黒龍野会戦 二十 崩壊

「右翼が突破されました!」

 帝国軍の幕営に悲鳴のような通信魔導士の叫び声が響く。


 しかし、誰も注意を払う者などいない。

 小高い丘の上に置かれた本陣からは、二百メートルほど離れた右翼の戦況が目視できるからだ。


「そんなことはわかっている!

 何が起こったのか、現場の状況を説明しろ!」

 マグス大佐が怒鳴る。


 一喝された魔導士は慌てて精神を集中させ、念話で右翼の前線に呼びかけるが、向こうは混乱のさなかで、なかなか思うような意思疎通ができない。

 それでも情報の断片をかき集め、哀れな通信士は苛立ちを隠そうともしない大佐に報告する。


「前線の魔導士が言うには、あの鎧の騎士が剣で対物障壁を切ったとのことです。

 そこからミノタウロスに入り込まれ、すでに魔導士の半数近くが死亡したと言っております」


「剣で魔法を切っただとぉ?」

 そう言ったきり、大佐は二の句が継げず、口をぱくぱくするばかりであった。

 しかし、少し経つと彼女は深呼吸をし、肺に、脳に酸素を送り込むと、深い溜め息をついた。


 どこまで非常識な奴だ!

 マグス大佐は無言で椅子を蹴り飛ばした。

 もうテーブルの上には、投げつけるようなものが何も残っていなかったからだ。


 帝国右翼が大混乱に陥っているのは、遠目にも明らかだった。

 すでに前線には敵兵が殺到しており、魔導士たちを救うため突撃した帝国兵と激戦を繰り広げている。

 大佐は即断した。


「右翼の魔導士には撤退命令を!

 一般兵の各指揮官には、魔導士の撤退まで一時的でいいから戦線を支えるように伝えろ」

 通信魔導士がすぐに念話の態勢に入る。

 マグス大佐は傍らの副官の方に顔を向ける。


「おい、中央の魔導指揮官はカメリア大尉だったな?

 あいつは確かバリスタを使えたはずだ。

 そいつを引っこ抜いて連れてこい!

 それから伝令はいるか!」


 副官が馬に飛び乗るべく幕営を飛び出していくのと入れ替わりに、伝令将校がすっ飛んでくる。


「中央と左翼にも均衡を保ったまま漸次撤退するよう伝えろ!

