第16話 少年ジャンプ
人を馬鹿にしたように嘲笑う蜘蛛おっさん。
だが、残念だったな。
俺はさっきまでの俺じゃないんだ。
今、俺の手の中には四つ、悪魔の玉が握られている。
この玉は、どんな凶悪モンスターもあら不思議。
あっと言う間にフードプロセッサーに掛けられ、ミンチみたく細切れに変えてしまうんだ。
「ユーリッ! ユーリだけでも逃げてくださいっ! おそらくこいつはダンジョンマスターです。ユーリのステータスでは……勝ち目はありません!」
確かに、普通ならそうだろうな。へへ。
それにしても、フィーネアは自分のことよりも、俺のことを気遣ってくれているのか?
それはただ単に、俺がフィーネアの主人だからか……? だとしても、嬉しいよ。
それに引き換え……。
「ユーリ殿っ! 一人で逃げるなんて絶対に許さないでござるよっ! それがしを巻き込んだのはユーリ殿でござろうっ!? 責任とってそれがしを助けて欲しいでござるっ! もし一人で逃げたら化けて出るでござるよっ!!」
こいつだけは助ける気が失せるな。
明智はともかく、俺は少しでもフィーネアと真夜ちゃんを安心させてやりたかった。
「大丈夫だよ。フィーネア、真夜ちゃん。俺の大切な人たちをどうこうさせたりしないさ。今すぐに助けてやるからな」
二人の背中に向かって、俺は落ち着き払った声で言ったんだ。
何も心配することなんてないと。
大船に乗ったつもりで待っていればいいんだと、言い聞かせるように。
「ユーリ……」
「……う゛ん゛、じんじでる゛」
フィーネアと真夜ちゃんの表情は見えなかったけれど。
きっと、俺を信じてくれたんだろう。
だと言うのに……。
「志乃森っ! お前正気か!? 月影の奴はオールFの雑魚なんだぞ!」
「オールFッ!? てっことは……この声はあの時の雑魚かよ!?」
「終わりだ……」
「せっかく助けが来たと思ったのに……」
「俺たちは全員ここで化物に殺されるんだ……」
たくっ!
どいつもこいつも好き勝手言いやがって。
あとで文句言ってやる。
今にお前たちの度肝を抜かしてやるぜ!
俺はサーカス団のピエロみたく、綱渡り中の蜘蛛おっさんに向かって、言ってやった。
「おい、いつまでも偉そうに人のこと見下してんじゃねぇーよ! お前はこの俺が秒殺してやるよ!」
「クーックック。聞こえてただよ。お前オールFの雑魚でねぇーが。お前みたいな雑魚では、おらには絶対に勝てないだよ」
「なら、試してみろよ。宣言通り、秒殺してやるよ! 怪人蜘蛛男っ!」
「雑魚の癖に偉そうにすっでねぇーだよっ!」
蜘蛛おっさんは足場の糸をまるでバネのようにしならせて、その反動を利用して飛びかかって来た。
馬鹿めっ!
考えなしに一直線に襲いかかってくる間抜けへと、俺は圧縮玉を投げつけてやる。
翼を持たない蜘蛛では、空中で移動することなど不可能。
俺の投げた剛速球を躱せるはずがない。
真っ直ぐに放たれた圧縮玉は、吸い寄せられるように醜い体躯に直撃すると、あの時のように宙で黒い渦を巻き始める。
さぁ、ショータイムの始まりだぜ!
迫り来る蜘蛛おっさんの体は、ジェット噴射のような轟音と共に、圧縮玉へと引き寄せられていく。
あと数メートルで俺に届くというところで、逆再生された映像のように戻っていくのだ。
蜘蛛おっさんは目を見開き、透かさず後方へと振り返っている。
だが、もう手遅れだ!
一度、お前をターゲットと認識した悪魔の玉は、決してお前を逃がしはしない。
その体を粉々に引き裂き、夏の夜空を彩る花火のように、鮮やかな赤を散らせながら、派手に上がるんだよ!
「ざまぁみろっ! ダンジョンで舞い上がる打ち上げ花火はさぞ見もの――」
えっ!?
蜘蛛おっさんは空中で圧縮玉に引き寄せられる中、体を捻り体勢を変えて、ケツからロープのような太い糸を天井に放ちやがった。
そのまま巻き取られる釣り糸のように、蜘蛛おっさんの体は上昇していく。
同時に、宙に浮く圧縮玉は何も吸い込むことはなく。
投げ捨てられた空き缶のように、虚しい音を立てて地面に転がり、砕けた。
嘘だろっ!?
なんだよそれっ!
そんなの有りかよっ!!
俺は呆然と砕けた玉を見つめて、ゆっくりと上を見上げた。
逆さまで天井に宙吊りの蜘蛛おっさんは、嘆息して額の汗を拭った。
「ふぅー。危なかっただよ。奇妙なアイテムを使ってくるのは予想外だっただよ。あと三つ同じモノを持っているみたいだし、おらも気をつけねーといけないだな」
嘘だ……こんなの嘘だっ!
