外法の村 十三 外法の村
夜が明けてまだ一時間も経っていない早朝。
簡単な柵木で囲まれた村の入口は朝靄が漂い、はっきりとは見通せない。
しかし、そこには黒々とした大きな影が二つ認められた。
オークだ。
革鎧と槍で武装している。
彼らは村の入口を塞ぐ形で並んで立っている。
門番ということだろうが、明らかに退屈していた。姿勢も直立不動とはかけ離れただらしなさで、むしろ座ったり寝転がったりせず、少なくとも立っていることに感心してしまうくらいだ。
勤勉なオークなんて、何かの冗談でしかありえない。
彼らをそこまで従順に育て上げるために、清新派の僧侶たちはどんな手段を使ったのだろうか。
オークたちは地面に突き立てた槍に寄りかかりながら、退屈しのぎに地面を歩き回るアリを足指で潰していた。
それでも門番の役割までは忘れていなかったらしい。何かの気配に気づいた片方のオークがふと顔を上げる。
彼の視線の先、薄れてきた朝靄の中から人影が現れた。
ぴくりとオークの全身に緊張が走り、それはすぐに相方にも伝わる。
オークたちは油断なく槍を構え、恐ろしく耳障りなしゃがれ声で「何者だ?」と
朝靄はさらに薄れ、十メートルも離れていない距離に現れたのは若い女だった。
途端にオークたちの緊張が緩む。
そして見合わせた顔には、下卑た笑いが浮かんでいた。
退屈していたところにとんでもない獲物が転がり込んできた。
この門を通してよいのは、村の人間とどこからか食い物を運んでくる荷馬車だけだ。
それ以外の侵入者は殺してよいと言われている。
だが、せっかくの女だ。殺すのは存分に楽しんでからでいいだろう。
考えることは同じ……互いの顔の表情からそう判断したオークたちは、獲物を逃がさないよう慎重に距離を詰めようとした。
その時、女の後ろから大きな獣がのそりと現れ、横に並んだ。
オークたちをはるかにしのぐ体長。ありえないほど巨大なオオカミだった。
楽しい気分を台無しにされたオークは慌てて槍を構え直し、どうしたものかと警戒の色を浮かべた。
すると女の後方にまだ残る朝靄の中から、次々にオオカミが出てきた。
最初のオオカミほどではないが、どれもオークたちの知るオオカミよりはずっと大きい。
それが一頭、また一頭と現れ、女の両脇に並んでいく。
オオカミたちは頭を下げ、歯をむき出し、低いうなり声をあげながら、いつでも飛びかかれるぞといった姿勢で威嚇している。
とうとうオオカミは八頭になった。
オークたちは慌てた。多勢に無勢、どう見ても勝ち目がないと判断したオークは、首にさげていた笛を吹き鳴らした。
仲間を呼んだものとみえる。あまり大きな音ではないが甲高い音が鳴り響く。
オオカミたちはその音が不快らしく、表情を一層険しくした。
「驚いたわ。人間の言葉を話すオークなんて……。
まぁ、生まれた時から人間のいる環境で育てれば可能なのかもね」
――言うまでもなく霧の中から現れた女はユニだ。
片手に棒を差し込んだナガサを持ち、もう片方の手はライガの体に添えている。
緩く編んだ栗色の髪がゆらゆらと揺れていた。
すぐにオークたちが村の中から三々五々駆けつけてきた。
はじめからいた二体と合わせて全部で六体。全員が油断なく槍を構えてオオカミたちと対峙する。
少しの時間にらみ合いが続いたが、やがてユニが口を開く。
「オオカミたちの報告は八体だったけど、ほかに来そうにないわね。
まぁ、いいか。
エディス、いいわよ。エウリュアレを連れてきて」
呼びかけに応じてエディスが前に出ると、抱えていた女の子をそっと地面に下ろした。
「場違い」という言葉がこれほど似合う情景もないだろう。
巨大なオオカミたちと武装した凶暴なオークたちが数メートルの距離でにらみ合っているところに、白いワンピースを着た小さな女の子が出てきたのだ。
「エリー、お願い」
エディスがそう言うと、エリーと呼ばれた女の子は、とてとてとおぼつかない足どりでオオカミたちの前に出る。
