火葬炉

第1話

「くそったれ!」

男は思い切り案内板を叩いた。最新式であろうタッチパネルはヒビ一つ入らなかった。

髪を振り乱したまま、男はもう一度案内板を叩いた。


ここは役所だ。しかしあたりに人影はない。


役人どころか住民すらいないガランとした建物の中で、男は今度は壁を蹴った。

何も起こらなかった。



近代、人体にチップが埋め込まれることによって人々の生活は一変した。

まず、現金が姿を消した。店の入り口にチップを読み取る装置と、品物にも識別コードをつけることによってレジが不要となったためである。

店にあるものは商品とそれを袋に入れるための台だけで、入り口をくぐるだけで精算され、指定口座から引き落とされる。レジ業務に関わる人件費が削減され、万引きという犯罪行為も過去のものとなった。


ただ、接客業務というものが完全になくなったわけではない。行くところに行けばそのサービスを受けることが可能だ。ただし、その料金は驚くほど高い。


本来男もそのサービスを受けられるほどの地位があった。

きっかけは些細なことだ。


とある店で酒を飲みすぎ、暴れた。当然その店は出入り禁止になるわけだが、なんとそれ以外の店にも入れなくなってしまった。

どうやら客の情報を共有するシステムが業界にあるらしく、男は要注意人物として登録されてしまったらしい。

男は憤り、役所に文句をつけに行ったところ、この状態は3ヶ月で解除されると説明を受けた。

男は渋々3ヶ月待った。


そしてこの間、初めて入った酒屋でまたしても出入り禁止になってしまったのだ。


「おかしいだろう!あれは店員が悪いんだ!俺は悪くないぞ!」

役所に怒鳴り込んだ男に、役人は淡々と話をした。

「残念ですが店側からは突然あなたが怒鳴りだし、営業妨害を受けたと連絡が来ています」

「だからあれは店員が悪いんだ!」

「どのように悪かったのですか?」

「酒を出さない!」

「あちらはご希望の品名を教えてもらえなかったから出せなかったと言っていますが」

「どこにだってあるような酒だ!すぐわかるだろう!」

「どんなものですか?」

「よく見るやつだ!」

「そうですか」

役人はそれ以上質問はせず、ただ黙って男の顔を見ていた。業を煮やした男が「責任者を呼べ!」と叫ぶと、「ではこちらへどうぞ」と別の役人に案内された。


階段を降り、「こちらでお待ちください」と促された椅子に腰掛けたが、待てども待てども誰も来ない。

一体いつまで待たせる気かと階段に戻ると、シャッターが降りていてもとのフロアに戻ることができない。

力任せにシャッターを殴ってみてもうんともすんとも言わなかった。


再び無人のタッチパネルに向き直り、慣れない手つきで操作をすると、驚きの事実が飛び込んできた。なんと、男はこの街のブラックリストに載ってしまったのだ。


ブラックリストに載ると、移動場所を制限されるのだという。接客は全て受けられない。しかもそれが3年も続くらしい。

「ちくしょうめ!」

壁を殴っても、手が痛くなるだけだった。


しばらく無人の役所で悪態をついていた男だったが、いい加減疲れた。しかも腹も減ってきている。

とりあえず腹ごしらえをしようと、男は外へ足を向けた。

出口は一つしかなかった。


酷い場所だった。

道端にはゴミが散らかり、悪臭を放っている。商店街はシャッターが続き、喉を潤そうにも自動販売機は全て品切れのランプが点灯していた。金はあるのになにも手に入らない。街に活気はなく、まるでゴーストタウンを歩いているようだった。


日が傾き、粗末な街灯がゆるゆると輝き出した頃、ようやく開いている店を見つけた。

看板はライトが壊れている上に汚れていてよく読めない。なんとか食堂だかなんだか、そんなぐあいの店名のようだ。


歩き続けてきた男はとにかく腹が減っていた。なんでもいい、飯が食いたい。金ならある。


カラカラと引き戸を開けると、恰幅のいい女将がいらっしゃいませ、と声をかけてきた。彼女とは対象的にひょろりとした渋い旦那が、調理場で黙々と何かを仕込んでいる。


男はすぐ手前のテーブル席に座った。似たようなテーブルが2つに、カウンター席が並んだこじんまりとした店だった。

うっすら茶色に変色した壁紙に、色褪せたポスター。あれはブラウン管テレビというやつだろうか?いやに厚みのあるコロンとした箱に、角の丸い液晶がついている。

─もちろん本物ではないだろう。おそらくそれっぽく見せてるだけで、映っているのはネットから拾ってきた昔のテレビ番組のはずだ。


男は生姜焼き定食を頼んだ。程なく女将が運んでくる。

内容はお決まりのものだ。千切りキャベツの上の生姜焼き、ご飯と味噌汁と申し訳程度のお漬物。

シンプルなお椀を手に取り、中の味噌汁をすすると、じんわりと体が温まるのを感じた。

男はこれよりもずっと豪華な料理を知っている。

しかし、味わうという行為の意味を、このとき初めて実感した。


食べ終わってから、改めて男は店内を見渡した。

時代遅れな内装と生活感丸出しの壁のメモ書きに、とても親近感が湧いた。


料金は驚くほど安かった。しかも、女将はずっとニコニコしている。サービス料を考えたらまずあり得ない。

こんなに安くてやっていけるのかと尋ねると、二人で生活していくなら充分だと女将は笑った。

帰り際、男は店主に美味しかったと告げた。店員にお礼を言ったのはこれが初めてだった。


出口は入り口と逆の扉なのだという。何故なのかよくわからなかったが、素直に従った。

扉を潜るとその先はトンネルだった。向こう側に光が見える。

随分と長いトンネルだが、まっすぐのようだ。出たら家に帰る道を探そう。

腹も心も満たされた男は、ゆっくりと出口に向かった。




ゴゴゴゴゴ。

普段めったに音をたてない大型焼却炉が唸っている。

ぼんやりパズルゲームに明け暮れていた若い男は、チラリとモニターに目をやった。

動物愛護が叫ばれてから随分と経つが、保護されるのは愛玩動物に限ってであり、害獣に関しては例外である。


大型の、おそらく熊だのなんだのが運ばれてきたのだろう。


基本的に全自動で殺処分ができるこの施設では、若い男の仕事といえばもっぱらモニターの数字の監視である。

それにしたってやることは少なく、彼にとってここでの仕事らしい仕事は、大体は機械トラブルによる応援要請ぐらいなもので。


─暇すぎるのも考えものだな。

若い男が大きなあくびをひとつするのと同時に、焼却炉に火が点った。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

火葬炉 @soundfish

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る