魔人の逆襲 五 新市街襲撃

「では、その警護兵もまた吸血鬼となって蘇るのか?」

 シャシム王の問いに、ナイラは首を横に振る。

「いや、こやつはもう死んでいる。

 これはただの食糧じゃ」


「仲間を増やすという話は嘘なのか?」

 王の後ろのぼんやりとした暗闇からしわがれた声がする。

 サキュラの〝力ある呪術師〟だ。


「いや、そうではない。

 ああ、その前に言っておこう。

 わらわの眼には、お前の姿がはっきりと見えておる。

 隠形おんぎょうは無駄じゃぞ。

 わらわは夜の世界の王、どのような暗闇も昼間とかわらないのさ」


 ナイラの言葉に反応して、シャシムの影に混じり合っていた暗闇が溶けるように消え去った。

 代わりにマントを羽織った小柄な老人の姿が浮かび上がる。


「よいか、わらわがかてとして吸うのは人間の生命力、精気じゃ。

 血液はそれを媒介するに過ぎぬし、精気を吸われた人間はただ死ぬだけじゃ。

 だが、わが眷属けんぞくを増やすときには、逆にわらわの精気を相手に分け与えねばならん。

 一人のしもべを生み出すには、そうさの十人ほどは人間を餌とする必要がある。

 ただ活動するためだけなら、月に二、三人も吸血すればよいのだがな」


「その眷属とやらは、お主と同じ力を持つのか?」

 ナイラは馬鹿にしたように鼻を鳴らす。


「まさか。力は数段落ちる。

 だがまぁ、だいぶ能力は劣るが再生力もあれば、不死性も一応持っておる。

 ただ眷属が生み出す吸血鬼となると、劣化したまがい物に過ぎん。

 理性も知性もないただの鬼だ。不死性も持たん。

 その代わり、生み出すのに必要な精気は二、三人分で足りるから、とりあえず手駒を増やすには便利だな」


「ちょっと待て!

 と言うことは、お前は不死だということか?」

 たまらず口を挟んだシャシム王を、ナイラは虫けらでも見るような目で見下ろしている。


「ならばシャシム王よ、わらわの首を刎ねてみよ」

「なっ……」

 思わぬ言葉にシャシムは言葉に詰まる。


「どうした、怖いのか?」

 小馬鹿にしたナイラの薄笑いに、シャシム王の顔面が紅潮した。

 彼は三歩前に出ると、抜き手で半月刀シャムシールを斜め上に振るった。

 目にも止まらぬ早業に、ナイラの頭部が跳ね上がり「ごとっ」という柔らかい音を立てて絨毯の上に転がった。


 傷口からは一瞬鮮血が噴き上がり、すぐに止まった。

 全身が青いので、血も青いのかと思いきや、人間と同じ真っ赤な血である。

 シャシムと呪術師は、同時に目をみはり、息を飲んだ。


 絨毯の上に転がったナイラの首が、あっという間に黒い灰となって崩れ、その灰すらも痕跡を残さず消え去ってしまったのだ。

 一方でナイラの首からは、ジュクジュクと音を立てて青い泡が噴き上がり、風船のように膨らんだかと思うと、いきなり先ほどまでと変わらぬ頭になった。

 再生までの時間は一秒にも満たない。

 ナイラは首を何度か振り、コキコキという音を立てて調子を確認してからにやりと笑う。


「どうだ?

