第258話 変貌

 神以外は存在しない別空間にて、今日も女神であるソフィーリアは仕事に励んでいる。


 たまに仕事の多さで嫌気がさすときには、ケビンの生活を覗いて楽しく過ごしているのを見ては気分転換をしていた。


 そして長い間待った甲斐があってか、やっとケビンが成人したので下界へ逢いに行くために頑張って仕事を済ませているのだった。


 1日でも早く逢いたい逸る気持ちを抑えて、ミスのないように着々と仕事をこなしていく。


 そんなソフィの楽しい気分をぶち壊す、予想だにしない思いがけない事態が押し寄せる。


 ケビンに施した封印に少し綻びが生じて、それを感じ取ってしまったのだ。自分が施した封印を破るのは同じ力を持つ神かそれ以上の力を持つ神しかいない。


 だが、今回は少し綻びが生じただけで封印自体は破られていない。それなら他の神からの干渉ではないと思って修復も簡単に終わることもあってか、ソフィは作業途中だった仕事をまずは終わらてからケビンの様子を見ようと作業に集中した。


 しかし後に、仕事なんかほっぽり出してすぐさまケビンの様子を見ればよかったと後悔することになる。


 やがて仕事を終えたソフィは、ケビンに施した封印の状態を見るために下界へとアクセスする。


 そして、モニターに魔王と対峙するケビンの様子が映し出されると、今まさにケビンが称号の影響でドス黒い感情に身を委ねて、自身に施された封印へ手を出しているところだったのだ。


 綻びを直そうとしていたソフィに、ケビンのドス黒い感情が流れてくる。


 ――よこせ、その怒りを、憎悪を、殺意を


「健! いけな――」


 ソフィが呼びかけるのも虚しく、ケビンの感情はついにそれへ手を出した。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 チューウェイトに打ちのめされて倒れ伏しているケビンに静寂が訪れる。


「ん、何だ? 諦めたのか? つまらんことをこの俺にさせておいてお寝んねかよ。無駄に服を破いて終わっただけじゃねぇか。仕方ねぇ、力を奪うために殺すか」


 その瞬間、吹き荒れる魔力の奔流がケビンの体を包み込んだ。チューウェイトと違う点を言うならば、その奔流は全てを呑み込む漆黒の闇に包まれていることだった。


『マスター! いけません!』


『健、ダメよ!』


「なっ!?」


 予想だにしないケビンの力に、殺すため動こうとしていたチューウェイトは無意識に後ずさってしまう。


 ――ボトッ


 その音が何を指しているのかチューウェイトにはわからなかった。だが、訪れた痛みに自身の左腕がないことを知る。


「腕がぁぁぁぁっ!」


 チューウェイトの腕が落ちるのと同時に、髪を鷲掴みされていたシーラもその場に崩れた。


『マスター! 正気に戻ってください!』


『……俺は正気だ』


 チューウェイトはすかさず距離を取るが視線の先には既にケビンの姿はなかった。確かについさっきまでそこに倒れていたはずなのに、その場所にケビンの姿はない。


「ど、どこ――」


 ケビンを捜そうと視線を流していたチューウェイトの顔面に激しい痛みが走る。気づいた時には既に壁へと吹き飛ばされていた。


 だがそこは、さすが魔王と言ったところか。


 チューウェイトが認識することができなかったケビンの攻撃を受けて、壁を何枚も壊し続けながら城外へ吹き飛ばされるが、吹き飛ばされた先で怒りとともに立ち上がる。


「き、さまぁぁぁぁっ!」


 城外にいるチューウェイトの体に魔力の奔流が吹き荒れて、失くした左腕の出血もいつの間にか止まっていた。


『健! これ以上は戻れなくなる。お願いだからやめて!』


『ソフィーリア様っ、早く何か策を!』


『さっきからやってるけど、健が拒絶してるのよっ!』


 ソフィが必死に呼びかける中、サナがソフィに何かしらの解決策を願ってみるも、ケビンが拒否をしているようで思うように捗っていないようだった。


 そして、城内のケビンを睨みつけるチューウェイトの瞳に映ったのは、何の感情も見いだせない能面のような表情を浮かべたケビンの姿であった。


「その力、よこせぇぇぇぇっ!」


 チューウェイトが後のことなど考えず、地面を踏み抜いて地形破壊を引き起こしながら突っ込んで残った右腕でケビンに殴りかかるも、ケビンは吹き荒れる魔力に守られて、その場からビクともせずに佇んだままだった。


