第605話 引っ越し準備

 ジョンが魔王を倒してから一夜明けると、まず手始めにしたことと言えば魔王城の守りを固めることだった。


 前魔王は武闘派だったためか魔王城の守りを適度にしかしておらず、守って勝つよりも攻めて勝つという方針だったようで、今の魔王城を攻め込まれたら籠城なんてとてもじゃないができない状態である。


「とりあえず、指示した通りのことをしていろ。俺はちょっと知人を迎えに行ってくる」


「はっ、仰せのままに」


 そう言い残したジョンは、ラバスたちを迎えに行くため村に向けて馬を走らせた。


 そして、あやふやだが覚えていた記憶を頼りに進んでいくと、見たことのある村を見つけることができて、迷子になっていないことにほっとするのだった。


 対して、その村では作業をしていた女性がジョンの姿を目にすると、瞬く間にその情報が伝播していき、村の入口にラバスを始めとした女性たちが出迎えにやってくる。


「帰ったぞ」


「ジョンさん!? やっぱりジョンさんだわ!」


 馬から降りたジョンに間髪入れずラバスが抱きつくと、ジョンは意味がわからずに問いかける。


「どうした? たかが一晩だけ外で過ごしてただけだぞ。感動の再会ってわけでもないだろ?」


「もう死んだかと……」


「何故そうなる?」


 涙を浮かべるラバスが語ったのは、作戦とはいえ魔王の手下に連れて行かれたことによって、魔王直々に殺されたのではないかと不安が後を絶たなかったからだと言う。


「あぁぁ……確かに魔王は強かったし、ちょっと舐めてたな。危うくマジで死ぬかと思って、今日は迎えに来たところだ」


「やっぱり!!」


 ジョン自身が死ぬ思いをしたことを白状したため、ラバスは我慢していた涙腺が決壊して、泣きながらジョンを強く抱きしめる。それを見るジョンはいったいどうしたものかと考えながら、とりあえずはラズベリーにもしたようにラバスの頭に手を乗せると、撫でながらあやしていくのだった。


「ぐす……それで、今すぐみんなで逃げるのですか?」


 ある程度泣き止んだラバスがそう言うと、それを聞かされたジョンは意味がわからずキョトンとする。


「逃げる……?」


「ここでのんびりとしていたら、ジョンさんが逃げ出したことに気づいた魔王が追っ手を差し向けるはずですから、その追っ手がこの村に到着する前に少しでも遠くへ逃げるんです」


