魔人の逆襲 九 逆襲

 赤城市の周囲には荒涼とした荒れ地が拡がっている。

 北にしばらく離れると農耕地帯が始まるが、南部は岩石砂漠のハラル海に接しているので、点在するオアシス周辺を除いてほとんど緑がない。


 ヒルダの扱う幻獣、グリフォンは赤城市を中心に渦巻き状に飛行して、ある程度の集団が潜んでいそうな場所を上空から偵察していた。

 灌木の茂み、洞窟、深い渓谷など、可能性のある場所は次々に報告され、完全武装の軍が派遣されて調査を行った。

 しかし、いずれも空振りに終わり、何の成果もないまま四日が過ぎた。


 もちろん、オアシス周辺に張られたテント群も観測されていたが、それは日常的に往来している隊商が滞在しているものとして無視されていた。


      *       *


「あたしたちが遭遇した吸血鬼は南方諸国の民族衣装を着ていたわよね?」

 ライガの背に揺られながら、ユニはオオカミに話しかけた。

『そうだな……』

 ライガの返事はそっけない。


 ユニたちはヒルダの上空偵察の情報とは別に、独自に赤城市郊外を広範囲に探索していた。

 しかし、臭いの痕跡をたどるわけではないので、大した成果はあげられないでいた。

 その日も捜索はすべて空振りで、空しく赤城市に引き返す途中だった。


「ということは、吸血鬼は南方諸国の方からやってきた可能性が高いと思うのよ」

『まぁ、妥当な推理だな』

「南方諸国から王国にやってくるとしたら、どうしたら一番怪しまれない?」

『そりゃまぁ、隊商に化けてしまえば簡単だろうな』


「隊商のテントも一応はすべて調べたって聞いているけど……。

 そうだね、帰ったらヒルダに聞いてみましょう」


 ユニがヒルダに会えたのは、日が暮れてしばらく経ってからだった。

 彼女はグリフォンに騎乗して偵察するわけではないが、幻獣の見る光景を同期して受け取るため、絶えず地上を移動していた。

 そのため一日で蓄積するヒルダの疲労は大変なものだったのだが、彼女は努めてそれを表に出さなかった。


「ヒルダさん、あの――」

 ユニに呼び止められて振り返ったヒルダの顔は、一瞬老婆のように見えた。

 声を掛けてきたのがユニと気づき、顔にあいまいな笑みを浮かべた時には、蝋人形のような少し気味の悪い美しさを取り戻していた。


「どうしました、ユニさん」

 応じるヒルダに、ユニは少し心配そうに訊く。

「大丈夫ですか? 顔色が悪いですよ」


「ご心配なく。

 確かに肉体的な疲労はありますが、どうということはありません」

 ユニとしてはそこを追及して、彼女に休みを取らせたいところだったが、今は状況が許してくれない。


「上空からの偵察で、隊商のテントは見つかりましたか?」

「ああ、それなら南のオアシスの周囲にかなり規模の大きなテント群が滞在していますね。

 ただ、その辺りは常にどこかの隊商がテントを張っていますし、軍も臨検しているはずですよ」

「そうですか……。

 でも、ちょっと気になることがあるんです。

 その場所を詳しく教えてくれませんか?」


      *       *


「まいったなー、ビンゴだわ!」

 枯れた灌木の茂みに這いつくばったユニがつぶやく。


 彼女が隠れている茂みから一キロ弱離れたオアシスの緑地地帯に、白い大きなテントがいくつも張られている。

 彼女のもとには、次々と偵察のオオカミたちから報告が入ってくる。


『間違いない、腐らない死体のような臭いがぷんぷんしている』

『臭いが多すぎてよくわからんが、五十人以上はいそうだ』

『わずかだが、生きている人間の匂いもするぞ』

『ラクダの数が異常に少ない。まともな隊商ならこの倍はラクダがいるはずだ』


 彼らの観察は、テントの主が吸血鬼どもだと告げている。

 確かに、こうも堂々と滞在していては、かえって盲点となるのかもしれない。


『あっ、バカ!』

 突然の乱れたライガの思念に、ユニは緊張して身を伏せる。

「何、どうしたの?」

『第三軍の奴らの巡検隊だ。どうする?

 警告するか、助けるか?』


 ユニは慌ててライガに指示を出す。

「駄目! そのまま静観して。

 下手に手を出すと、かえって彼らが危ないわ」


 ユニたちは、それぞれ身を隠して状況を見守る。

 巡検隊は八名の騎馬部隊だった。

 彼らは何の警戒もなく、大テントに近づいていく。


 テントから南方諸国の白い民族衣装を着た男が出てきて、兵士たちとなごやかに言葉を交わしているようだった。

 しばらく会話が続き、やがて双方が手を挙げ、兵士たちが引き返す。


「さっきの南方人、昼日中の陽光に照らされて平気な顔をしてたわね。

 本当に吸血鬼なのかしら?」

『それは下っ端の実験の話だろう?

