第35話 サービス

「ヴァッサーゴォォオオオオオオオオオッ!!」


 俺は忌まわしき鉄扉を怒りのままに押し開け、身を乗り出すようにミスフォーチュンへと足を踏み入れた。

 そのすぐ後ろには俺同様、険しい表情のフィーネアも一緒だ。


 俺を苦しめるヴァッサーゴに感情をあらわにしてくれているのか、それとも自身をドールへと変えた張本人にフィーネアも直接文句を言ってやりたいのか、どちらにせよ俺たちは憤怒している。


 激昂している俺はカッカし過ぎて周囲の温度を微かに上げると、いつものように店のカウンターテーブルで水晶玉を眺める鷲鼻のヴァッサーゴが口の端を薄く吊り上げて三日月を作った。


「いらっしゃいませ、お客様」


 ヴァッサーゴは眼前の水晶玉を通し、先ほどの俺たちの会話を聞いていたはずなのに、悪びれる様子なくいつもの調子で愉快そうに口にした。


 そんなヴァッサーゴの態度がとどめとなって俺の逆鱗に触れ、血が沸騰したかのようにカッと熱くなり、無意識のうちに握り締めた拳を震わせ爪を食い込ませてしまう。

 俺は血走った目で真っ直ぐヴァッサーゴを睨みつたまま、勢いよくズカズカと詰め寄った。


「何がいらっしゃいませだっ! テメェーふざけんじゃねぇーぞ!!」


 今にも掴みかかろうとする俺に、ヴァッサーゴは両手を突き出した。


「まぁまぁ、落ち着いてくださいお客様」

「何が落ち着けだこの野郎! 全部テメェーの仕業だったんじゃないか!!」

「全部?」


 ヴァッサーゴはとぼけた様子で首を傾げて見透かしたように笑みを浮かべると、一瞬フィーネアへと視線を向ける。


「お客様は何か勘違いをしておられるようで」

「勘違いだ!? とぼけんじゃねぇーよ!! お前が俺を、俺たちをこんな物騒な世界に喚び出したんだろ! お前のせいで何人死んだと思っていやがるんだ!!」

「それは私奴わたくしめのせいではございません」

「は? テメェーはこの期に及んでまだそんなシラを切る気か!」


 ヴァッサーゴはカウンターから移動して、スタスタと歩き出しソファへ掛けるように手を差だした。


「こちらでお茶でも飲みながらゆっくりとお話いたしましょう」

「誰が貧乏神と茶なんぞ啜るか! 今すぐに俺たちを元の世界に還せ! それにフィーネアを自由にしろ! お前はフィーネアに一体何をしやがったんだ」

「ユーリ……」


 激情する俺の傍らからフィーネアの震える声音が漏れると、彼女を守ってあげなければいけないという使命感にも似た感情がさらに俺をヒートアップさせた。


「フィーネアだけじゃない。あの部屋で今も眠ったように閉じ込められているドールたちもみんな解放しろ! お前の不幸集めの趣味に付き合わされる身になってみろ! たまったもんじゃない!! お前さえいなければみんな幸せになれるんだ」


 俺が店の奥に佇む扉を指差しながら声を荒げると、ヴァッサーゴは気にもしない素振りでソファに腰掛けて短い足を組んだ。


「それは勘違いでございますお客様。確かにNO.34フィーネアをドールにしたのは私奴でございます。ただし、それはNO.34フィーネアに頼まれたからこそそうしたのであります。無論フィーネアだけではございません。あの部屋で保管されるドールたちも皆同様、自らの意志でそれを望んだのです」


 ヴァッサーゴは表情を崩すことなく淡々と言葉を並べるが、そんな言葉を鵜呑みにするほど俺はバカじゃない。


 ドールというのは言い換えれば奴隷だ。

 言葉は悪いが間違っちゃいない。

 現にフィーネアは主である俺の命令に背くことはできないのだから。


 そんな魂を束縛される奴隷に自ら望んでなる者などいるはずがない。

 だと言うのに……目の前で茶を啜るヴァッサーゴが嘘を付いているように見えないのはなんでだ?


