第646話 動き出す戦場

 ――とある城にて。


 今日も今日とて、不本意に与えられてしまった領地の内政改革を行うため、執務机に肘をついて頭を捻っている者がいる。その者は見た目とは裏腹に執務を頑張っており、今現在書類と睨めっこをしていた。


 そのような時にドタバタと場内を走る音が聞こえてきて、その騒がしい音は、頭を悩ませているこの者の苛立ちをうなぎ登りにさせていく。


 そして、勢いよくその者がいる部屋の扉を開けて1人の魔狼族が姿を現すと、部屋の主がとても面倒くさそうに書類から顔を上げる。


 すると、視線の先にはたった今戦場から戻ってきたと言わんばかりの、泥に塗れた軽鎧を着込む魔狼族の姿を目にしたのだった。


「なんだァ?」


 その姿を目にして何事かと訝しむ視線を投げかける部屋の主だったが、魔狼族が口を開く前に言わなければならないことを先んじて口にする。


「てめぇ、いったい誰が掃除すると思ってんだ? 城の中に入る前は、まず汚れを落としてから入れと言ったよなぁ? ああ?」


 言っていることはとても正しいのだが、如何せん、その目付きと喋り方によってどこかのチンピラが絡んできているかのようである。


 その様子に臆してしまった魔狼族の男は、今すぐ逃げ出してしまいたい衝動に駆られてしまうが、伝令役を担った以上、言わなければならないことがあるのも事実。


 そして、逃げ出したい衝動と報告という板挟みによって、泣きたくなるのを必死に抑え込むと、戦場で起こった出来事を報告していくのであった。


「戦場に勇者が現れただと?」


「しかも、事はそれだけに留まりません」


 それから魔狼族の男は、目の前の人物が使う武器のひとつと似たようなものを使っていたことを加えて報告する。


「魔王様しか使えないはずの、あの摩訶不思議な鉄の礫を撃ち出す武器です」


「……銃のことか……その話が本当なら、その野郎は間違いなく勇者だな」


 魔王と呼ばれた男は、配下には隠しているが自身が地球から召喚された勇者であることもあり、同じ武器を扱うという点において考察した結果、間違いなく地球から召喚された勇者が戦場に現れたのだと予想する。


「如何なさいますか?」


「お前は先に戦場へ急ぎ戻り、撤退の準備を進めろ」


「撤退……ですか?」


「こんな内陸部までやって来ることができる勇者だ。間違いなく強い上に、お前らじゃ無駄死にするのが関の山だ。この際、サイクロプスたちは無視しろ。どうせ奴らが狙っているのは痩せ細った土地だ。盗られたところでどうということはない」


 そのように撤退の理由を告げた部屋の主は、魔狼族の男にすぐさま行動するようにと、部屋から追い出して戦場へと急ぎ戻らせた。


 その後、どうするかと頭を悩ませている男の部屋に、ノック音を鳴らして1人の女性が入ってくる。


「ジョンさん、何かあったのですか? 魔狼族の方が慌ただしく走っていましたけど……」


「……ラバスか……」


 どうやらこの部屋の主は、ケビンが“殺人勇者”と勝手に命名していたジョンであったようだ。そして、部屋に入ってきたのは、ジョンが共に生きることを決めた妻のラバスである。


 そして、ラバスはジョンの雰囲気がいつもと違うのに気づき、何かが起こったのだろうと予測する。いつもなら書類と睨めっこをして愚痴をこぼしているのに、今はそれがない。


 それがないということは、書類を片付けている場合ではないということ。そう予想を立てたラバスは深刻の度合いはわからないが、その場でジョンが話してくれるのを待ち続けた。


 すると、やがて大きな溜息をついたジョンが静かに口を開く。


「……勇者が現れた」


 それを耳にしたラバスは、まず“勇者”という単語で思い至ったのは目の前にいるジョンだ。何故ならラバスは、ジョンが勇者であることを知っている数少ないうちの1人だからである。


 だが、この場において耳にしたのは“勇者”だけでなく、“現れた”という単語もあった。そうなるとラバスが次に思い至ったのは、“何処に”現れたかだ。


 仮に魔大陸の入口で目撃されたのなら、まだ時間的な余裕は結構ある。魔大陸の入口からジョンの治めるこの土地までは、かなりの距離があるからだ。


 しかし、万が一でもここから近場に現れたのなら、時間的な猶予はない。すぐにでも迎撃態勢を敷かなければ、悪名高い勇者にこの土地が蹂躙されてしまうとラバスは思い至る。


 しかしながら、今まで伝え聞く勇者の話では、魔大陸の奥地までやって来たというのを聞いたことがない。だが、今はジョンという前例がある。


 そのジョンは勇者でありながら魔大陸の入口で終わることなく、魔大陸の中央部であるこの地までやって来ることができたのだ。


 ――今回の勇者の強さは如何程のものか。


 もし、仮にジョンと同じくらいの強さなら、ここまでやって来ることが可能である。ゆえにラバスは不安と焦燥が募る中で、ジョンに訊ねることにした。勇者が何処に現れたのかを。