最強の圧縮玉が通用しないなんて、あり得ないっ!!
圧縮玉が通用しないんなら、俺に勝ち目なんてないじゃないかっ!
何のためのミスフォーチュンなんだよっ!
こんなのあと三つも持っていたって、意味ないじゃないかっ!!
「次はおらの番だな。お前は生意気だから、甚振って殺してやるだよ」
俺を殺すと言う蜘蛛おっさんと目が合った。
刹那――
寒い。
戦慄が体を突き抜け、血が凍るような寒気が襲う。震えが止まらない。
耳に自分の歯の音がガクガク鳴っているのが聞こえる。
こんなにも寒いのに、何故か汗は全身から大量に吹き出してくる。
「それじゃ、行くだよ」
「えっ!?」
今度は恐怖で思考が停止していたのか、俺はそれに反応することも出来なかった。
気が付いたとき、俺の体は車に跳ね飛ばされたように宙に舞い上がり、地面に叩きつけられたんだ。
「うわぁぁあああああああっ! ……ぐっ」
これまで16年間生きてきて、味わったことのないほどの痛みが全身を襲い。
堪らずその場でのたうち回る。
「おらただ軽く突き飛ばしただけなのに……お前脆すぎるだな」
かっ、軽く突き飛ばしただけだと!?
ふざけんじゃねーぞ!
この痛みは……マジでヤバい!
多分……肋骨何本か逝ってる。
吐血はしていないから……折れた肋骨が内臓に突き刺さったりはしていないと思うが。
それでも、こんなのを何度も喰らったら確実に死ぬっ!
死ねる自信がある!!
かと言って、逃げることは出来ない。
みんなを見捨てたくないとか、そんな綺麗事じゃない。
この痛みで、全力で走ることは無理だっ!
ただでさえ俺の足は遅いのに、この深手でさらに鈍足になっていることは間違いない。
そんなもん、走らなくたってわかる。
俺に残された選択肢は……戦うしかないんだ。
この三つの圧縮玉と、九つの飴玉で何とかするしかない。
だけど……ゴブリンと違い。明らかにこいつのステータスは高い。
俺だけの力では、ゴブリンの時のように上手くいかないだろう。
「ユーリッ! 大丈夫なのですか? ユーリッ!!」
俺の叫び声を聞いて、フィーネアが背中越しに声を掛けてくれていると言うのに。
何も……応えることが出来ない。
本当に情けない……嫌になるくらい自分が情けない。
俺のステータスが勇者のように高ければ、せめて明智や真夜ちゃんのように高ければ……。
己の不幸を嘆いても、仕方ないことはわかってる。
弱い俺には、弱い俺なりの戦いをするしかないんだ。
俺が勇者になることはないのだから。
大丈夫。まだ終わったわけじゃない。
諦めの悪さは人一倍なんだ。
這い蹲ってでも、最後に笑えればいいんだよ!
俺は痛みを堪えて立ち上がり、周囲を見渡した。
前方には悍ましい化物、すぐ近くには蜘蛛の糸に囲われたフィーネア達。
最期までやってやるよっ!
知恵と勇気にステータスは関係ねぇーんだっ!
「あまりの弱さに甚振り甲斐もないだな。腹も減ってきたことだし、さっさと始末して飯にするだな」
人を馬鹿にし腐ったような眼で見やがって。
俺はゆっくりと前進してくる蜘蛛おっさんに、もう一度圧縮玉を投げた。
再び直撃した圧縮玉が凄まじい吸引力をみせるが、蜘蛛おっさんは難なく天井へと回避する。
そうすることをわかっていた俺は、透かさず天井から垂れ下がるそいつに、ニ投目を投げる。
しかし、圧縮玉が蜘蛛おっさんに届くことはない。
蜘蛛おっさんは空中でケツの糸を切り離し、その場で回転しながら圧縮玉に向かって糸を飛ばしたのだ。
糸が巻きついたことで圧縮玉は発動し、蜘蛛おっさんではなく、糸だけを吸い込んでいく。
俺は蜘蛛おっさんが圧縮玉に気を取られている隙に、走った。
痛みでギシギシと軋む体を堪えながら、この広い空間を円形状に駆け抜けた。
首を回すことも出来ないフィーネア達の視界に、無様に逃げ惑う俺が写り込むと。
「ユーリっ!」
「遊理くんっ!」
「ユーリ殿っ!!」
走りながら視線だけをフィーネア達に向けて、その姿を確認する。
真夜ちゃんも明智も絶望に顔を歪ませているが、フィーネアだけは、俺を力強い眼差しで見つめている。
それは信頼なのか?
まだ出会ったばかりの俺を信じてくれているのか?
それともやはり……ただの主だからか?
