんが生き残ったから、わたしの母が生まれて、その息子であるわたしがみんなの前に立っています……」


 そう言うと、校長先生は、コンビニに持っていくマイバッグみたいなをゴソゴソしだす。


「これが、その七十七年前にひいお祖母ちゃんが履いていた下駄です」


 おお……


 みんなから、溜息みたいなどよめきが起こる。


 その下駄は、今やったら小学四年くらいの子が履くようなちっこい下駄。


 桃色……もとは赤やったんかもしれへんけど、印象は、めっちゃ儚げな、でも、存在感のある下駄や。


「実は、わたしの宝物なんです。仕事で苦しいとき、くじけそうになった時は、この下駄を見て勇気をもらってます。大学を出て、学校の先生になる時にお祖母ちゃんからもらいました。おかげで、三十八年間無事に勤め上げることができました」


 え……勤め上げる? それって?


「気づいた人がいるかもしれませんが、わたしが見送る卒業生は、君たちが最後です。この三十一日で定年を迎えます。先生方、微力なわたしを良く支えてくださいました。卒業生諸君、君たちからもいっぱい力をいただきました。きょう無事に揃って、そして、明日元気に巣立って行ってくれる、この姿が先生の力で、誇りです。ありがとう諸君、ありがとうお祖母ちゃん」


 そう言って、校長先生は、下駄とうちらに深々と頭を下げました。


 あちこちで、鼻をすするような音がします。


 あかん、うちもボロボロになってきた。


 ハンカチ……あれへん。


 思たら、横の留美ちゃんが、そっとハンカチまわしてくれました。

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