オークたちは相手の意図が読めずにとまどっているのか、すぐに手出しはしない。
女の子はオークたちの正面に立つと、ためらわずに顔の仮面をとった。
銀色で繊細な模様が彫り込まれた美しい仮面。
目にあたる部分には銀色のガラスがはめ込まれている。
その下から現れた幼女の顔は、予想どおりの愛らしいものだった。
紅く小さな唇、ととのった目鼻立ち、くっきりとした大きな目。
その瞳は金色に輝き、虹彩が日なたの蛇のようにすうっと細くなった。
肩にかかったカールした黒髪が、静電気を帯びたようにぶわっと膨らみ、それは音もなく突然に起きた。
オークたちが槍を構えて腰を落とした姿のまま、石になっていた。
生命の失われた冷たい岩石。
まるで彫刻家が見事な腕を振るったように、そこに六体の石像が立っている。
幼女の髪はすっと元に戻り、糸状になっていた虹彩は黒く丸くなった。
エウリュアレは小さな手で仮面を顔につけ直すと、とととっとエディスのもとへ戻り、彼女の太ももにぎゅっとしがみついた。
エディスは「いい子いい子」と頭をなでてあげる。
『まあったく、俺たちがいつもやっているオーク狩りは何だったんだろうな』
ライガがぼやく。
ユニも同じ気持ちだ。これでは体格も数も武装もすべて関係ない。
「あ、石は倒して割っておいた方がいいわ。
万一石化が解けても即死するから」
「わかったわ。
シェンカ、ジェシカ、オークを倒してくれる?」
『おー』
『やるー』
二匹の姉妹は嬉しそうに飛び出すと、次々に石化したオークに体当たりをかました。
バランスを失った石像は勢いよく倒れ、派手な音を立てて砕け散る。
当然ホコリが舞うだけで血がでるわけではないが、もし石化が解けたらどんな惨状を呈するのか、想像しただけでげんなりする。
瓦礫と化したオークどもを乗り越え、ユニたちは門の中に入った。
そう大きな村ではない。建物を一軒ずつしらみ潰しに捜索していくか……ユニがそう提案する前にライガの警告が頭の中に響く。
『ユニ、オークがまだいる。二匹分の臭いがする』
「どっちの方?」
『直接は見えないが、村の真ん中あたりだろう』
ユニはゴーマとエディスにすぐに伝える。
ゴーマはそれほど驚かない。
「おそらく中央に神舎があるんだろう。
そこにひっついているってことは、誰かがいるってことだな」
ユニはオオカミたちを偵察に走らせる。
「エディス、エリーの石化って何度も使えるの?」
「ええ、魔力を使う術じゃないから。
生まれつきの性質みたいなもんなの。回数とかは関係ないわ」
「ああ、ますます羨ましいなっ!」
ゴーマが嘆く。彼の
「じゃあ、悪いけどオークはまかせるわ」
オオカミの斥候が戻ると、予想どおり村の中央に大きな石造りの建物があり、その入口の前にオークが門番をしているということだった。
「オオカミさん借りていい?」
エディスの願いにユニは即答する。
「もちろん。ハヤト、お願い」
ライガに次いで大きいハヤトがのそりと立ち上がり、エディスとエウリュアレを背に乗せる。
二人がしっかりと背に掴まったのを確認してから、ハヤトは軽い速足で神舎に向かった。
残りの者たちは周囲を警戒しつつその後を徒歩で追う。
村の中央の広場には確かに石造りの神舎が建っていた。
村の規模からは不釣り合いなほど立派な建物だった。
ユニたちが先行するエディスたちに追いつくと、もうすべては終わっていた。
神舎の石段の上には驚愕の表情を浮かべたままの二体のオークが石像となっている。
その石像がつい今しがたまで息をしていたという事実に頓着することなく、ハヤトは石像に軽い体当たりをして倒していく。
スローモーションのように石段に叩きつけられた石像が砕け散る。
これが生身であれば、血しぶきがあがり肉片が飛び散ったのであろうが、細かな石粒と埃が舞い散るだけだった。
「なんかやだなぁ~」
砕け散った石くれを横目にユニがつぶやく。
「どうした?