 信じられぬならもう一度やっても良いぞ?」

 シャシムは黙ったまま首を横に振る。


「お主はわしらの命令に従うのか?」

 王と違い、冷静な呪術師は静かに尋ねた。

「悔しいが、貴様の命令には逆らえぬようだ。

 ただし、わが眷属はその限りではない。

 あまりわらわの機嫌を損ねると、手下どもに寝首を掻かれることになるからせいぜい用心することじゃな」


「で? わらわに何を命じるつもりじゃ?」

 シャシムはその問いに即答した。

「知れたこと、ルカ大公国を滅ぼすのよ!」


「お待ちなされ!」

 思いがけない鋭い声で呪術師が叫んだ。

 そして、王の袖を掴むと部屋の隅へと連れていく。

 呪術師は背をかがませた王の耳元に顔を寄せると小声でささやいた。


「大公国を襲わせるのはおよしなされ。

 こちらの命令を聞かぬ魔人の眷属で溢れかえった国を手に入れてどうなさるおつもりか。

 わしらには不死のこやつらを倒すすべがないのですぞ!」


 呪術師の言うことはもっともだった。

「では、どうしたらよいと言うのだ?」

「リスト王国を襲わせるのです。それも赤城市を。

 王国が吸血鬼で溢れかえっても、こちらの知ったことではありません。

 赤城が滅びれば、もういまいましい国家召喚士や赤龍が大公国の援軍に来ることはありますまい。

 奴らが滅ぶ間に、ゆっくり吸血鬼の弱点を調べればよろしいでしょう」


 部屋の隅でこそこそと相談する二人を、ナイラは面白そうに眺めている。

 彼女はけらけらと笑うと、二人に呼びかけた。

「そんなに声をひそめなくてもよいぞ。

 わらわには全部聞こえておる。

 よかろう、赤城市を落とせばよいのじゃな?


 ――では、とりあえずわが眷属をつくらねばならんな。

 まずは三人もいればいいだろう。

 ナフ族の捕虜を三十人ほど寄こせ」


 シャシムは驚いてナイラを見つめる。

「よいのか?

 お主の部下ではないか……」


 魔人と化した女は鼻で笑う。

「わらわに人間だった頃の意識はあまり残っておらぬ。

 まぁ、わが部下であったのなら、わらわのかてとなり、眷属と化すのは名誉であろう」


 シャシムと呪術師は顔を見合わせた。

 自分たちは何かとんでもないものを蘇らせてしまったのではないか――その顔にはそう書いてあった。


      *       *


 ユニとライガは夜の新市街をゆっくりと歩んでいる。

 まだ宵の内だ。普段なら人で溢れかえっているはずの目抜き通りも、ほとんど人気がない。

 群れのオオカミたちは、互いに通信が可能な距離でばらけている。

 敵の侵入経路が掴めない以上、そうして〝腐らない死体〟のような臭いを探るしかない――それがユニの出した結論だった。


 昼間の現場検証が終わった後、ユニは狼たちに食事を摂り日没まで眠るように命じ、自身もそうした。

 ユニにしたがって普段は昼間に活動しているが、オオカミは基本的には夜行性だ。

 夜の行動はむしろ歓迎するところだ。


 巡回の始めはこれといった成果がなかった。

 しかし、夜もとっぷりと更け、日付が変わったあたりでいきなり警戒網に敵がかかった。

 ヨミからの警告が隣接のオオカミたちを経由してユニとライガに届く。

「みんな、母さんヨミのところに集まって!」


 ユニがそう命令を伝えようとしたちょうどその時、ヨミとは反対側のトキからも「敵だ!」という通信が入った。

 ユニは瞬時に命令を変える。


「トキの側にいるのはヨーコさんね、あたしとライガはトキの方に行く。ヨーコさんもお願い!

 ほかのみんなは母さんヨミの方へ!

