トップアイドルになるその日まで!

エノコモモ

トップアイドルになるその日まで!


「わたくしとセックスしてください!」


そう声高に叫ぶわたくしの目の前には、スーツ姿の男性。床にすっかり組み敷かれた彼は、レンズの向こうでぱちりと瞳を丸めます。ふとその眼鏡が、鼻からずれて床に落ちました。


「……へ?」


あらあらマネージャー。「どんな質問にも常に笑顔で神対応!」が、アイドルの基本でしょう?






はい!一から了まで貴方に千の寿ことぶきを!八乙女やおとめ千寿子ちずこでございます。


突然申し訳ありませんね。こちら、初めの自己紹介時に必ず言うものと決まっているものでして。ええ、ええ。いかんせん職業柄、兎にも角にも顔と名前を覚えて頂かなければならないのです。


さて、そんなわたくしの職業はアイドル。今も昔も時代を牽引する存在、数多のファンを熱中させる歌手、小学生がなりたい職業のだいたい上位にランクインしているアイドル、アイドルでございます。


「せっ、くす…?」


そんな純真無垢な理想の偶像は、現在男性の胸ぐらを掴んでフローリングに押し倒している訳ですけれども、これには止むに止まれぬ事情があるのでございます。


スーツ姿で年下の淑女に組み敷かれている彼の名前は、大和やまといつき。オカモト芸能事務所の社員であり、わたくしのマネージャーです。そして彼は未だに呆然と、わたくしの顔を見つめていらっしゃいます。む。眼鏡を取ったお顔は初めて拝見しましたが、なるほどどうして、事務所に隠れファンが多いことも納得です。


いまだ放心状態でいる彼に、わたくしは大きく首を縦に振ります。


「ええ。セックスですわ」

「……?」


もう一度繰り返しますが、それでも大和マネージャーは意味が分からないといった表情を浮かべています。全くもって焦れったいことです。むうと唇を噛んで、彼の胸から致し方なしに手を離します。仕方ありません。理解できないのならば、指を折って、似た単語を並べましょう。


「同衾、共寝、性行為、えっち、1発、ハメハ、」

「わああっ!止めなさい!説明しなくても分かってる!」

「お分かりならどうして実行に移してくださらないのですか!」

「あっ!当たり前だろ!いきなり押し倒されてそんなこと言われたって…大体なんで僕の家に忍び込んでるんだ!」


わたくしと言えば、その言葉にぱちぱち瞬きをします。そうです。ここは大和マネージャーのご自宅。彼が一人暮らしをされている部屋でございます。


そしてやはり、気付いてはいらっしゃらなかったようです。ポケットから鍵を取り出して、マネージャーの前に翳します。彼は手元の自宅の鍵とそれとを見比べて、ぎょっと目を剥きました。


「!?ち、千寿子。これは…」

「確かにこれはマネージャーの自宅の合鍵ですけれど、作ったのはわたくしではありません!」


わたくしが勝手に合鍵を製作し不法侵入を試みたとは、濡れ衣も甚だしい疑惑です。こほんと咳払いをして、下に寝転ぶ彼を見つめます。


「大和マネージャー。先日事務所の忘年会で、しこたま飲まされて酩酊状態になられたでしょう?」

「は…?あ、ああ」

「その際、あいりんこ先輩に鞄から鍵を抜かれて勝手に合鍵を製作されていたのですよ。やはり気付いてはいらっしゃらなかったのですね」

「へ…!?」


あいりんこ先輩とは、大和マネージャーの隠れファンのひとり。ちなみには、絶賛オネエ系アイドルとして売り出し中の元プロレスラーです。青くなっていく大和マネージャーを馬乗りで眺めながら、わたくしは胸を張ります。


「取り返して差し上げたのですよ。感謝して頂きたいくらいです」

「あんまり聞きたくなかったような…。あ、ありがとう…」


言いながら、大和マネージャーが半身を起こします。さりげなくわたくしを脇へ押しやろうとするその手を掴んで、もう一度床に引き倒しました。


「お礼ならセックスで十分です!」

「わっ、わああ!だから何でそうなるんだ!」


大和マネージャーが暴れた拍子に、彼の肘下からメシャリと音がしました。そのあたりには確か貴方の眼鏡が落ちていた覚えがありますが、些末なことです。後日弁償させて頂きます。