 戦線を縮小する。

 それと中央の魔導士をこっちに回せと言え。二割でいい。

 そのくらいなら耐えられるだろう」


 伝令兵も幕営を飛び出し、すぐに蹄の音が聞こえてくる。

「あのオーク女……絶対に許さんぞ!」

 ギリギリという歯ぎしりの音が聞こえてくる。

 幕僚たちは大佐を恐れて誰も近寄ろうとしなかった。


      *       *


 帝国軍右翼では悲惨な戦闘が続いていた。

 王国兵との戦い自体は互角、昔ながらの槍と剣がぶつかり合う肉弾戦である。

 双方に負傷者が続出し、黒っぽい土が剥き出しになった荒野に血が吸い込まれていく。


 だが、問題はミノタウロスだった。

 命令によって魔導士が撤退しつつある中、帝国兵が果敢に槍衾やりぶすまを揃えて突入するのを、怪物は悠々と振り払っていた。


 戦斧を一振りするたびに、帝国兵の身体が千切れ、数人まとめて宙に舞った。

 うっかり地面に倒れようものなら、ミノタウロスのサンダルを履いた足に踏み潰され、おかに上がった深海魚のように口から内臓を吐き出して死んでいく。


 その傍らに立つ、二メートル近い全身鎧の女騎士もまた、化け物じみていた。

 長大なブロードソードを片手でやすやすと操り、帝国兵の革鎧を紙かなにかのように切り裂いていく。


 それでも帝国兵はひるまない。

「魔導士殿をお救いしろ!」

 彼らは合言葉のようにそう叫んで突進してくる。


 そこには魔導士たちが安全な後方に下がるまで、どれだけ犠牲が増えても一歩も引かないという決意がみなぎっている。


 帝国兵にとって、魔導士の存在は「戦場の神」なのだ。

 魔導士は常に部隊の先頭にあって、敵をいち早く発見し、圧倒的な攻撃魔法で敵を叩き、防御魔法で味方を護る。

 後退時の殿しんがりの座は、常に彼らの指定席だった。

 負傷した兵士に治癒魔法を施し、重い荷物を重力魔法で簡単に動かしてくれる。


 魔導士が配属された部隊の生存率は、そうでない部隊の三倍とも五倍とも言われている。

 新兵でもない限り、魔導士に救われたことのない兵士など存在しなかった。


 それだけに、兵たちは必死で魔導士を守ろうとする。

 彼らには返しきれない恩がある。この先自分を、部下を、戦友を護ってもらうためにも、彼らを殺させるわけにはいかないのだ。


      *       *


 ミノタウロスが血の饗宴を繰り広げている様を、マグス大佐は歯噛みして眺めていた。

 そのすぐ側で銀色の鎧がキラキラと踊りを舞い、生贄を追加している。


 一体あそこで何人死んだ?

 もう五十人以上はやられているんじゃないか?

 それに魔導士の犠牲が十二名だと?


 ――クソッ、クソッ、クソッ!

 全部あのオーク女のせいだ!


 大佐が歯噛みをしていると、馬の足音が轟いてきて、そのまま幕営の中に馬ごと乗りこんできた。

 馬上には先ほど出ていった副官、そしてその前には小柄な女性が跨っている。

 副官は下馬すると、女性に手を差し出して馬から降ろした。


 その女性は小走りにマグス大佐のもとに駆け寄ってくる。

「遅いぞ!」

 吐き捨てるような大佐の怒声に、その女性は少しもひるまない。


「大佐こそ何事ですか!

 スプリガンなんて化け物相手で、ただでさえ苦戦しているのに――。

 指揮官に現場を離れろ、しかも魔導士を二割も寄こせって、どういうことです?」


 酷いくせっ毛の金髪を短く切り、青い大きな目、そばかすの浮いた低い鼻に小さな唇。

 童顔で背も低いが、陽に焼けた顔には深い皺が刻まれており、そこから三十歳という彼女の実年齢と、戦場で経験してきた苦悩や諦念が窺える。


 魔導士の身分を示すケープの留め金には、青地に金の二本線、星が三つ付いていて、魔導大尉という階級がわかる。

 彼女は中央の魔導士部隊の指揮官で、カメリア・カーン大尉といった。


「スプリガンに苦戦だと?

 だったら右翼に行ってミノタウロスと相手を変えるか?

 貴様のところが一番被害が少ないんだ、文句を言うな!」

 血走った目にドスの効いた声で大尉を黙らせると、大佐は望遠鏡を押しつける。


「お前、バリスタが使えたな?

 ミノタウロスの近くをそいつで見てみろ。

 銀色の鎧を着た騎士が見えるか?

 そいつにバリスタを打ち込め。

 この距離なら届くだろう」


 カメリア大尉は言われるままに望遠鏡を覗く。

 遠目でもミノタウロスが猛威を振るっているのは確認できるが、望遠鏡で見るとえげつない光景がはっきりと目に入ってくる。


「確かに見えますが、あそこに打ち込むのでは味方にも被害が出ますよ」

「構わん、やれ」

 大尉は思わず望遠鏡を離して大佐の顔を見る。


「正気ですか?

 死人が出るレベルですよ」


「つべこべぬかすな!

 いいか、あいつのお陰で右翼の戦線が崩壊したんだ!

 後退した魔導士で再度防衛線を構築しても、あのクソ鎧がいては同じことの繰り返しだ。


 ――あのクソはな、非常識にも魔法障壁を剣で切りやがるんだ!

 わかったら、さっさとやれ!」

 大佐はカメリア大尉の胸ぐらを掴むと、ガクガクと上下に揺すぶった。


「わっ、わかりましたよ!

