魔人の逆襲 十 昼間酒

 赤龍ドレイクによる吸血鬼本拠の急襲は、敵の首魁〝真祖ナイラ〟を取り逃がしたことで成功とは言い難い結果となった。

 またナイラの眷属の発言、そして南方諸国によく通じている者の証言によって、彼女がナフ国の女王であったと判明し、大きな驚きをもたらした。


 しかし、それがどうでもよくなる程に王国側に衝撃を与えたのは、ターコイズブルーに染まったその身体だった。


 つい数か月前、大公国への遠征で目にした巨大な魔人と同じ肌の色である。

 第三軍の首脳は、魔人の崩壊後に行方不明になった心臓(宝珠)が、再びサキュラ、もしくは首長国連邦の手に落ちたのだと判断した。

 そして、多数の兵士の身体を宝珠の力で無理やり寄せ集めた巨人ではなく、一人の人間に埋め込んだことでとてつもない化け物が生まれたのではないかと結論づけた。


 いわば、これが真の魔人の姿――太古から伝説の中で生き続けた人類の敵対種、吸血鬼こそ魔人の正体だとしたら、そしてその真祖が王国に牙を剥いているのだとしたら――その仮説はあまりにも恐ろしものだったが、誰一人として目の前につきつけられた現実を否定できないでいた。


 ドレイクの言葉によれば、赤城市を守る結界はあと一週間もすれば消えてしまう。

 そうなれば闇を移動し、赤龍のブレスすら無効化する不死の化け物に対抗するすべはない。

 ナイラの予言どおり、赤城市の住民はただ喰われるだけの餌となって、自らの順番を恐怖して待つ以外になくなってしまう。


 すでに赤城市から逃げ出す住民は数千人規模に膨れ上がっている。

 ただ、逃げることのできる住民は、それなりに財産を持った富裕層に限られる。

 逃げて暮らせるだけの金がなく、受け入れ先の当てのない貧困層にとって、赤城市を離れることは死を意味しているのだ。


 彼ら貧しい人々が赤龍帝リディアを見る目は複雑だった。

 確かに彼女と赤龍は、好き放題に暴れていた吸血鬼たちを壊滅させた。

 しかし、その元凶となった親玉は復讐を誓う言葉を残して消え去ったままなのだ。


「一体、どうする気だろう?」

「何か手はあるのか?」

 市民が二人以上集まると、必ずその話題が始まる。


 今はまだその程度だからいい。

 一応の平穏が保たれているため、市民の不満はくすぶっている程度で済んでいる。

 しかし、結界が消滅し、ナイラが無差別に市民を襲い始めたら、パニックが生じるのは必至だ。

 そして、怒りの矛先が軍と赤龍帝に向かったとしても不思議ではない。


 実を言えば、静かなパニックはすでに始まっていたのだ。

 ナイラが姿を消して以降、赤城市周辺の街道で商人や旅人の宿営地が襲われて行方不明者が続発していた。

 彼らに噂が広がるのはあっという間だった。


 商人たちは身の安全を図るため、赤城市を経由するルートを避けるようになった。

 その結果、赤城市は〝陸の孤島〟と化してしまった。

 日用品を中心に品不足が始まり、やがてそれが食糧に及ぶことが避けられない状況となってきたのである。


      *       *


「何ですか、これ?」

 マリウスが眉根をしかめてユニの顔を覗き込む。

 二人の前には、熱々の鉄板の上でまだジュウジュウ音を立てている何かのぶつ切りが並んでいる。


 一見すると小さなソーセージを焼いたもののように見える。

 しかしその切り口から白い脂が花が咲いたようにはみ出し、そこからポタポタと溶け出した脂が雫となって鉄板に落ち、獣臭い煙をあげている。


「何って、マルチョウよ」

 ユニはこの世の常識をわきまえない若造を相手にしたような顔で答え、さっそくその脂まみれの物体を口に放り込んだ。

 はふはふと口から湯気を吹きながら味わうと、たちまちユニの形の良い唇が脂に濡れてなまめかしく光る。

 すかさずユニはジョッキを持ち上げ、冷えたビールを喉に流し込んだ。


「ごっごっごっごっごっごっごっごっごっごっ……」


 ユニの白い喉元が上下して、冷えたビールがどんどん飲み込まれていく。


「………プッハアァー!