 襲われた人を助けられるなら割って入って。後は逃がさないように牽制するだけでいいわ。

 無理はしないで!」


 ユニが跨っているライガは、その時点で矢のように駆けだしている。

 隣接のトキとはそう離れていない。

 大通りから道を二本も跨ぐと、街は商店街から一気に貧弱な長屋がひしめき合う貧民街へと姿を変える。

 三分もかからぬうちにライガは現場に駆けつけた。


 そこにトキの姿はなかったが、探すまでもなかった。

 窓がぶち破られた長屋の一部屋から、壮絶な唸り声と物が床に落ちる騒音が聞こえてくる。

 ライガも迷わず飛び込もうと身構えたが、一瞬早く、窓枠だけになった暗い穴から人影が飛び出してきた。


 瞬時にユニはライガの背中から、するりと滑るように地面に落ちて転がる。

 同時にライガが跳躍して、空中から落下し始めた人影に襲いかかった。

 オオカミの巨大な顎が男の左足をがっちりと捉え、そのままもつれるように落ちる。


 着地の瞬間、ライガは首を振って男の身体を地面に叩きつけた。

 「べきっ」と音がして男の膝が砕け、ライガはそのまま膝から先を食い千切った。

 地面に激突した衝撃といい、足を切断された痛みといい、普通の人間ならそれだけで行動不能に陥るはずだった。


 ところが、男は何事もなかったかのように跳ね起きて四つん這いになると、そのままライガに飛びかかってきた。

 オオカミの牙をすばやく避け、両腕で首に抱きつく。


 大人の男でも、ライガの首は抱えるだけで一苦労なのだが、男はその巨体を振り回して投げ飛ばした。

 踏ん張る足の片方は膝から下がない。

 白い骨が傷口から剥き出しになっているのを、地面に突き立てるようにして身体を支えているが、何の痛痒も感じていないようだ。


 ライガは恐ろしい力で跳ね飛ばされ、長屋の壁に激突した。

 それ自体は、彼の分厚い筋肉と毛皮によって大したダメージではないが、壁から跳ね返り地面に転がった結果、態勢は大きく崩れた。

 そこへ男が文字どおり〝飛んできた〟。


 男がライガを投げ飛ばした地点から、長屋の壁までは五メートルは離れている。

 それを、片足のない男は一気に跳躍して飛びかかってきたのだ。

 じたばたしてようやく立ち上がったライガの顔を、男は思い切り殴りつけた。


 この攻撃はかなり効いた。

 ライガは頭から地面に叩きつけられるように吹っ飛んだ。

 悲鳴こそ上げなかったが、しばらく足をもがいて起き上がれない。


 一方で攻撃した男の側も無傷ではなかった。

 ライガを殴った瞬間、男の肘のあたりから、鋭く尖った白い骨が突き出したのだ。

 あまりに強い力で殴りつけたので、男の腕の方がもたなかった。

 肘の先のあたりで骨は斜めに折れて皮膚を突き破る。

 手首の関節も砕け、男の右手は振り子のようにふらふらと揺れながら垂れ下がっている。


 男は右腕の惨状を意に介さない。

 再び右足だけで地面を蹴ると、無事な左手を振りかぶってライガの顔を殴り潰そうと飛びかかる。

「がああああああーっ!」という喚き声が響き、男の身体が舞った。


 その時、夜の闇の中から白っぽい塊がいきなり飛び出し、横から男の身体にまともに激突した。

 白に近い灰色の毛並み――メスのヨーコだった。

 弾き飛ばされた男は地面に転がったが、片手片足を失っているため、簡単には起き上がれない。

 すかさずヨーコが飛びかかって右足に噛みつき、無茶苦茶に振り回した。


 ライガの力とは比べものにならないが、彼女も二メートルを超す大オオカミだ。

 たちまち嫌な音がして、男の膝関節が破壊される。

 男は起き上がれぬまま、獣のような叫び声を上げ、大きく口を開いている。

 異様に長く尖った犬歯が剥き出しになっている。


 それを覆い隠すように、オオカミの巨体がかぶさった。

 やっと起き上がったライガが飛びかかり、男の犬歯をはるかに凌駕する牙を喉元に食い込ませた。

 強力な顎の力で男の喉を潰す。

 牙がずぶずぶと肉に潜り込み、ぶちぶちと何かが千切れていく音を立てる。


 最後に鈍い音がして頸椎が折れた。

 がくんと男の頭が変な方向に垂れ下がり、ライガはそのまま首を身体から引き千切った。

 それでも男の身体はびくびくと痙攣し、千切られた頭はがちがちと歯噛みをしている。


 ただ、それは一瞬のことで、すぐに男の身体は崩壊を始めた。

 頭も身体も、たちまち真っ黒な灰のようになり、次の瞬間にはそれが崩れて煙のように消え去っていった。

 一分もたたないうちに、そこには男の衣服だけが残されるだけとなった。


 舌を出し、荒い息をしているライガのもとにユニが近づいてくる。

「ちょっとライガ、大丈夫?