 でも、こっちもだいぶ消耗してるんで、これ撃ったら店仕舞いですからね」

 カメリア大尉はぶつぶつ言いながらも、幕営の外に出て魔法を放つのに都合のよい場所に陣取った。


 バリスタとは重力系魔法と土系魔法の複合術で、簡単に言うと大きな岩を遠くまで飛ばす魔法である。

 据え置き式の大型弩砲を〝バリスタ〟と言うが、術の名前はそこからきている。

 大質量の岩石を飛ばすので、それなりに威力のある高等魔法で、射程が長いという特徴もある。


 大尉は見晴らしのよい丘に陣取り、軽く両足を開いて立つ。

 手を下に向けて広げ、まっすぐ両腕を伸ばした。

 複雑な呪文を唱え続けると、足元の地面に直径三メートルほどの大型魔法陣が出現する。


 地面が揺れ、ばらばらと石や土砂が地中から浮かび上がってきて、空中でぐるぐると回転し始める。

 回転する塊りに次々と土砂が巻き込まれ、大きく成長していく。

 やがてそれは、直径一・二メートルほどの岩石となった。


 側に来て見物していたマグス大佐が声をかける。

「一発しかないんだ、外すなよ」

 大尉はちらりと大佐の方を見たが、何も答えずに呪文の詠唱を続けた。

 ただ、その表情は「誰に向かって言ってるんですか」と言わんばかりだ。


 やがて準備が整ったのだろう。

 最後に一言二言、神聖語で何かの単語をつぶやくと、空中に浮かんでいた岩石は「ぶんっ」という風切り音を残して、まっすぐに飛んでいった。

 放物線を描いてではない。

 まっすぐ、アスカへの最短距離で岩石が飛んでいく。


 大尉が懸念したとおり、岩石はアスカに届く前に何人もの帝国兵を巻き添えにした。

 ミノタウロスやアスカに向かって果敢に挑んでいく帝国兵のうち、不幸にも岩石の進路上にいた者たちが、頭蓋を叩き割られ、身体を吹き飛ばされて命を失った。


 悲鳴をあげる暇もなく、赤い血の花を咲かせて倒れていく兵たちに、先に気づいたのはミノタウロスだった。

 彼は巨体に似合わぬ敏捷さを示し、アスカの前に躍り出て戦斧を構えた。

 雄叫びをあげたミノタウロスが、渾身の力をこめて斧を振るう。

 すさまじい速度で飛来した岩石と、ミノタウロス自慢の武器が真っ向から激突した。


 轟音をあげて岩石は砕けた。

 そうは言っても岩石が消滅したわけではない。

 いくつかの塊りに割れて、四方に飛び散ったのだが、運悪くそのうちの一つがアスカを直撃した。


 人間の頭ほどはある岩がアスカの肩のあたりに激突し、ガンッという金属音と共にアスカの身体を数メートルも弾き飛ばした。


 緩い斜面をごろごろと転がり落ちたアスカは、ぴくりとも動かない。

「隊長ーーーーっ!」

 絶叫をあげて数人の部下たちが駆け寄ってくる。


 遠くの方で鋭い笛の音が響き、帝国兵たちは追撃を警戒しながら波が引くように後退していった。


      *       *


 爆裂魔法をやり過ごし、アスカに率いられた第四軍の兵士が進撃した際、ユニはリリとともに後に残った。

 彼女たちは兵士ではないし、リリに至ってはその幻獣に戦闘力が皆無である。

 同行しても足手まといになるだけだったから、その判断は当然と言える。


 それよりもユニは自分のオオカミたちが心配だった。

 彼らは爆裂魔法が実際に炸裂した対魔障壁の外側、もっとも爆発に近いところにいた。

 その内側で守られていた第四軍の兵士にも被害が出たくらいだ。オオカミたちが無傷である保証などない。


 互いに意志が通じ合う距離なのでとりあえずの生存は確認したが、姿を見るまでは安心できない。


 第四軍の移動が終わり、やきもきしているユニのもとへやっとオオカミたちが戻ってきた。

 近寄ってくる彼らを認めたユニの顔がさっと青ざめる。


 トキが足を引きずっている。夫の側で心配そうに寄り添っているヨーコの毛皮も、血に染まっていた。