必死でわたくしの猛攻を押さえつつ、大和マネージャーが悲鳴に近い声をあげました。


「こんなの襲われる相手が変わっただけじゃないか!だ、大体、君は自分の立場を分かってるのか!?アイドルなんだぞ!それに若い女の子がそんな気軽に…」

「まあ!わたくしだってこの21年間、ほんのわずかでも殿方の陰部に触れたことのない生娘です!あいりんこ先輩のように、気に入ったからちょっと尻の穴を掘ってやろうとか、そんな軽率な気持ちで申し上げているわけではございません!」

「ひ、ヒエッ」

「これは戦略ですマネージャー!わたくしのアイドル生命を懸けた挑戦なのです!」

「……?」


ぽかんと口を開ける彼に、鼻を鳴らして言い切ります。


「わたくしが生娘でいるうちは、桜川さくらがわ星怜愛せれあには勝てないのですから!」


場を沈黙が支配し、大和マネージャーがぱちぱちと瞬きをしました。


「桜川…って、明石あかしプロの?」

「ええ。17歳Fカップアイドル!好きなものはましゅまろ☆(※オフィシャルサイト引用)、けれど本当の大好物は男の股関(※千寿子データバンク引用)。人の名前を古くさいと馬鹿にしてきたり、休日はもっぱらイケメンファンとの乱交パーティーに励んでいると噂の桜川せれあです」

「う、うわあ…」


明石プロの一推し、桜川せれあはわたくしとは因縁の関係なのです。デビューも同時期。ファーストシングル発売も同時期。それなのに年齢は向こうの方が若い上に乳は大きい。悔しいことに、ファンクラブ会員数もわたくしを上回っているのです。ほんの少しだけですけれど!


「そんなヤリドルが、この前営業で一緒になった時に言ってきたのですよ…」

「ヤるとか言うのは止めなさい」

「『八乙女サン。オバサンのくせに処女だから私を追い越せないんじゃないですか~?』と…」


憎たらしいあの声と表情を思い出すと、腸が煮えくり返るようです。あれで妹系アイドルですから世も末です。

憤慨するわたくしの前で、大和マネージャーはくるりと視線を回し、静かに呟きました。


「し、処女は関係ないのでは…」

「ええ。わたくしもその場では乳ドルの戯れ言だと無視していたのですけれど、後からふと、それも一理あるのではと思いまして」

「胸を乳って言うのも止めなさい」


彼の忠告を聞くのもそこそこに、ぐっと拳を握りしめて続けます。


「貴方もご存知の通り、女性アイドルのファンは9割が男性…。男性の皆様のお心をガッチリ掴まなくてはならないのに、わたくしはその男性経験がない…。つまるところ足りないのはセックスなのでは!?と思い至ったのです!」

「…極論だぁ…」


マネージャーが何か言っていますが、無視をしましょう。


さてさて。自分に足りないものが分かり、一歩前進しました。けれどわたくしもアイドルのはしくれ。そんじょそこらの男性と関係を持つなど当然、ご法度なのです。そのようなスキャンダルが万が一にでも流出してしまえば、芸能界追放も有り得ますからね。それは本末転倒でございます。


そこで大和マネージャーの出番です。彼は元々口が固く、優秀な社員だと噂の人物なのです。それに流出すればクビが飛ぶ案件ですから、万が一にも彼の口から漏れることもないでしょう。


「と言うわけで、わたくしとセックスして頂きたいのですが」


その手を取って、もう一度迫ります。彼は目線をするりとずらして、明後日の方向に口を開きました。


「……ダメだ」

「まあ何故ですか!?知っているのですよ!実は貴方がわたくしに恋慕の情を抱いていることは!」

「へっ!?は、はあ!?」


瞬間、大和マネージャーの顔がぼんと音を立てて、真っ赤に染め上がりました。あら。男前が恥ずかしがる様は眼福ですね。その黒い瞳がうろうろ彷徨った末に、口からは否定の言葉が飛び出ます。