だけどフィーネア。
俺も出会ったばかりのお前を信じているよ。
あの時も、身を挺してゴブリンから俺を守ってくれた。
それだけで、俺はお前を信じられる。
だから……。
丁度、フィーネアと俺の体が直線状で結ばれたとき。
そいつは上空から眼前に現れて、軽々と俺の首を掴み取り、持ち上げた。
「うっぅぅううううう……」
体が地を離れると、息ができない。
視界の両端から闇がすべてを多い隠そうとしてくる。
苦しい!
俺はもう、死んでしまうのだろうか。
生にしがみつこうと光を探し、掠れていく世界の中、真っ赤な瞳を捉えた。
今も真っ直ぐに俺を見据える、フィーネアが居る。
俺はそんなフィーネアに、微笑みながら頷いた。
「なに笑ってるだよ? お前ムカつくだな」
蜘蛛おっさんは複数の手で俺を押さえ、俺の左手をあらぬ方向に、曲げた。
「アアアアアアアアアアアアアアッ!」
痛みで意識が吹き飛びそうだった。
「脆い骨だな。今トドメを刺してやるだよ」
俺の首を掴む手に、グッと力が込められる。
俺は最後の力を振り絞り、右手に持つ圧縮玉を、投げた。
だが、蜘蛛おっさんはそれを、首を反らして呆気なく躱したのだ。
俺の最後の抵抗も虚しく、嘲りの声が聞こえてくる。
「悪足掻きだか? これだけ近ければ上手くいくと思っただか? 間抜けすぎて笑えるだな」
だが、次の瞬間――
「炎の書、第一章! 羽炎!!」
俺の首を掴み上げる蜘蛛おっさんの体躯に、グサッと音を立てて突き刺さる、天使の羽。
「グギャャアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
突然襲った痛みに、驚いた蜘蛛おっさんが俺を突き飛ばすと。
蜘蛛おっさんの体は勢い良く燃え上がる。
しかし、蜘蛛おっさんの耐久ステータスはかなり高いのか、倒れることはない。
後方へと振り返り、驚愕に声を荒げている。
「どっ、どういうことだ!? なぜお前たち動けるだ!」
燃え盛る蜘蛛おっさんの疑問に、フィーネアが答える。
「ユーリが助けてくれたのですよ」
俺が最後に放った圧縮玉は、悪足掻きで投げたものでも、蜘蛛おっさんを狙ったものでもない。
俺が狙ったのはフィーネア達の動きを封じていた。
あの、蜘蛛の糸だ!
俺がこの場に走ったのも、この状況をフィーネアに目視で確認してもらうためと、飽くまで俺に蜘蛛おっさんの注意を引き付けるため。
その為に、俺は蜘蛛おっさんがフィーネアに背中を向ける位置になるように、誘導したんだ。
蜘蛛の糸を圧縮玉で吸い込めることは、三投目で確認済みだった。
弱い俺は、決してラノベの俺tueee主人公みたいにはなれないだろう。
だけど、俺には頼もしい仲間がいる。
友情、努力、勝利。
そうだよ。
俺が目指すのはラノベ的主人公じゃない。
ジャンプ的主人公だっ!
俺は痛む体に鞭打って、立ち上がり。
ポッケから忌まわしきあの飴玉を、取り出した。
そう、俺の股間を小一時間苦しめた、倍々飴っ!
俺はそいつを燃え盛る蜘蛛おっさんへと投げ入れる。
「これでも喰らえぇえええええっ!」
炎がキラリと光る飴玉を飲み込めば、炎は勢いを増して、火の手を上げる。
それはまるで噴火した火山のようで、凄まじい熱を周囲に撒き散らしながら、どんどん温度を上昇させる。
「ギィャアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
さすがの蜘蛛おっさんも悶え苦しんでいる。
蜘蛛おっさんの体を焼き払うには、フィーネアの羽炎では火力が足りない。
だからこそ、俺は炎に倍々飴を投げ込んだのだ。
何も飴を食べるのは生き物だけじゃない。
炎に投げ込み溶けてしまえば、それは炎が食べたも同然。
威力倍々で燃え上がるこの炎に耐えられるものなら、耐えてみやがれってんだ!
燃え上がる蜘蛛おっさんを見やり、明智も真夜ちゃんも生き残って居た連中も、皆息を呑んでいる。
そんな中、フィーネアは悶絶する蜘蛛おっさんに目を向けて、すぐに俺へと微笑みを向けてくれる。
その笑顔はとても優しくて、張り詰めていた緊張が一気に解かれていく。
だけど、まだだ。
蜘蛛おっさんが完全に死んだことを確認するまでは、倒れるわけにはいかない。
俺は蜘蛛おっさんを見やる。
その体がピクリとも動かなくなり、炭となり灰と化していく。
それでも、倍々飴玉を食した炎が勢いを止めることはい。
あと一時間は燃え続けるだろう。
俺も、もう流石に限界だ。
と、意識が朦朧とした時――
《探知ダガーレベルアップ レベル4→レベル12》
《固有スキル ダンジョンマスターを獲得しました》
薄れ行く意識の中、奇妙な文字が一瞬浮かび上がったのだが、それを確認することなく。
俺の意識はそこで途絶えた。
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