「いや、なんで?」


 ラバスはジョンが隙を見て逃げ出してきたと思っており、ジョンはジョンで自分の手で魔王を殺したので逃げる必要がないと思っていて、2人の会話は噛み合っていなかった。


「だから、魔王の追っ手が――」


「逃げなくても問題ねぇだろ」


「もう! こんな時に天然さんなんですか!?」


「て……天然……!?」


 生まれてこの方、一度たりとて“天然”なんて言われたことのないジョンは、それを言ってのけたラバスの言葉に対して驚愕する。


「天然なジョンさんもギャップがあっていいですけど、今は逃げることを優先してください」


「いや、だから――」


 ああ言えばこう言う状態に陥っている2人を見ていた周りの女性たちから、1人の女性が間に入り仲裁を試みた。


「ラバスさん、とりあえず落ち着いて。ジョンさんは逃げる必要がない理由をちゃんと教えて。何か作戦があるのですか?」


 その女性の仲裁により、ラバスはひとまず落ち着きを取り戻し、ジョンはようやく話が進められると安堵する。


「作戦はないぞ。それ「やっぱり!! 早く逃げないと――」……」


「ラバスさん?」


 せっかく落ち着いたのにまたもや火がついたラバスに対して、女性がなんとも言えない気迫とともに鋭い視線で注意を促すと、ラバスは気まづくなってしまい押し黙る。


「ジョンさん、続きをお願いします」


 女性から促されたジョンはその気迫に押されそうになるが、なんとか平静を保ちつつ口を開いた。


「あ、ああ……それで、逃げなくてもいい理由は、もう魔王はいないからだ。俺が殺した」


「「「「「――ッ!」」」」」


「……いま……なんと……?」


「昨日のうちに魔王は死んだ。その後、かくかくしかじかで――」


 ジョンから語られる内容に対し、女性たちは唖然とするほかない。現に、口をぽかんと開けてしまっている者までいる始末だ。


「――で、迎えに来たわけだ」


 ひと通りの説明が終わったのだが、女性たちは言葉を発せずに沈黙を貫いている。それは、ジョンの言ったことに対して理解が追いついていないからだ。


 それも仕方のないことだろう。ここにいる女性たちの中でジョンが勇者であることを知っているのは、口をぽかんと開けているラバスだけなのだ。


 そのラバスでさえも魔王に勝てるなんて思っていなかったため、他の女性たち同様に口をぽかんと開けてしまう結果に至ったのだから。


 そのような状況の中でジョンが手をパンパンと叩いて、呆けている女性たちを正気に戻していく。


「さあ、今から引っ越し準備だ。当初は近場の村に移動予定だったが、行き先変更で魔王城に引っ越すぞ」


「え……え……??」


 女性たちは、仮に受け入れてくれる村を探すという点において、それによる行き先の変更だけならまだしも、そう思っていた行き先が“魔王城”とあってか混乱が後を絶たない。


 それを見ているジョンは再び女性たちを正気に戻すと、引っ越し準備を進めていくように促していく。


 すると、混乱していた女性たちは、混乱を内に秘めたままジョンの指示通りに引っ越し準備を進めるため、それぞれの家へ向かって散り散りに散らばっていくのだった。


「ほら、ラバスも呆けてないで引っ越し準備を進めるぞ」


 そして未だに呆けているラバスの手をジョンが引くと、ジョンはラズベリーがいるであろうラバスの家へと歩いていく。


「ジョンさん……少し見ない間に強引になりました?」


 今までのジョンならラバスを労わるような言動をしていたのに対し、今回はグイグイと引っ張っていくので、その姿を見たラバスはジョンの中に男らしさというものを垣間見てしまう。


「元からこうだぞ」


「違いますよ。前はもっと……こう……1歩引いてたというか……」


 そうこう話しているうちに家へ辿りついたジョンは、勝手知ったるやで家の中へと入ると、そこで出迎えてくれたのはお留守番をしていたラズベリーだった。


「ジョンお兄ちゃん!?」


「帰ったぞ」


 母親とともに現れたジョンの姿を目にしたラズベリーは、勢いよく駆け出すとジョンの脚にしがみついた。


「おかえり!」


 ジョンの顔を見上げながらそう言ったラズベリーに対し、ジョンも照れくさそうに言葉を返す。


「……ただいま」


 自分の家ではないのでぎこちなさが残るジョンだったが、ラズベリーにとってはそんなのお構いなしである。


「また、しばらくお泊まりするの?」


「いや、今からするのはお引っ越しの準備だ」


「お引っ越し?」


 首を傾げるラズベリーは、ラバスからこの村を出て新天地に行くことを事前に説明されていたのだが、唐突にその時がやってきたのでどうにも理解が追いつかない。


「みんなの準備が整い次第、新しい家に引っ越すんだ。ラズベリーも持っていきたい荷物をまとめるようにな」


「わかった!」


 ジョンに言われたことによりラズベリーはジョンから離れると、荷物をまとめるために自身の部屋へと駆けていく。そして、それを見送ったジョンはラバスにも準備を進めるように促した。


「ラバスも引っ越し準備だ」


「はい。お手伝いしてくれますか?」


「そのためにここへ一緒に来たんだ。放置するつもりならここに来ず、村の入口で待ってる」


「ふふっ……」


 その言葉が嬉しかったのか、ラバスはジョンの腕に絡みつくと自身の部屋へ向かって一緒に歩き出す。


「……なんか、以前にも増して距離感が近くなってないか?」


「気のせいです」


 楽しげに答えるラバスを見たジョンは、次も気になることを口にする。


「それに……当たってるぞ」


 “何が”とは言わずにいるジョンに対して、ラバスは微笑みを向けるとそれに答えた。


「当ててるんです」


「……確信犯なら『気のせいです』は間違いだろ」


「これは一本取られましたね」


 たった一日で何があったのだろうかと思考を巡らせるジョンだったが、男の自分が女心を理解しようとするだけ無駄だとわかっているのか、すぐに思考を放棄するとラバスの部屋に入っていく。