 集まってきたオオカミたちを、ユニは一頭一頭抱きしめ、その身体を確認した。

 結局、無傷だったのはライガとハヤトだけだった。


 トキは脚の付け根に岩の直撃を受けたらしく、左の後ろ足を地面につけることができないでいた。

 切り傷も負っていて出血がひどい。


 ヨーコとミナも大きな傷から血が流れ出している。分厚い毛皮を纏った皮膚が避け、血で染まったピンク色の肉が覗いている。

 ヨミ、そしてジェシカ・シェンカの姉妹も毛皮を血で汚していたが、彼女たちの出血はもう止まっているようだ。


 兵士たちが去った跡地には、工兵隊の手によって野戦病院が建てられていた。

 診察所こそ防水布の屋根があったが、病床に至っては周囲に陣幕を張り、組み立て式の簡易ベッドを並べただけである。

 野戦病院は十数分で組み立てられ、すでに軍医と衛生兵が診察と治療を開始していた。


 爆裂魔法によって飛んできた岩で、骨折したり打撲や切り傷を負った者は数十人に及び、野戦病院の前で長い列を作っていた。

 工兵隊は早くも死者を埋葬するための穴を掘り始めていて、輜重隊と協力して荷車で前線から死者や負傷者を運ぶ準備をしている。


 ユニは野戦病院にオオカミたちを連れていき、手近な衛生兵に手当てを頼んだ。

 衛生兵は目の前の兵士の腕に包帯を巻きながら、困ったような顔で軍医の方に視線を送る。


 軍医は負傷者の傷口を消毒液で洗うと(兵士は痛みに絶叫した)、ガーゼにべっとりと傷薬を塗って乱暴に貼り付ける。

 傍らの衛生兵に「包帯!」とだけ怒鳴ると、負傷兵を彼の方に押しやった。

 そして、じろりとユニの方を見やると不機嫌そうに怒鳴る。


「目の前に負傷兵の列ができてるのが見えんのか!

 犬コロなんぞを診ている暇はない! 後にしろ!」

 そして順番を待っていた次の兵士を睨む。

「次はお前だ、早く来い!」


 だが、その兵士は動かなかった。

 その場で気をつけをし、大声で叫ぶ。


「軍医殿!

 その召喚士殿のオオカミたちは、自分たちを守るために一番危険なところにいました。

 彼らは我々の命の恩人です。どうか、先に診てやってください。

 お願いします!」


 ぴんと伸ばした男の指先から、ぱたぱたと鮮血がしたたり落ちる。

 動いた拍子に傷口が開いたのだろう。


 すると彼の後ろに並んでいた負傷兵たちも、一斉に直立不動の姿勢をとり、口々に唱和した。

「軍医殿、お願いします!

 オオカミたちの治療が終わるまで、我々はここを動きません!」


 軍医は呆れたような顔で負傷兵たちを見ていたが、ふんと鼻を鳴らすとユニの方を振り返った。

「そこの召喚士、さっさとオオカミを連れてこい!

 まったく、わしは人間の医者だってのによ――」


 悪態をつきながらも、軍医は手際よくオオカミを診察していく。

 ヨミ、ジェシカ、シェンカは軽傷で、「傷口を洗って薬を塗れば治る!」の一言で衛生兵に回された。


 一番心配されたトキだが、打撲箇所の骨は折れておらず、湿布をしてしばらく安静にすれば歩けるようになるという見立てだった。

 だが、トキ、ヨーコ、ミナの三頭が負った裂傷は深く、縫わなければならないと宣言した。


「召喚士、このオオカミたちは俺の言葉が分かるのか?」

「はい、私を通して意志は通じます」


 それを聞いた軍医は、三頭のオオカミの顔を覗き込み、真面目な顔で言った。

「お前たちの傷口を縫う。ちょいと痛いが我慢しろ。間違ってもわしを噛むなよ!」

 不謹慎だがユニは噴き出した。


 オオカミたちは縫われている間、悲鳴を上げることなくおとなしくしていた。

 治療を終えたジェシカとシェンカが寄ってきて、

『噛めばいいのにー』

『噛んじゃえ~』

と囃したて、母親のミナに睨まれた。


 ユニは衛生兵から抜糸の手順を教わった。

(一週間程度で抜糸できるだろうとのことだったが、彼らの傷の治りは早く、実際には三日後に抜糸できた。)


