心で。
獺野志代
理由とは、なんなのだろうか。
理由。意味。定義。そういう確立づけるようなものが私は嫌いだ。何をしようにも理由を求められ、何をしようにも意味を問われ、何をしようにも定義に沿わなければならない。
理由なんか無くたって、テレビの電源を入れるだろ?意味なんかなくたって、晴れた日の空を見上げるだろ?定義なんか無くたって、人は歩けるだろ?何をそう咎められる必要があるのだろうか。
何を隠そう、こうもひねくれた感覚を持ち合わせることになったのは、友人の死があったからだ。時々、月9のドラマの感想を言い合ったり、テストの点数を競い合ったり、購買で一緒に買ったワッフルを見比べて、「そっちの方が大きい」「いや、そっちが大きい」などと言い合っていたあの友人のことだ。
死因は自殺。遺書には、両親や友人に対するありきたりな謝罪のみが記されていた。
もちろん私は泣いた。特別想っていた友人というわけではない。しかし、それでも私が生きてきた人生に介入した一人の友人の死を、涙無しでは受け入れられるわけがない。
そこで、教師からクラスメイトにある問題が上げられたのだ。
『何故、この子は自殺をしてしまったのか。』
遺書には、何をきっかけとして自殺に至ってしまったのか、というものが明細されていなかった。だからこそ、一人の人間の死に対する一つの理由を問題として提起したのだ。
正直、理解出来なかった。
何故、その友人が自殺をしてしまったのか。そんなの、自殺したかったからに決まっている。友人は死んだのだ。そんなものを考えたって、その事実に変わりはない。
両親がいじめだったかもしれない、と声を上げ、犯人探しをし始めたのかもしれない。もしくは、教訓として、これ以後このようなことが起こらないように、クラスメイトに諭すためなのかもしれない。
だから、どうした?
それは、誰のためだ?友人のためか?そうじゃないだろ?そんなのはただの自己満足だ。
くだらない正義感を振り翳す余裕があったら、全力で友人のことを悲しんで欲しい。不必要ではなかった人間の異常な死を、悼んで欲しい。
もちろん、その友人がそうしてくれ、と頼んだわけではない。私の心からの願いだ。そうするべき意味があるとか、それが本来の定義だろ、とかそんな穢らわしい考えなど微塵もない純粋な願い。
もう一度問おう。それは、本当に友人のためか?
その理由を提起した理由を答えてみろよ。
教えてくれよ。その理由の理由を。意味を。そう提起した定義を。
クラスメイトに。私に。友人に。
心で。 獺野志代 @cosy
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