第247話『ハイベーが出なくて……』
せやさかい・247
『ハイベーが出なくて……』詩(ことは)
プピーー
やっぱりハイベーで崩れてしまう。
大和川の河川敷、聞いてる人もいないだろうからいいんだけどね……と思ったら、草叢でカサリと音がして犬が顔を上げた。こいつ、笑ってる……犬に笑われた。
ペス!
名前を呼ばれて犬は回れ右して駆け去っていく。堤防の下の所に中年のおばさんが犬に怖い顔をしている。
自分でリードを放しといて怖い顔はないと思う。
あ、いま『中年のおばさん』て思ったよね、わたし。
おばさんは中年に決まってるはずなのにね……いや、若くても中年みたいなのは居るよ。
いまのわたしみたいにね。
プピラピラピラ……プヒーー
やっぱり、ハイベー。
まあ、サックスやめて一年。仕方ないか。
「今年度は無理ですね」
ただでも隔たりを感じる学務課、コロナ対策のアクリルの衝立も空々しく、ますます隔たりを感じさせて主幹のIDぶら下げたおばさんに言われた。
大学に幻滅したわたしは、ほとんど三蔵法師の気分になって留学を考えた。
三蔵法師っていうのは孫悟空の親分というだけでは無くて、基本は求道者なんだ。
中国の仏教に飽き足らず、天竺まで勉強しに行こうって発奮したえらいお坊さん。
「あれなに?」
幼いころに、お祖父ちゃんに付いて行って、改築したばかりのよそのお寺に行った。
お祖父ちゃんは、布教師の資格なんか持っていて、時々よそのお寺に講師で出かけるんだ。
そこの本堂のマス目になった天井に駱駝やら砂漠やらインドらしき景色の絵がはめ込まれていた。うちの本堂の天井も同じように絵が描いてあるんだけど、昔ながらの花とか天人の姿なので、すごく珍しかった。
「あれは、三蔵法師が天竺まで行ってお経の本を頂いてくる様子を描いたもんや」
「へえ……」
それから、十数年。わたしは三蔵法師になってみようと思った。
と言っても、仏教の勉強じゃないよ(^_^;)、うちは兄貴が坊主になったから跡継ぎは十分。お寺に嫁入りするつもりもないしね。実は、坊主の奥さんてけっこう大変。坊守(ぼうもり)って言ってね、お母さん大変なの見てるしね。
大学じゃ児童文学とかやってるから、そっちの勉強をね。
一昨年、さくらがエディンバラとヤマセンブルグに行ってきた。エディンバラがハリポタの故郷だってことは知ってたけど、帰ってきたさくらの目はキラキラしてた。癪に障るから、さくらとそう言う話はしたことないけど、父親の失踪で歌おばさんとうちに来て、苗字も酒井に変わって、傍で見ていても痛々しいくらいいい子にしていた。
それが、帰ってきてからは、とっても生き生きと自然になってきた。
なにがなんでもという感じで選んだ学部じゃないけど、やるんなら今のうちだ。
基礎ゼミの先生も学務課のおばさんも「中国にしたら」って言った。大学には中国の留学生も多くて、日中双方にパイプができているらしいけど、丁重に断った。先生に相談した三日後には、それまで口をきいたこともないゼミの劉さんが電話して来てビックリした。
行くんならイギリス。
その矢先にコロナだからね、まいっちゃう。ずいぶん粘ったんだけど、学務課で「今年度は無理ですね」と宣告されてしまった。
あの内親王さまもエディンバラに留学されていた。庶民の娘には、道は険しい。
久々にサックス担いで大和川の河川敷。
思っていた以上に錆びついていて、ハイベーが苦しい(;'∀')。
あ、サックスはピカピカだよ。わたし、モノは大事にする人だからね。
もう二三日あったら勘も唇も戻ってくるかもしれない。でも、もうやらない。
最後に一曲、ぜったい失敗しないやつ……
『蛍の光』を決めて自転車に跨って家路につく。
帰路は抜けるような青空。ま、これで良しとしよう。
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