 あの〝上位眷属〟という奴らだったら、どうだかわからんぞ』


「そうね……。

 とにかく、兵隊さんが無事でよかったわ」

『それでどうするユニ?

 仕掛けるのか?』


 ユニは言下に否定する。

「バカ言わないで!

 あんな化け物が何十人と詰まっているのよ。

 そんなことするわけないでしょ。

 撤退よ、撤退!

 見つからないように離れるわよ」


      *       *


 ユニの報告を聞いたリディアを始めとする第三軍の幹部連中は頭を抱えた。

「敵は目の前で堂々とテントを張っていましただと?

 おい、これは何かの冗談か?

 誰か何とか言え!」

 

 リディアが物凄い表情で部下たちを睨みつける。

 だが、次の瞬間がっくりと肩を落とし、深い嘆息をついた。

「いや、私も同罪だな。

 お前たちを責める資格はないか……」


「どう……なさるのですか?」

 ヒルダの問いに、リディアはきっと顔を上げる。

「ロレンソ、すぐに出せる軍はいかほどだ?」


「はっ、訓練部隊を戦時体制に組み込んでおりますから、城市に留守部隊を置いても五千ならすぐに出せます」

「よし、お前とヒルダは前衛に立て。

 兵たちは後詰としてテント群を包囲させる。あまり近づけて敵に気取られぬようにな。

 私はドレイクで出る!」


「不死の吸血鬼に赤龍が通用しますか?」

 ヒルダの問いにリディアは苦笑する。

「やってみなければわからんだろう。

 だが、ドレイクの話では、龍は吸血鬼よりもはるかに古い種族だそうだ。

 だったら龍の方が強いというのが道理ではないか?」


 作戦の実行は翌日正午と決められた。


 吸血鬼の活動が最も弱まる時間を見計らい、赤龍が上空から急襲する。

 両副官を先頭にした第三軍は、遠巻きに取り囲んで吸血鬼の逃亡を阻止する。

 作戦の詳細はそれだけの単純すぎるものである。


      *       *


 天蓋つきの豪勢なベッドの中で、ナイラはがばっと身を起こした。

 〝真祖〟である彼女の鋭敏な感覚は、同じ古い種族である龍の接近を捉えていた。

「くそっ、やられた!」

 吐き捨てるように小さく叫ぶと、手早く服を着て囲われたカーテンを押し開ける。


 ほとんどの眷属は眠りについており、起きている者は数人にすぎない。

 直射日光を遮るテント内であっても、昼間の間は吸血鬼の能力が著しく減退するからだ。

 とはいえ、ナイラの眷属たちは直射日光のもとでも活動できる。

 もちろん陽光は彼らの皮膚を焼き、肉をただれさせるのだが、再生スピードがそれを上回るのだ。


 それでも、闇の生き物である彼ら吸血鬼は昼は行動をしたがらなかった。

 だが、そんなことを言っている場合ではない。

 ナイラは何が起こったのか理解できずにいる不寝番の眷属たちを怒鳴りつける。


「敵襲だ! 寝ている連中を全員叩き起こせ!」

 彼女の怒号が響いたその時、「ボンッ!」という音とともに視界が真っ赤に染まった。

 大テントの中は、一瞬で灼熱の炎に満たされていたのだ。


      *       *


 革の龍騎具で赤龍ドレイクの肩のあたりに騎乗したリディアは、上空から地上に咲いた炎の花を見下ろしていた。

 ドレイクが咆哮するたびに赤い火線がほとばしり、地上の白いテントめがけて走っていく。

 龍のファイアブレスが到達すると、テントは風船のように膨らみ、真っ赤な炎を撒き散らして爆発した。


 赤龍が放つ火線は、十数個の大テントを正確に捉え、次々に爆発させていった。

 中に誰がいたとしても、とても助かるとは思えなかった。

 しかし、実際には爆発し炎に包まれたテントからは、棒で突かれた蜂の巣のように中からわらわらと黒い影が飛び出してきた。


 その人影を目掛けて、さらに上空から龍のブレスが次々と降り注ぐ。

 獣のような咆哮をあげて上空を睨みつける男たちに、まともに炎の滝が降り注ぐ。

 彼らの身体はたちまち内部から爆発するように炎を吹き出し、皮膚も肉も瞬時に炭化させる。


「ガアアアアアアアアアアーーーーーーーーーッ!」

 人間ならば一瞬で喉も肺も焼けただれ、声も上げずに即死しただろうが、男は身体を炭化させながらも叫び声を上げ続けた。

 突き出した腕がぼろぼろと炭になって崩れていく。

 最後には不格好な針金細工のようになっても、男の獣のような叫び声は続いた。

 男の頭部までが小さな棒きれのようになって崩れ去って、ようやく叫び声は止まった。


 同じような光景がそこかしこで繰り広げられたが、そればかりではなかった。

 衣服を燃やし尽くされ、全裸になってなお立ち続ける者たちが何人もいたのだ。

 そうした者たちにも、龍のブレスは容赦なく降り注ぐ。


 その中には形のよい胸を誇らしげにそらして空を見上げる女もいた。

 モナである。

 彼女の黒い髪は燃え上がり、ぴんと立った乳首を内部から吹き飛ばすように炎が吹き出てくる。

 しかし傷口はあっという間にふさがり、黒髪は何事もなかったかのように再生して風になびいた。


 モナは高笑いをあげて上空の龍に向かって叫んだ。

「愚かな古トカゲよ、われらナイラ様の眷属に貴様の炎など効かんわ!