 傷薬の処方は「召喚士なら自分で作れるだろう?」ということだった。

 ユニが知っている処方はマリサという薬師(実は召喚士)に教わったものだ。


 ――魔導院の授業をさぼるもんじゃない。

 ユニは今さらながらに反省する。


 ユニは順番を譲ってくれた兵たちに礼を言って野戦病院を出た。

 天幕の陰で負傷したオオカミたちを休ませる。


「ユニ、腹が減ったぞ。飯はまだか?」

 ハヤトが不機嫌そうな声を上げた。

 彼は群れとは関係のない人間を守るために、女房や仲間たちが怪我をしたことに不満なのだ。


「夕方まで待ちなさい。

 でも戦闘中だから大したものは出ないはずよ。

 黒城市に戻ったら、アリストア先輩の〝ツケ〟で牛の枝肉を買ってあげるわよ」


『おお、牛か! あれは美味いからな――』

 たちまちオオカミたちの尻尾がばさばさ振られ、目に輝きが戻った。


『だが枝肉か……あれは内臓がないからなぁ』

 ライガの発言に、ほかのものもうんうんと同意する。

 オオカミたちにとって、獲物の内臓はご馳走なのだ。


「でも枝肉は内臓取ってるし……、肉屋でもあんまりモツって売ってないからなぁ」

 ユニが考え込んでいると、近くで死体処理用の穴を掘っていた工兵の指揮官が声をかけてきた。


「――内臓がどうしたって?」

「え? ああ、この子オオカミたちが枝肉じゃなくて、内臓ごと食べたいって不平を言ってるのよ」

「へぇ~。だったら馬を食うかい?」


 ユニは驚いた顔をする。

「え? 馬って……どういうことですか?」


「いや、軍馬だよ。

 死んだのもそうだが、脚を怪我して歩けなくなった馬はかわいそうだが殺さなくちゃならないんだ。

 そういうのは運んできて解体して、肉は兵士の晩飯になる。

 内臓なんかはこの穴に捨てて埋めるんだよ。

 だから、解体前の奴を一頭回そうかってことさ。

 オオカミは馬も食うだろ?」


 会話はユニを通してオオカミたちに聞こえている。

 トキを除いた全員が一斉に立ち上がり、尻尾をぶんぶん振り回して歓迎の意を伝える。

 工兵はオオカミの反応を見て苦笑している。


「何、構わないさ。

 どうせオオカミの食事もうちで用意することになっているんだ。

 輜重隊には話を通しておく。

 夕方までには届けておくから、食い残しはこの穴に捨ててくれよ」


      *       *


 後方で戦場の日常が慌ただしく過ぎていく間も、前線では激しい戦闘が繰り広げられていた。

 野戦病院の行列はいったんなくなったが、すぐに前線からの負傷兵が荷車に乗せられて続々と届けられてきた。

 治療を終えた軽傷の負傷兵たちは、戦闘の行方を心配し、望遠鏡を奪い合うようにして見守っている。


 彼らの指揮官、アスカの大車輪の活躍は、即座に伝えられて後方の士気を盛り上げていた。

 しかし、突然望遠鏡を手にしていた兵士たちが悲鳴を上げた。


「大隊長殿がやられた!」


 あちこちから飛び出してきた負傷兵たちが、信じられないという顔で詰め寄ってくる。

 休んでいたユニも飛び起きた。

 望遠鏡を手にした兵士は大声で実況を続けている。


「くそっ! 大隊長殿は倒れたまま動かない。

 どうも岩が当たったらしい。

 今、担架に乗せられた。

 後方に下がられるようだ!」


 それだけ聞けば十分だった。

「ライガ、ハヤト!」

 そう一声叫ぶと野戦病院に飛び込む。


 軍医があたふたと身支度をしている。

 担架で後送するのは時間がかかる。

 こちらから向かって一刻も早く診察した方がよいと考えるのは当たり前である。


 ユニは軍医からカバンを奪い取ると、有無を言わさず引っ張り出す。

 外で伏せているライガのところまで連れて行くと跨らせ、オオカミの体毛をしっかり掴むこと、身体を伏せ密着させること、両膝でしっかり胴を挟み込むことだけを指示すると「行け!」と命じる。


 ライガの巨体が矢のように飛び出していくと、ユニもハヤトの背に飛び乗り、その後に続いた。

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