 くあぁ~っ、たまらんわ!」

 「ダンッ!」と乱暴な音を立ててテーブルに叩き付けたジョッキには、もうほんのわずかしかビールが残っていない。


「いや、だからそのマルチョウって何なんですか?」

 呆れた顔でマリウスが再び尋ねた。

「これ、どうみても内蔵に見えるんですけど……」


「そうよ。牛の小腸」

 ユニが「何を当たり前のことを」といった声で答えると、マリウスは「うえ~」という表情で舌を出した。

「王国では内蔵を食べるんですか?」


 マリウスの故国である帝国では、内臓を食べる習慣がない。

 年中戦争をしていて、戦場で人や馬の内臓を見る機会が多いせいか、それを食べるなど嫌悪感しか湧かないのだ。


「美味しいのよ。

 大体、あんたこの間羊の脳みそ食べてたじゃない」

「あれは内臓とは違うでしょう。

 本当に食べられるんですか、これ?」


 ユニは口の中に次々に牛の小腸を放り込みながらむっとした顔をする。

「あたしが今、目の前で食べるでしょうが!

 熱いうちに食べないと美味しくないわよ」


 マリウスは恐る恐る一切れにフォークを刺して口に運んだ。

 ぐにゃりとした柔らかいゴムのような食感とともに、中から大量の脂がじゅわっとはみ出してくる。

 味付けもあるのだろうが、その脂が濃厚で甘い。

 ゼリーのような脂は口の中であっという間に溶けてしまい、口の中が甘い脂とかすかな獣臭で満たされる。


 マリウスは思わずビールを飲み込んだ。

 口の中を苦みの効いた冷たい液体が洗うように脂を流してくれる。

 なるほど、まずくはない――というより、ビールには強烈に合う味だ。

 ただ、恐ろしく下品な味だな、とも思う。

 これは、食事としてはとても出せないだろう。

 純粋に酒の肴として生まれたものだという気がする。


「この辺は貧しい連中の住処だからね。

 まともな肉なんか買えない人が多かったのよ。

 それで捨てられていた内臓をどうにかして美味しく食べる方法を見つけたのが始まりらしいわ」


 そう言って、ユニは店の中をちらりと見た。

 客はユニたちのほかには数えるほどしかいない。

 まだ日も高いから、飲み屋に人がいないのは当たり前に思える。

 だが、肝心の夜になると店は開けないのだ。


 ここは赤城市新市街の貧民街の近くにある居酒屋である。

 呑兵衛特有の勘で、ユニが見つけ出したお気に入りの店なのだが、昼間しか営業できないのでは商売あがったりだろう。


「おっちゃん、ミノとビールのお代わり!」

 ユニが空のジョッキを高く掲げて注文すると、奥の方から主人の「あいよ!」という威勢のよい声が返ってくる。


「昼間っから宴会とは、いい御身分だな」

 ユニの背後から皮肉たっぷりの声がして、長身の軍人がぬっと顔を出した。

 マリウスが驚いて立ち上がり、敬礼をする。


「これはっ、アリストア様!

 どうしてこんなところへ?」


 それは参謀本部を牛耳る〝軍の頭脳〟、アリストア副総長だった。

 彼は溜め息をつきながらユニの隣に腰をおろす。


「数日前、赤龍帝から援助の要請があったのでね。

 アランに頼んで飛んできたのだよ。

 まぁ、報告は受けていたから、要請がなくても参謀本部としては座視しているつもりはなかったがね。

 さっきまで赤城で打ち合わせをしていたところだ」


 そしてテーブル上の料理を見て、思わず顔を顰めた。

「何だね、この獣臭い料理は? 脂まみれじゃないか」


「ですよね~」

 マリウスの合いの手に、テーブルの下ではユニのごついブーツが彼の脛を蹴飛ばしていた。

「何ですか副総長殿。

 私は役目を果たしました。

 もうできることはありませんよ。

 まだ何かやらせるつもりですか?」


「君は私を疫病神と勘違いしているのではないかね?

 リディアから聞いたが、吸血鬼の本拠を探り当てたそうじゃないか。

 君の活躍は十分に評価しているぞ?

 ――まぁ、それはさておきだ……」


 そこへ店の主人がミノ(牛の第一胃)を焼いたものとビールを運んできた。

「よお、軍人さん。

 こんな場末の店にようこそ!

 何を飲むかね?」


 ユニがいそいそと内臓を頬張るのを横目で見ながら、アリストアは少し迷った。

「――その、なんだ。ワインはあるかね?」


「ワイン?」

 主人は目を剥いて驚く。

「お客さん、ここをどこだと思ってるんだい?