 太古より生き延びてきた不死の一族を滅ぼすなど、不可能と知れ!」


 龍はその答えの代わりに、上空から再びブレスを放った。

 「しゃっ」という擦過音をたてて細く赤い火線が走る。

 モナにまともにぶち当たった炎は、一瞬消えたように見えた。

 しかし次の瞬間、モナの身体のあちこちがボコボコと膨れ上がる。

 乳房よりも大きな塊が体中に現れ、次々と破裂して炎を吹き出す。


 血肉を撒き散らし、身体の内部から火山の噴火口のような穴が無数に出現するが、すぐさま傷は再生して滑らかな女の皮膚が覆う。

 ナイラほど肉感的ではないが、若い娘らしい張りのある身体を惜しげもなくさらしてモナは高笑いをあげた。

「無駄よ! 無駄、ムダ、むだっ――ごぼぁっ!」


 モナの口から灼熱の炎が噴き出し、舌を炭化させる。

 眼球の水分を蒸発させて黒い穴から炎が燃え上がる。

 股間の粘膜を焦げた靴底のように変えて噴き出た炎が黒々とした陰毛を焼き払う。

 穴という穴から炎が噴き出し、再び体中がぼこぼこと膨れ上がった。


「なっ、再生が間に合わない……だと? がはぁっ!」

 モナの肉体は炭化と再生を繰り返しながら徐々に崩れていく。


 もはやそれは人間の形をなしていなかった。

 紅い肉の塊りが泡を吹き出しながら燃え上がり、黒い炭となり、再び生焼けの肉に再生する。

 そして徐々に小さくなっていき、やがてわずかな消し炭となって消滅した。


 不死と思われたナイラの眷属たちは、しばらくは龍の炎に抵抗しえたが、やがて再生能力を上回る爆発的な燃焼によって朽ち果てていった。


 次々と倒れていく眷属の群れの中を、一人の大柄な女がゆっくりと歩いてくる。

 ドレイクのブレスもその青く輝く肉体を犯すことなく弾き飛ばされた。

 ナイラは上空からゆっくりと降りてきた赤龍を睨みつけている。


 地面に降り立った赤龍と対峙するナイラは頼りないほどに小さく見える。

 しかし、彼女はまったく怯える様子を見せない。


「赤龍よ、ここで貴様とりあってもよいのだがな……。

 だが、わが眷属を皆殺しにされた恨み、そこの小娘に思い知らせるまではその首預けておく」

 ナイラはそう言うとドレイクの背に乗っているリディアを指さした。


「赤龍帝とやら。

 貴様とその民には、必ずや地獄を見せてやる!

 魂魄まで喰らい尽くしてやろうぞ!

 特にお前は簡単には殺してやらん。

 覚悟しておけ!」


「なーにを素っ裸で偉そうに言ってるのよ!」

 赤龍の上からリディアが言い返す。

 ナイラが身に着けていた薄物は、とっくに龍の炎で焼け失せていた。

 彼女は一糸まとわぬ全裸であったが、まったく恥じる様子を見せない。


「ふん、小便臭い小娘が。

 わらわの身体が羨ましいか!」


 嘲るような吸血鬼の言葉にリディアは即座に言い返す。

「誰がそんな垂れたおっぱいを羨ましがるかっ!

 それより逃げ場はないわ、観念しなさい」


「ふっ、決めたぞ。

 貴様はわがしもべにして人間便器にしてやろう。

 毎日わらわのひり出す糞をその口に食わせてやる。

 光栄に思え!」


 リディアは凄みのある笑みを浮かべてドレイクにささやく。

「ちょっとあんた、あの糞女を叩き潰していいわよ」


 赤龍は困ったように答える。

『そうは言うがな。

 あれは〝真祖〟だ。簡単には死なないぞ』

「そんな……あっ! ちょっと待て!」


 リディアたちが内輪話をしている間に、ナイラはずぶずぶと地面に沈んでいた。

 赤龍の巨大な影がそこにあった。

 〝闇の王〟たる吸血鬼は、影さえあれば自由に出入りができる。


「待てと言われて待つ馬鹿がどこにいる」


 ナイラが最後に残した言葉は、少し陳腐なセリフだった。

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