「あの……何処に……?」


 その返答をしようとするジョンは、苦虫を噛み潰したような顔つきとなり、それだけで悪い状況なのが目に見えてわかってしまう。


「サイクロプスたちと戦っている戦場だ」


 ジョンからの返答にラバスは息を飲んだ。数ある可能性のうちから、最悪に近い状況がジョンから知らされてしまったのだ。


「どうなされるのですか?」


 すると、ジョンは長い沈黙の後に口を開く。


「……俺が出張るしかないだろうな」


「そんな――!」


「ここには来ないかもという楽観視はできねぇ。来ないなら来ないに越したことはないが、今となってはラバスや他の女たち、それにその連れ子たちもいる。守るべきもんがある以上、戦うほかない」


「ジョンさん……」


「それに、父親らしく家族を守らないとな」


 そう言ってジョンは、視線をラバスの顔から少しだけ膨らんでいるお腹へと移した。そして、その視線に気づいたラバスは、僅かに頬を染めてお腹を労わるように撫で始める。


「この子の為にも、絶対に危険な真似はしないでください。ゆくゆくは頑張って生まれてくるのに、父親がいないなんて悲しすぎますから」


「わかっているさ。俺だって子供の顔を見ずに死ぬなんて、まっぴらごめんだ。それに、ラズベリーも泣いちゃうだろうしな」


 愛する家族のためにも決意を固めるジョンは、出発の準備をするためにもイスから立ち上がると、ラバスの傍まで近寄っていく。


 そして、その行動がわかっていたのかラバスもジョンに近寄り、両腕をまわして抱きついたら上目遣いで甘えだした。


「私も泣いちゃいますよ?」


 相も変わらずなラバスの可愛さにメロメロなジョンがクラクラしてしまうと、そのままラバスの唇を奪い、お出かけ前のキスとは違う濃厚な口付けをしてしまう。


「んちゅ……はぁ……ジョンさんダメぇ……我慢できなくなっちゃう……」


 ラバスとしては、お出かけ前のキスをしてもらうつもりだったのが思いもよらぬ攻撃を受けてしまい、ジョンにメロメロなラバスもクラクラしていく。


 やがて、ラバスは体の力が抜けてしまいそうになり必死にジョンにしがみついたのだが、これ幸いと思ったジョンからされるがままになってしまうのだった。


 その後、結局我慢ができなくなったジョンがラバスに襲いかかり、ラバスもラバスで我慢ができなかったのでそれを受け入れると、ジョンの出発が大幅に遅れることになったのはご愛嬌だろう。更には、ラバスが身篭っているので、スローペースな愛し方になったのも一因と言える。


 そして、事後の後処理を終えたジョンは、ラバスにお出かけ前のキスをすると戦地に向かって赴くのであった。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「くらいやがれ、単眼巨人めっ!」


 魔狼族とサイクロプスの陣取り合戦場では、相も変わらずケビンが拳銃を撃ちまくっていた。その対象は魔狼族だけに留まらず、サイクロプスも標的となっている。


 そして、そのケビンの暴走ぶりに、戦場ではてんやわんやの大混乱に包まれていく。すると、前線でサイクロプスと対峙していた魔狼族たちは、もう既に戦っていたサイクロプスなど眼中になく、今は乱入してきた勇者の標的にされないように逃げ惑う始末だ。


「な、何なんだ、あの勇者はっ!?」


「俺が知るかよ! ヤバい奴だってことしかわかんねぇよ!」


 そのように現場が大混乱に包まれる中で、隊長はケビンがサイクロプスの単眼を的にして射的感覚で遊んでいる間に、これ幸いとばかりに負傷者の回収や乱れた陣形を整えるよう指示を飛ばしていた。


「た、隊列を組み直せ! 勇者がサイクロプス相手に夢中になっている間に、負傷者を回収しろ!」


 対してサイクロプスたちは、突如やってきた乱入者に陣取り合戦を掻き回されてしまい、既に魔狼族を襲うどころではなくなっている。今は必死になってケビンを殺そうとしているのか、襲いかかる相手を変更したようだ。