 それからラバスとともに持ち出す服の整理をしていくと、ラバスは一着ずつジョンに好みかどうかを尋ねていき、ジョンが次第に適当に答えていくようになると頬を膨らませるのだった。


「もう! 真面目に答えてください」


「それなら、全部持っていけばいいだろ。大した数でもないんだしよ」


「ジョンさんの好きな服を着ていたいという、私の乙女心がわからないんですか?」


「乙女心……?」


 首を傾げるジョンが、ふと口にしたその言葉はどうやらラバスの地雷を踏んだようで、腰に両手を当てたラバスが頬を膨らませてジョンに近づいていく。


「ジョンさん?」


「お、おう……」


 ラバスの行動に対して『これはマズい』と感じたジョンが気圧され後ずさると、ラバスは逃がさないといった感じでジョンに抱きついて見上げる。


「ジョンさんは、にぶちんなんですか?」


「に……にぶちん……?」


 ラバスから抱きつかれたことによって、怒っていたのではないかと思っていたジョンは理解に苦しむ。更には“にぶちん”発言である。全くもって理解が追いつかない。


「私はジョンさんが好きです」


「あ、ああ……」


「ちゃんと気づいてくれましたか?」


「そりゃあ、まあ。何となくは……」


「にぶちんじゃないなら、焦らしてたんですか?」


「いや、そういうつもりは……」


「最初は怖い人だと思っていました。魔族を殺すと言っていましたし、その前にラズベリーからもそう言われていたので」


「それが目的だからな」


「だけど……ラズベリーを助けた対価で襲いに来てくれないし、逆に村長の息子と取り巻きたちから襲われていたのを助けてくれるしで、誠実すぎて惚れるなという方が無理です」


「いや、人殺しに誠実さも何もないだろ」


「私が誠実と言ったら誠実なんです!」


「お、おう……」


「それに……魔王のところに行った時は胸が張り裂ける思いでした。そして、無事に帰ってきた時は安心するとともにとても嬉しかったんです。その時に改めて『ああ、この人のことが好きなんだな』って自覚しました」


 そこまで言ったラバスは、ジョンを抱きしめる腕の力を強めた。それにより当たっているラバスの胸がギュッと潰れてしまい、ジョンはラバスの強くなっている動悸を感じ取る。


「ジョンさんは私のことをどう思っていますか? やっぱり子持ちの未亡人じゃ相手にしてもらえませんか?」


 確信に迫るラバスの問いかけに対して、ジョンは一拍置くとそれに答えた。


「好きか嫌いかで言えば、好きだ。ただ……」


「ただ……?」


「俺は殺人を楽しむ人格破綻者だ。だから、元の世界でも特定の人というのは作らなかった。俺みたいな人格破綻者は、大事な人を作っちゃいけないんだ。人の命を奪うんだから幸せを手にする資格がない」


「ジョンさんは人格破綻者なんかじゃありません! ラズベリーを2度も助けてくれました。私が病気の時に看病をして治してくれました。男たちに襲われた時も助けてくれました。他にも――」


 ジョンが自ら幸せを手放して生きていることが悲しくなったのか、ラバスは瞳からポロポロと雫を流しながら懸命に訴えかけていた。それを見るジョンは、久しく忘れていた胸の痛みというものを感じ取ってしまう。


「お願い……お願いします。私を選ばなくてもいいですから……ジョンさんにとっての幸せを見つけてください……お願いします……」


「ラバス……」


 ジョンの胸に顔を沈めて泣き続けるラバスに対し、ジョンはだらりと下げていた腕を動かそうかどうしようかと悩んでしまう。


 それはひとえに、ここまで親身になってジョンの幸せを願った人が、未だかつていなかったこともそうだが、そもそもこういう体験が初めてであり、どうするのが正解なのかわからずに葛藤してしまっていたからだ。