 うちにあるのは、焼酎とビール、それと焼酎のビール割りだ」


 アリストアはげんなりとした顔でうなだれた。

「わ、わかった。ではビールを頼む。

 あと、何か木の実でもあったら出してくれ」

「なんでえ、内臓は貴族様の口には合わねえってか?

 しょうがねぇなぁ。

 この姉ちゃんなんか、一週間うちに通って店の全部のメニューを制覇したぞ。

 少しは見習ったらどうだい」


 アストリアは「わかった」と言いたげに片手をあげて主人を黙らせた。

 だがおやじが戻ろうとした時、ユニが呼び止めた。

「あれ?

 おっちゃん、味変えたの?

 このミノ、全然ニンニクが入っていないわよ。

 なんかショウガの味ばっかりだけど……」


 主人は振り返って、情けなく申し訳なさそうな顔をした。

「仕方ねえんだ。俺だって姉ちゃんに旨いモツを喰わせてやりてぇんだよ。

 だけどなぁ、ニンニクは極端な品不足でな、とてもうちみたいな店が手を出せる値段じゃねえんだよ」


 ユニはいぶかし気な顔で訊いた。

「どういうことなの?」

「だからホラ、例の吸血鬼騒ぎでよ、みんなニンニクをお守りに買ってるんだよ」

「だって、ニンニクは吸血鬼に効かないって、軍から通達があったでしょう?」


 主人は少し困ったような顔をする。

「そりゃ皆んな知ってるさ。

 それでも、もしかしたらってすがっちまうのさ。

 おまけに街道筋で商人たちが襲われているそうじゃないか。

 中央平野からのニンニクの入荷が止まっていてな、どうにもならんのよ」


 そう言うと、主人は頭を振りながら厨房へと戻っていった。

「だいぶ市民生活に影響が出ているようだな……」

 アリストアがぽつりと言った。


「それで?

 今日はどういうご用件でこんなとこまでいらっしゃったんですか?」

 ユニが改めて訊いた。


「ん? あ、ああ、そうだったな。

 いや、ユニには特に用事はないのだ。

 用があるのはマリウスだ」

「は、僕ですか?」


 アリストアはうなずいた。

「ああ。

 あと数日で旧市街に張られている結界は消える。

 そうなったら吸血鬼の侵入を防ぐ手立てはない。

 そこで、君には赤龍帝の夜間警備についてもらいたい。

 今、彼女を失うわけにはいかんのでね。

 私のミノタウロスは狭い屋内では十分に力を振るえない。

 しかも相手は赤龍でも倒せない不死の化け物だ。

 君には防御魔法でリディアの身を守ってもらいたいのだよ」


 マリウスは真面目な顔で敬礼をし、そしてにやりと笑った。

「かしこまりました。

 あの姫様の寝顔を見守る任務とは、男子の本懐です!」


 ユニはげんなりとした顔でその茶番を眺めていた。

「それで副総長殿、私は何をすればいいのですか?」

 アリストアは「意外だな」という顔をする。


「今の君にできることは何もないだろう。

 ナイラが闇に紛れている以上、臭いで追跡することもできまい。

 それに君のオオカミたちでは、どう考えても吸血鬼に立ち向かえるとは思えないぞ。

 君は何もすることがないから、こうして昼間から飲んだくれているのではないのかね?」


 ぐうの音も出ない。

「……そ、それはそうなんですが。

 だけどここまで関わってきた以上、私だって何かの役に立ちたいじゃないですか!」


 アリストアは苦笑した。

「ふっ、君はつくづく損な性格をしていますね。

 そうまで言うなら、ユニは自分にできることを自分で見つけるしかないだろう。

 違うかね?」


 そう言うと、アリストアは立ち上がりジョッキに入ったビールを一口喉に流し込んだ。

 テーブルの上に銀貨を一枚(三人分の飲み代に十分な額だ)置くと、マリウスに「三日後、赤城に登城しろ」と言い残して去っていった。


「あたしにできること……」

 ユニはぼんやりとアリストアの言葉を反芻はんすうしている。

『リディアは赤龍帝のプライドよりも市民の安全を優先して参謀本部に助けを求めた。

 あたしには誰か頼っていい人がいるだろうか?

 あたしが本当に困った時に……。

 ――そう言えば!』


「何か思いつきましたか?」

 マリウスが彼女の顔を覗き込む。

 ユニは頭を横に振ると、きっと顔を上げた。

 そして手を挙げて怒鳴った。


「おっちゃん、焼酎のビール割り!」

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