 チューウェイトから繰り出される連打に続く連打。左腕を失った分は脚を使って攻撃を加えるが、ケビンは全く意に介さないのか冷たい瞳でチューウェイトを眺めていた。


 荒れ狂うチューウェイトの吹き荒れる魔力の余波で、耐えきれない帝城がどんどんその形を崩していく。


『健! お願いだからこれ以上は力を使わないでっ!』


『……無理だ。こいつを殺さないと姉さんを救えない』


「ゼェゼェ……」


 どれくらいの時間が流れたのだろうか。休まず殴り続けていたチューウェイトは呼吸を荒らげていた。そして、ただ佇んでいたケビンが動きだす。


 ケビンがそっとチューウェイトの腹部に拳を当てると、それだけでチューウェイトは並々ならぬ衝撃波をその身に受けて、地面を削りながら吹き飛ばされてしまい城外でようやく止まる。


「ガハッ……はぁはぁ……バケモノめ……」


『お願いよ、健……私を受け入れて……』


 チューウェイトの呟きなど意に介さないケビンの姿がまた消えて、地面を背に倒れているチューウェイトの目の前に現れる。


「っ……」


 そして、ケビンがチューウェイトの首を掴み持ち上げると、チューウェイトを射抜く冷たい瞳のケビンが口を開いた。


「言い残すことはあるか?」


「その力……よこせ」


「……お前の力、どうやって手に入れた?」


「……奴らと精々やり合うんだな」


「奴らとは誰だ」


「俺に力を与えた奴らだ……」


「だから誰だ」


「さぁ、殺せ……死の感覚が欲しい……」


「……」


 チューウェイトがこの状況でも欲深く死の経験すら欲すると、ケビンは貫手を放ちチューウェイトの体を貫いた。


「がはっ……この国は……俺の欲とともにくれてやる……」


「お前の欲などいらん」


「魔王である俺を殺した時点で、覚醒したお前へ自動的に移る……残念だったな……」


「……」


「最後に手に入れたのが死の感覚か……悪くない……」


「いい加減死ねよ」


「魔王を舐めるな……」


 体を貫かれたというのに喋り続けるチューウェイトだったが、次第に呼吸が浅くなり瞳の光は失いつつあった。


 虚ろな瞳でケビンを見るチューウェイトが最後の力を使い口を動かす。


「……わ……のや……」


 ケビンは最後に何か呟いたチューウェイトの言葉は聞き取れず、チューウェイトを放り投げると城内にいるシーラの元へと戻る。


『健……』


『ソフィ……すまない』


 傍に寄りしゃがみ込むケビンの表情を見たシーラは、涙を流しながらケビンに謝罪するのだった。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい――」


「姉さんが謝ることは何もない」


「私のせいで……また私のせいでっ!」


「痛かっただろ、今傷を治すから」


 ケビンが回復魔法をかけてシーラの傷を癒すと、シーラはそれでも謝罪をやめなかった。


 ケビンの表情が希薄なことを気に病むシーラに、ケビンは優しく語りかける。


「大丈夫だから、家に帰ろう」


「ごめんなさいごめんなさい――」


「《スリープ》」


 錯乱して情緒不安定になっているシーラに、ケビンは魔法をかけて強制的に眠らせると、その体に毛布をかけて自宅へと転移した。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 ケビンの帰りを待つカロトバウン家に待機する面々は、突然現れたケビンに驚くが、何よりもケビンの表情が乏しいことに驚愕する。