 フィーネアもヴァッサーゴの言葉を聞き心ここにあらずと言った様子で黙り込んでいる。


「もしも仮に、本当に私奴が無理やりフィーネアをドールに変えてしまったのでしたら、なぜ私はお客様にフィーネアを売ったのでしょう?」

「え……? それは……」


 ヴァッサーゴはティーカップを静かにテーブルに置くと、真っ直ぐに俺を見据えて頷いた。


「お客様とフィーネアのリヤンポイントが100%に達したとき、フィーネアの閉ざされた力の一部が解放されます。それはお客様がフィーネアを手にした時に私奴は包み隠さずにお話ししたはずです」

「確かに……聞いたけど、それが何なんだよ」

「もし、私奴がフィーネアを力ずくでドールに変えてしまっていたら、どの道お客様にそのことは知られるのです。それを知ればお客様は遅かれ早かれ私の元へ、知性を失った獣のように押しかけてくるのです、今のお客様のように」


 誰が獣だ!

 さらっと人のことを小馬鹿にしやがって。


「つまり、私奴はそのことを隠してなどいないのです。何故なら私奴はフィーネア自身に頼まれて彼女をドールへと変えたのですから」


 何言ってんだこいつ。

 フィーネアは先程から困惑の表情を浮かべながら黙り込んでしまっている。


「ドールになるとき、なぜ記憶の一部が閉ざされてしまうかおわかりですか?」

「知る訳ないだろ」

「答えは簡単でございます。辛いからでございます」

「辛い?」

「左様でございます。酷く悲惨な過去を忘れられずに何百何千年の時を生きることは酷く耐え難い。それが長きに渡れば魂は嫌でもカオスへと染まり行くでしょう。そうならない為にもドールは記憶の一部を封印するのです。これは処置でございます」


 俺はフィーネアを見た。

 その横顔はとても美しく儚い。まるで庭園にポツリと忘れ去られたように咲いた一輪の薔薇のようだ。


 だけどどこか陰りのあるその薔薇は、触れてしまえば一瞬で枯れてしまいそうなほど弱々しくも見えた。


 フィーネアの閉ざされた過去に一体何があるというのだろう。


「何れにせよ、フィーネアとお客様のリヤンポイントが満ちたとき、なぜフィーネアが自らドールになることを懇願したのかがわかるはずです。その時こそ2人の絆が試される時でもあります」

「フィーネアと……ユーリの絆」


 微かに震えた薄唇が途切れる言葉を紡ぎ、何かを飲み込むように息を呑んだ。


 俺はテーブルの前に移動して対面する形でヴァッサーゴを見下ろす。

 そのままソファに勢いよく腰を下ろすと同時にテーブルに両手を叩きつけた。


「話しはまだ終わってないぞ! フィーネアのことは……ともかく。お前が俺たちをこの世界に喚び出したことは事実だ」

「そのことに関しましても語弊があります。そもそも私奴はお客様をこの世界に喚び出してなどいないのです」

「嘘をつくな!」

「事実です」


 なんなんだ……? ヴァッサーゴのこの自信に満ちたた態度は?


「ただ少しばかり不運が重なったというべきでしょう」

「不運だと?」

「はい。私奴はご新規さまを獲得しようと、『他人の不幸は蜜の味』という固有スキルを最も相応しい者にギフトとして送っているところでした。そこへたまたま異界の門が開いてしまったのです」

「異界の門を開いたのはお前だろうがっ!」

「いえ、違います。人間が勇者召喚の義を執り行い開いたのです」


 あのクソ国王か!!

 俺は憎たらしい国王と大臣の顔を思い浮かべて拳を机に叩きつける。

 ヴァッサーゴは俺を見て頷き、話しを続けた。


「すると驚くべきことに、私奴が放ったギフトが異界の地にいるお客様の元へと行ってしまったのです。そのことに私奴が気付いたのはお客様がこの世界に来られた後でした。このようなことは私奴も初めてでしたので内心戸惑っていたのですが……これはこれで面白いかなと」

「なんだとテメェー!」


 ヴァッサーゴは俺を煽っていやがるのか、愉快そうに肩を弾ませた。


「しかし、先ほど『暴食』がおっしゃっられていたように、お客様やご友人たちをこの世界に召喚したのは私奴ではございません。もちろん、お客様でもありません」

「えっ!?」

「私奴のギフトにそのような力はございません」

「じゃあ誰なんだよ?」

「勇者召喚を行った人間でございます」


 ……やっぱりあのクソ国王たちの仕業なのか?