何が気に入らない」
そう言うゴーマも顔に納得がいかないという表情を浮かべている。
「順調なのはいいけど……守りが薄すぎない?」
「……だな」
そう言いながら、ぶるっと顔を振ってゴーマは決断する。
「それも入ってみればわかるだろう」
神舎の内部はごくありきたりのものだったが、規模は異質だった。
都市にあるような威厳を備えた構造。
周囲に人が住まない孤立した村で、なぜこのような神舎は必要なのか、いや、そもそもどうやってここにこの石造りの建物を造ることができたのか……。
「馬鹿げてる」
それがユニの正直な感想だった。
ユニは神を信じてはいないが、宗教は尊重している。
それは厳しい暮らしをしている人々が心の支えにすがるものとして、そして正しい行いの指針を示すものとして一定の理解を感じるせいだった。
だが、これは何だろう。
人の営みの薄い、こんな所にこの規模の神舎が本当に必要なのだろうか。
「馬鹿げてる」
繰り返すが、それがユニの結論だ。
ここには宗教に対する敬意が感じられないのだ。
ユニは何かムカムカする怒りを感じながら歩を進めていた。
無論、ユニの前にはオオカミたちが先行し、危険がないかを探っていた。
「どう? 何か感じる」
ユニの問いかけにライガが不機嫌そうに応じる。
『――いや。
こりゃぁ何かの煙か?
酷い匂いで何も嗅ぎわけられないな』
「ああ、お
確かに神舎の中は香が焚きしめられているらしく、落ち着いた香りが漂っている。
オオカミたちにとってはただの煙の臭いなのだろう。
神舎はまず拝殿と呼ばれる、さまざまな装飾で埋め尽くされた大広間が広がっている。優に百人は入れそうな広さだった。
「こんな小さな村でなんでこの広さが必要なのかしら」
素朴な疑問をエディスが口にする。
「まぁ、あれだ。
権威は実用性を凌駕する、という奴だろうな」
ゴーマがそれに答え、「馬鹿げてる」とユニと同じ感想を付け加える。
広間をまっすぐに突っ切ると、色鮮やかな刺繍が施された布で覆われた扉がある。
オオカミたちがいつでも突進できるように身構えている状態で慎重に扉を開けるが、誰も待ち伏せしている者はいなかった。
「蝋燭が灯されているし、香も焚かれているのだから、誰かがいるはずよね」
独り言のようにユニがつぶやくと、ゴーマもエディスも黙ってうなずいた。
拝殿を抜けると長い廊下が続いている。
廊下の両端には木製の台が並んでいる。拝殿と違ってほとんど装飾がない。
「ここは
神に捧げる供物を置くところらしい」
床には厚い赤の
十メートルほど進むと質素な白木の扉が現れた。
「この先が本殿のはずだ。誰かいるとしたらここだろうな」
ゴーマのつぶやきに呼応するかのように、再びライガとハヤトが前に出て扉の前で低い姿勢をとる。
「開けるぞ」
ゴーマが扉に手をかけ開け放つと、待機していた二匹のオオカミが飛び出して部屋に躍り込む。
『ひどい煙だ。
だが、少なくともオークはいないようだな』
ライガの言葉を二人に伝え、ユニも中に入る。
本殿にも蝋燭が灯されて明かりはあったが、本数が少ないのか内部は薄暗かった。
それよりも香の濃度が段違いだった。
煙が目に染みるようで、嗅覚の鋭いオオカミたちには辛い環境だった。
「誰かいるか!」
ゴーマが張りのある
「……ほう、もう来たか。早かったな」
しわがれた声が応え、一行に緊張が走る。
オオカミたちの毛が逆立ち、低い唸り声が部屋に響いた。
「よい、危害を加えるつもりはないからそこの幻獣どもは下がらせよ。
犬どもには香の匂いが辛かろうて」
ユニたちは声の主を捜す。
薄暗さに目が慣れてくると、どうやら祭神を祭る棚の奥にある階段状の構造物が見えてきた。
その上に大きな椅子がしつらえられ、そこに小柄な老人が座っているのが見えてきた。
「アルケミス……なのか?」
ゴーマが小さな声でつぶやいた。「信じがたい」という顔つきだ。
それは魔導院の元審問長官にして清新派の教主、アルケミスその人だった。
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