(俺の幸せか……散々人を殺してきた人間が、今さら幸せを求めてもいいのだろうか……)


 そのようにジョンが悩んでいると、部屋のドアを開けてラズベリーが顔をのぞかせた。


「お引っ越しの準備終わったよー」


「ああ、わかった」


 ラズベリーの報告に対してジョンが端的に答えたら、ラズベリーはジョンに抱きついて泣いている母親の姿を見つけてしまう。


「お母さん泣いてるの?」


 それに対しラバスがジョンから離れると、ラズベリーの傍までやってきてしゃがみこむ。


「ごめんね、ラズベリー。お母さん、まだ準備が終わってないの。ずっと住んでた家を離れるから悲しくて……まだ時間がかかりそうだから、お台所の食器とかをまとめててくれる? お母さんは泣き顔だから村の人がもし来ても、『まだ終わってません』って代わりに伝えてくれると嬉しいな」


「うん、わかった! 忘れ物がないか見直したりしてるね!」


「ありがとう、ラズベリー」


 母親から新たな指示を受けたラズベリーは、さっそく動き出して引っ越し準備を再開させに別の場所へと駆けていく。それを見送ったラバスが振り返ると、ぎこちない笑みを浮かべてジョンに語りかける。


「私の準備も再開させましょう。ここはもういいですから、ラズベリーと一緒にいてくれますか?」


 その痛々しいほどの笑みを見せられているジョンはいたたまれなくなってしまい、とてもじゃないがこのまま放っておくこともできずに、今度はジョンからラバスに抱きついた。


「ジョンさん……?」


「ラバス……俺は幸せを求めてもいいのか? 元の世界では罪のない無実のやつも殺したりした。そいつが手にするはずだった幸せを俺が奪ったんだ。俺はそんな救いようのない男だぞ」


 ジョンによる懺悔のような言葉を聞くラバスは、ジョンを抱き締め返して思っていることを言葉にしていく。


「元の世界でどうだったのかは関係ありません。ジョンさんがいま生きているのはこの世界です。この世界で罪のない人を殺しましたか?」


「……いや。俺を襲ってきたやつらか、悪事を働いたやつしかまだ殺してない」


「それなら幸せを求めてもいいじゃないですか。ここは元の世界ではありません。違う世界です。第2の人生を歩んでいるのだと思って、ジョンさんが幸せになったとしても誰も責めません」


「それは、他のやつらが俺のことを人殺しだと知らないからだ」


「ジョンさんのことを人殺しだと知って責めてくる人がいたら、私が代わりにとっちめてやります」


 ジョンを見上げるラバスが冗談に聞こえる発言をして微笑むと、再度「本当にとっちめますよ?」と言葉にしたことによって、ジョンは心に抱える重しが少し軽くなったような錯覚を感じ取る。


「いい女だな……」


 そう呟いたジョンはラバスの頬に手を添えると、そのまま顔を近づけていき唇が触れるだけのキスをする。


「っ!?」


 その行動に対してラバスは驚きで目を見開くが、優しく触れているだけの唇を感じ取り、次第に瞳を閉じるとジョンに身を委ねた。


「ん……ぁ……」


 やがて離れた唇を名残惜しそうに潤んだ瞳で見つめるラバスに対し、ジョンは新たに決めた決意を伝えていく。


「俺が初めて手にする最初の幸せは、そのきっかけを与えてくれたラバスとの幸せがいい」


「それって……」


「好きだ。俺のことをそこまで考えてくれた人は今までいなかった」


「ジョンさん……」


 見つめ合う2人の唇は、再び近づいていき重なり合う。


 そして、唇が離れた時に先程の言葉を思い出したのか、ジョンは恥ずかしくなり頭をポリポリとかきながら、引っ越し準備を進めようとしてラバスを抱擁から解放する。


「さあ、引っ越し準備を進めるぞ」


「……はい」


 ジョンの照れ隠しがわかってしまうラバスもほんのりと頬を赤く染めると、ジョンにピッタリと張り付いて引っ越し準備を進めていくのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る