 嘘ついてんじゃないだろうな?

 俺が目を細めると、ヴァッサーゴは察したように口を開いた。


「妙だとは思いませんでしたか?」

「なにがだよ?」

「勇者がオークロード如きに苦戦を強いられるという状況でございます」

「どういうことだ?」

「早い話が勇者召喚の義は失敗していたのです」


 失敗……?

 でも瓜生の奴はステータスにSがあるんだろ?

 正真正銘の勇者じゃないか。


「そもそも一度の召喚で3名の勇者を召喚するなど聞いたことがございません。人間たちは欲を出して複数の勇者を召喚しようとした結果、出来損ないを3名ほど召喚した挙句、その周囲にいた者たちを巻き込んでしまったのです。少し考えればわかることでございます。勇者の器たる者が他者を見捨て、蔑むことなどないのですから。勇者とは身も心も勇者たるからこそ勇者なのです」


 確かにヴァッサーゴの言っていることは一理あるかもしれんな。

 百歩譲って瓜生の奴はまだマシな方だが、神代と千金楽に関しては性格に問題がありすぎる。


 俺が知ってるゲームとか漫画に出てくる勇者はあんなに性格が悪くない。

 むしろ自分を馬鹿にした相手や蔑んだ者に対しても手を差し伸べるような人物を勇者と言うんだよな。


「もしも信じられないと言うのでございましたら、東の大陸へ足を運ばれてはいかがでしょう? そこには正真正銘本物の勇者が召喚されております」

「おいちょっと待て! 俺たち以外にもこの世界に召喚された奴が居るのか?」


 予想外のヴァッサーゴの言葉に思わず身を乗り出してしまう。


「勇者召喚の時期は限られておりますから、各国こぞって召喚するでしょう。それも信じられないとおっしゃるのでしたら、『暴食』にも尋ねられてはいかがですか?」

「……いや、別に疑ってねぇーし。どうでもいい。俺はこれから元の世界に換えるんだからもはや関係のないことだ」

「それは残念でございます。せっかく良きお客様に巡り会えましたのに」

「そんなご機嫌取りはいいから早く教えろ」

「はい? 何をでございますか?」


 ヴァッサーゴはとぼけた面で短い首をこちらに伸ばしている。

 俺は呆れたように嘆息してから言葉を吐き出した。


「元の世界に変える方法に決まってんだろ! バカかお前!!」

「……存じ上げませんが」

「………………」


 石像のように固まる俺を見やりヴァッサーゴが言う。


「さっきも言いましたように、私奴がお客様を召喚した訳でもなければ、異界に通じる門を開ける方法も存じ上げません。そもそもこの世界に召喚された異界人が還ったなど聞いたことがございません」

「嘘……だろ?」

「事実でございます。ただしお客様がギフトを、『他人の不幸は蜜の味』を返却したいとおっしゃるのでしたら外すことは可能でございます。その際お客様のステータスは正常な数値に戻りますが、同時に二度とここへはやって来れません。お客様の本来のステータスがいかほどかは存じ上げませんが」


 まただ、また俺の感情を逆撫でするようにヴァッサーゴは嬉しそうに笑う。

 こいつは俺が悩み困っているのが余程好きなようだ。


 だけど困った……。

 ヴァッサーゴが元の世界に還る方法を知らないとなると、本当に万事休すだ。


 それに『他人の不幸は蜜の味』を外してもらい、呪いが解けて本来のステータスに戻ったところで、弱かったらどうしようもない。

 その時こそ本当の終わりだ。

 四次元ポッケットを失ったタヌキほど役に立たないものはない。


 俺は絶望に頭を抱えて項垂れた。


「ユーリ……」


 優しく声を掛けてくれるフィーネアを見ることさえ出来ない。


 どれくらいそうしていたのかはっきりと覚えてはいないけど、長い時間途方に暮れた後、ミスフォーチュンを出た。



 店を出る間際、ヴァッサーゴがサービスだと言ってアイテムをくれたが、俺はすっかり意気消沈していた。

 が、しっかり貰えるものは貰っておいた。

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