「ま、まさか!事務所の商品であるアイドルに、そんな感情抱くわけないだろ!所長に殺されるから!」

「いえ。オカモト所長が仰っていましたわ」

「しょ、所長!?」

「大和は元々熱い男だったけど、こと八乙女のこととなると目の色変えるなあとか、八乙女が男に絡まれてると射殺さんばかりの目で睨んでるよなとか、八乙女の担当から外そうとすると駄々をこねるとか、あんなに好きな女の側に居るのによく手を出さないなまさか童貞なんじゃ…!?とか」

「な、な…!?」


所長の証言を列挙していると、彼はぱくぱく口を開け閉めします。その後堪らない様子で、両手で顔を抑えました。


「っ…!だ、駄々はこねてない…!」


絞り出すように一言。あら、童貞なのは本当でした?はからずも彼の秘密が明るみになってしまい、少しだけ申し訳ない気持ちになります。

そして恥ずかしがっているところ重ねて申し訳ありませんが、その手を無理矢理抉じ開けて、わたくしは真っ赤な顔を覗き込みます。


「と言うわけで良いでしょう!さあ心の準備をしてください!」

「だっ!ダメだダメだ!あ!ほら!もうこんな時間だぞ!日課のトレーニングはどうした!?」


マネージャーは手元の腕時計を見つつ、必死で問いかけてきます。話題を逸らそうと言う魂胆が見え見えですね。まあ良いでしょう。報告すべき事柄でもありますから。腰に手を当てて、胸を張ります。


「今日はお仕事が早めに終わりましたから。日課の体型を維持する筋力トレーニングを1時間、ボイストレーニングは2時間、ダンスの振り付け練習を1時間、鏡の前で笑顔の練習30分、きっちり遂行してきました。ついでに喉のケアをする余裕もありましてよ」

「っ、ぐ…!えーとえーと、あ!綺麗な肌を保つ為に、22時までには就寝するんだろ!?ほら、早く寝ないと…」

「ご安心を!現在時刻は午後8時26分です。そして日本人男性の平均射精時間は挿入から7~9分程度、特に女性経験のない大和マネージャーなら、最大でも持って1分少々!前戯を合わせても合計で10分ほどあれば事足りると見なしました!」

「うっ!うるせぇえ!!さすがにもっと持つわァ!」


どったんばったん揉み合いながら、声で互いの行動を牽制し合います。それでもわたくしの体に傷を付けまいと配慮しているあたり、さすがはマネージャーとでも言ったところでしょうか。


「お願いです!トップアイドルになる為です!」

「そっ、そんなことでトップを取れるなら苦労しない!一体何を急に…」


そこで言葉を止めて、ふと彼がわたくしの顔を覗き込みました。


「焦っているのか…?」


ぎくりと、掴まれた手首が震えます。


「……」


視線を上げれば、黒い虹彩が真っ直ぐにこちらを見ていました。観念して、口を開きます。


「…女性アイドルには期限があるものです。それにつけてわたくし、デビューも遅かったものですから…本当にトップアイドルになれるのか…このままで良いのかと、不安にぐらい、なります」


運と実力の世界です。より若くて可愛いアイドルなんて後からいくらでも登場する。努力だけでどうにかなるものではないと、わたくしも分かっているのですよ。


「…千寿子」


後頭部に手のひらが回りました。そのまま引き寄せられて、ぼすんと額が彼の胸にくっつきます。


「大丈夫だよ」


優しく落ちる声。とくとく脈打つ心臓の音と体温に、自然と心が溶けていく様を感じます。


「これだけで判断するのは違うけど、ファンクラブの会員数だって先日2000人超えただろ」

「本日午後6時時点で2253人でした」


小さく返すと、マネージャーはくすりと笑います。


「それに千寿子。君はそう言うけど、僕は何も心配してない」

「……」

「君ほど努力するアイドルを僕は知らないし、知ってるか?千寿子のファンクラブの脱会率の低さは群を抜いている。桜川が君に突っ掛かる理由も、どんどん距離を詰められてきていて追い抜かれそうだからだ」

「…そうでしょうか」


いまだ信じきれないわたくしの頭を、マネージャーはぽんぽんと撫でます。子供をあやすかのような優しい仕草。


「街でスカウトした時のこと、僕は覚えてるよ。『アイドルにならないか?』そう聞いた僕に、君は言ったじゃないか」


『アイドル?お断りします!』


ええ。覚えておりますよ。当時のわたくしはその言葉に頑として首を振り、次に大きく口を開いたのです。


『やるからには目指すは頂点です!トップアイドルになら、なりますわ!』


「あの時から、1日足りとも君が練習を怠ける日はない。どんなに辛い仕事でも、嫌な顔ひとつしないでやりきる」


どこか遠くを見つめながら、大和マネージャーは優しく先を続けます。


「僕は初めて会ったあの時から、そんな君のことが…」


あら?