「ウガァァァァ――!」


 そのようなサイクロプスから振り下ろされる棍棒によって地面のあちこちは既にボコボコとなり、とても足場の悪い場所と化しているが、ケビンは難なくその攻撃を躱していた。


「そこは『ウガァァァァ』じゃなくて、『ウドォォォォ』って言えよ、このウドの大木が! 空気を読め!」


 なんて理不尽な物言いだろうか。空気を読まず戦場に乱入した自分のことは棚に上げて、サイクロプスにケチをつけるケビン。


『そうだ、そうだー! サナみたいに空気を読めー! 空気を読めるサナは世界一! 空気を読めるサナは、そのうちマスターのお嫁さんになるのです!』


 更には、相乗りして騒ぎ出すサナ。だが、そこでケビンが待ったをかける。


『サナって空気を読めない時があるよな? 空気を読む嫁と言うよりも、空気を読めない嫁?』


『何を言っているんですか、マスター! サナほど空気を読める人はいないのですよ?!』


 サナはケビンの言い分に猛反発するが、ケビン自身は既に別のことを考え始めていた。


『空気を読め……空気読め……空気嫁?』


『んなっ――!?』


 これにはさすがのサナも度肝を抜かれてしまい二の句が告げられなくなってしまうが、システムが先程の失態を取り返すかのようにしてサナを気遣う。


《大丈夫だよ、サナちゃん。空気嫁はネットスラングだし、存在感がないってことじゃないはずだよ!》


『で、でも、システムちゃん。空気嫁は言い方を変えればエア嫁なんだよ! エア友達のトモちゃんと比肩するくらい、独身ボッチ特有の専用スキルなんだよ!? 「エア嫁のヨメちゃんだ」って紹介されちゃったらどうするの?! 下手したらあ〇りちゃん並に、認識されないかもしれないんだよ!?』


 そのように言うサナと違ってネタ極振りではないシステムには、“あ〇りちゃん”が誰のことを指し示しているのかはわからないが、サナの必死さだけは伝わり、先程以上によいしょをしてはサナを元気づけていく。


 そして、サナとシステムに脳内で騒がれているケビンは、言い出しっぺのはずなのに既に空気嫁ネタから離れており、再び襲いかかってくるサイクロプスたちの相手をし始めたのだった。


 それからしばらくの間、ケビンが手当たり次第に銃を撃ち放ちその行動に飽き始めていると、早馬に乗った魔狼族の伝令が現場に到着する。


「撤退っ! 撤退だぁぁぁぁ!」


 伝令役が大声を出しジョンからの指示を口にすると、その言葉を聞いた魔狼族たちは一瞬理解ができずに動きが止まってしまうが、伝令役が更に激を飛ばす。


「魔王様からのお言葉だ! 速やかに撤退し、帰還せよ!」


 さすがに呆けていた魔狼族たちも、伝令役の発した言葉が魔王からの指示とあっては呆けてばかりもいられない。棒立ちしていた魔狼族は自分たちの抱く疑問を棚上げしたら、すぐさま撤退行動を取り始める。


 そして、一も二もなく撤退を始めた魔狼族を見るサイクロプスたちは、自分たちが陣取り合戦で勝利したのだと勝鬨をあげるが、ここにはまだ闖入者が残っていて、それと戦いを繰り広げているサイクロプスたちもいる。


「あれ……? 狼男たちが帰っていく……」


 サイクロプスたちの猛攻を躱しつつもケビンが独り言ちていると、勝利に酔いしれたサイクロプスたちが仲間の加勢をするために、無謀にもケビンに挑んできた。


 だが、サイクロプスの猛攻を簡単に避けてしまうケビンにより、棍棒を振り下ろすサイクロプスたちにとって血湧き肉躍るような熱きバトルとはならない。


 別の意味で頭に血が上り湧いた上で、ケビンに振り回されるサイクロプスが躍っていそうだが、傍から見るその光景はお互いの体格差もあることから、サイクロプスたちが必死になってモグラ叩きをしているかのようでもある。


「うーん……あいつらがイエッティの言っていた魔狼族なら、殺人勇者のスキルを奪ったやつが親玉にいるってことだよな……体が武器に変わる魔狼族……放置厳禁な重要案件だな」


 苛烈を極めるサイクロプスたちの攻撃を躱しながらそのようなことを呟いているケビンだが、一目散に撤退していく魔狼族を眺めつつもサイクロプスたちを撃ち殺していく。


 そして、行軍に使っていた軍馬らしきものたちによって、徐々に砂煙とともに見えなくなっていく魔狼族。


 何かしらの意思を固めたケビンが「よし!」と口にすると、今まで戦っていたのが嘘かのようにして、その場から転移で消え去ってしまう。


 すると、サイクロプスたちは目の前のケビンが消えたことによって、辺りをキョロキョロと見回し頭には“?”マークを浮かべてしまうが、消えてしまったケビンを見つけ出すことはついぞできなかった。


 結果、サイクロプスたちは陣取り合戦に勝利したのだという現実だけを受け入れて、魔狼族やケビンのいなくなった戦場で再び勝鬨を上げるのであった。

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