 ずいぶんやられたじゃない。

 ヨーコさん、ありがとうね。助かったわ」


 ヨーコは尻尾をばっさばっさと振り回して嬉しそうにしている。

『あたし、長い付き合いだけど、ライガが殴り倒されてじたばたしてるのなんて初めて見たわ』

 ライガは不機嫌だ。

『うるさい!

 しかし、こいつは人間の力じゃないな。

 オークより強いぞ。

 だが、身体の方が全然追いついてない感じだな』


 そこへ壊れた窓の穴からやっとトキが顔を出し、ぴょんと飛び降りてきた。

『やれやれ、酷い目にあったぞ……』

 ぶつぶつ言う夫をヨーコがなじった。

『ちょっと、あんた。今頃のこのこ出てきて何やってたのよ』

『無茶言うなよ、しょうがないだろう。

 あの野郎、いきなりたんを投げつけやがったんだ。

 俺は襲われてた人間をかばったから下敷きになってな、やっと這い出したとこだよ』


「それでトキ、襲われた人は無事なの?」

『ああ、どうやら食われる前に間に合ったみたいだ。

 部屋の隅っこでガタガタ震えているよ。

 どっちかって言うと、俺の方が怖かったみたいだな。

 言葉が通じないってのは不便なもんだなぁ』


 ユニは窓から部屋の中を覗いてみた。

 灯りがないのだが、部屋がめちゃめちゃになっているのはよくわかる。

 トキの言うとおり、部屋の隅で白っぽい服を着た男が頭を抱えてうずくまっている。


「ねぇ、そこの人。

 もう犯人はやっつけたから、安心していいわよ。

 今、警備兵を呼ぶから、事情を説明してちょうだいね」


 男はユニの声に反応して手をおろし呆然として顔を上げたが、何も言うことができない。

 ユニはどうやら大丈夫そうだと勝手に判断し、ヒルダからもらって首に下げていた笛を思い切り鳴らした。

 「ピイイイーーーーーーッツ」という細く甲高い音が鳴り響き、オオカミたちはびくっとして嫌そうな顔をする。


 しばらくして少し離れたところから同じような音が聞こえてきた。

 ユニはもう一度笛を吹いてそれに応える。

 そして背嚢から薄い羊皮紙を取り出すと、鉛筆で今の状況を走り書きした。

 それをヨーコの方に差し出して咥えさせる。


「トキとヨーコさんは警備兵が来るまでここにいてちょうだい。

 向こうが迷って笛を吹いたら、遠吠えで答えてね。

 警備兵にこのメモを渡したら、ここを離れていいわ。

 あたしとライガは母さんヨミの方に行ってるから、お願いね」


 そう言うとユニはライガの背に飛び乗った。


      *       *


 ユニたちがもう一つの現場に着くと、そちらももう方がついていた。

 五頭のオオカミで相手の動きを封じ、ハヤトが止めを刺して消滅させたのだが、やはり激しい抵抗を受けて大変だったようだ。


『なんだよユニ。ありゃ、人間っていうよりオークに近いぞ』

 ハヤトはユニの顔を見て、ぶつくさ文句を言った。

 どうもライガ同様手ひどく殴られたらしい。


 こちらも襲われた被害者は無事だった。

 ユニは先ほどと同じように呼子の笛を吹いて現場を警備隊に引き継ぎ、再び巡回に当たったが、その後は敵に出くわさなかった。


 夜が明けて、ユニは赤城に戻って事件の詳細を報告した後、宿に戻って食事と睡眠をとることにした。

 次の夜も巡回を続けるつもりだったから当然だが、すぐに城から使いが追いかけてきて再びの登城を求められた。

 緊急の対策会議が開かれたためだったが、彼女はその場で昨夜の行方不明者が二十人を超していたことを知らされたのだった。

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