「姉さんを部屋に運ぶ」


 ケビンはシーラを部屋に運ぶとカレンを呼び、ケビンを見たカレンはその様子に目を見開くがそのまま事情を聞く姿勢をとった。


「鞭打ちされた傷は治したけど、見てわかる通り皇帝に服を破られて肌を見られたことを凄く気にしてる」


「女性にとっては大切なことです」


「姉さんが自分から近づくまでは男の使用人は近寄らせないで」


「そのようにします」


「あと、目を離さないで。思い詰めてるから何を仕出かすかわからない」


「常に傍を離れないように必ず1人配置につけます」


「後のことは任せるよ」


「かしこまりました」


 ケビンは髪飾りを枕元に置くと、シーラの部屋を出てカインの部屋へと足を運ぶ。そこには付きっきりで世話をするためにマイケルが控えていた。


「カイン兄さんは?」


「目覚めております」


 マイケルはケビンの表情が希薄なのを目の当たりにして驚くが、そんなことをおくびにも出さずにケビンへ返答した。


 ケビンはカインのベッド脇に椅子を運ぶと、そこに腰掛ける。


「カイン兄さん」


「ケビンか? 悪いな、声の聞こえる方にいるのはわかるが」


 力なく答えるカインの目元は包帯でグルグルと巻かれて保護されていた。


 もう2度と自分の足で立ち上がれず、何かを見ることもできないと理解しているのか、いつものような明るさが見る影もなくなっていた。


『サナ』


『……マスター……』


『言いたいこと後にしろ、部位欠損を治す魔法は存在するか?』


『光属性魔法にあります。教皇クラスにしか扱えない秘匿された最上級魔法です』


『その情報を頭に流してくれ』


『わかりました』


 ケビンは魔法が存在することをサナに確認したら、カインに向かって語りかける。


「カイン兄さん、また剣が振れるように……アイン兄さんの補佐ができるように今から治すよ」


「ケビンがか? 気休めはいらないぞ。無理なのは魔法に疎い俺でもわかってる」


「まぁ、試すだけだよ」


「そうか……」


「《リジェネレーション》」


 ケビンが魔法を唱えるとカインの体は光に包まれていく。そして光が収まるとケビンはカーテンを閉めて室内を暗くした。


「カイン兄さん、包帯を取るから体を起こすよ」


 カインの体を起こしたケビンはゆっくりと包帯を外していく。


「ケビン……瞼の感覚が……」


「目はまだ開けないで」


「……」


 やがて包帯を外し終わったカインの顔には、瞼がその両眼を保護するように再生していた。


「ゆっくりと目を開けてみて」


 ゆっくりと瞼を開いていくカインの視界には、ぼんやりと部屋の光景が映し出されていく。


「み……見える……」


「視界がハッキリするまでは暗いけどこのままで過ごしてね。マイケルさん、カイン兄さんの目が馴染んできたら少しずつ明るくして慣らしていって」


「かしこまりました」


「カイン兄さん、足は動かせる?」


 ケビンに言われて気づいたのか、カインは膝から先の失くなってた感覚が戻っていることに驚き、モゾモゾと布団の中で動かしていた。


「足も大丈夫そうだね」


「ケビン、兄ちゃんはお前に何を返せば――ッ!」


 カインは見えるようになった瞳で初めてケビンの顔を見て、あの時と同じような表情を浮かべているケビンに驚愕する。


「ケビン! お前、その顔どうした!? 何があった!?」


「俺はまだすることがあるからゆっくり休んでて。それと剣はここに置いておくから。マイケルさん、あとはよろしく」


「おまかせを」


「おい! ケビン、待て!」


 ケビンがカインの部屋から出ていくと、カインは後を追おうとするが上手く足が動かずに手だけがケビンの後を追うように伸びるのであった。


 そしてケビンはリビングへと戻ってくる。


「ケビン、何があったんだい? 今のケビンはさすがに見過ごすことはできないよ」


 アインはあの時のケビンを思い出してしまい、とても聞かずにはいられなかった。


「ちょっと張り切っただけ」


「ケビン、お母さんにも言えないこと?」


「……」


「ケビン君――ッ!」


 ティナはケビンに呼びかけるも向けられた視線に怯んでしまい、二の句が告げられなくなってしまう。


「ケビン、あなた昨日よりも酷い顔になってるよ。帝国で何があったの?」 


「皇帝を殺しただけだ」


 ルージュから質問されるも、ケビンは淡々と答えるだけであった。


「皇帝に何かされたの?」


 ニーナが恐る恐るケビンに近寄って見上げながら聞いてくるが、返ってきたのは思いもよらない内容だった。


「これは自分で選んだ結果だ。後悔はない」


「そんな……」


「後始末があるから俺は行くよ」


「……帰ってくるよね?」


 ケビンはニーナの言葉には応えず、帝城へと転移して実家を去るのであった。

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