「……」

「……」


彼の頬をたらりと汗が流れました。期待に満ちた表情のわたくしと目が合うと、慌てて上半身を起こします。あら、体の下から潰れた眼鏡が出てきました。


「とっ!とにかく!君を応援するファンだってたくさんいるんだ!まだアイドルとして成長途中の君に、僕が手を出すわけには行かない!」

「……」

「心配しなくても必ず!僕がトップアイドルまで連れていくから!」

「…仕方ありませんね」


上手く言いくるめられてしまった気もしますが、素直に彼の上から退きます。わたくしも少しばかり焦りすぎたようですし、それに、嬉しいこともありましたから。


「今日はこれで、失礼しますわ。今後もどうぞ、よろしくお願い致します」


深々と頭を下げて、おとなしく合鍵を差し出します。マネージャーがそれを受け取る様子を見守って、わたくしはにっこり笑顔を浮かべました。


「あと、トップアイドルの座まで連れていくのは、わたくしの役目ですわ!」






独特の賑わいを見せるコンサート会場。場は熱気と興奮に包まれています。


舞台袖に立ち出番を今か今かと待っているわたくしのそばには、大和マネージャーの姿。彼の鼻に掛かるのは真新しい眼鏡です。前の眼鏡も素敵でしたけど、黒縁もなかなか似合っています。そうしてマイクの確認を終えた大和マネージャーが、わたくしに声を掛けました。


「千寿子。緊張してないな?」

「ええ!練習以上のパフォーマンスを発揮して見せますわ!」


ライブ用に作られた衣装に身を包み、胸を張ります。先日のセックス作戦が凍結してしまいましたからね。正攻法で頑張るほかないのです。そして今日は早速、わたくし千寿子のライブでございます。


「今日の為に頑張ってきたもんな」

「ええ。それに、早くトップアイドルにならなければいけない理由が、更にひとつできたばかりですから」

「……?」


何せぼやぼやしていると、隠れファンに持っていかれてしまいそうです。不思議そうに首を傾げるマネージャーに微笑んで、わたくしはステージへと一歩を踏み出します。




『八乙女、千寿子…?』


わたくしの名前を初めて聞いた時、大和マネージャーはその眼鏡の奥で、ぱちぱちと睫毛をしばたたかせました。


『ええ。少し、その。古風な名前なもので。苗字はそのままで良いと思うのですが、やはりアイドルですから、下の名前は平仮名にしたり、芸名にすべきでしょうか?』


今時のアイドル像を思い浮かべそう言うわたくしに、彼はゆっくりと首を振りました。目尻が優しく緩みます。


『いや…。「子」と言う漢字は、一と了と書くだろう?一から了まで…最初から最後までという意味を持つ』

『……』

『きっと、生涯、多くの幸福や祝い事に恵まれるようにとの願いが込められているんだろうな』


そこで言葉を切り、マネージャーは微笑んで口を開きました。


『縁起のいい素敵な名前だ。このまま使おう』


祖母が付けた名前は、自分でさえ懐古的な名だと思うことも多々あったのです。それなのにそんな風に褒められるだなんて、わたくし初めてでしたから――。




「はい!一から了まで貴方に千の寿ことぶきを!八乙女やおとめ千寿子ちずこでございます!」


前が見えないほど眩しい照明に、ホールを包む大歓声。


暫くは夢を追い掛けることに致しましょう。本日正午時点で2260人のファンと、わたくしを支えてくださる事務所のスタッフ、あと切磋琢磨し合う良きライバル達と共に。


初めて会った時からずっと好きなたったひとりの人と結ばれるのは、トップアイドルになるその日まで、しばしお預けです。

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